「民主主義とは、その政治家や政党を支持しない人、投票しなかった人、そもそも投票する権利さえない人たちの声とも大切に向き合うことだと思ってきました。(安倍氏の)国葬は、むしろそれとは真逆の選択ではないでしょうか」

7月24日(日)、TBSテレビ「サンデーモーニング」で、私はこうした趣旨の発言をしました。今も考えは変わっていません。公の場での発言には、当然ですが必ず責任が伴い、社会の中で批評や論評の対象になるものです。私のこうした発言にも様々な意見が寄せられましたが、中には「論評」とは言い難いものもありました。

東京・中野区議を務める吉田康一郎氏は自身のTwitterで、上記の私の発言をもって「(安田は)降板させるべき」と書き込んだ後、続く投稿では、私が過去に書いた記事を引用したうえで、こうコメントしています。

「TBSサンデーモーニングのコメンテーター、安田菜津紀氏。父親は在日コリアン2世で、元韓国籍、後に日本国籍を取得」

この投稿のリプライには「帰化取り消しをすべき」「今度は日本国籍を抜いて、さっさとお帰り下さい」「反日のため帰化したキャスト」といった差別書き込みが量産されていきました。吉田氏は「国政について論評している人物の背景や経歴、経験について記述しているだけ」としていますが、公人として、「ここに差別の言葉を投げつけていいターゲットがいる」と、自身の投稿が旗振り役になることを、事前に全く考えられなかったのでしょうか。

吉田氏の投稿に対しても、そこに連なるリプライについても、同じ区に生きる人々の中に、恐怖を覚える人々が少なからずいるはずです。「扇動」の害悪について、公人こそ自覚を持つ必要があるでしょう。

ヘイトの問題を考える上で重要な言葉の中に、「集団的ナルシシズム」があります。

「日本」という大きな主語と自分自身を一体化させてしまい、「日本政府」や「日本人」を批判されると、「自分」を批判されたかのように感じがちな状態を、心理学の世界ではそう呼ぶのだそうです。それが有害な形で表れてしまうことを、荻上チキ氏がヘイトスピーチの解説の中で指摘しています。

私や父の出自についてあえて明示している吉田氏の投稿には、「やっぱりな…」等のコメントも並んでいますが、自分と意見の違う人間を「外国人」「在日」というレッテルで見れば、「自分は間違っていない」と安心できるのかもしれません。けれどもそれが、別の誰かの安全を脅かして成り立っているものだとしたら、あまりに脆い「安心」でしょう。

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