【音楽】ミスチル、小室、ビーイング、SMAP覚醒から桑田vs長渕のケンカまで… Jポップは1994年に「絶頂」を極めた★2 [冬月記者★]
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ミスチル、小室、ビーイング、SMAP覚醒から桑田vs長渕のケンカまで…Jポップは1994年に「絶頂」を極めた。
今から30年前、1994年の日本レコード大賞は、Mr.Childrenの「innocent world」が受賞した。
彼らが次作「Tomorrow never knows」のMV撮影のため授賞式を欠席したことで、レコ大にとっては黒歴史になってしまったが、評価としては至極真っ当だった。
「innocent world」はオリコンシングルセールスランキングにおいて、この年度の1位作品であり、Jポップが絶頂を極めたこの年を象徴するものでもあったからだ。
なぜ、この年、Jポップが絶頂を極めたといえるのか。それはこの記事が進むうちに、わかっていただけるだろう。
ミスチルは前作「CROSS ROAD」でブレイク。桜井和寿がこれを書き上げたとき、「遂に100万枚セールスする曲が出来た!」と叫んだというエピソードもある作品だ。
実際、この予言は的中。そこから96年の「花 -Mémento-Mori-」まで、ミスチルは8作連続でミリオンセラーのシングルを出し続けた。
桜井が「100万枚」にこだわったのは、当時、大ヒットの基準がそれだったからでもある。
バブル景気は90年に崩壊したとはいえ、すぐに打撃を受けたのは銀行や商社、ゼネコン、不動産の関係者。日本人の多くはまだまだ裕福で、気持ちも浮かれ気味だった。おかげで90年代の音楽シーンは、CDバブルとでもいうべき状況となったのだ。
桜井のほかにも、この年、ミリオンセラーを初体験した大物がいる。小室哲哉だ。
年間3位となった「恋しさと せつなさと 心強さと」(篠原涼子 with t.komuro)をはじめ、計3作のミリオンを達成(残り2作は、trf)。ここから小室ブームが始まり、翌年からは小室プロデュース作品がレコ大を4連覇することになる。
なお、オリコンのデータでは、84年から89年まで、ミリオンセラーは途絶えていた。90年に久々の100万枚超えを果たしたのが「おどるポンポコリン」(B.B.クィーンズ)。いわゆるビーイング系のユニットだ。
ビーイングはCDバブルの火付け役でもあり、翌年以降、B'zや大黒摩季、ZARD、WANDS、DEENなどでミリオンセラーを量産していく。94年もその勢いは健在で、4作で百万枚超えを達成。ミスチル、小室、ビーイングだけで9作のミリオンが生まれたこの年は、トータル18作というミリオンラッシュとなった。
ちなみに、翌年と翌々年の作品数はこれをさらに上回るわけだが、筆者が94年こそJポップの絶頂期と見るのは、達成したアーティストの顔ぶれにバランスのよさを感じるからだ。
広瀬香美や福山雅治といった当時の若手がいる一方で、中山美穂や藤井フミヤのような80年代アイドルも健闘している。また、藤谷美和子・大内義昭によるデュエットソング「愛が生まれた日」も100万枚超え。作詞は秋元康だ。
さらに、松任谷由実、中島みゆき、CHAGE&ASKAといった70年代から活躍する人たちも健在ぶりを示した。これはJポップが誕生した経緯を考えても、なかなか興味深い。
というのも、70年代にフォークやロック、ニューミュージック、シティポップなどと呼ばれていたものが「新時代の歌謡曲」としてひとまとめに進化(? )したのがJポップだとするなら、ユーミンやみゆき、チャゲアスはまさにその流れを象徴する人たちだからだ。
この人たちは80年代、松田聖子や柏原芳恵、光GENJIといったアイドルへの作品提供でも結果を残した。いわば、アイドルという実験場において、歌謡曲的なヒット手法を学んだことが90年代でのさらなる成功につながるわけだ。
また、このようなジャンルを超えた異種交配のようなコラボが繰り返されるうち、細かいジャンル分けは無意味化していった。その結果「Jポップ」という大ざっぱだが便利な呼び方が生まれ、定着していくのである。
続きはリンク先
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ab8a21cf257fbe6097140ec29a3c3206f674f05?page=1
前スレ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1708183266/ BUCK-TICKならダークで虚無な世界観の歌詞やったり「遊びはここで終わりにしようぜ」という歌い出しでオリコン1位とってドームやった事は評価している
イスラム教徒からアルバムにコーランを逆再生して使われた曲が入っているとクレームがきてアルバムが回収された時はイスラム教徒もBUCK-TICK聴くのかよwwwと5ちゃんでツッコまれていたり
ライブ会場には金髪碧眼の白人男性やビンディを額につけたインド人女性がいたり
ボーカルが亡くなった時はロシアやメキシコやチリの日本大使館前で追悼の人や花が凄かったりといつの間にか海外人気のバンドになっていた >>248
人口五千万の国のK−POPアイドルに惨敗だもんな >>935
実は作曲作詞ともに小林武史が桜井のサポートしてるんだよなあ >>952
仕事さえきちんとやってくれたら問題はない
そんな時代だったよ
自分も黄色にしていた笑 中学校のとき合唱コンクールでラブラブラブ歌ってさ
客も参加させる形で優勝狙ってて指揮者だった俺がサプライズ風に(もちろんクラスメイトと何度も練習済み)
客席に振り向いて「みんなも一緒に~!」
らーぶーらーぶあーいをーさーけーぼー
ってコーラスさせようとしたんだけど
誰一人乗ってこなくて顔真っ赤になったわ
誰も乗ってないのに緊張で頭真っ白になって練習通り「ありがとぉーっ!」とか言って指揮に戻ったけどもう客席を振り向くことができなかった 90年最強だけど
どちらかといえば前半より後半かと思った >>812 >>815
俺の少し上の世代だな。自分はオレンジレンジからついていけなくなった。ドラゴンアッシュはドンピシャなんだよ。 レンジはパクり方がえげつなかったからな
自分らで元ネタバラしてたりした ビーイングの長戸は設立されたばかりのフォーライフ新人オーディションで合格した。
このときの合格者三人の中に原田真二がいる。
フォーライフ設立は日本音楽界の歴史的出来事だったが、同時に大きな功罪も生むことになる
アーティスト自身によるアーティストのためのレコード会社、という理想と、会社経営という現実。
僅か一年で経営が傾き、吉田拓郎は急遽自ら社長の座につき会社再建に動いた。
アーティスト活動をほぼ休業し、なりふり構わず、
なかにし礼に歌わせてみたり、柴田恭兵のレコードを出したり、大手芸能社長と営業ゴルフしたり。
これに怒ってフォーライフを飛び出したのが泉谷しげると長戸である。
フォーライフは日本音楽界の経営システムのみならず、吉田拓郎という天才の絶頂期を無駄にした損失でもあり、
しかし一方で後のビーイング設立にもつながる大きな出来事でもあった。 >>962
ビートルズもアップル設立してからおかしくなったからな
アーティストがレーベルやレコード会社自分でやるのはリスク高いな >>964
ポールが身内を経営者に推して他の三人ともめたのが解散の最初のきっかけじゃないかな
エプスタインが死去してから既に崩壊は始まっていたが、
やはりアーティストと経営ってのは反作用を起こすと思う 中でも年相応の曲を聴かなければならないという垣根をぶっ壊したのがSMAPだったんじゃないか >>955
小林武史が作ったコード進行に桜井がメロディ乗っけてたらしいな >>965
そのゴタゴタの中で白/ゲットバック/アビーを作り切ったのは凄いと思う
ゲットバックは色々とあったが
あの時期のポールの創造力は人外だった バブル崩壊後も1997年までは実質賃金上がってたからな
橋本内閣が構造改革と称して消費税増税と緊縮財政始めて実質賃金の低下と日本の衰退が始まった
まぁマスコミが財務省の大本営発表垂れ流してるせいで未だに緊縮財政続けてるんですけどね
緊縮財政やらなかったら今の音楽シーンも全然違ったんだろうな… >>812
ヒップホップのミクスチャーロックと青春パンクが乱立してから
もういいや…ってなったな
で、気付いたら秋元エグザイル嵐になってた >>969
サージェントを世に出したあたりで、おそらくジョンが何かに気づいた
ロックを芸術にはしたが、同時に何かを失っていると。
ホワイトアルバムはそれらを一旦解体したアルバムに思える。
ビートルズというよりバラバラな四人の作品であり、音楽的にも様々な音楽ジャンルの楽曲が並んだ
そしてたどり着いたのがゲットバックセッションによるロックンロールへの回帰だ >>967
そうそう
しかもメロディや歌詞に関してもコバタケが添削してたんだから
もはや共作にしろよっていう >>973
それはちゃんとクレジットに共作で表示されてる >>70
ルナシーがビジュアル系だったの知らないのか >>111
老若男女みんなが知ってるような大ヒットが出なくなったのはカスラックが原因の1つですわな >>974
違う 共作名義だけのじゃなくて他の曲も小林武史がサポートしてるんだから小林武史プロデュースの音楽は全曲共作名義にしたほうがいいってこと
例えばトゥモネバは桜井単体の作詞作曲ということになってるけど、小林武史がコード進行作ってメロディや歌詞も修正してる
そこまでやってるのに一部の曲しか共作名義にならないのはおかしい ビートルズはエプスタインとジョージマーティンの力が大きいな 最後に勝ったのがイージーバンドなるミュージシャンもどきだった
802のヘビーローテーションだったような気がする おどるポンポコリンだけビーイング系だったんだな
さくらももこは渋谷系とかお洒落っぽい曲のが好きで、カヒミカリィ、小山田圭吾、ホフディランとか子供に合いそうもない曲をちびまる子ちゃんの曲に敢えて使ってた記憶がある ミスチルの中ではOVERが好きだが
この曲のAメロはKANのまゆみのサビ、サビはKANの言えずのI love youのサビから出来ている
と最初に指摘したのは俺だが、桜井自身もこの曲をKANの曲と呼んでいる >>1
桑田と長淵だけじゃんその頃と状況変わってないの B’zは好きだったけど、国内の人だけで楽しむ音楽だね
イーグルスのホテルカルフォルニアが世界で一番売れたアルバムだけどその中の一曲のvictim of loveがB’zのヒットシングル『Zero』と同じメロディをしている
アメリカの大学生が聞いたら「日本の曲はパクリばっかりだなw」と嘲笑されるレベル ところが桑田はその長渕からもパクってしまっている
朝ドラ主題歌となった若い広場は長渕の夏の恋人である >>844 >>896
むしろ長渕も清原も桑田に謝るべきだ
さんざん桑田を悪者扱いしてきたことに
また世間の一部の馬鹿がそれに乗っかっちゃって。このスレにもいるけど 桑田はブレッドのIfという曲から二曲作っている
YaYaと真夏の果実である 桑田が豪華メンバーを集めて作った「時代遅れのロックンロールバンド」
サビは聖子の風は秋色である >>988
インスパイアであってパクリではないな
特に真夏の果実はイントロとエンディングだけじゃん チャゲアスの90年代の再ブレイクは凄かった
当時、小学生だったけどみんなyah yah yahとかsay yesとかの話をしてた
テレビの車のCMでDoYaDo、恋人はワイン色とかガンガン流れてたな
ギターやろうと思って親の青春時代の歌本を本棚から出した時、チャゲアスの万里の河が載っていてそんな前からいるグループなのかと初めて知って驚いた
後年、海外で会った香港の友人が最初に買ったCDのアルバムがチャゲアスのTREEだったとか言ってて、自分もそうだった!と奇妙な偶然にお互い驚いて話が盛り上がった思い出 >>984
それを言ったら、zardの負けないではダリルホールのドリームタイム >>221 続き
1995.1月に阪神大震災、3月にオウム地下鉄サリン事件があったんだな…
自分(当時テレビない/ほぼ見ない生活)なりに勝手に、(街とかで聴いた)この頃の曲というと
スピッツのロビンソン(1995.4)、安室奈美恵のキャンユーセレブレイト(1997.2)かな
=====
↑あと、PUFFY(奥田民生)のアジアの純真/これが私の生きる道(1996.5/10)、も時代を映した曲かも
そういえば1993年かその辺から、NHK-FMで台湾香港あたりの音楽が紹介され始めてた記憶がある
それから10年後、2000年代前半に中国ブーム、重なりながら後半がヨン様/韓流ブーム >>984
アメリカ国内だろ
しかもダウンロード含めた純粋な売上じゃない
世界だとマイケルジャクソンだよ >>996
ちなみに、1996春 卒業組からが就職氷河期 >>995
本当だw
でもイントロだけで本編は負けないでの方が上だと思う >>984
アルバム売上記録はアメリカ国内の話な
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