【プロレス】タイガー・ジェット・シン「猪木さんは、リング上ではライバルだったがベストフレンドだった」 [シャチ★]
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「インドの狂虎」と呼ばれ、1日に心不全のため79歳で亡くなったアントニオ猪木さんと昭和時代にプロレス史に残る激闘を展開したタイガー・ジェット・シン(78)が猪木さんの初七日を終えた8日、スポーツ報知の取材に猪木さんへの哀悼の意を明かした。
シンは現在、カナダ・トロントに在住し実業家として活動している。プロレスラーとして試合からは遠ざかっているが引退は表明していない。このほど、スポーツ報知はシンの親戚で茨城・つくば市内でインド料理店などを経営する倉留ラジィシュさん(50)を通じて最大の宿敵だった猪木さんの逝去を受け、心境を尋ねた。
「同じ仲間としてすごく寂しい気持ちだ。葬儀には行きたい気持ちはあるがコロナ禍もあり行くことはできない。とにかく残念な思いしかない」
シンは、1973年5月に新日本プロレスに初参戦。以来、頭にターバンを巻きサーベルを手にした悪役スタイルで猪木さんの好敵手となる。猪木さんは生前、明かしていたがこのスタイルを提案したのは他ならぬ猪木さん自身だった。
シンは極悪非道のファイトに徹し凶器攻撃を猪木さんに浴びせた。激しい反則を猪木さんが耐え抜き逆転する試合は、草創期の新日本マットで会場とテレビ中継で数多くのファンを引きつけ、ドル箱カードとなった。中でも1973年11月5日に新宿伊勢丹前の路上で猪木さんを襲撃した「事件」は今も語り継がれる伝説となっている。
リング上では74年6月26日の大阪府立体育会館での一騎打ちで猪木さんに「腕折り」で敗れる壮絶な一戦、また75年3月13日には猪木さんのNWF王座を奪取、さらには上田馬之助さんとのタッグで猪木さんと坂口征二氏の黄金タッグへ真っ向から対決するなど数々の名勝負を刻んだ。
しかし、81年7月にシンは全日本プロレスへ引き抜かれ2人の抗争は終止符を迎えた。その後、新日本マットに復帰、中でも東日本大震災が起きた2011年には猪木さんが主宰する「IGF」が8月27日に両国国技館で開催した復興チャリティイベントに参戦するなど猪木さんとの交流は続いていた。
猪木さんは生前、闘ったなかで最高の外国人レスラーを聞かれた時に「タイガー・ジェット・シン」と評価していた。いわばシンは猪木さんの手により日本で大スターとなった。そして日本への感謝からシンは東日本大震災で被災した児童への支援活動を行い、昨年2月に慈善活動が評価され駐トロント総領事から「在外公館表彰」を授与された。
倉留さんは今年7月にトロントへ行きシンと会った。その時に猪木さんが闘病生活を送っていることを伝えると「すごく心配していました」と明かした。訃報を受けた今、シンはライバルであり恩人でもある猪木さんへの思い出をこう明かした。
「数え切れないほど一緒に闘ったことを思い出す」
そして、続けた。
「猪木さんは、リング上ではライバルだったがベストフレンドだった」
報知新聞社
https://news.yahoo.co.jp/articles/962efcb6c53ff3e8670bbf4e211e816b3524c331 やっぱなー、猪木のライバルといえば
タイガー・ジェット・シンなんだよな
まだ4~5歳の頃親父とTVの前で血液
沸騰させながら見てたわ ビカロvsタイガージェットシンってカード見た記憶がある
ベイダーともやってたが今から思うと凄いカードだわ >>190
キモいからプ板以外でケーフェイとか使わないで、鳥肌立つ
バカなプヲタってあんた自身だよ 今プロレスを観て勝敗に一喜一憂してるファンの人達って承知しながら観てるのかな? >>4
ブッチャーもカナダの名士
カナダはアメリカよりも人種の坩堝 >>206
スターダムのヲタクの大半は試合がガチだと思ってる >>58
ターザン後藤が胸元をサーベルの先で突かれてたのが週刊ゴングに載ってた。メチャメチャ痛がってた。 シンの新日での最後の方ってどういう扱いだったの、ハンセンやホーガンが出てきて普通にフェードアウトしたのか 御大は外人との戦いはパッとしなかった
やはり猪木だな
因みに坂口征二も外人戦は駄目ね >>207
カナダがアメリカよりも人種のるつぼだなんて話はじめて聞いたわ 観客に怪我を負わせてはいけないから、先っちょグニャグニャのサーベルのような玩具で、あそこまでのヒールを演じられたのは素晴らしいの一言。 シンは今でも東日本大震災の寄付してくれてて日本政府から表彰されてんだぞ! >>214
カナダの人口の5分の1は、アジア系じゃない? >>15
決勝の早押しでも大事なところで天丼でボケて浜田が「ごめん、謝る」という始末(w >>133
警察に傷害事件だから被害届出せと言われて試合が中止になったら大変だからいやぁ実は台本があるんですぅ~って説明してメチャクチャ怒られたんだよな シン息子との乱闘があった2011年12月31日の猪木祭り
メインはヒョードルvs石井慧
https://youtu.be/2iCEg_DkjH0 >>4
タイガー・ジェット・シン小学校を設立したりしている >>223
すげえメンツだな
対戦相手がベイダーとアニマル浜口
レフェリーがニックボックウインクルって >>212
70年代後半以降はハンセンの台頭で徐々に地位が下がっていった感は否めないものの、
最後の新日参戦になった81年MSGシリーズでも決勝進出を猪木と争うところまで歩を進めているので決して悪い扱いではないよ
やっぱりスタンスの違うハンセンよりキャラの被るブッチャー引き抜きに危機感を覚えたのは事実だと思う >>223 よく見たらサーベルの先端にキャップしてるな。
狂虎はやっぱり紳士だった。 >>233
当時の為替レート&初任給から今でいうと週300万くらいかな?
シリーズ参戦してワンマッチのギャラ50万ってどうなんやろ >>234
当時、シン以外の参戦外国人がなかなか手薄だったらしいし
シン自体はドル箱外国人だったので1試合でもそうなるのかも… >>237
ベッドシーンといえば、武藤が秋吉満ちるとやってたよな 来年の1.4はアントニオ猪木追悼興行か。
最期の猪木コールしてこよーかな >>223
90年の9月30日の横浜アリーナか。その時後楽園ホールにいたわ >>124
>創業関係者には前島密も名を連ねる
そういう意味での『報知新聞』はスポーツじゃなくて一般紙だった頃でしょ
俺はフリーカメラマンだけど、スポーツ新聞とも何度か仕事したよ
そこで知ったのは、大学の運動部(体育会)のコネで採用される記者も多いということ
小中高、そして大学と、ほとんど本を読まなくても「記者」になれちゃうのは
驚きを通り越して恐怖すら感じた >>148
それじゃ弱いんだよ
俺もカメラマンだけじゃ食っていけないんで、コラムの連載もらってるけど
書き出しはやっぱりインパクトつけたいわけ
「インドの狂虎」と呼ばれたタイガー・ジェット・シン(78)。
1日に心不全のため79歳で亡くなったアントニオ猪木さんと(中略)
激闘を展開した彼が・・
って、いったん区切れば少しはマシになる
とくに報道の文章は長文を避けるのが鉄則で、それを小説の世界に持ち込んで
独特な力強い文体を開拓したのがヘミングウェイといわれてる
あと最初の段落ですでに「猪木さん」が多すぎるのも下手な文だね >>49
歩く・睾丸のセックスボンバーはすごかった タイガージェットシンはサーベルを振り回しつつ
実は危なっかしい素っ頓狂のトンチンカン客を
場内奥に追いやっていたなw
あれは本来的には会場運営の下っ端がやる仕事。 猪木実質引退後も、馳浩と巌流島決戦したり、平成維新軍の旗揚げ興業に参戦して、
特別レフェリーだった猪木にスリーパーかけられたりと、新日に絡んでいたよな。
ブッチャーが新日に来たときは「今まで誰が客を呼んでたと思ってるんだ?
キラーカールクラップが客を呼んでたとでも思ってんのか?」とジェラシー剥き出しの
コメントだしてたそうだし、やっぱシンにとって猪木は永遠の恋人なのかな。 シンも上田も素顔はチャリティーに熱心な紳士なんだよなあ そりゃ無名だった5流レスラーを引き立てて全日本から破格のギャラでヘッドハント
してもらうまでにしてもらったんだから感謝してもしきれない存在だっただろう >>189 >>231
プロレス専門誌以外(専門誌でもモノクロ誌面のコラムみたいなページでは)のインタビューやコメントの中だと
高いギャラを提示されたからオールジャパンに移ったけど
金以外はあらゆる面(怪我した時のサポートや巡業先のホテルの移動バスの質等)全てニュージャパンの方が上だとか言ってたな
それとブッチャーの件は関係ない金次第で組みも闘いもするけど
いざ試合で激突する或はタッグを結成するのなら「特別感」を出さないといけないとも語っていた
>>247
地元カナダのトロント地区では既にトップだっった
ただ70年代のアメリカカナダでのプロレス人気が下がっていたので
日本で試合した方が稼ぎが良かっただけの話 >>248
それでもガイジンの扱い方はババの方が上なんだろな。ブロディやブッチャー辺りの動き見てるとそう思う >>251
そしてそのサーベルをあっさり上田に預けてしまう素直すぎるレフリー 一度だけサーベルの先を突き刺した相手はジプシー・ジョー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています