天文5年(1536年)2月(旧暦)、3月3日(旧暦)に延暦寺西塔の僧侶・華王房と上総茂原妙光寺の信徒・松本久吉(松本新左衛門久吉)とが問答したところ、松本久吉が華王房を論破した(松本問答)

延暦寺の僧侶が日蓮宗の一般宗徒に論破されたことが噂で広まると、面目を潰されたと感じた延暦寺は総勢6万人を動員して京都市中に押し寄せた
法華宗徒の町衆は総力を挙げて戦ったが、法華寺院と町衆が集住する下京は焼失し、上京も3分の1ほどが焼け、兵火による被害規模は応仁・文明の乱を上回るものであった。
この乱をもって、法華一揆は終息した
3000人とも1万人ともいわれる人々が殺害されたといわれる(天文法難)
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