日本文学界において万葉学者の中西進が、憶良は天智・天武両天皇の侍医を務めた百済人憶良の子で、
百済の滅亡に際して父親と共に日本に渡来、近江国甲賀郡山直郷に住み着いたことから山上氏を称するようになったが、
次第に土地の有力氏族である粟田氏に従属し同族化していったとする説を唱えている。

@柳美里
対談としては史上最大の難関でした。朗読を終え、おっかなびっくり中西さんの顔を見ると、中西さんは朝鮮半島動乱で、百済、高句麗が滅亡すると、
多くの人たちが半島からこの国にやってきた。額田王、山上億良、柿本人麻呂ら渡来系の歌人たちは、万葉集において大きな影響を持ったと話されました

★1による解説・新元号令和

令和は、朝鮮半島からの帰化人である山上憶良が中国の張衛の漢詩をアレンジしたものである万葉集梅花の歌32首の序文から引用。

梅花の歌32首は古代日本の歌人、大伴旅人の歌である。
山上憶良はその歌を万葉集としてまとめる際、序文をつけた。

つまり、日中韓という漢字文化圏を俯瞰する大きなスケール観と国際色を持った元号が令和。
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