チャーチルも恐れた〝負けない戦略〟が存在した
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もともと、大東亜戦争は、石油をオランダ領インド(インドネシア)に確保して自存自衛を図るもので、陸軍は合理的な戦争戦略「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を41年11月15日に、大本営政府連絡会議で決定した。

この「腹案」は「陸軍省戦争経済研究班」(『秋丸機関』)というシンクタンクの研究結果、「輸入依存率が高く経済的に脆弱な英国を、その資源・食糧の輸入ルートであるインド洋における制海権の獲得、海上輸送遮断やアジア植民地攻撃によりまず屈服させ、英・蘭等の植民地になっている南方圏(東南アジア)を自給自足圏として取り込む」(要約)に基づく。

「腹案」は、速やかに南方資源地帯を獲得し、自存自衛の体制を確立することを第一段作戦とする。大東亜共栄圏の確立だ。第二段作戦は、英国の屈服を図るためのインド・インド洋方面への侵攻(西進)。日本はビルマの独立を促し、インドの独立を刺激する。

さらに、ドイツとイタリアが近東・北アフリカ・スエズに侵攻する。日独は相共に英国への物資輸送を遮断する。米国については、支援相手・英国の屈服により戦争継続の意思を喪失せしめる。

ここに「太平洋」は出てこない。攻略範囲は限定され、アリューシャン、ミッドウェーなどは考えられておらず、ハワイはまったく論外だった。

そもそも、米国は完全に世論や議会が参戦を忌避していて、フランクリン・ルーズベルト大統領の「米国参戦の策謀」は手詰まり状態だった。日本の対米戦略の柱は、反戦的な米国世論への〝日米戦争が無意義〟なることの宣伝工作だった。

フィリピンは一旦占領するも、親米政権を維持して、そのまま米国に返還し、外交交渉で限定戦争を終わらせる。万が一、米海軍主力がやってくるとしても、日本から攻勢に出ずマリアナ諸島に防衛拠点を築いて誘い込み撃破する伝統的守勢作戦思想で対処する。

東條英機首相も、そもそもは、リスクを理解しつつ、「この戦略で対英蘭戦は勝てる」「石油は獲れる」「対米は限定戦争で終わる」と認識していた。英国のウィンストン・チャーチル首相はこの日本の戦争戦略を大英帝国を崩壊へ導くものと恐れた。