もう数十年前になるが、私は高校球児だった。
甲子園を目指せるような強豪校ではなかったが、小学生から始めた野球を続けたいと思い、野球部に入部。

しかし、半年も経たない間に20人以上いた同級生が半分以下に。
原因は先輩から受けた「指導」という名の暴力だった。

野球人気は陰りを見せている――そう言われて久しい。
しかし、WBCなどの国際大会が開催されれば、大きな注目を集め、連日熱戦が繰り広げられる甲子園の試合に手に汗握る人も多いだろう。

野球というスポーツは他と比べて少し異色だ。
今は数が少なくなっているというが、高校球児は坊主頭が基本。

最も注目を集める夏の全国高校野球(甲子園大会)は熱中症の危険が叫ばれる昨今でも真夏の屋外で行われる。
そして、「暴力」を伴った指導も近年では大きな問題に。
全国の強豪校が出場停止処分になるなど、毎年のように報道される不祥事に「またか…」と落胆する野球ファンも多いのではないだろうか。

『殴られて野球はうまくなる!?』(元永知宏/講談社)は、プロ・大学・高校における体罰について取り上げた一冊。
本書を読めば日本の野球と暴力が根深いことがよくわかる。

そもそもなぜ、スポーツの指導で暴力という手段が取られるのだろうか。
賛否両論あるだろうが「チームに緊張感が生まれる」「必死になる」「根性がつく」など。

実際に暴力も厭わない厳しい指導で、何度も甲子園優勝に導いた学校も存在する。
そして現在、指導者として活躍する人の中にも「信頼関係があれば体罰も一つの指導方法」と考える人が多いようだ。

ここで「信頼関係」という言葉が一つのキーワードになる。
イライラしている、あるいはストレス発散のために手を上げるのではない。

選手の成長を願っているから手を上げるという手段を取る。
そんな姿勢が相手に伝わらなければ、相手を生かす“叱る”ではなく、自分の感情に振り回された“怒る”になってしまう。
互いの信頼が築けていない場合に大きな問題になるように感じる。

そして、この信頼関係は何も野球に限った話ではない。
「先生と生徒」「親と子」の間柄でも信頼関係は欠かすことができないだろう。

人の話を聞かないで、一方的に理不尽な論理を押し付け、暴力を振るえば「叱る」には程遠い。
「自分が悪かった。次は気を付けなければならない」というよりも、「ふざけるな」と感じてしまうだろう。

本書では他にも、怒らない指導法の一つとして、メジャーリーガーを多数輩出するドミニカ共和国の野球指導について語られている。
考えさせられたのは「指導者はまず観察しなさい、聞きなさい。彼らがどんなことを欲しているかを知りなさい。バッティングやキャッチボールの音も含めて聞くことが大事。おまえは黙れ」という言葉だ。
日本の多くの指導者とは違った方針となっており、暴力がなくとも名選手が育つことが実証されている。

以前に比べ、野球だけではないが暴力に寛容ではなくなった。
過去に暴力で苦い経験をした私としては喜ばしいことだ。

だが、それがなくなったからと言って、日本の野球のレベルが低下しては一野球ファンとしては悲しい。
暴力に頼らず、未来のスターを育てあげる熱き指導者に期待したい。

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