山下達郎「いつも誤解されるけど、柔らかく優しい印象の音楽をやってはいても、スピリット的には下北沢や荻窪のサブカルチャー感覚」 [湛然★]
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山下達郎、WEB独占インタビュー。アルバム『FOR YOU』で訪れた節目、“神様の引き合わせ”という初期8作のアナログ復刻を語る
5/3(水) 0:01 THE FIRST TIMES
TEXT BY 真保みゆき
https://news.yahoo.co.jp/articles/f0157f32e2f94ff2ffbfe01abb73853c12a0ef7c
■(今回の復刻は)神様の引き合わせというくらいの感じではある(※中略)
(アナログ復刻には)あまり期待してなかったんだけど、今回出す中でも『FOR YOU』と『RIDE ON TIME』について言えば、かなりオリジナル盤に近づいてきた。アナログ・カッティングに即した新しいデジタル・リマスターを音源に使っていることもあって、音の抜けという意味ではオリジナルのLPよりいい部分もあるんです。ようやくそこまで来たという思いが、今回のリイシューに関してはあります。
──そういう意味で、達郎さんご自身納得されている復刻ではあると。
まあ、神様の引き合わせというくらいの感じではあるんですけど。(※中略)
──達郎さんはレコメンドされたものは聴かれますか。
聴きません(笑)。
■僕らは聴覚を通じて音楽を享受してきた世代だから、響きとか倍音の美しさ、音の塊が持つ色彩感とかで選ぶ。見てくれじゃない
──そこは選ぶんですね。あくまで選択的に生きるという。
自分の耳で選ばないとダメ。今、よく聴いてるのが“グローバル・トップ50”という世界中のヒット曲を集めたプレイリストなんですが、それにしたって選ぶのはあくまで自分の耳。そもそも“あなたに合った曲”とか薦められても、合っていたためしがない(笑)。大体、人間の嗜好ってそんなに狭いものじゃなくて、たまたまそれを聴いてよかったという出会いがある。ヒップホップばかり聴いてたやつが、クラシックを聴いてすごくいいと思う瞬間があったりする。それはキューバ音楽でもブラジル音楽でもよくて、要は垣根がない。それが本来の意味でのグローバリゼーションだと思うんです。
今は聴覚以上に、視覚が支配的な時代ですよね。それこそ音を消してダンスだけ観て、その上で曲を選ぶ場合さえある。アイドルに至ってはもう何十年も、ブロマイドに歌が付随しているような売り方をされてますよね。僕なんかが経験してきた音楽の制作手順とはかけ離れているんです。僕はあくまで聴覚を通じて音楽を享受してきた世代だから、響きとか倍音の美しさ、音の塊が持つ色彩感とかで選ぶ。見てくれじゃないんだよね。
──今『CIRCUS TOWN』をあらためて聴くと、76年の時点で、非常に構築された音楽を志向されていたことに驚かされます。
10代からそういう音楽を聴いて育ってきて、自分でもそれがやりたかったんですけど、バンド(シュガー・ベイブ)ではなかなか実現できなかった。また、そういう志向を公に発信しても、こちらの意図とはかけ離れた、的外れな反応が返されることが多かったんですよ。(シュガー・ベイブ唯一のアルバムである)『SONGS』なんか、当時の評価は散々だった。
僕自身、今で言うならマニアというか音楽オタクのはしりだった。ベスト10入りするようなヒット曲はまったく聴かずに、30位、40位あたりをうろうろしているような曲が好きで、自分以上に音楽を知ってるやつはこの世にいないとか、テクニック的にも自分よりうまいやつなんかいないとかね。そういううぬぼれを持っていたのが、いざ世間に出ていくと、現実とのギャップに悩まされたわけです(笑)。
バンドではまったく食えなかったし、自分の好きな音楽は世に受けられないんじゃないかってトラウマをずっと抱えていた。(※中略)
──音楽制作って、外から見ると夢の世界というか、ふわっとしたイメージで捉えられがちですが、達郎さんの場合、スタート地点から予算の問題だったり、ビジネスの厳しさの洗礼を受けたわけですね。
なんだけど、コマーシャルなものを作れと言われると、そんなのくそくらえと思う自分もいたんです(笑)。いつも誤解されるんだけど、ごく柔らかい、優しい印象を与える音楽をやってはいても、スピリット的には下北沢や荻窪を拠点としていたサブカルチャーの感覚が支配している。売れるためにやってるんじゃなく、柔らかく聴こえる響きが好きなだけ。分裂しているというか、ジレンマですよね。その意味で自分が属する場所がないというトラウマは当時からあったし、今でも引きずっている。結局は“一人”なんだというね。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) また八王子てのも昔からかなりの魔境でさ
八王子祭りとかになると84〜5頃とか放射線通りでは
ロックイットバンドがガンガン鳴り響いたりして
ヘンだったよ。ユーミンの曲はかからなかったなw >>180
音屋としての後継者が育ってないよな
影響受けた人はいるんだろうけど後継者ってわけでもないし アイドル音楽とか嫌いそうなのにキンキに曲提供してるのが不思議 AKB秋元商法のせいで
日本の音楽が完全にガラパゴスになって
アーティスト文化が長期間死滅してしまった。
今の邦楽アーティストはJPOP継承者で
洋楽の影響が殆どないんだよな。
AKB以前のJPOPはどうやって
洋楽を日本にとりこむかの試行錯誤だった。
はっぴいえんどと比較するとわかるけど
山下達郎のほうがはるかに日本語を
洋楽的世界観に綺麗にのせている。
完璧な日本語ののせ方をしている。
桑田佳祐よりよっぽど巧い日本語ののせ方だと思う。
山下達郎ならレッドツェッペリンの音楽に
日本語をのせることだってたやすくできたかもしれない。 以前仕事場で知り合った人が
好きなミュージシャンとかいますか?という雑談で
この人の名前を恥ずかしそうに挙げていたのが印象的だった
別に恥ずかしがるような人でもないのに このオッサンは音マニア
音楽が好きで好きで仕方ない感じ
いわゆるメロディ&リズムのオタクってやつだね 2週間ぶりに5ch覗いてみたけどまたおじいちゃんおばあちゃんたちで頷き合ってたわ
ただ頷き合ってるだけならいいけど下の世代叩くいて気持ち良くなってるからダメダメダメダーーーメ 1950年代や60年代のアメリカのカントリーやゴスペルを上手くパクって成功したよな。
歌が上手かったのもあるが。 オリコン デイリー アルバムランキング
2023年05月02日付
2位 15,891枚 山下達郎「FOR YOU」(5/3発売アナログ) >>206
恥ずかしそうに言うなら長渕とかだよなw 勝手に金持ちの家の子だと思ってたけどそんなことないのな >>12
歌手廃業寸前だったのに運命ってのはほんと面白いな
世に出れなかった天才もごまんといるんだろう >>212
長渕のファンは逆に堂々と長渕最高!とか言ってそう 天才ではない
パクりの天才ではあるがな。
当時の若者の多くはボブ・ディランやビートルズやストーンズのパクりが流行りだったし受けた。
はっぴいえんど系や山下達郎みたいなゴスペルカントリーのパクりは流行りでは無かったから受けなかった。
ゴスペルカントリーは当時ですらすでに中高年向けだったからね。
山下達郎が今になって5ちゃんで評価されてるのは5ちゃんねらーの大半が中高年になったからなんだよ。
山下達郎は若いときから中高年向け音楽やってただけであって天才では無い。 演歌や歌謡曲にも言える
5ちゃんねらーの大半が中高年になったからか演歌や歌謡曲を評価しだしてるんだよ。
逆にロック系を批判するレスが増えた。
中高年になって音楽の好みが変わっただけなんだよね。
5ちゃんはマジで爺さん婆さんしか居なくなった。 >>17
うんこは喋るなよ
中森明菜がまったくのカスなのは事実 ユーチューブとかティックトックとか所詮映像頼みだしな
レコードやCDだけで純粋に音源を売ってた時代とは全然違う >>191
いや秋葉原なんて昔はただの機械オタクの街でサブカル色なんてないない
普通は高円寺や吉祥寺を入れる
あなた東京出身じゃないでしょ >>217
無茶苦茶だろう
はっぴぃえんどと山下達郎の元ネタはもっと直接的だし、
ボブ・ディランやビートルズやストーンズだってゴスペルカントリー(を元ネタにした音楽)から持ってきてる >>26
坂本龍一の1stアルバムに参加してまっせ。カスタネットで >>205
そうね、桑田佳祐は桑田佳祐ですごいんだけど、結局シュールで許されてるところがある
山下達郎は王道の日本語を綺麗に乗せられるという意味で作詞のレベルも高いね >>217
音楽を1ミリも理解してない奴が音楽語ってて草
そういうやつほど無駄にベラベラ喋る >>7
そういつマイナスイメージを
持たれながらも楽曲を残してる
って逆に凄くないか? 学生集会が盛んであった新宿で自らも学生運動や学生サークルに関わるようになり、高校生活から完全にドロップアウトした。「音楽、バイト、学生サークル、ジャズ喫茶に名画座」という毎日を過ごす[注釈 7]。
高校の時にドロップアウトしたトラウマは、のちに、「学校という社会の中から逸脱していく絶望感は、この年になっても高校を出られない夢を見る」[27]と語るほど大きく影響を与えている。 >>26
達郎の「イッツアポッピンタイム」の六本木ピットインでの演奏のキーボードは坂本龍一 屁理屈コネコネ全共闘おじさん = サブカルだしな
別に山達は昔から歌うよりも理屈こねる方が好きなくらいだからね >>216
ラーメン屋とか入ったら壁一面長渕のポスターとかタオルとか貼ってあることあるもんなw
永ちゃんもありがち >>230
自分なんかも浪人中に受験放棄して中途半端なドロップアウトしたクチだからそういう感覚はよく分かるわ
大学行った連中からは線を引かれる感覚と、それなりに準進学高校だったという変なプライドがアホ校出身の輩とは馴染めず
もう35年も前だからその後すぐキチンと社会に生還してるけどね 山達にあって、さだまさしに無いもの
東京一極洋楽文化スノビッシュ排他性 >>116
美空ひばりをAIかなんかで再現して今ならこの曲をこう歌うでしょうみたいた企画にも怒ってたな、リスペクトがない冒涜だと >>230
時代的にドロップアウト仲間が多かったから何とかなったんじゃないかな
時代を間違えてドロップアウトすると下手するとひきこもりニートになる可能性は大いにある 出席日数が足りず卒業が危ぶまれたが、追い出されるように高校を卒業した。その後は、音楽にのめり込む日々が始まる。そうは言っても、「裏方ぐらいにしかなれないだろうし、ならば、せめて音楽著作権でも学んで音楽出版社にでも入ろうか」と考え、法学部受験を目指して予備校に入学、1年間の浪人生活を送る事になった。しかし実際にはほとんど通っていなかった。[28]
明治大学法学部へ入学。しかし講義にもほとんど出席しないまま、3か月で中退した。
シュガー・ベイブ(山下・大貫・村松)がコーラスで参加した荒井由実のアルバム『MISSLIM』をリリースする。達郎はコーラスの他、一部の曲ではギタリストとして参加。荒井(松任谷)の作品にはソロになって以降も、『OLIVE』(1979年)まで関わっている。
1976年、ニッポン放送『オールナイトニッポン』水曜2部(木曜深夜3時?5時)レギュラー開始(3月25日まで)。3月27日は臨時で金曜1部のパーソナリティーを務めた。
1980年、アルバム『RIDE ON TIME』リリース。アルバム・チャート1位を記録、ソロ・デビュー4年目にしてブレイクを果たす。
1982年、アルバム『FOR YOU』リリース。オリコンチャートで1位、年間アルバムチャートでも2位となり、評価を確立[29]。 >>233
ラーメン屋の店内壁一面達郎だったら嫌だとても嫌だ >>219
好みと言うか、自分が属すコミュニティーが演歌や歌謡曲しか聴かない
ような、じいさんおばちゃんと迎合しないと自身が生きていけない
境遇になっていくんだよ 俗世間一般の人が知らないことを知ってたり、やってたり
するのがサブカルだからね
みんなが同じことをやってたらそれはサブカルではない
ひねくれた希少性がサブカルの正体 >>241
それ小室ファミリーで育った世代からは変わるんだよ
90年代は売れてたミュージシャンが多ジャンルいたからリスナーも柔軟だった
でも彼らが高齢者になるまでにまだあと20年もあるのが日本の終わってるとこ笑 >>241
それだろうな
現在の、というか2010年代以降の一般的な中高年は、演歌とか聞かないもんな
達郎もだけど、他に中島みゆきとか浜田省吾とか受け皿あるからな 実家が練馬区平和台のヤマザキパンのお店だったヤマタツなら練馬大根カルチャーやろ。 >>26
達郎は同世代で一番親しいミュージシャンは坂本龍一だと一昨年のインタビューでも言ってる オールナイトニッポンは結局1部に昇格する前にやめたんだね
オールナイトニッポンを長期に担当していたとか全く知らなかった
しゃべりっぱなしだったんだろうなぁとは想像はつく
てかお父さんおかぁさん、こんなに売れて感激したろうなぁ。
お父さんは何度も商売失敗していたし。親孝行。
明大やめたときは絶望したろうけどな。
学費で困難もあったのかな?
映画やドラマにしてもいいよね。朝ドラにするべきだわ。
菅田将暉 主演かな? >>245
都会の金持ちに許された遊びだった時代だと希少価値があった情報、センス、テクニックも未だと地方に行き渡ってありがたみが減ってきたのが寂しい いやどう考えても山下達郎一家は富裕層じゃない
なんとかやりくりしながら必死に生き抜いてきた感じ
山下自身もなんとか生き残って大ブレイク
竹内まりやみたいな、何百部屋もある大旅館の長女と別世界 >>252
達郎は良家でもなくて普通の自営業の家庭育ちだったろ確か さだ まさし 生年月日: 1952年4月10日 (年齢 71歳)
山下 達郎 生年月日: 1953年2月4日 (年齢 70歳)
どちらが先に死ぬかで日本の歌謡ポップスの今後は変わって来る
さだまさしの音楽がどれだけ伝統保守かと言うことがいずれ分かるだろう
さだまさしは史上最大の偽善者だった!!
↑
なんじゃそりゃ >>256
まりやの実家は老舗とはいっても僻地島根だし
潰れかけた程度の古い旅館でしかないよw 「大学に入って3カ月ぐらいでバンドを始めて、やめちゃった。それでシュガー・ベイブを作って、22の時にデビュー。」
「当時、家では親父から、『学校に行かないやつをうちに置いててもしょうがないから出てけ』って言われてたんですよ。最初にシュガー・ベイブが所属した事務所が給料をくれなくて、数カ月後につぶれて、あの時は本当に困窮した。だけど、運良くCMで使ってもらえて、飢え死にしなくて済んだんです。不二家のハートチョコレートのCMは、人生で3本目のCM作品だったんです。僕の実家は街の菓子屋・パン屋というか、そういう店をやっていたんだけど、台所で親父と無言で飯食ってたら、テレビからそのCMが流れてきた。『これ、俺がやったんだよ』って言ったら、親父はテレビをチラッと見て。それ以降、何も言わなくなった。世の中は、やはり形にして出さないと、いくら俺は最高の音楽を作ってるんだと御託こいても駄目なんだ、という教訓」
「実家の店にはレジスターがあって、引き出しを1センチ開けるとチーンって音が鳴るんですよ。なので5ミリぐらい開けて、ようじにセロハンテープを付けて200円くすねて、往復の電車賃にしてた。親父はたぶん知ってたと思うけど。ある日、その金で実家の練馬から渋谷に行って、ライブのリハーサルに参加したことがあってね。スタジオに行くと、売れっ子ミュージシャンばかりで、夕飯時になると、出前にウナギをとろうか寿司にしようかと楽しそうでね。で、『山下さんはどうします?』って言われて、『あ、僕、食ってきましたんで』ってウソをついた。一番金がなかった時代の、あれだけは忘れないな(笑)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E9%81%94%E9%83%8E
居酒屋を経営していた両親の間に生まれ、一人っ子として育った。飲食業を嫌がる母親の希望もあって、長男の誕生を機に父親は転業を決意し、もともと電気職工であった祖父が経営していて倒産した工場を引き継ぐ形で再興を図った。
神武景気を当て込んでのことであったが、この年の7月、景気は急速に冷え込み、なべ底不況(57年不況)が到来すると、山下家の工場はその煽りを受けて倒産してしまった[25]。
達郎は池袋のアパートで暮らす共働き夫婦の下でカギっ子として生活することになった[25]。
達郎は豊島区立池袋小学校[gm 1])に入学。
小学生時代は、宇宙と読書が大好きな、まじめに塾通いする典型的優等生タイプで、児童会役員にも選出された。
小学6年生の時、当時の音楽担当教師に勧められクラブとマーチングバンドに所属し、太鼓を担当する。
当時のお気に入りは三波春夫の歌謡浪曲であった[26]。
豊島区立高田中学校(現・豊島区立千登世橋中学校[gm 2])へ進学する。ここではブラスバンド部に入部し、やはり小太鼓を担当する。
、ウクレレを買ってもらったことをきっかけにギターにも興味を持ち、独学で練習し始めている。友人の影響を受けてベンチャーズをきっかけに洋楽を聴くようになったのもこの頃
一家は練馬区平和東京都立竹早高等学校[gm 4] へ進学する。前年から始まった都立高校入試への学校群制度採用により、竹早高校へ進学することになったという経緯から、別の高校に入っていたら自分の人生は大きく変わっていただろうと振り返っている。
都立の進学校に入学できた褒美として、以前から欲しかったドラムセットを親に買ってもらう。
台[gm 3] へ転居し、どうしても商売がしたいという父親の意向で菓子屋を開いた。
進学校特有の管理体制への違和感と、国立一期校(当時)で受験一辺倒のクラスメートの中にあって孤立感に悩み、教員からは長髪を理由に恫喝を受ける学校生活が続いた。
目指していた学問の道から挫折した。 バルトのテクスト論じゃないけど音楽だけで語れないもんかな
生い立ちだの人柄だの語るレスは邪魔でしかなくて >>256
池袋のスナックの不良息子達郎に
良家の慶応令嬢まりやが
彼のボヤキ怨念の負のオーラに洗脳されて
結婚して今に至る
まあ野村監督とサッチーみたいなもんだw 大瀧と山下の最大の違いは大瀧はコード理論とかそういう勉強全くしてなさそうで
山下は全部必死に勉強したって感じ。これは細野も同じ
あと複雑なコードをいっぱい使ってる。編曲も作曲家みたいに相当計算してる感じ >>261
結局こんな普通の家庭に育った人の音楽が最も世界で共有される普遍性を持ったというのは
むしろ順当な感じがするね
黒人とかヒスパニックとか色々な境遇のリスナーがいるのだから 歌声がマッチョだから柔らかく優しい音楽という印象はないな
柔らかく優しいのは南こうせつだな
松山やさだですらマッチョに聴こえる >>6
世の中から必要とされないどころか存在すら微塵も感知されない君のような無価値な生き物には理解できないと思うよ 山下も吉田拓郎も元々ドラムやってる共通点があるな
こういうタイプは黒人音楽に入り込みやすいと思う
山下はビーチボーイズ好きと言いながらずっと黒人系をやってると思う
ビーチボーイズは白人音楽を目指すと公言していた ピーターゴールウェイの音楽との出会いが大きかったんじゃ?
今聴いても驚くほど洒落てる
ロック、フォーク、ソウル、ジャズ…様々なジャンルを行き来するしなやかさは現代っぽい これ
山下家の歴史をウィキで読んだけど
竹内家の歴史と平行させて
脚本作ったら絶対大ヒットするよ。
達郎 菅田将暉
まりや 小松菜奈
でいいよ。
音楽はヒット曲満載で凄いことになる。
音楽史と達郎・まりやの歴史をたどるドラマになるよ。
自分で脚本書きたいくらいだわww >>274
吉田拓郎・坂崎幸之助のANNにゲスト出演した回のYouTubeをよく聴いてる。
ふたりともエレック出身で、シュガー・ベイブは末期だからか待遇が最悪で
吉田拓郎も同情してた。 >>5
えー。それはいくらなんでも知識が薄すぎないか? 山下の音楽の一番すごいところは時代の普遍性があることだよ
あくまで今現在のことだけどやってる音楽はずっと同じなのに古くなってない
サザンなんかがユニクロで流れてると「必要以上に無駄に明るくて必死」な感じを受ける
つまり今の時代の空気感がもうサザンの曲にはないんだよ
クオリティがサザンより数段落ちても最近の若い奴の曲のほうが今の時代を表してる
その点山下の曲はそういう感じを受けない。今の時代に街で流れてもそれほど違和感がない >>280
偉大なるワンパターンというかそれを継続するのは大変だろうな >>277
拓郎がエレックをやめて、穴埋めのように大瀧が専属となりアルバムノルマを課された
そのレーベルの中からシュガーベイブがデビューしている
風の街のレコーディングで拓郎に歌唱指導された山下はそれを根に持って
75つま恋のコーラス参加も断ったはず 達郎の役はいくらなんでも本当にイケメンは使いにくいから
菅田将暉あたりが丁度いい。
数年前、千葉に旅行いったときたまたまNHKで
スペシャルドラマのシーナ&ザ・ロケッツの伝記ドラマやっていた。
結構面白かった。
題材としては、山下達郎のドラマはめっちゃ面白くなる。
なにより学生運動まででてくるから、社会批評性の高いドラマになる。
確実に視聴率がとれる朝ドラマになるよ。
とにかくユーミンもYMOメンバーもでてくるんだから。 当時、荻窪西荻阿佐ヶ谷界隈のサブカル感は作家・作曲家・漫画家が多く住んでいて集まる場所でもあった
大手資本・チェーン店が少く、個人経営の店が狭いエリアに思い思いに乱立した独特の空気感がある
ぶらぶらしていると、その日の気分に合う店だったり気になる店が必ず見つかる >>281
ものすごい努力してると思う
でもまあこの人は努力というよりオタクなんだと思う >>280
というけど竹内まりやが注目されたのはここ数年のシティポップブームだからで
2000年以降の十数年は影薄かったけどな 客に
一緒に歌うな、ちゃんと俺の歌をきけ
って言い切っちゃうくらい
自分の声にはこだわってるね
確かに唯一無二のの声 竹内まりやと結婚してるんだから才能は見た目を凌駕するんだぞ >>280
どっちも一緒だろ
昔の曲に今の時代の空気感なんてあるわけない 普遍性というとミスチルやスピッツになるんだよつまり小林武史や笹路正徳 >>286
竹内まりやは和製カレンカーペンターを目指してるんじゃないかな、ずっと。
声的にはこの人か伊東ゆかりだと思う
ちなみに伊東ゆかりがよくカバーしてたコニ―フランシスのボーイハントから青い珊瑚礁は出来ている >>63
TOKIOの松岡が達郎はタテの人だと冗談ぽく言っていたから
その場では許しても、あとあと物凄いマウントで分からされそう ライドンタイムあれ1980年の曲なのにグッドラック(2002年)の時に聴いても全然古臭さを感じなかったなー >>292
竹内まりやが手本としてるのは西田佐知子だよ 東京ビクトリーってK助の曲にあるだろ
あれはライドオンタイムのパクリだと発見したのは俺
歌詞にもライドオンタイムって出てくるだろ 放送中
https://www.nhk.jp/p/zanmai-yamashita-tatsuro/rs/GJN1GY9QJ9/
今日は一日山下達郎三昧
山下達郎の音楽の世界を1日かけてじっくりと深く味わいつくす!
今日は一日山下達郎三昧 レコード特集2023【第1部】
[FM] 2023年05月04日 午後0:15 ~ 午後6:50 (395分)
今日は一日山下達郎三昧 レコード特集2023【第2部】
[FM] 2023年05月04日 午後7:20 ~ 午後9:30 (130分)
https://www.nhk.or.jp/radio 大瀧詠一は好きだけど山下達郎のねちっこい歌い方は好きになれない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています