韓国国民の多くはロシアの排除と日本の勝利を望んでいたそうで、
政府と国民の間にねじれが生じます。

「日露戦争」にロシアが敗戦すると、
後ろ盾を失った高宗は韓国皇室の利益保全のために、
1905年に「第二次日韓協約」を締結。
韓国は皇室の保全と引き換えに外交権を喪失し、
事実上の日本の保護国となったのです。
軍の指揮権をもつ統監府が設置され、
伊藤博文が初代統監に就任しました。

韓国併合に否定的だった伊藤博文が暗殺されると、
韓国の開化派が設立した民間政治結社が
「韓日合邦を要求する声明書」を上奏。
日本と対等な立場で合併することを求めました。
しかし当時の情勢や国力を考えて、対等合併はありえないと日本が拒否。

そうして1910年6月に
「併合後の韓国に対する施政方針」が閣議決定され、
8月22日に寺内正毅統監と李完用首相によって
「韓国併合に関する条約」が締結。
韓国は、日本に併合されることになったのです。

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