【音楽】「吉田拓郎」さんのシングルであなたが一番好きな楽曲はなに? 3曲を紹介! ★2 [湛然★]
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「吉田拓郎」さんのシングルであなたが一番好きな楽曲はなに? 3曲を紹介!
3/5(土) 14:00 ねとらぼ
https://news.yahoo.co.jp/articles/92fcda7b4dc0f1b6cede670ee68464235dbb94ff
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歌謡曲や演歌が主流だった1970年代の日本ポップス界において、シンガーソングライターである吉田拓郎さんは「フォーク・ロック」というジャンルをメジャーシーンに引き上げたパイオニアの一人。また、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在としても知られています。
そこで今回は、これまで吉田拓郎さんがリリースした数多くのシングルから3曲をピックアップして紹介します。
●今日までそして明日から
「今日までそして明日から」は、1971年に「よしだたくろう」名義でリリースされた3枚目のシングル。発売当初は売り上げが芳しくなかったものの、この曲はライブのエンディングナンバーとして定着。今では拓郎さんの代表曲の一つとして親しまれています。
20代半ばで書かれたとはとても思えない、深みのある歌詞とメロディーが印象的なこの曲。昭和時代のノスタルジーをテーマにしたアニメ映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」の挿入歌として使用された際には、大人世代を中心に多くの感動を呼びました。
●結婚しようよ
吉田拓郎さんがCBSソニーに移籍後の1972年にリリースした、通算4枚目のシングル。この曲をきっかけにフォークソングが日本のメジャーシーンで支持されるようになったことから、「J-POPの原点」とも評されています。
学生運動が次第に過激化していった70年代初頭、この曲の大ヒットにより、それまで反体制の象徴とされていたフォークソングの在り方が変わり始めたとされています。また、旧来の結婚観を覆す歌詞からも、拓郎さんの「新しい社会を作ろう」というメッセージを感じさせますね。
●夏休み
「夏休み」は、1989年3月にリリースされた31枚目のシングル。表題曲は1971年に発表されたアルバム「よしだたくろう オン・ステージ」に初めて収録されました。その後も拓郎さんの代表曲の一つとして、さまざまなアレンジバージョンがいろいろなアルバムに収録されています。
拓郎さんの子供時代に思いを寄せて作られたナンバーであり、多くの人の思い出にも重なる名曲だと言えるでしょう。また、日本の夏をテーマにした情緒あふれる楽曲であることから、さまざまなアーティストによってもカバーされています。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
前スレ(★1=2022/03/09(水) 22:41:04.27)
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1646833264/ 夏休みがベスト3って、なめてるんか
元気ですか、だろ、コロナ禍のご時世にぴったり
君の瞳はピカピカに光って 中沢厚子とのデュエット曲「男の子・女の子 (灰色の世界II)」 唇をかみしめては刑事物語武田鉄矢のプラスαがデカいな 打ちのめされ傷ついても生きるしかないジャジャジャン
舞姫 流星 春を待つ手紙 隣の町のお嬢さん たえこMyLove 急にどうしたの?
なんかずいぶん前から体調悪いって聞いたけど、ヤバイの? と思ったらシングル限定かよ
さすがにリアルタイムは知らんからなぁ >>1
吉田拓郎の曲知ってる人はたくさんいても好きなシングル曲知ってる人はカナリ歳いった人だろ 1.たどり着いたらいつも雨降り
2.旅の宿
3.我が良き友よ >>14
お前の方がなめてるだろ
夏休みはリアルタイムで聞いてたジジイには特別の思い入れがあるんだよ
元気ですなんかと重みが全然違うんだよ、若造 永遠の嘘をついてくれも隠れた名曲
中島みゆき提供ってのもレア まあ、イメージの詩だろうな
てか、2スレめはないだろw >>44
俺のように今さっきスレに気付いた奴もいるだろうからな >>44
まあマジレスすると「よしだたくろう・オン・ステージ!!ともだち」の「イメージの詩」だな
あのライブ版にしかない歌詞がある すいません、89年の国立競技場で歌った
おー前の身体をーで始まる歌覚えてらっしゃる人居ませんか サマーピープル
あいつの部屋には男がいる
サマータイムブルースが聴こえる
拓郎は能天気な曲も最高にいい 今ANNで福岡のサーマナイトピクニックの話ししてる
当時私もそこにいました
大声でタクローと叫んで周りにドン引きされたのは恥ずかしかったけど
拓郎がその日のことを覚えてるのは嬉しい >>11
苫小牧フェリー港の売店にサイコロ売ってて思わず買ったわ、もちろん2個w 遥かなる
君のスピードで
マスターの独り言
「遥かなる」は95年か96年のツアーで外人さんバンドが演奏したバージョンが大好き!
アウトロの矢島賢のギター、最高っすわ!
最近までようつべにあったけど消えてたorz 芸スポ板で松田聖子スレが立つと、いつも「私の好きな隠れた名曲」大会が始まる
吉田拓郎でも同じであることに少し驚いた
時々やってほしい 入居者募集中
陽当り良好交通至便
505と707に空きが出たもようです そういえば前スレから「青春の詩」出す人おらんな
喫茶店に婆さんと二人で入って昆布茶を注文すること… >>74
707事故物件
豪華な部屋がお待ちしてます かまやつとコラボした「シンシア」のB面
「竜飛崎」のドラム担当が浜省 大阪行きは何番ホーム
アジアの片隅で
まにあうかもしれない 【音楽】「吉田拓郎」さんの “シングル” であなたが一番好きな楽曲はなに? 1970年 イメージの詩/マークU
1971年 青春の詩/とっぽい男のバラード、今日までそして明日から/ともだち
1972年 結婚しようよ/ある雨の日の情景、旅の宿/おやじの唄、おきざりにした悲しみは/花酔曲
1973年 伽草子/こんなに抱きしめても、金曜日の朝/子供に
1974年 シンシア/竜飛崎
1975年 となりの町のお嬢さん/流れる
1976年 明日に向って走れ/ひとり想えば、たえこMY LOVE/チークを踊ろう
1977年 もうすぐ帰るよ/Voice、カンパリソーダとフライドポテト/あの娘に逢えたら
1978年 舞姫/隠恋慕
1979年 流星/アイランド、春を待つ手紙/外は白い雪の夜 1980年 あの娘といい気分/あいつ、いつか夜の雨が/愛の絆を、元気です/証明
1981年 サマーピープル/二十才のワルツ、サマータイムブルースが聴こえる/Y
1982年 唇をかみしめて/- (片面シングル)
1983年 あいつの部屋には男がいる/SORA、I'm In Love まあまあ
1984年 旧友再会フォーエバーヤング/ペニーレインへは行かない
1985年 ふざけんなよ/夏が見えれば 、風をみたか/夏休み、ジャスト・ア・RONIN/RONIN
1988年 すなおになれば/いくつもの夜が
1989年 夏休み/シンシア、落陽/祭りのあと 1990年 俺を許してくれ/憂鬱な夜の殺し方、男達の詩 (1曲のみ収録のCDシングル)
1991年 友あり/たえなる時に
1992年 吉田町の唄/夏・二人で
1993年 たどり着いたらいつも雨降り/旅の宿、純情/5月の風
1994年 恩師よ/まだ見ぬ朝、決断の時/決断の時 Instrumental、マスターの独り言/マスターの独り言 Instrumental
1995年 君のスピードで/とんと御無沙汰
1996年 遥かなる/今日までそして明日から
1999年 心の破片(かけら)/僕達のラプソディ、蒼い夏/今日までそして明日から、気持ちだよ/気持ちだよ film version 2000年 トワイライト/Os san
2001年 いくつになっても happy birthday/朝陽がサン
2002年 家へ帰ろう/襟裳岬
2003年 純/流星2003/ホームラン・ブギ2003
配信シングル
2011年 That's it やったね、慕情 >>43
粋な歌詞なんだよな。曲も含めて最高に拓郎にマッチしてる。流石だよみゆき。 ファミリー
アジアの片隅で
望みをすてろ
拓郎は絶叫系にかぎる かまやつとコラボした「シンシア」のB面
「竜飛崎」のドラム担当が浜省 気持ちだよがスレ内でも出ないとか。。。
まじの神曲だから >>103
分かるよ
後期拓郎の中ではずば抜けて拓郎節の名曲だな
作詞は本人ではないけど RONIN
どこにも音源無くて
昔のYouTubeでやっとDLできた じいさんがわざわざ見送ってくれて土産にもらったサイコロ2つ転がす歌が良い 関係無いけど、キャンディーズの夏が来た!と、どろろん閻魔君のエンディングテーマが好き
どちらも吉田拓郎風
70年代は他にも拓郎風の曲があったと思う
作家先生達も影響受けてたのだろうか >>11
仙台港で降りたら伊達政宗公と松の木が待っていたw 拓郎って酔うと陽気になるんだねって、君に教えられたよ♪
そう言えば君はいくつだったっけ? 生放送で段取り間違えてマークU2番まで歌って司会の布施明に怒られ逆ギレしてテレビに出なくなった人
決して商業主義に反発していたわけではない 大勢で誕生日パートやると浅田美代子を騙して呼び出し二人きりになり
芸能界での地位から逆らえない浅田をものにした悪党
四角佳子との離婚前のことである >>20
映画の時みたいにイントロなしの歌い出し方が絶対に良いよな >>76
青春の詩はカセットオリジナルバージョン(弾き語り)が至高
ttps://youtu.be/yXJiVxykrwU >>68
中島みゆきだともっと濃いぞ
「シングルじゃないけど」大会で提供曲にまで伸びてくる 準ちゃん
ttps://youtu.be/BYnBcdd4Dt4
準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響
ttps://youtu.be/ciN7K4iVb9g
↑シングル曲じゃないけど好き 僕らの旅
ttps://youtu.be/2N_h0UjhdYU 街へ、水無川、春を待つ手紙、カンパリ、落陽、伽草子、流れる 大阪行きは何番ホーム
いつか夜の雨が
ビートルズが教えてくれた >>102
甲斐バンド『安奈』で浜省がノークレジットでアコギ弾いてるほうが謎 アルバム買ってたからどの曲がシングルかと言われたら困る シングルの縛りあったのか
じゃあシンシアと竜飛崎のシングルだな。
竜飛崎のかまやつさんのパートがサブイボもの そもそも拓郎のシングルは買ったことがないな あああった 心の破片か まあ基本的にはシングルは買わない 皆、落陽と言うんだな 俺はライブに始めて行ったのがかなり遅かったからライブでの落陽の特別扱いは知らなかった
だから基本的に曲のイメージはレコードとラジオかな たぶんライブに行くまでは俺の中では落陽は特別という感じはなかったな >>121
アニメだとこち亀映画のエンディングもあった
セガレが口ずさんでて感慨深かったw 祭りのあと一択だろ と思ったらシングルカットされてなかった >>118
ライブとアルバム収録で歌詞というかテーマの違う曲だった記憶が
例えば僕の話をしよう、あれは何回目の恋だったっけ セブンスターショー再放送日しないかな
祭りのあとのギターもハーモニカもいい音だった
ギター音のあの太さはうちのYAMAHAではヘビーゲージを貼っても出なかった
あれがギブソンなんだな >>143
「ギブソンに格上げか?w」と坂本九に言われた イメージの歌
たまたま入ったエロ映画館で名前も忘れたというかそもそも気にしてなかった
ロマンポルノか何かのタイトルバックになっていて感銘を受けた
この歌以外の記憶は全くない 明日に向かって走れ
拓郎はノリとグルーブ感がすごくいい
アメリカ西部南部のロックやフォークのように心地よいノリが延々続くんだよな 前スレの999さん有り難う!
腑に落ちました
995 名無しさん@恐縮です sage 2022/03/11(金) 22:38:09.74 ID:9QbIdUkP0
ゆうべの夢と祭りの後のメロディが同じ理由を知ってる人いる?
999 名無しさん@恐縮です 2022/03/11(金) 23:09:59.81 ID:VsggGF110
>>995
ゆうべの夢は元々ライブのみの曲で持ちメロディとして祭りの後に仕立て直されたんでないのかな
たどり着いたらいつも雨降りも元は別曲だし
ゆうべの夢が収録されたオンステージPart2は拓郎がエレックからCBSソニーに移った後エレックに残ってたライブ音源を拓郎に断り無くレコード化発売し揉めたため再販とかされてない >>119
後年布施がテレビ越しにゴメンあの時のことは許してと拓郎にメッセージ送っていたの見たことある 吉田拓路のオールナイトでスケートの紀平のファンで
スタッフに頼んでサインを貰ったのがスタッフが拓郎のことを聞いたら
「知らない」って言われたらしいw
ちなみに北京五輪では紀平出なかったから代わりに高木美帆に夢中だったとか
じじいになっても若い女好きなのは流石だな まにあうかもしれないは名曲でした。
ご冥福をお祈りいたします 六文銭のカバーだけど、「夏・二人で」はめちゃいいよ
ああいうアレンジは才能だなぁと思う >>155
ええかげんな奴じゃけ
ほっといてくれんさい >>155
僕の人生は恋と歌の旅、果てることなく
あーそれでも思い出だけは、残るあの日の自分が 東海テレビの朝の番組のコーナーで毎回流れる曲があっていい曲だと思い
歌詞からタイトル調べたら「僕の人生の今は何章目ぐらいだろう」だった
ウルフルズバージョンも聴いてみたけど拓郎の声の方が断然かった >>43
拓郎はこういう曲書くんだよ。むかしは書いてたろ?
って、突きつけてるところが凄い >>166
吉田町の唄は良い歌だよね
もともとは、新潟県の吉田町から吉田のよしみで依頼された唄らしいよ ごめんなさい、吉田拓郎氏には特に思い入れはないんだけど
『全部抱きしめて』は大好きだわ、Kinkiヴァージョンは嫌いだけど 襟裳岬なんかがそうだけど提供したほうがヒットした可能性がある曲が結構ありそうだよな
まあ「全部抱きしめて」はキンキの人気に負うところが大きいだろうけどね
小田和正の「流星」を見ていてそう思っていた 中島みゆきが自分のコンサートツアーで「唇をかみしめて」をセットリストに入れて歌ったことってあまり知られてなさそうだな >>173
中島みゆきのはライブDVDに入ってるね
武田鉄矢もシングルのカップリングでカバーしてる
https://youtu.be/RiYkDv61jGo >>144
ボクにも夢があって
キミにも夢がある
それだけでいいじゃないか! こういう話題がでるってことは
拓郎さんはもうすぐ、 >>170
祭りのあと、
いつか街で会ったなら、とかも好きだけど、
クリスマスの番組で小田さんがカバーした流星も良い曲だった… 永遠の嘘をついてくれ
中島みゆきが作った曲なのに、何度聞いても拓郎が作ったそのもの。 永遠の嘘をついてくれは 中島みゆきの作詞センスが爆発しているとは思う
あいみょんが好きなんだけど、つい中島みゆきとかと比べてしまう・・・ 若者はあいみょんの歌詞は凄いと言うんだけど中島みゆきを見てきた世代は・・・・と思ってしまう 好きなんだけどね 全然世代じゃないけど
外は白い雪の夜
イメージの詩
リンゴ 春だったねって曲は
「ガラスの窓をたたいて〜」って部分だけ
ボブ・ディランの独特のメロディーラインを真似してて
後追い世代からするとちょっと笑える >>169
ごめんなさい?意味わからん
知らないけどKinKiバージョン嫌いと言いたかったアンチの自己紹介かね(笑)
全部だきしめてはKinKiバージョンも素晴らしいよ
もちろん拓郎が本家本元で上手いのは当然だが
アイドルなのにKinKiはよく字余り歌詞ちゃんと歌えたもんだわ 俺こそほんとにごめんなさい!だけど
中島みゆきが歌う宙船が最高に好き
トキオのヴァージョンは嫌いだけど >>188
その頃僕はボブ・ディランを知った
なんでも良いから彼の真似をしてみた
家を飛び出して旅もしてみた
父さん母さんを苦しめながら
それでも僕は一人になりたい
そういや拓郎ってボブ・ディランと会ったことあるのかな? >>183
誰も「馬」って突っ込んでくれなかったー泣
あの「知らない!」はたまたま入っちゃったんだろうか? 天地真理の「ある雨の日の情景」
吉田拓郎と天地真理は聴いた瞬間に70年代にトリップさせてくれるタイムマシン >>192
泉谷の
これ歌じゃないんだからあ
と同じようなものだな >>191
春だったねはディランのStuck Inside of Mobile
真似して作ったとかラジオとかだと本人が言ってたんかな知らんけど
自由な時代だと思うわ 10年後には笑いのネタにされた歌詞
拓郎 僕の髪が肩まで伸びて
尾崎 盗んだバイクで走りだす シングルじゃないけど
ともだち〜親切〜この指とまれ
って聞いてくと上京して擦れてく若者の気持ちみたいなのがわかる >>196
リアルタイムでも「僕の鼻毛がー」とか漫画でネタにされてたっけなぁ >>195
六文銭の「旅立ちの歌」は「雨に濡れても」のメロディ丸パクリだけど上條恒彦さんの歌い回しで全くそう見えないと小室等も言ってたから大らかといえばそうだったね 風の街『あこがれ共同隊』
あゝ青春『俺たちの勲章』
新しい空『あさひが丘の大統領』
次点
青春試考『青春ド真中!』
いつか街で会ったなら『俺たちの勲章』(これのみ挿入歌
ドラマ主題歌で揃えました^ ^
流星『男なら!』はドラマ主題歌関係なく
挙げられる曲なので省きましたm(__)m >>200
いつか街で会ったならはドラマの中で初めて流れるタイミングが秀逸だったなぁ「撃て!アラシ」 名曲は多いんだけどシングルとなると
流星、唇をかみしめて、イメージの詩
素直になれば、たえこMYLove、いつか夜の雨が
B面だけど流れる、花酔曲かな >>185
リンゴは石川鷹彦さんのギターイントロが好き >>199
春だったねは、メンフィス・ブルース・アゲインな >>205
俺も思うが小室本人が言ってたんよね
大らかというと前(スレ)出「準ちゃんが吉田拓郎に与えた多大なる影響」なんかは冒頭本人がメロディはディランの「ハッティキャロルの寂しい死」だとは言ってるけど今だったら言えば良いってもんでもない
確か篠島でも歌っててその後のツアーでも歌ってたのANNで聴いたけどその年(79年)の年末ライブ(だったかな)で「準ちゃんやってー!」とリクエストされたが「アレもう飽きた」と返してそれが最後かな? >>209
知らんから今度聴いてみるわ
ディランも2枚くらいアルバム持ってたと思ったけど
…多分時代は変わると鉄の轍(だったかな)
話逸れるがガーファンクルと組む前のポール・サイモンも近かったと思う。ANNで拓郎が「4月になれば彼女は」弾き語りしてたので興味持って買った スレ主旨にも沿っておくと
70年代明日に向かって走れ
80年代いつか夜の雨が >>203
花酔曲は間奏の「ぅあいっ!」って言うところが好きすぎて何回もリピートしてしまうw >>213
ttps://youtu.be/3kh6K_-a0c4 ジミヘンもクリプトンもパクってる ディランとビート詩は現代音楽の淵源のひとつなんやで こういうアンケート記事は自動生成みたいにテンプレで書けるからラクでいいってねほりんぱほりんでライターが言ってた >>188
>>217
そのうちAI検索照合でコレとコレは引用度何%とか出るようになって古今東西の曲を掘り起こしてつつき合いが始まるかもね…なんかアジアの片隅での歌詞みたいw
祭りのあとは自分が初めて見た79年あたりには歌詞カードに「日々を慰安が吹き荒れて」の一節は吉野弘からの引用と注記あるけど最初は無かったのかな?
俺は逆に「準ちゃん…」がなければディランのアルバム買うことは無かったろうしレコード屋の同じジャンルに刺さってた今でも聴いてる「ポール・サイモン ソングブック」に出会うことも無かったので別なことも含め拓郎には感謝しかない >>221
最近同様ネタが多いのはそういう事か
今はサンプラザ中野シングル3選とガンダムパイロット3選があるかなw
このスレは珍しく2スレいったがさすがに時間切れDAT落ちかな >>225
失礼、爆風スランプ シングル3選だった >>227
元気ですのレコード残ってるの羨ましい!
拓郎リスペクトwで20の時に旅立てジャックしてた間に親に根こそぎ棄てられてたわ
79年年越しTVライブやヤンタンの非公開生放送やANNに長渕呼んで一緒に歌ったのとか録音したの
全ては雨に流れる涙のように喪われた… このスレでは落陽が人気で、自分も大好きだし名曲だと思うんだが、
どっちかというと肩の力が抜けたバラード調・歌謡曲調の曲の方が好き
隣の街のお嬢さんとか 中島みゆきの「ファイト!」いろんなカバーがあるけど、博多弁の早口の下りは拓郎のために書いてような気がする。 音楽系サブスクでどの曲が再生されてるかを調べればこんなアンケートする必要無い >>232
激しさが色褪せても優しさだけ抱きしめて、だね
おきざりにした悲しみは 準ちゃんと再開したときの態度最悪だ!
照れ隠しにも程がある
まあ僕でもこうしちゃうかもだけど 芸能界でこの人への批判らしい批判を聞いたことがない >>242
大物の割には注目度が低いというのもあるかもしれん 政治的な発言もあまりしないしね >>242
エレックの頃は帰れコールのよしだたくろう 2回とも不倫からの離婚再婚だけど(一回目は未成年の浅田美代子に手を出している)きれいに別れてるから批判ないね時代もあるのかもだけど
女に身を引かせる魅力があるっていいね 唇をかみしめて
全部広島弁で何言ってるかまるでわからないんだけどなんとなく伝わるんだよな >>251
今の日本の音楽を遡ればほぼすべて拓郎に行き着く
そのくらい音楽シーンを変えた人
それをどう捉えるかはあなた次第 自作自演やアコギで弾き語りは加山雄三もやっていた
しかし何故か新しい時代を切り開いたのはよしだたくろうというイメージが強い
男なのに赤いセーターを着るのも
長髪にジージャンジーパンは不良でなくてもやっていいのを示したのもたくろうだった 本当に凄いのはボブ・ディラン
当時のフォークシンガーはみんな影響を受けた >>253
1967年 帰ってきたヨッパライ
1968年 悲しくてやりきれない
1969年 風 (はしだのりひこ)
1969年 白い色は恋人の色
1971年 花嫁
1971年 あの素晴らしい愛をもう一度
1972年 結婚しようよ (加藤和彦アレンジ) 実績の割に忘れ去られているところはあるな 拓郎の声を含めて名曲という感じが強いのかな?あまりカバーされてない感じだな >>257
フォークルとか加藤和彦って、あんま功績が語られないよね
日本の音楽シーン、いわゆるJPOPは拓郎が原点といわれるが、
実は加藤和彦から始まったんじゃね
拓郎も加藤は天才と言ってたな >>258
去年の稲垣来泉のイメージの詩のカバーは拓郎自身も絶賛
手嶌葵の流星は拓郎ファンの俺も本家越えと思う 新宿ペニーレインで飲んだくれているー
ての好きだったな JPOP創世記の三偉人
加山雄三
荒木一郎
加藤和彦
忘れ去られた荒木一郎がかわいそう やっぱカレッジフォークはお坊ちゃんぽ過ぎてさして心をつかめなかったってことかね カレッジフォークいうてもキングストントリオや
ブラーザースファーやPPMの反戦歌をコピーしてただけやしね
反戦歌は結局一時の流行歌でしかなかった 吉田拓郎の真に凄いところは単純なコードでシンプルな曲なのに
誰が聞いても「拓郎節」と分かるメロディラインである
限られた音階の中で、しかも短い単純な曲で、誰の曲か分かるような作家が
果たして世界にどれだけいるか。俺はビートルズくらいしか知らない
かつて荒井由実も「私にはこんなシンプルな曲は作れない」と言った 中島は女拓郎というより、拓郎から始まり無意識のうちに内なる拓郎が出てしまう歌手である
例えば一人上手は夏休みのメロディが内包され、
ファイトにはペニーレインへは行かないのメロディが内包されている >>274
小椋佳や槇原敬之の曲も直ぐに分かるだろ 例えば「新しい朝」という曲のAメロは「ああ青春」と似ている
まさに強烈な拓郎節の一つである。
「これ誰誰が作った曲じゃない?」みたいなアーティストが日本に果たしてどれほどいるか。
あいみょんが木村カエラに作った曲の特にエレキギターパートが拓郎的節である
桑田的ギターとかユーミン的ギターなどというフレーズがあるだろうか、という話である 音源的にほぼ残っていないが後藤次利というのは拓郎とバンドを組んでいたことがある
柳田ヒロ、後藤次利、小室等、拓郎による新六文銭でアルバムを残していたら
音楽シーンはどうなっていたのだろうか。まさに時代が許さなかったとしか思えない
拓郎の冤罪による逮捕で消滅してしまうのである
後藤はトランザムにも在籍したが「俺たちの勲章」の音楽には参加してないはずだ
「裏町のマリア」という隠れた名曲があるが、これは拓郎が後藤に踊れるアレンジをと依頼したものだ
拓郎&後藤というと僕笑っちゃいますのレトロなアレンジも後藤である >>274
最近なら、あいみょんも凄いと思う。
大瀧詠一も独特なサウンドで曲きいたら解ったな。
シンプルではないけど。 >>285
あいみょんは歌が上手い
まずピッチを外さないし滑舌が良い。
R&Bも歌えるのは拓郎と共通している
「愛を伝えたいだとか」みたいな曲のほうが向いていると思う 大瀧の場合「以前作った〇〇みたいな感じでお願いします」
というのが一番困ると言う。「だったらそれ使えば?」とうわけだ
豆腐屋じゃないんだから同じのなんか作れない、と言っていた
それを逆手にとったのが「君は天然色」をのままセルフパクリした
「うれしい予感」である、と日本で最初に指摘したのは俺である >>284
もっと若い時期だったら「マークX」とか作ったかな? マークU73なんてブラックミュージック好きが聴いたらたぶんビックリするよ
日本にこんな音楽があったのか、みたいに
あくまで73のアレンジとバックミュージシャンじゃなきゃ駄目 >>275
中島みゆきは拓郎からの影響だけじゃなく岡林や加川良からの影響も受けている
アマチュア時代にURCの前座をやっていたから彼らとの親交もあり
シンガーソングライターとしてやっていく決心をしたのは加川良を聞いてからと言っていた ライブ73は録音が酷いのと拓郎が16ビートアレンジにのれてないのが欠点
ということで私は落陽以外ほとんど聞かない ライブ73のボーカルが絞ってあるのはあれはワザとで
レコード会社側の反対を押し切ってあれだけボーカルを絞った
おそらくディランの影響があると思われる
ギター高中、ドラム田中清司、ベース岡澤章、オルガン松任谷、それにブラスバンド
特に田中のドラムが素晴らしい
キャンディーズの年下の男の子で、あの凄まじいドラムを叩いている天才ドラマーである >>291
中島の音楽はどっちかというと関西フォーク系の感じはする
後はポプコンだな。長渕も松山も基本はポプコン系
北海道というと佐々木幸男は才能あったと思う ラブラブ愛してるでこうせつがゲストのときに
予告に楽曲「野の仏」って書いてあって楽しみにしてたら実際はやらなかった
あれなんでだろうな、ボツになったのかな 泉谷しげるが「拓郎と出会った時どう思いましたか?」の質問に
生意気だが色気があるを繰り返し言ってたな
この二つは芸能界でのし上がっていくのにとても大切なことに思える 拓郎は元々泉谷を買ってたんだよ
それがフォーライフは飛び出すは役者になるわ。
そりゃ「お前ら音楽愛してない」とムッシュのパーティで言うよ
拓郎の著書だと気ままな絵日記が一番有名だが
「明日に向かって走れ」ってのがあった。フォーライフ作ったすぐのころの本。
その中で「もしどん底になった時、他の奴は裏切っても泉谷は何となく違う気がする」
みたいな箇所があったような記憶がある 吉田拓郎さんの曲で好きな曲を3曲選べ
マイク真木さんの曲で好きな曲を3曲選べ 「男たちの詩」って曲は普通の人は多分、
何てダサい曲だろうと思うんじゃないだろうか。
あの中学生が考えたようなギターリフ、演歌の先生が作りそうなメロディ。
しかしあれはロックだよ。「純」と同じくまさに和製ロック
伊藤銀次が深夜のテレビの音楽番組の司会やってて、そのとき新譜としてこのMVを流した
伊藤「びっくりしたんですけど、拓郎さんが髪を切ってるんです。
そしてこの曲、ロックです。メチャメチャかっこいい。ダイアーストレイツみたい」と言っていた たくろうさん たくろうさん フッフッフー
オー グレートフォークシンガー! >>283
金沢のスナックで後藤と柳田はいつものようにホステスをアフターに誘ってホテルにお持ち帰りしたが
遊び方を知らない田舎者の吉田は客の女子大生をホテルの部屋に連れ込んで問題になった
一発やったかどうかは分からないが吉田が宿泊先の部屋に連れ込んだのは事実だから今なら大炎上
婦女暴行は女子大生の狂言と言う事になって控訴されなかったのは多額の示談金で話をつけたと想像できる >>307
コンサートのあと追っかけの女の子を部屋に入れちゃったという話らしいが、逆にやらずに帰したから逆恨みで訴えられたんじゃないかと今の歳になってそう思うわ
何らかの手打金あったろうってのは同意
というかリアルタイムで知ってる人に質問だがこの件でメジャーメディアから距離を置いたのか、その前から後に多くのミュージシャンが真似した「テレビ拒否」の姿勢だったのか当時感覚として知りたいな
本人は後年ANNで「アレのおかげですっかり結婚しようよの吉田さんから金沢事件の吉田さんになっちゃったよ」と言ってたな 今だって伊藤詩織と山口敬之の事件も、どっちの主張が自然で説得力があるか冷静に考えると
圧倒的に山口なんだよな
伊藤は自分の意志でないことを主張するために「睡眠薬を盛られた」とか無理がありすぎ
山口は泥酔して嘔吐した伊藤が勝手についてきたと言っている
だけど「女の人があそこまで訴えたんだから」と世間は女の味方
拓郎の事件も新聞記事の見出しを見ると、時代が違うとはいえひどい決めつけ
今だったらさすがにいきなり逮捕はされないで、まずは任意で事情聴取だと思うけどさ >>301
気ままな絵日記、明日に向かって走れ、他人の著だが誰も知らなかったよしだたくろう、晩歌を撃て
ペニーレインで売ってたの買ったなぁ
金沢事件の経緯顛末は晩歌を撃てにあった。これが挙げた中で最新の本だが40年前なのか >>309
それも含めて前(スレ)出だが篠島で長渕が「俺も拓郎みたいに逮捕されて箔付けたい」とか言うもんだから帰れコールをバックに歌うハメになった…歌ったのは「アンタとアタイの数え歌」 あれは女二人と男(彼氏)が部屋についてこようとして
彼氏をなぐって帰らせて女二人を部屋に泊まらせたとかで
揉めたのだろ >>311
いや単にあの頃の長渕は軟弱だったから嫌われただけだろ
「せっかく来たのに帰れなんて言うなよ〜」と情けないかわいい声で涙ぐみそうに言ってた
その歌は覚えてないが順子歌ったのは覚えてる
あ最初の篠島ね >>314
行った組の人?俺は篠島のニュースで流れた「落陽 」「夏休み」から入った遅れてきた拓郎ファンなのでつま恋篠島経験してきた人に憧れるw
そういう人の話聞きたいので5ch残っててねー >>314
軟弱だった自分を認めたくなくて筋トレに励み、単純な音楽技術(提供曲はほとんどない)と粗暴な歌詞を押し切る長渕剛
優柔不断な自分に正直で仕事のためなら社長として頭を下げたり、迷ったら音楽活動を休止するが、
確かな実力に同年代の友人からも遥か年下の後輩からも慕われる吉田拓郎
吉田拓郎の評価はまだまだ低いと思う
本人が「わかる人だけわかればいい」という考えだから、仕方がないが >>316
葛城ユキ、シブがき隊、つちやかおり、
原辰徳、伊丹幸雄、白川由美、陣内孝則、竹本孝之etc 80年代中心に沢山提供してるんだけどな
>>314
篠島は順子歌ってないよ 「となりの町のお嬢さん」
これのB面に入ってた「流れる」ってのは良かったな >>308
テレビ拒否じゃなくて歌番組拒否という感じだったかな 時間をちゃんと取った
ミュージックフェアとかには出てたし それはこの事件の前からだったから
関係ない >>317
長渕の提供曲で一番ヒットしたのはどれ?
自分はwikipediaに載ってる曲で、知ってるのはひとつもない >>310
挽歌を撃ては篠島が終わった一年後くらいに売ってたような記憶がある
篠島は長渕の話題が多いがバックステージには美代子夫人もいた
「俺の最後のステージになるかも知れないから」と拓郎が呼んだようだ
小室等には客席から「一匹のカニ」のリクエスト。小室が「よく知ってるね」と応えた
その前年だったかに発売されたアルバム中の一曲だが、小室は珍しくテレビでも歌っていた
愛知ということでかの有名なつボイノリオ大先生もレポーターとして来ていた
音楽に詳しいつボイはラジオで「何時間でも私は拓郎を語れる!」と熱く語っていた >>321
ヒットしたのあまりないw
しいていえば森進一の狼たちの遠吠えとTOKIOの青春かな >>320
じゅん繋がりだw
何か後々小室等が帰れコールに対して「長渕くん大袈裟に言い過ぎ」だって言ってたとか聞いたことあるな 拓郎って少なくともキャンディーズ、かまやつ、キンキで提供曲3つ当ててはいるんだな
アレンジャーと作詞家の相性がはまりやすいのかも?だけどローリング30の松本隆は行けなかったな! 拓郎は今の時代では珍しい詞先の人で、
フォークから離れてもこれは変わらない、詞によってイメージが湧くのだろう
最近亡くなった喜多條忠と組むとほぼ当たる、と言っていた
キャンディーズの二曲、いつか街で会ったならやメランコリー
阿久悠だと歌謡曲っぽくなる。松本だとやや角が取れる感じだ >>260
加藤もそうだが
北山修の存在がでかいよ
帰って来たヨッパライは今聞いてもぶっ飛んでるな >>329
歌謡大賞とレコ大の大賞ダブル受賞なんだけどな アルフィーとのセッション、いつ見てもどれ見ても涙が出そうになる
あの個性の強いメンバーが三人三様に露骨な拓郎への尊敬を隠そうともしない
隠す必要もないが
拓郎はニコニコと楽しそう 落陽
外は白い雪の夜
中島みゆきとメロディラインが似てる
姉さんが野太い声で歌っても合う曲が多い >>326
梓みちよ「メランコリー」、石野真子「狼なんか怖くない」、
森山良子「歌ってよ夕日の歌を」とかまだまだある >>309
いきなり逮捕って
@被害届
A宿泊先のホテルの部屋に入った事を確認(証人多数)
お巡りさんが「なにもしなかった」を鵜呑みにするとでも思っているのか?
やっている事はTOKIOの山口メンバーと同じ >>339
いや、あの時代は女性が「なにかされた」と言ったら、警察が鵜呑みにする時代だった
今だったら逮捕の前に任意で事情聴取があって、そこで事実確認・行動確認する
アリバイがあれば、その確認もその時点で行われる
それで容疑が固まった時点で逮捕
昔はそんな手続きを踏むこともなく、別件逮捕という違法捜査で身柄を確保する見せしめ行為が平気で行われていた
今でも逮捕後の勾留は違法性が高いが、昔はもっと荒っぽかったよ セカンドアルバムが丸ごとライブ盤なんてフォークの世界でもこの人だけだろ
色々開拓してくのが楽しかったろうな 岡林信康と泉谷しげるとNSPはファーストアルバムがライブ盤 拓郎スレが2スレに満たない時点で5ちゃんのレベルが分かったわ
5ちゃんもたいしたことないな 「舞姫」結構人気があって嬉しい
地味な曲だけど、あの文学性の塊みたいな松本隆の詞を
よくあれだけ生かして傑作にしたなあと思うわ 若いころは「ペニーレーンでバーボン」「人生を語らず」「落陽」の荒々しさに
惹かれたが、この歳になってみると、
「春を待つ手紙」みたいな曲がやたらと心に沁みる まぁスレをざっと見た感じ人気曲はこの辺かな
機会があったら履修しとくわ
RONIN
あこがれ共同体
アジアの片隅で
いつか街で会ったなら
いつか夜の雨が
イメージの詩
ええ加減な奴じゃけ
マークU
ルームライト
永遠の嘘をついてくれ
外は白い雪の夜
吉田町の唄
元気ですか
祭りのあと
春だったね
唇をかみしめて
大阪行きは何番ホーム
男達の詩
僕らの旅
落陽
流星 曲名わからんけど
ええかげんなやつ〜じゃけ〜♪
ってやつ アルバムでは元気ですと人気を二分する今はまだ人生を語らずだが、
そのアルバムの中での人気を二分してたのがシンシアとおはようではないだろうか
「おはよう」という名曲が意外に語られていない 「おはよう」は桜井久美への提供曲だが、B面の「大晦日」がめっちゃいいんだわ >>343
むしろ今の5ちゃんのニュー速のこの手のネタスレで2スレ目いくってのが今のココの年齢層に刺さったんじゃないかな
シングルに限定しなかったらもっと伸びてると思う シングル限定の書き込みは半分もねえだろ
拓郎信者の的外れな長文連投が大半 芸スポに立つミュージシャンのスレはみんなこんな感じ
これでいいんだよ 拓郎が全曲自分で作詞作曲してたらもっと評価が上がったのにな
ファンだって全曲拓郎に作詞してほしかっただろ?
シンガーソングライターにとって作詞は重要な要素だよ >>308
あのねのねの信郎なんて
全盛期は自宅の前に必ず10人くらいの女子が出待ちしてたから
窓から見て好みの子がいたら君おいで〜と声かけて
毎晩遊んでたという武勇伝を普通にテレビで語ってたけどな
そういう時代だったんじゃないのか それかああいうキャラだから許されたのか
ていうか原田伸郎って拓郎のパチモンみたいな名前なのが
人気出た要素のひとつでもあると思ってるんだが ローリング30とかシャングリ・ラとか日和ってお洒落を目指し始めてから聞かなくなった
本人は日本のボブ・ディランになりたいとかなくて売れる芸能人で有り続けたかったんだろうな
だからその後のシングルも結構ここで選ばれてるのを見て意外に思っている
ああラブラブ愛してるのおかげか 優柔不断でチャラチャラしてる自分を否定しないところがいいんじゃねえか
かっこ悪いところが、最高にかっこいい
その矛盾が矛盾のままにあるところが吉田拓郎だと思う >>358
ケメ(佐藤公彦)が言ってたけど、ケメのデビュー曲「通りゃんせ」は門谷憲二の作詞。
だけど、レコードを見たらケメとの共作クレジットになってて、
フォークシンガーで売り出す都合で本人の作詞ってことにしたんじゃないかとか言ってた >>354
馬鹿が増えただけの話だろ
>>355みたいな馬鹿
朝鮮ポップでも聴いてろ
この時期なら小坂一也に書いた「春になれば」だろ >>359
あのねのね 72年オールナイトニッポンでブレイク
72年拓郎 結婚しようよ 旅の宿ヒットでブレイク だいたい拓郎でシングル曲しばりってのがおかしいんだよ
レッドツェッペリンのシングルで好きな楽曲はみたいなもんで
レスのしようがない 一番好きな曲はとなると、レコードになっていない曲ばかりになってしまうお 1位の落陽なんてシングルじゃないじゃんと思ったけど1989年になっているのか
ライブ’73のと同じなの? 83年頃だったか、拓郎のオールナイトニッポンに
いきなりベロンベロンの中村雅俊が乱入してきたことがあったな
酔っぱらってニッポン放送に飛び込んできたようで
ひたすら「俺は拓郎さんが好きなんだ!」と連呼し拓郎がなだめる始末
さんざん繰り返した後帰っていった >>370
酔っ払った甲斐よしひろの回は聴いた気がする
酒飲んで記憶なくなるのって26からだよなーって話題といい加減お前も寸止めしないで子供作れよとか言ってた >>371
たぶん甲斐は拓郎と飲んだときに何かあったんじゃないかと思う
それまではラジオでも「拓郎、拓郎」といっつも拓郎の曲をかけていて
拓郎も甲斐は前向きでいい奴、みたいなスタンスだったが
急に拓郎については話さなくなり、ラブラブに出た時などは妙に寒い空気だった
酒癖の決して良くない拓郎に何かキツイことを言われたんじゃないかと想像してる >>372
ANNでその「空白の時間」が話題になって陣山さんか恒富さんか忘れたが拓郎が飲んでベロベロになったところを録音して変態コーナーで流してたっけなぁ たけしも素晴らしき仲間で対談してて確か拓郎がギターをプレゼントして
その後も「ここだけの話」でもゲストで呼ばれたが
確か水島新司とたけしと小室等(小室は水島によく間違われていた)と飲んだあと
オールナイトでたけしが「何だかなー、吉田拓郎。とんでもない酔っぱらい」とか言っていた
その後まったくたけしとは関わってるのを見たことがない 知る人ぞ知るファッション業界の赤峰幸生って爺さんが
「拓郎の曲がねえ」みたいに拓郎の音楽についてよく知ってたことに最近は驚いた
80くらいの服飾業界の爺さんがまさか拓郎の話するとは、と思ったわ >>375
IVY-VAN-原宿文化だから、それほど不思議じゃないと思う
当時、平凡パンチ読んでみゆき通り歩いてた連中は、友人から死ぬほど馬鹿にされてたと思うが
今になったらその連中が一番まとも
本当のクズは左思想に染まったくせになんの行動もしなかった連中で、関口宏とかみのもんたとかが該当する 正直言って他人に提供した曲のほうが良いと思う。
『やさしい悪魔』『アン・ドゥ・トロワ』『襟裳岬』 >>366
「イメージの詩」のシングルバージョンはロック調のケッタイな曲だった。 ただひとつこれだけは言えるだろ〜
僕たちは大人より時間が多い〜♪
なんて歌える歳のものはこのスレにいないんだろうな
ちなみに私は31歳で結婚するまでセックスを知らなかったから大人じゃなかった 今日の苫小牧発フェリーは新千歳空港で欠航発生したのでいつもより人が多い
時化のため屋外デッキは閉鎖 リスペクトしてるのは解るがディランをパクリ過ぎ
ステージアクションもまんまだもんなぁ 「春だったね」の元歌はディランの「メンフィス・ブルース・アゲイン」
と萩原健太が言ってた >>376
「俺が通った頃は若者なんか居なくて老人の街だった」
「街へ」って曲あったなー >>383
ディランフォロワーの目で見て春だったねというか元気です以降どの辺の時期までディラン引きずってたように見れた?ローリング30あたりまで? ディランの影響が垣間見えたのは74年までだよ
アルバムで言えば人生を語らずまで
ディランは「欲望」というアルバムあたりからつまらなくなったと拓郎は語っている
それとディランに影響は受けても「旅の宿」なんて日本人からしか生まれ得ないオリジナリティがある
美輪明宏もあの曲はすごいと言っている
75年つま恋で燃え尽きたと当時は語っていた。実際それから数年は社長業
そのつま恋では既にレゲエのアレンジが増えていた。ボブマーリーに心酔し始めたのかも知れない
それがアジアの片隅でやこの指とまれのレゲエナンバーに繋がっていく >>387
キンキとテレビ出てた頃も
ディランのローリングサンダー映像見まくったんだろうなと 暑中お見舞い申し上げますはジョン・レノンのOh!Yokoの影響が大きいな
後ジョージの曲も割と好きみたい 73年にザバンドとのツアーが決まっていた
後藤が渡米しサインのみの段階に来てストップをかけたのが誰あろうディラン。
ザバンドをバックにした名盤、偉大なる復活はほんのわずかなタイミングでなかったかも知れないのだ
その後、シャングリラでガースハドソンの名演による「あの娘を待ってる街角」が生まれた
ハドソンはアコーディオン演奏を録った後、「もう一晩考えさせてくれ」と再録するほどだったという
確かにそれほどの名曲に仕上がっており、この曲はザバンドの公式HPにもクレジットされている >>388
70年代終盤はマークUなんかもレゲエ調のアレンジで演ってたね。個人的に印象的なのは「いつか夜の雨が(特にライブ版)」かな >>392
その辺書こうとしたけどリロードしたら俺より全然詳しい人が書いてた、危うく恥かくところだったw
ロスでは美代ちゃん買い物三昧だったそうな >>393
75年のつま恋の例えば「まにあうかも知れない」だったかもレゲエアレンジで
客が太ももをパーカッションみたいにリズム取ってるシーンがある
>>394
シャングリラは拓郎を知らない音楽ファンにほど、いずれ評価されるアルバムだと思う
オーヨーコが暑中見舞いとか言うが、そんなこと言い出したら
オアシスのDon't Look Back In Angerはイントロはイマジン、サビはオーヨーコである >>395
シャングリラ?
あの声あの歌い方気持ち悪い
誰だか忘れたが外国人プロデューサーが悪い
酒を飲まないでいる時の方がセクシーだなんてそそのかしたらしい >>391
>暑中お見舞い申し上げますはジョン・レノンのOh!Yokoの影響が大きいな
初耳だし、改めて聞いてみても全然似てないぞ パクリ元のディランも相当迷走期も多い人だからねw
個人的には激しい雨が一番好きだしローリングサンダーレビュー期がピークだと思ってる
ザ・バンドとの共演とか退屈
トラベリングウイルでちょっと息吹き返してかなり良かった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています