【音楽】「吉田拓郎」さんのシングルであなたが一番好きな楽曲はなに? 3曲を紹介! [湛然★]
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「吉田拓郎」さんのシングルであなたが一番好きな楽曲はなに? 3曲を紹介!
3/5(土) 14:00 ねとらぼ
https://news.yahoo.co.jp/articles/92fcda7b4dc0f1b6cede670ee68464235dbb94ff
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歌謡曲や演歌が主流だった1970年代の日本ポップス界において、シンガーソングライターである吉田拓郎さんは「フォーク・ロック」というジャンルをメジャーシーンに引き上げたパイオニアの一人。また、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在としても知られています。
そこで今回は、これまで吉田拓郎さんがリリースした数多くのシングルから3曲をピックアップして紹介します。
●今日までそして明日から
「今日までそして明日から」は、1971年に「よしだたくろう」名義でリリースされた3枚目のシングル。発売当初は売り上げが芳しくなかったものの、この曲はライブのエンディングナンバーとして定着。今では拓郎さんの代表曲の一つとして親しまれています。
20代半ばで書かれたとはとても思えない、深みのある歌詞とメロディーが印象的なこの曲。昭和時代のノスタルジーをテーマにしたアニメ映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」の挿入歌として使用された際には、大人世代を中心に多くの感動を呼びました。
●結婚しようよ
吉田拓郎さんがCBSソニーに移籍後の1972年にリリースした、通算4枚目のシングル。この曲をきっかけにフォークソングが日本のメジャーシーンで支持されるようになったことから、「J-POPの原点」とも評されています。
学生運動が次第に過激化していった70年代初頭、この曲の大ヒットにより、それまで反体制の象徴とされていたフォークソングの在り方が変わり始めたとされています。また、旧来の結婚観を覆す歌詞からも、拓郎さんの「新しい社会を作ろう」というメッセージを感じさせますね。
●夏休み
「夏休み」は、1989年3月にリリースされた31枚目のシングル。表題曲は1971年に発表されたアルバム「よしだたくろう オン・ステージ」に初めて収録されました。その後も拓郎さんの代表曲の一つとして、さまざまなアレンジバージョンがいろいろなアルバムに収録されています。
拓郎さんの子供時代に思いを寄せて作られたナンバーであり、多くの人の思い出にも重なる名曲だと言えるでしょう。また、日本の夏をテーマにした情緒あふれる楽曲であることから、さまざまなアーティストによってもカバーされています。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) 最近こういうスレ多いな
こういうあからさまに「雑談をさせてスレを伸ばそう」というスレでなく、もっと速報性のあるやつをいっぱい立ててほしいわ このスレは伸びるわ
他の雑魚ミュージシャンと格が違い過ぎる 君の欲しいものはナンですか 僕の欲しかったものはチャパティですか 提供曲シングルだけでもいっぱいあるからな
やさしい悪魔とか狼なんて怖くないとか 僕笑っちゃいます
襟裳岬
我が良き友よ
すべて拓郎の手柄 結婚しようよも井伊家とやっぱりシンシア
拓郎+かまやつのシンシア(南沙織)だな
最近の若い子の峯田和伸君ももカバーしてる
https://youtu.be/UHcYd6ahMK4 今のこの季節なら春を待つ手紙だろ
この曲当時は時代遅れのしょーもない歌と思ったが
今の時代に聞くととてもよく出来てる
単純なメロディの繰り返しなのに 春を待つ手紙
通りとおりゃんせ オイラだけ通せんぼ
のフレーズが泣ける(´;ω;`) >>28
おお、嬉しい
春だったね
大阪行きは何番ホーム
加川良の手紙
あたりもこの季節にいいね アルバム収録かシングルかがまずわからん
唇をかみしめてが好きだけどあの中途半端なアレンジは嫌い 人魚のようにすてきなあの子
かわいい脚のすんなり伸びた
ぼくの心にともしび灯す
抱きしめたいような準ちゃんさ >>36
この人は基本的に前向きな人だからね
必ず希望の要素が曲にある 苫小牧発仙台行東日本フェリー、
あのじぃさんときたら〜
ナんチャラカンチャラー 普通ならここまで大御所になれば「俺は先駆者だ、オリジナルだ」ポーズ取りたがるもんなんだが
この人は一貫して無理に背伸びせず
「ボブディランに憧れてボブディランの真似しようとしてこうなった」的な事を言ってるのが好感持てる 何かの動画で吉田拓郎が「ランキングやってもどうせ落陽が1位になるんだから嫌だ」
みたいなこと言ってた ホンダ・シビックが歌詞に出てくる歌
『僕の車』だっけか
1分半くらいの短いやつだけど最高 おじさんたちは流星ばかり歌ってるから1位だと思ってたのに違うのか シングルで一曲選ぶならもうすぐ帰るよだな
あのディストーションのかかった強烈なイントロ、
沈黙してる最中に出した、まんまのタイトル
何であんな曲がヒットしなかったのか。時代は恐ろしい 真田広之と緒形拳の継承盃って邦画に使われた夕映えって曲も名曲 みんな世の中のせいにしてしまえ
この人は昔からいい意味で大人
キャンディースのやさしい悪魔が意外と知られてない
つか陽水、さだまさしより売れてる期間が長い気がする 曲名を覚えてないけど
朝日が昇るから起きるんじゃなくて目覚めるときだから
始発電車は行け 風を切って走れ
って歌 クロマティ高校のアニメオープニングはなぜか吉田拓郎だった
なんで? 1位になったのは結婚しようよ旅の宿となりの町のお嬢さんだけ あと
土産にもらったサイコロ二つ 手の中で振れば〜
爺さん男の話を聞かせてくれ デュエットだけどシンシアもいいよね
いや一番いいかな? 街へ
たえこMyLove
春を待つ手紙
この歌をある人に
春になれば 作詞作曲とも拓郎じゃないとね
あとシングルじゃない曲は言わないように テクニクスのCM曲 やろ
明日になれば明日が来るのか
そいつは誰にもわからない クロマティ高校の曲は完全なジャパニーズロック
あのリズムにはエンヤトットが隠されている
言ってみればサブちゃんの祭りと同じリズム
実は落陽も人間なんてもそうで、日本人が血沸き肉躍るリズム
外人のコメントがすごいけど彼らがどこまでそれを感じているか >>74
すぐアイドル好きになってこういう曲やっちゃうんだよ、この人w
で、おちたのが浅田美代子
その前に結婚してたから3回結婚してるんだよ、この人 ペニーレインで飲んだくれてトグロ巻いてた拓郎に新人の太田裕美が横で説教したという伝説がある。 一つだけ言ってみたいのは おやじがいつもの口ぐせ通りに生きぬいてみせたこと おやじは誰にも見られずに死んでいきましたよ
おやじが全てだなんて言いませんよ だけどおやじもやっぱり人間でしたよ 死んでやっと僕の胸を熱くさせましたよ 死んでやっと僕の胸を熱くさせてくれましたよ シングルじゃねーけど
元気です。のアルバムに入ってる全曲だな。
プラス、ペニーレインでバーボン 【春だったね】
ボブディラン臭は消せないけど、名曲だと思うよ。 小柳ルミ子に書いた赤い燈台とかね
拓郎は平尾にすごくライバル心を持っていたと思う
瀬戸の花嫁に対抗した曲のように思える 70年代のシンガーソングライターか
やっぱ1に陽水2に拓郎だろうね 少し前に無性に拓郎が聴きたくなって
Amazonプライムミュージックで探した
元気ですの中の曲が聴けて満足満足
まだまだ生きててくださいよ 松本隆 「これの曲名を女性の名前にしたいんだけど」
吉田拓郎 「じゃあひろみ」
松本隆 「僕が太田裕美の作詞やってるからってあんまりだ」
で、「無題」
ちなみに「恋唄」も太田裕美を詩にしたっぽい 春を待つ手紙は拓郎が1番の気に入っている曲と昔言っていたな
でもこの曲はライブで演奏した事ある? オフコース、小田和正・・知的階級、オシャレ、洗練、都会、美しい世界
吉田拓郎・・労働者階級、泥臭い、汗臭い、古き良きもの、田舎、美しいものの裏にあるシビアで汚い面
オフコースも小田和正も好きだが対極の世界観のイメージ >>3
これ
イメージの詩の歌詞はノーベル文学賞レベル 我が良き友よに襟裳岬に自分の唄
1974年は儲かりまくって笑いが止まらない状態 すまねえ客人、俺としたことが真っ先に出てくる名前を忘れていたヨ
吉田町の唄 洛陽ってあれ吉田拓郎が作った曲じゃないんだっけ?
作詞が違う人だっけ?
あれだけギターのリフがやたら癖になる 落陽が好き
(デーンデーンデデデ)
しぼったばかりのー夕陽の赤がー お前らがこれらから聴くべき曲、
春だったね、春を待つ手紙、さすらい日本 落陽は作詞が岡本おさみ
襟裳岬や竜飛崎と同様の旅情ソング
イントロは拓郎がヘッドアレンジして高中に「こんな感じ」と伝え高中が一発で再現した >>108
Perfume
ちなみに拓郎は鹿児島生まれ >>103
いい動画だわ、サンクス(´;ω;`)
ウザい、暑苦しい、不便、がさつ、杜撰な社会管理、不衛生、法的意識希薄、
今の若い人間からしたらネガティブなイメージしか無いんだろうけど
良くも悪くもこの頃が一番日本人が連帯意識強かった時期なんじゃないだろうか たどりついたらいつも雨ふりがここまでないんだけど、この曲は評価低いの? >>121
さすらい日本いいよな
今の時代を予言してるような歌 「もうすぐ帰るよ」ライブ初演は1974年。ボツ曲と思いきや、1977年にシングルリリース。当時、ちょっと謎でした。 >>108
世良公則、吉川晃司、ポルノグラフティ、パヒューム >>128
渋い!
あの時代を知らない世代には刺さらないけど >>2
わかってくれる〜ただひとりのきみいお〜
ナケチャウ 「結婚しようよ」が売れた次の歌「旅の宿」のB面「親父の詩」
親父に複雑な感情を持っている人には刺さる。 いまから聴こうと思っている人にひとつ。
スタジオよりライブのほうがずっといい。 アルバム今はまだ人生を語らずはAmazonmusicにあるから聴いてみて欲しい 50も過ぎてるのに、この間初めて「加川良の手紙」を聞いて
すっかり気に入っちゃった。 >>10
これだよな。一人暮らしのときに聞いて泣いた。 岡本おさみ天才説ある
しぼったばかりの夕陽の赤が
水平線から もれている
苫小牧発・仙台行きフェリー
あのじいさんときたら
わざわざ見送ってくれたよ
おまけにテープをひろってね女の子みたいにさ
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
女や酒よりサイコロ好きで
すってんてんのあのじいさん
あんたこそが正直ものさ
この国ときたら
賭けるものなどないさ
だからこうして漂うだけ
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に陽が沈んでゆく
サイコロころがしあり金なくし
フーテン暮らしのあのじいさん
どこかで会おう生きていてくれ
ろくでなしの男たち
身を持ちくずしちまった
男の話を聞かせてよサイコロころがして
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
戻る旅に陽が沈んでゆく シングルじゃないかもだけど
高円寺
外は白い雪の夜
高円寺の石川鷹彦さんのギター超カッコいい こうき心
マークU
カンパリソーダとフライドポテト 土産に貰ったサイコロステーキ
手の中で振れば脂まみれに Roninが大好きなんだけど、黒歴史になってるからカラオケに入らない 彡⌒ ミ
(´・ω・`)
僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったら結婚しよう ペニーレインでバーボンを ペニーレインでバーボンを
今夜もしたたか 家飲み焼酎で飲んだくれてる〜♪ ペニーレインでバーボン
永遠にサブスク追放されるのか >>10
最初のヴァージョンがいいよね
「こうして空を 見上げていると 生きてることさえ むなしいよ」
ってとこがグっとくる 隣の田中さんがカラーテレビなので深夜劇場まで見せてもらっています
でもいつまでもそうしてはいられないでしょう
田中さんの奥さんがとっても良い人で今朝もベーコンエッグをご馳走になりました
おかげで僕は元気です
この手紙大急ぎでポストに入れてきます このまま世界の終わりが来てもかまわない〜
っていう歌詞
ものすごく大好き フォークソングってジャンルを作っただけでもかなりの功績だと思う >>155
おまけにテープをひろってね女の子みたいにさ
あんたこそが正直ものさ
この国ときたら
賭けるものなどないさ
この辺の歌詞は胸に刺さるね >>153
仕方ないよ
岡本おさみの詩はしみじみ良い 伽草子って曲、あれに拓郎の全ての曲のテーマが隠されてると思う
もすこし幸せに、という部分
今日より明日、半歩でも前へという意味じゃないだろうか >>170
拓郎はミュージシャンの功績も凄いがそれ以上に著作権問題のパイオニアとしても価値が偉大
本来なら拓郎以後のミュージシャンはもっと拓郎に敬意を払うべき神 アジアの片隅で
これは、衝撃的で好き
風刺が効いてて みうらじゅんは吉田拓郎のお伽草子のジャケットの髪の長さをキープしている >>185
飲み屋でカラオケ入れたら、おっ?流星?!って言われガチ
みんなの知る流星と違います クロマティ高校の主題歌「純」は好きだったなぁ
まさかこんなところで拓郎の歌を聞くとは思わなかったってのもあるけど(´・ω・`) 死んだ兄貴がペニーレインでバーボンをよく流してたから、それだけ異様に耳に残ってるなあ >135
自分が死んだとき、葬式では「ファミリー」を流してほしいと思っています。 >>170
それは日本的には岡林信康になるんじゃないか?
吉田拓郎はニューミュージックの礎を作ったに近いな >>10
この曲が売れなかったら広島に帰ろうと思いながら東京の
アパートの部屋でひと晩かけて作ったんだよな >>84
それかぐや姫w
赤いマフラー手拭いにして〜♪
>>173
それアルフ…じゃなくてビートボーイズ 俺の鼻毛が出てたんだよ
友達が気づいて
「僕の鼻毛が肩までのびて〜♪」
それからしばらく鼻毛男として扱われたの生涯忘れない ローリング30ってアルバムが出た時
中にアンケートはがきが付いてて
「このアルバムの中でシングルにすべきはどの曲ですか」って質問が書いてあった
俺は「無題」って曲を選んだがその曲はシングル化もされず鳴かず飛ばず
しかし数年前のツアーで何故か一曲目に突然やり出した 昔、拓郎とアルフィーとキンキキッズの番組があって
キンキキッズはアルフィーは有名なミュージシャンとして認知してるけど拓郎に対しては「誰このオッサン?昔有名だったの?」的な態度
一方アルフィーの3人にとっては拓郎は神
世代間の温度差が面白かったな >>125
ネットも携帯もポケベルもテレフォンカードもない時代は人との繋がりの重要度が高かった
そういう時代
キレる奴が少ない時代だった >>1
拓郎は聞いてた世代的は今は70代くらいかねぇ
行きつけの居酒屋のオーナーが好きでいつも曲が流れてたわ ?永遠の?をついてくれ
こないだドラマで使われててなかなかよかった、作ったの中島みゆきだけど 「落陽」は北海道礼文島でユースホステルで働く若者がギター片手にフェリー乗り場の送迎ソングだった
これ1980年代初頭でもね
いまどうなんだろうか 人生を語らず、が多分一番好きだけどシングルなのかな >>205
KInKiのごく最初な
その後ふたりは卓郎に家族ぐるみで可愛がられるに至る
なおアルフィーは無名時代「ショック!!Takuro23」なる企画もので売り出したという
黒歴史がある >>179
それ覚醒剤の喫茶店だけ聴いてガロを評価するようなものw
>>184
夜ヒットでアルフィーを従えて熱唱してたね
>>206
ありがとう。今つべで見てきたけどロックしてるなーw
「何も怖くなかった」のバックコーラスが怖かったw 祭りのあと
落陽
流星
外は白い雪の夜
シングルかどうかは分からん >>216
> アルフィーは無名時代「ショック!!Takuro23」なる企画もので売り出したという黒歴史がある
いや当時最大のヒット曲だから黒歴史ではないw
アルフィーの本当の黒歴史はデビュー当時4人組だったことw >>126
40代半ばだが、俺もその曲(氷室京介がカバーしてたから知ってる)と「無礼な奴です、あいすみません」って歌詞の曲しか知らない
吉田拓郎って、井上陽水と比べて50才以下の世代に浸透した曲があまりないよね ベストなら落陽しかない
拓郎に限らず日本のベストソングだと思う >>205
それ初顔合わせの時だろ
すぐに拓郎が偉大なカリスマだと知ったから
キンキキッズも当時鳥飛ぶ落とす勢い
物凄く仲良くなり27年経った今でも年齢差超えた親友だと拓郎がキンキのこと語ってた LP「伽草子」に入ってる「制服」はええ歌やで これが自分の一番というわけでもないけど >>211
もっと下の世代だよ
ラジカセで深夜放送聴いてたのが
小中学生の頃 言葉が好きなんだけどシングルじゃないか
詞も松本隆だけど >>205
アルフィーの坂崎幸之助がスポーツ新聞の記事で自分がレギュラー出演することを知ったって言ってたなぁw ジャイアントロボが大所帯バンド引き連れてる頃に吉田拓郎を初認識した世代なのでフォークの人と言われてもいまいちピンとこない 嫁が森下愛子ってだけで羨ましい
日本人でこんな綺麗なピンク乳首みたことない
https://i.imgur.com/9b9TK6K.jpg >>217
あの日の拓郎は凄かった
共演に陽水とか
伝説の夜ヒット >>238
月一ラジオでたまに聴く佳代さんの声はBBAなはずなのに相変わらず可愛い たしかにライブ盤はいい
同じ曲でも、ライブ73とか拓郎ツアー79で聞くととてもよい! デビュー
1967.12 ザ・フォーク・クルセダーズ
1969.04 六文銭
1969.09 アンドレ・カンドレ
1970.03 RCサクセション
1970.04 オフコース
1970.06 吉田拓郎
1970.08 はっぴいえんど
1970.10 かぐや姫
1971.01 小椋佳
1971.12 泉谷しげる
1972.03 アリス
1972.07 荒井由実
1972.10 五輪真弓
1972.12 キャロル
1973.03 グレープ
1975.04 シュガー・ベイブ
1975.09 中島みゆき
1977.02 長渕剛
1978.06 サザンオールスターズ 拓郎、若い頃は喧嘩っ早いとか破天荒とか体質だったんだけど
内田裕也とか横山やすしとかの暴力的体質とは違った無邪気な子供っぽさなんだよな、田舎のガキ大将的な
テレビが大嫌いで絶対出演したがらないんで酒呑ませて機嫌良くさせて騙して出演させたとかw 老人の詩 を今歌ったらウケると思うんだが絶対歌わないな 昔ラジオもやってたんだよなー
たまに喧嘩話なんか出てくるけどオレオレ武勇伝みたいな感じじゃなくて淡々と話しててリアルだったの覚えてるわ
売れ始めて有名になった頃はよく呑み屋で本職の若い連中に絡まれて喧嘩になって、
相手は坊主で髪掴めないけど拓郎は長髪だから髪の毛掴まれてボッコボコに殴られた、とかw 浅田美代子が吉田拓郎と結婚したのは21歳のとき。
木之内みどりが後藤次利と駆け落ちもどきをしたのは21歳の時。
林寛子が黒澤久雄と結婚したのは21歳の時。
山口百恵が三浦友和と結婚したのは21歳の時。 しんみりというかどこか哀愁漂う吉田拓郎だけど
漫湖のほとりそびえ立つ♪の時が一番生き生きしてた >>224
10年以上前から肺の具合が悪く活動いまいちできてない
ジャケットのハイライトが時代を感じる ぜんぜん売れなかったろうが「おきざりにした悲しみは」と「御伽草子」も地味に良い 20歳そこそこで「人生を語らず」とか歌ってるのを聴いて
なんじゃこいつと思った
そろそろお迎えが来る年齢のいまこそ唄う歌 >>1
俺がチェックした人は後日すぐ記事になる 東原より凄いパワーの俺 このーごろー さぁっぱりー
つりはだめでーすよとー
こうせつーくんがー いうーーー 小田和正の伝えたいことがあるんだは拓郎っぽい Aメロの歌いかたが ショーケンに曲を書くことになって
飲み屋で待ち合わせて口論になって取っ組み合いの喧嘩になった
詞側はショーケン、曲は拓郎側に権利があったので
ショーケン側は森田公一が作曲しショーケンが歌い
拓郎側は阿久悠だったかが作詞し清水健太郎が歌うことに ええかげんなやつじゃけんほっといてくれんさいってなんだっけ 僕の髪が肩までのびたら結婚しようよ 羨ましい
拓郎は今もフッサフサやもんな 加藤紀子に書いた「ふゆが来た」
最初捨て曲かと思ったら、今になって聴くとこれもよく出来てるんだよな 拓郎はシングルはおろか音源化されてない曲(コンサートでしか歌わない曲)の中にこそ名曲が多いイメージ >>275
この当時の連中はアツいというか可愛気あるよなw
今は「あ、これ口に出したら喧嘩になりかねんな」って事はそもそも口にしないから
早々ヒートアップなんかしないもんな
A「黒がいいよね」
B「俺は白がいいかな」
A「あっ・・・いやでもまあ灰色も悪くないかな(揉めたら面倒くさい・・w)」
B「お、灰色も悪くないね、それでいきましょ!(主張して折り合わなかったら成果0だから成立最優先w)」 名曲はたくさんありすぎるが敢えて挙げるならば
拓郎の作詞作曲ならば
春を呼べU
この指とまれ
シンシア
唇をかみしめて
岡本おさみとのコンビは特に秀逸
その中でも今の時代にも当てはまる不変の曲
アジアの片隅で >>282
ありがとなんかのドラマの主題歌やったよな検索してみるわ 「僕の旅は小さな叫び」が好きだったけど
今ググったら作詞作曲は拓郎じゃねえんだな
「流星」かな、ただひたすらに君が好き・・・ 提供曲だけど、モップスの「たどりついたらいつも雨ふり」はほんといい曲だな >>289
武田鉄矢主演の映画の「刑事物語」の主題歌やね たえこmy loveとかどういうつもりでシングルにしたんやろ 僕の唄はサヨナラだけ
祭りの後
ペニーレインでバーボン >>284
拓郎ケンカ伝
・道を歩いていて赤の他人のケンカの仲裁に入り回し蹴りを食らう
・ムッシュの還暦パーティで拓郎が「お前ら音楽を愛してない」と延々管を巻き
ついに泉谷がブちぎれてフォークを持って拓郎に馬乗りに。最後は森山良子に一喝される
・矢沢とケンカの噂アリ
etc いつの間にかシンガーソングライターの最年長者に
もうこんな人は出てこない あまり言われないが拓郎はかなり歌がうまいと思う
ライブを聞いててもほとんど音程が外れない
レコードやCDで聞けばうまいけど
ライブで聞くとへたっぴな歌手はいっぱいいるが
拓郎はライブでもうまい たどりついたらいつも雨ふり
落陽
明日に向って走れ 午前0時の街、
アレンジは松任谷。離婚直後のこのアルバムは全般的にやや静かな曲が多い
スティールギターがふんだんに使われていてカントリー色の強いアルバムと言える
堺正章に書いた明日のためにをセルフカバーしている 日本初(正確には違うが)の単独野外ライブオールナイトコンサート、ツアーバンド遠征、テレビには基本的にはあまり出ないでラジオメインで活躍するなど今の日本の音楽システムに大きく貢献した人
襟裳岬のレコード大賞受賞でシンガーソングライターの地位を高め、芸能界に認めさせた
ただのミュージシャンがレコード会社を作るなんて当時はあまりにも想定外で、音楽業界に喧嘩を売って風穴を大きく開けた
KinKi Kidsを成長させた恩人であり、今の若い芸能人にもコアなファンがいて、影響を与え続けている >>298
昔のオールナイトニッポン?だかなんだかAMラジオでもたまに語ってた
本人は別に喧嘩好きでも無いんだけど当時にしては体もでかい方だし喧嘩早いイメージが浸透してて
年下と一緒に呑んだりしてるとすぐに喧嘩を売りたがって最終的に巻き込まれる、みたいな話w シングル以外の名曲が多い
好きなのは「7月26日未明」 >>27
小田和正とコラボしたときのやつはしびれるね 森進一の襟裳岬を嗤って なおかつ
先輩の森進一を呼び捨てにする人 ま、本人の前ではやらんと思うけど
襟裳岬は森のカバーのほうがずっと心に響くけどな >>313
オールナイトニッポンは面白かった
車で追っかけてくるファンとバトルして巻いた話とか
吉田拓郎死亡事件とか
でも一番ひどかったのは2時くらいから延々曲とCMを繰り返して
拓郎本人は全く出て来ず、終わりころになって「どうだ、お前ら寝たか?笑」みたいな回 オールナイトニッポンGOLDを月一でやってるの知ってる人いるかな?
もう日付変わったから明日の金曜22〜24時にやるはず 男達の詩
わいのテーマソング
いっちょやってやるかって時、自分を鼓舞するときサイコー まあ一つ選ぶべきと言われたら
これ選ぶべきなんだろうか
イメージの唄 サイコロがどうとかいう曲
たまたまつべでライブの聴いたけどプログレ的演奏でかっこよかった >>312
誰もが認める功績だと自負してもいいのに
本人は一切その手の自慢話だのアピールだのしないってのも漢っていうか旧き良き昭和の男って感じ
もう今はアピール当たり前の風潮になって奥ゆかしい、謙虚が美徳でなく悪徳化されちゃってるからもう理解されないんだろうな >>320
昔桃井かおりが「あの人パーマかけてから駄目になったよね」と言っていた
昔は結構一緒に飲んだりしたらしい 私はタワシで擦ってみました
タワシでチンコを擦ってみました >>318
聞きたいwww
当時のラジオ放送の音声データってどう管理されてるんだろうな、今なら音声データとして保管管理は簡単だけど
当時は記録メディアも限られてるし残ってないのかな
今MP3化とかしてくれてオールナイトニッポン全話とか売ってくれれば絶対買うのにな。。 落陽はなー
ドラマ用に作ったシングルの1989年版はお行儀良くてつまらない
70年代にちゃんと出して欲しかった
襟裳岬や竜飛崎の方が好き 中年以降ずっとヘアースタイルが変わらない
かまやつひろしか ここで吉田拓郎と沢田研二が対談してるが
https://www.youtube.com/watch?v=dzpGODiGQl8
拓郎が恐縮してる
拓郎が恐縮するなんて初めて見た
沢田研二ってやっぱ偉大なんだなあ >>331
訂正、
”窓の外は雪”じゃなくて
”外は白い雪の夜”だ >>334
翌週にリスナーからの「拓郎さん、あれはないですよ」というハガキを爆笑しながら読んでいた 拓郎の昔の唄は知ってるが
新しい歌は全然知らないんだよなあw
流星や刑事物語のは知ってるが・・って、これも古いか >>339
声が若干かすれてるね 喉の癌のせいかな >>314
あの曲は歌詞がいいよなぁ
生きて行くのがそれこそ煩わしい時がある
恥を晒すにはそれだけ利口になりすぎて 流星って「男なら」ってドラマの主題歌で
拓郎が本人役で出た回があるんだよな
主役の北大路欣也が自動車工場の工員かなんかで、
ツアー中の拓郎のバスが故障して訪れる
北大路と拓郎が握手するシーンがあって、拓郎ってデカいんだなと思った 忌野清志郎が静養もせず復帰して再発してあっという間に逝っちゃったのを見て
すぐ唄うのをやめて籠っちゃたのが良かったんだろうな イメージの詩って、ライクアローリングストーンのパクりだよね
んで、浜省バージョンはストーンズのバージョンのパクりだよね >>326
時代を作った人に対するリスペクトは
持たないといけないよね
あの超天才作曲家の筒美京平が拓郎の存在を恐れていたらしいからね(アイドルらに楽曲を提供するようになって) >>354
ライクアローリングストーンもビートルズの抱きしめたいがなきゃおそらく生まれてない
ジャンジャンジャンジャン♪Oh you〜、のところ >>326
尋ねられたら自慢話はするで 尋ねられたらね
ツベの坂崎との対談とか この歌をある人に、って曲も隠れた名曲だな
一説には最初の奥さんとの間に生まれた娘さんを歌ってるとも聞いたがどうなんだろう >>358
でも俺はライクアローリングストーンの方が好きだからなあw
それより浜省バージョンがさらに好きだけど、彼の他の曲はほとんど聞いたことないw ところで詳しい人教えて
当時、拓郎派VS陽水派みたいな争いってあったの? 春だったねの勢いがなんか好き
あと由紀さおりのルームライトとかキャンディーズのやさしい悪魔とか
いかにも拓郎の曲らしくていい もうライブはやらないだろうけど、生涯最後のライブの最後の曲に
また逢おうぜあばよ、を歌って終わって欲しい 拓郎派と陽水派の争いなんてないだろ
かぐや姫とはちょっとはあるんじゃないかな、四畳半フォークはあまりみたいな
フォーライフを一緒に作ったし、そもそも陽水ファンというのは漠然としてて
あまり熱狂的じゃないイメージがある オールドファンだが・・
7月26日未明 っていうのは知らなかったのでyoutubeで聞いてみた
38歳の時の曲なんだな
まだ、抗う精神がなえてない頃の唄だな
なんか集大成みたいな歌詞だな >>371
そうなんだ
自分はニューミュージック世代なので、
後追いのイメージでフォークの二大巨頭って印象があったから聞いてみた >>370
エンディングが違う曲だったら映画あそこまでヒットしてないと思うw それくらい重要な要素 >>374
昔「拓郎&陽水の世界」っていうラジオ番組があった
ジングルにピンクフロイドのスピークトゥミーが使われていたり、かなりマニアックな番組
一度番組の企画で拓郎と陽水のベスト100をリスナー投票で選ぶのがあって
3位がゼンマイ仕掛けのかぶと虫、2位が人生が二度あれば、1位がたえこMY LOVEだった記憶がある >>375
もともとガチファンなんだよね
そして満島ひかりのCMより薄っぺらい福山のカバーw
>>381
司会は誰?
本人たちが二人でやってたわけじゃないよね 元気です
春を待つ手紙
サマータイムブルースが聴こえる
まー実際は3曲選ぶの無理だよね >>384
DJは森永博志
森永はサウンドストリートのパーソナリティをその後やって
拓郎が一度ゲストに出ている。いきなり森永を何だったかで??りつけていた 闘う君の歌を
闘わないやつらが 笑うだろ
ファイト!
冷たい水の中を 震えながら登っていけ
これこれ!
拓郎の唄じゃないけど >>382
オールナイトニッポンで言っていたな
この歌を越える歌を出すことが出来ないとかなんとか 下駄履いて
ジージャン着て
背中にギター背負って
カブに乗って突っ張ってた >>350
拓郎の歌って歌ウマの人が歌っても全然良くなくて
あんま上手くない人が歌うと「あぁいい曲」って思うw
洛陽なんかその典型 中津川フォークジャンボリーだっけ?
なんか拓郎が出たらひどいブーイング受けたとかいうの。
理由も良く知らん。 スレ違いだが
永遠の嘘をついてくれ
つま恋の中島みゆきまた見たい イメージの詩
人生を語らず
流星
おやじの唄
制服
唇を噛みしめて >>396
ん〜・・どうだったかなあ
エレキギター持って出たからじゃなかったかな LoveLove愛してるをたまに見てただけで実は一曲も知らない ペニーレインでバーボンだけど
放送禁止なのがつらい アルフィーが吉田拓郎メドレーを歌ってたので知ってる あまりラジオで流れないしオムニバスにも旅宿や結しよばかり入って春だったねは入ってないよね >>298
ムッシュもムッシュで酒の席で気に入らないヤツに「拓郎、あいつ殴っちゃいなよ」って喧嘩を煽ってたってのが笑うw >>362
拓郎の男臭い歌のアルバムの中にこういう可愛らしい歌がポッと入っているのが特徴的だったよね(春だったね、春の風が吹いていたらなど)
もっと(もっと)もっと(もっと)綺麗な絵になりなさい
いかにも松本隆らしい詞だし、それを拓郎節で作ってしまう拓郎もさすが拓郎 セブンスターショーの初っぱなの「春だったね」を歌い始める時の拓郎がめちゃくちゃカッコいい 竹原ピストルで知った落陽か刑事物語で知った唇をかみしめてかな 小泉・今日子
↓↓
浜口・京子
歯魔!の番長 三浦
はま寿司! 苦ら・寿司! ウイスキークラッシュ オオオー ウイスキークラッシュ お前人生をー攻めてるかぁー ぜんぜん世代じゃないから知らなくてYouTubeで何曲か見たけど、なんか、あんま歌上手くないなと。ああいうぶっきらぼうな感じがラフな感じで人気だったんすかね昔は そういえば「春を待つ手紙」でなんでか涙が止まらなかったのを思い出した・・・ 拓郎って案外オタク性があって、録音機材とかコンピューター打ち込みとか
好きなんだってね
もともと作曲家ってのはレコード収集家とか音楽オタクでないとできない仕事だし 彼女がホワイトジーンズを履いてこなかったとネチネチ言う歌 ペニーレインへはもう行かない
個人的にはフォーエバーヤングは人生を語らずと並ぶ名盤だと思う Am Em Am F G Am
Am Em Am F G Am
爺たちの琴線に触れるコード進行 >>381
その番組聴いてたわ
陽水が問題起こしたとき「拓郎の世界」にタイトルが変わってすぐ終了した
好きな番組だったから悲しかった CR吉田拓郎に出てきた歌みんな好きだわ
夏休み、結婚しようよ、となりの町のお嬢さん 狼なんか怖くない、推すのは恥ずかしいがあれは名曲。 シングルじゃなくてライブだけど「準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響」が一番好き >>423
別に歌ウマで売ってるわけじゃないだろうしねw
シンガーソングライターって大抵そういうもんじゃない?
自分で作って自分の世界観で歌う 昔は拓郎は相当字余りソングだと思ってたけど、今の早口言葉みたいな歌を聴くと拓郎なんてかわいいもんだな 故郷を出る時や帰ってきたとき「明日に向かって走れ」「シンシア」をよく口ずさむ
拓郎の歌を聴くと昔の事や望郷の気持ちが高まる 歌謡曲を歌う時の拓郎も哀愁があって好き
『ぶらいぺえと』のアルバムに入ってる
「よろしく哀愁」は本家の郷ひろみよりも好きかもしれん >>441
分かるわ、俺もその2曲は日々のテーマソングだわ
外出してる時には心の中で口ずさんでる “シングル”の注釈付きか
今日までそして明日から
サマータイムブルースが聴こえる
たどり着いたらいつも雨降り
ひとつだけ選ぶのは無理だな 人間〜なんてララ〜ラ〜ララララ〜ラ〜
人間〜なんてララ〜ラ〜ララララ〜ラ〜 別の話だけど西城秀樹の「聖・少女」は拓郎の作品だ。
これが秀樹の隠れた代表作だ。 「メランコリー」かな
飲み屋のママにカッコよく歌って欲しい 落陽が北海道ツーリングでラジオからかかるとゾクッとするわ
HBCのヤスってラジオパーソナリティーが拓郎ファンなんで、バイクのステレオからかかった時は悶絶した >>360
アルフィーへのダメ出しを嬉々として喋ってるよねw >>411
春だったねの作詞って結局誰なの?
謎の素人って結論なの?? 30代で世代の違いから全部抱きしめて、しか知らん
ここでみんながあげてるやつ聞こ >>289
元気です…やね
TBSの昼ドラ 昼に本放送朝に再放送とNHK朝ドラと逆の同じ時間帯にやってた
宮崎美子の同名のドラマの主題歌 正直一曲も知らん
聞けば聞いたことある曲もあるんだろうが TV番組の「LOVE LOVE あいしてる」は衝撃的過ぎたな ハイライト、若しくは
純ちゃんが吉田拓郎に与えた多大なる影響に1票 >>467
落陽
ぶっちゃけ自分もそれと結婚しようよ、しか知らない ・『春を待つ手紙』
・『元気です』
・『旧友再会フォーエバーヤング』 御伽草子
穏やかな雨の休日に聴くと癒やされるよ。お勧め。 唇をかみしめてを最後に才能が枯渇してしまった
このシングルは買ったな、たしかB面が無くて400円だったと思った。
当時シングルは700円だったかな 今となっては拓郎以上に拓郎ぽい、そして拓郎より良い曲を書くのが中島みゆき 全盛期の小室哲哉と吉田拓郎の対談
https://www.fujitv.co.jp/TKMC/BACK/TALK/takuro.html
小室は最も影響を受け、才能に嫉妬すらしていると後に語っているのだが、
拓郎は小室を露骨に面倒がっていて、全く相手にしてもらえない
桑田佳祐のかの有名な「吉田拓郎の唄」
中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」
JPOPに革命をもたらした人だよ >>449
それもよくわかる
拓郎がいなかったら、俺の人生悪くなってなかったも
ってやつは結構いるはず 3位中島だが永遠の嘘をついてくれ
2位人生を語らず
1位落陽 落陽だろ
俺のライブラリにはライブ盤のこれ一曲しか入ってなかった
あとオールナイトニッポンのラジオ音源 「今日までそして明日から」は映画の「旅の重さ」の主題歌だったよね
小学生の時にテレビで放映してたのを見てこの曲も初めて聴いたけど鮮烈な印象でずっと記憶に残った
当時は誰の歌かなんて意識しなかった
大人になってこの曲が吉田拓郎のだったことを初めて知った 人生を語らずはシングルになったことないだろ
落陽はなったけど発表から何十年もたってからだ
ということでB面だけど花酔歌 流星好きな人が結構いて嬉しいよ。
流星
恋のうた
ペニーレインでバーボンを >>482
少女が四国を旅する映画だね
高橋洋子主演
効果的に今日までそして明日から流れてたな 苫小牧発仙台行きのフェリーで
水平線に沈む夕陽は見えない あれからー幾年友さえ嫁ぎゆき
その日を待つよーに父母も逝きました〜の部分は良く口ずさむ
自分も両親を見送ったからかな カンパリソーダとフライドポテトは、都会の男と田舎娘の事 そういや流星がライブラリにないなと思ったら
真心ブラザーズのカバーが入ってた >>490
苫小牧19時発だからねえ・・・
期待して乗るとがっかり
出航がもっと早い時間だったら見られたかも >>549
当時はレンタルレコード屋が流行っててレコードの売上がかなり落ちたのを杞憂して、A面の一曲のみの発売にしてみたんだよね。裏面には拓郎のサインが描いてあったのかな >>495
いやいや、そもそも見えるはずないのよ
太陽は東から上って西に沈む
東の太平洋では上る朝日は見えても沈む夕陽は見えない
でもまったく可能性がないわけではなくて
条件があえば津軽海峡越しに水平線に沈む夕陽が見えるかもしれない >>314
知らない曲だからツベで聞いたらコメントにこんな人がいたw
>この唄に背中を押され25年ほど旅をしました
>今もこんなに老いてもまだ旅を続けるつもりです
>ありがと 落陽
唇をかみしめて
外は白い雪の夜
このあたりをドラマ化してほしい >>495
苫小牧、北にあるから夏は日没が遅く、6月7月は余裕で7時を過ぎる
だけど497みたいに野暮は言いっこなしよ
青函連絡船の乗り継ぎもみんな急いでいるから、無口だったりすることはなかったっていうし ゆずだって冬にノリで作った『夏色』で
真夏を歌ってるのに「大きな5時半の夕焼け」ていっちゃってるしねw
フィクションですということで >>187
みんなの知ってるのは3代目の方?
確かにそっちはよく体操やダンスでも使われてたし子どもでも知ってるわな 流星
落陽
春を待つ手紙
この3曲を挙げる俺はさすがとしかいいようがない 高中ver.の落陽だな
拓郎もliveが素晴らしい人なので さっきBSのアナザーストーリー再放送で
フォーライフレコードの話やってた。
拓郎、陽水、泉谷、小室の四人で作った鳴り物入りのアルバムが大赤字で数億円借金抱え、やる気失った小室に代わって社長になり、負債解消までがんばった拓郎偉かったな。
最後に「やんなきゃ良かったw」とメッセージを寄せ、さっさとレコード会社から脱退した泉谷が「俺が悪かった。拓郎ごめん」と謝ってたw >>511
「やんなきゃ良かったw」は拓郎が番組に寄せた現在のセリフね。正直だと思ったw >>508
ほぼ同意だが、春を待つ手紙の代わりに唇をかみしめてだな
あと永遠の嘘をついてくれ、か ペニーレインでバーボンを聞いて原宿ペニーレインまで飲みに行ったな
その5年か10年後に再訪したら中華料理屋になってた
店で記念に買ったステッカーはギターケースに貼ってある 吉田拓郎が他に提供した曲もアイドル含めて「いいな」と思うのはたくさんあるが
バッドボーイズへの『ビートルズが教えてくれた』だけはいまいち響かなかったw >>511
資金ぐりが苦しくてたまんなくて急造でカバーアルバム 「ぷらいべえと」を出して窮地を救った
そこそこ売れたから
かなり手抜きして作ったことは本人も告白してる
自分は発売当初にLPレコードで買った(CDは当然まだない時代)、わりと好きな1枚
力を抜いて作ってるのがわかる >>497
いや太平洋側だって見えると思うよ
苫小牧港から出て室蘭地球岬沖あたりで海上距離40キロ、
その先内浦湾の湾奥にかけて100キロ程度あるから十分水平線が見えるでしょ
出航時間の問題なんですよ
もしかして昔は出航が早かったかも?なんて思ってます >>457
俺も好きだし一人弾き語りも気持ちいいんだけど。。。
あのじーさんみたいな人に迷惑かけられてるんで近年複雑w
ブルハも同じで心境複雑になっちゃう。。。チックショー! 吉田拓郎の魅力は「見苦しいほど、正直なところ」だと思うよ。 >>519
新婚旅行の海に面した露天風呂でみた記憶は俺の脳内改ざんか?w
3.11後で初海外出来なくてな
飛行機怖いからもう乗りたくないけど >>511
フォーライフ4人の「クリスマス」のことかな
予約して買ったわフォーライフの銀色のペンダントが付いてた
いまでもクリスマスの時期には聴いてる いいアルバムだと思うけどなぁ >>478
16才 頭ガーンΣ( ̄□ ̄)!ってなった 試しにあの娘といい気分と書いてみる
まあ1位ではないか 昔勤めていた会社の先輩(ハゲ)が飲みに行ったら結婚しようよ歌ってウケてたな
自分もそろそろ持ち歌になりつつある
時の流れは拓郎の歌のようにせつない。。 今日までそして明日から】はあのハーモニカから始まるイントロのジンとくる
クレしんの映画ヒロシの回送シーンでのあの嵌り方
失恋した時、落ち込んだ時よく一人部屋でギターで唄ったw
95年辺りに出たNVも凄く好き
オリジナルと違って前向きな気持ちになれる
落陽のNVは好きになれないけど 好きな曲は決められんw
RONIN初めて聞いた時、これライブでやったら凄そうと思いながら
ここまで聴けず終いw
88年にやさしい悪魔ライブで見た時は感動したw >>476
ファイトは拓郎のが味わい深いがね
令和の拓郎と言えばあいみょんだなあ >>368
ルームライトはいい曲だが
拓郎自身当時は事件にまきこまれていて
シングルは発禁になった記憶 拓郎はボブディランが大好きなんだね
私の大好きな「春だったね」も
ボブディランの「Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again」が元ネタだ
ボブディランの音楽に大きく影響を受けながらも
拓郎節に昇華させて日本的情緒を加えたのは本当に素晴らしい
春だったね
ttps://youtu.be/Rqz_z1bwLPY
Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again
ttps://youtu.be/3kh6K_-a0c4 唇をかみしめて
落陽
外は白い雪の夜
イメージの詩
人生を語らず
あゝ青春
たどり着いたらいつも雨降り
ああ、グッと
ファイト
全部抱きしめて 等々……
とても3曲には絞れない…… たまにテレビに出ると、ありえないレベルで豪華なバックバンドを従えているところがいつ見てもすごい
紅白もすごかった
日野皓正・大西順子・日野元彦・渡辺香津美・金沢英明・石川鷹彦・吉田建・宮川泰
バックコーラスは五木ひろし・前川清・森進一(これはどうでもいいかいやよくない)
どんだけ他のミュージシャンから人望が厚いのかと思う
KinKiがいたら、ギャラゼロでもやったと思う やさしい悪魔とアン・ドゥ・トロワ
キャンディーズへの提供曲が地味に好き。 まあシングルだと「昨日までそして明日から」でいいかな
映画「旅の重さ」も高橋洋子、秋吉久美子が若さに溢れていた >>537
それが『落陽』
>>539
アン・ドゥ・トロワは名曲だと思う。 >>543
そういや、秋吉久美子も出てたね。何か映画と曲がマッチしてた。昔の日本映画はいいのが
多いね。 タイトル知らんけど「下駄を鳴らして奴が来る〜」ってやつ 私の一番は「ともだち」。最初のライブLP「たくろうオンステージ」の最後の曲。
高校の頃毎日聴いていた。友達と別れるのは辛いことだが、何歳になろうと、結局
一生慣れることもない。寂しい。あと番外で「されど私の人生」。 >>547
『わが良き友よ』だな。かまやつひろしに提供した曲。 今日までそして明日からの「私は今日まで生きてみました」の、「みました」が良いよね >>550
『きました』じゃなくて『みました』ってのがいいよね。 夏休みが原爆を歌った曲だと思ってたのに、違うと知ってちょっとガッカリした 歌下手くそだよな。
さだまさしとか南こうせつも下手くそ
70年代に人気だったフォーク歌手で歌が上手いのは井上陽水くらいか。 苫小牧発仙台行き(と仙台経由名古屋行き)フェリーは19時出港
6月から7月の苫小牧港日没は19時過ぎだから落陽はぎり見える
大浴場からも夕陽と一緒にトラックドライバーの紋紋も鑑賞できる >>558
確かに歌唱力はないが、声質がいいからカリスマになれた
あの松山千春も長渕剛も実は拓郎チルドレン >>558
音楽てうまけりゃいいってもんでもないんだよ
うまくても機械みたいな演奏てつまらんからね
醜男・ブスでもいいやつはいいやつだ音楽もそうゆうもんだ。 あーなんか全部好きだったわ
せんこう花火とか夏休みとか聴きたくなった
高円寺からりんごの流れもめっちゃ好きやった 今日までそして明日からからが主題歌の斎藤耕一の「旅の重さ」は名作 日本3大「いよ」ソングって
・ほっとけないよ
・言えないよ
あと1つは? >>558
中島みゆきのファイトを拓郎が歌ってるやつ、
めっちゃいいぞ 曲目は知らんが浅田美代子の元旦那と言う事だけは知ってるぜ 北海道旅行した時に泊まった所で「人間なんて」を聞いてから、拓郎をdigるようになったんだわ
詩がいいよな >>558
あとギターも決して上手いとはいえない
日本ではじめてエレキにカポタスト付けて弾いた人
ってイメージ オレは歌が上手いって人より吉田拓郎の歌声の方がずっと心にクルな 拓郎がわいせつ疑惑でブタ箱に入れられた時
最初の奥さんが拓郎に送った手紙が秀逸
「お元気ですか。今日、アントニオ猪木がタイガージェットシンに負けました」w 永遠の嘘をついてくれ、は中島みゆきの作だが吉田拓郎あってこそ中島みゆきの渾身の作なので吉田拓郎の歌として評価してほしい 音楽達人からすれば1位は
金曜日の朝
2位がおきざりにした悲しみは
3位がたえこmylove 猫の「地下鉄に乗って」で丸ノ内線だの赤坂見附だの
東京にはそういうとこがあるんだなあ、と覚えたな >>558、561、563
わかってないねえw
拓郎は相当歌がうまい
美空ひばりクラスだ
とにかく音程を外したことがほとんどない
まあ最近は加齢で、外れることもあるかもしれんが
ライブ聴いても音をほとんどはずいてるのを聞いたことがない
あとはあのだみ声
あれが中毒性がある
あと伏し目と退廃的な詩・・・
あれでみんなやられて、不良になったんだ 僕のカミが肩まで伸びて・・・結婚しようよ???
できねーじゃねーかよどうしてくれんだ!
ウクライナ行け!フォーク野郎ども! スルーされがちだけど全部抱きしめてはマジ名曲だと思う
メロディーは拓郎癖が程よく出ているし
なにより当時50代?でキンキに合わせてあの瑞々しい歌詞が書けるってやっぱり天才 拓郎の曲はシンプルなコードしか使わないんだけど、コード進行が独特なんだよな。楽譜ないと弾き語りできない。 >>184
これ歌った時の夜ヒットは神回
出演者一覧
吉田拓郎
井上陽水
安全地帯
ブルーハーツ
ハウンドドッグ
アルフィー 夏休み
人生を語らず
落陽
全部抱きしめても好きだな どうしてこんなに悲しいんだろう
本人が自分の思っていることを歌詞にできたと言っている 作曲だけならドラマ「俺たちの勲章」のテーマ。
歌詞付きになるとタイトルが♪あぁ青春 (トランザム、中村雅俊ら)となるが、インストゥルメンタルがいちばん良い。 どうしてこんなに悲しいんだろう。
カツカツのギターがかっちょ良い。 一曲選ぶならたえこMY LOVEかな
アレンジは絶対にセルフカバー前のシングルバージョンのほう
この頃から拓郎は本性隠さなくなった
俺は本当はフォークなんて嫌い、こういう黒人サウンドが好きなんだよ、みたいな >>511
水谷豊に歌わせたのもたぶん拓郎じゃないかな。よく飲みに行くと昔は語っていた
イモ欽トリオとかぼんちシートとか、色物的なレコードもどんどん出して立て直した。
ビジネスマンとしてもかなり優秀 B面がいい
花酔曲
マークU
隠恋慕
流れる
竜飛崎
こんなに抱きしめても 拓郎は時代の子、みたいに言われていて
80年代になると絶対にヒットしなかった。
たぶん80年代にヒットしちゃいけない運命の人だったんだよ
人気絶頂の宮崎美子のドラマ主題歌、元気ですはヒット間違いなしと思われて駄目、
だったらってことで当時必ずヒットの法則にあった資生堂CM曲、
これはもう100パーヒットすると思われたのに何故か拓郎だけヒットしない
唇をかみしめては当時拓郎がラジオで「この曲がヒットするかどうかはどうでもいい、
ただ自分ではこの曲で一つ肩の荷が下りた」と言うくらいの自信作だった。当然全くヒットせず。笑 松山千春にカバーしてもらいたい名曲
僕の髪が肩まで伸びて〜 >>7
萩本欽一の力すごいな。
テレビ出ない拓郎をバラエティに出して
広島つながりで風見慎吾の曲を書かせて
フォーライフからリリース。 拓郎:最後のアルバム作るからみゆき1曲書いてくれ
↓
みゆき:おk
↓
「永遠の嘘をついてくれ」
↓
「LOVE LOVE あいしてる」レギュラー開始
すごい関係だよな 僕を忘れた頃に
君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく
これを一読して直ぐ意味がわかる人は
自分の国語力に自信を持っていい
というようなブログを何処かで読んだ どういう経緯で実現したのかは不明だが
作詞ユーミン、作曲拓郎、という奇跡のコラボ曲が岩崎宏美の「時の女神」
ユーミンはラジオで最近この曲をかけて
「なんか東南アジアのポップスみたい。笑」と語ったらしい
確かに妙に東南アジアっぽい不思議なメロディである >>566
日本の音楽野外フェスはつま恋から始まったといっていいだろう
それ以前の反戦フォーク集会みたいなのと一線を画して
商業的にも成功させたことは画期的。
かぐや姫は事務所だかレコード会社と揉めて解散してたのに
再結成させて引っ張り出すって拓郎の手腕には驚いたよ 全く理解不能な曲というと松本伊代の「恋のバイオリズム」という曲も奇妙である
まず歌い出しからして変である
「♪恋をすると〜」このフレーズは伊代をモノマネするときに使われがちだ
「♪とまどいながら〜手を回す〜」このへんはまた東南アジア的な節が垣間見え、
極め付きは最後に「♪手〜をま〜わ〜す〜」が何故か突然演歌調になって終わる
伊代もこの曲を歌っているときは気のせいか不機嫌そうである。笑 拓郎はB面だよ
マークUのシングルバージョンの素晴らしさ
子供に や
流れるも名曲 >>558
南こうせつの歌が下手だと言ったら、日本に歌の上手い人は一人もいない。
コミックソング歌わせてもずば抜けた上手さで、吉田拓郎も感心してた
陽水・さだは確かに上手いが、南こうせつの方がずっと上 ・松本隆が作詞家に転身し太田裕美と曲を作ってる最中、
拓郎「お前ら絶対ヒットしない」→木綿のハンカチーフ大ヒット
・なかなか日の目を見ないアルフィーをラジオに呼び
拓郎「お前らだけは絶対ヒットしない。笑」→メリーアン大ヒット 外は白い雪の夜もいいな
シングルかどうかわからんけど 「がんばらないけどいいでしょう」
最初どうってことない曲だと思ってたけど最近沁みてくる
ひょっとしてまだ才能残ってるのか 拓郎はシングルとかどうでもいい
ライブアーティストなんだから >>636
太田裕美のピッツァハウス22時も聴いてくれ
作詞が同じ松本隆でこっちも別れる男女の会話を歌にしてる スターズオン23の最後の人間なんてのとこで
坂崎が「♪このタコ!江の島へ帰れ〜」と叫んでるのは
これは桑田のことを指してるのは間違いないだろうが、
何故こんなこと叫んでるのか真意は不明である。笑 いつもチンチンに冷えたコカコーラがそこにあった
これ最高 >>486
ステラ好きだよ
富田靖子に書いた「恋かくれんぼ」もいいよ >>640
デビュー当時(1978年ごろ)のサザンなんか、ジョギパン(これももはや死語だなw)はいて
ガシャガシャやってるコミックバンドみたいな存在
数年遅れのアルフィーもテレビの深夜番組で所ジョージと一緒にSMごっこかなんかをやってて、似たようなもん
ついでにその頃のタモリは11PMでパンツ一丁になってストリップやってたゼレンスキー大統領状態
お互いにネタにするのはそれほど不思議じゃない 昔、月刊明星とかの最後の方にスターのエピソード話がいっぱい載ってて
その中にまだ愛奴時代の浜田省吾のコメントが載っていた
浜田「拓郎さんに僕らバンドメンバーがメシ連れてってもらって
食べ終わった後、会計のとき拓郎さんは俺らにピッグを一枚投げて
そのままスタコラ店をでていった。笑」 >>645
桑田はラジオで拓郎のことを「あの人は馬場だね」と言っていた
プロレスにおける馬場のような人という意味だろう
決して猪木や藤波ではなく馬場。桑田らしい例えである 和製ディランの名称は拓郎と岡林信康、
どちらがふさわしいの? プロテストソングなんてのは嘘っぱちの世界なんだから
和製ディランの称号なんて岡林にやればいいんじゃないの
人間なんての歌詞は哲学的で
♪空に浮かぶ雲はいつかどこかへ飛んで行く
そこに何があるんだろうか それは誰にもわからない
これ、風に吹かれてへのアンチテーゼじゃないのかな
雲は風に吹かれて飛んで行く、しかしそこに何があるか人間なんかに分かるかよ
人間なんてそんな大層なもんじゃねーだろ、という >>212
嘘な
ツベにライブバージョン上がってる
めちゃくちゃ良い! 和声デュランは岡本おさみじゃないの
拓郎は結構平気でパクったり
実は案外俗物みたいなとこもあるからなあ シャングリラ、アジアの片隅で、この二枚のアルバムは久々に岡本と組んで
やはり岡本作詞だと骨太で深いものになった
ところがあっさり再び岡本から離れて以降、拓郎は勢いを失っていく
その頃ある音楽雑誌で岡本の手記が載っていて、そのタイトルが
「吉田拓郎はどこに行くのだろう」という予言めいた寂しげなものだった 世捨人唄、なんてのも七五調に終始する短い歌なんだけど
こんなポップス当時日本にはなかったんじゃないだろうか
特別サビがあるわけでもなく、伴奏が大きなウエイトを持ってて
七五調でロックになってる >>658
私の勝手な解釈だと学生時代、中島みゆきは追っかけをしていたほど拓郎の大ファンだったから
そんな拓郎へ対するメッセージソングだと思ってます
「ずっと私のアイドルでいてくれ」っていう・・・ >>655
ずっと長く閲覧してるんだけど
つまごいのライブバージョン削除されては復活するのイタチごっこだよね 篠島のオールナイトコンサートは
まだメジャーになる前のみのもんたが会場のあちこちを回って客にインタビューしてた
俺のすぐ横にもやってきておばちゃんと孫みたいな客にインタビューしてた
当時はみのなんて知らないから誰だこのオッサンとしか思わなかった。笑 >>613
80年代はバンドの時代でニューミュージックだけど
拓郎はフォークだよね >>660
というかストレートにそれ
変な解釈する人は国語能力に問題がある >>724
拓郎バージョンの神田川を初めて聞いた時はビビった
たしか91年の男達の詩のツアーの時だったと思う(元オフコースの松尾と清水だったか)
「男達の詩」も名曲だよなあ
もっと評価されても良いと思う >>708
拓郎はへそ曲がりだから(笑)
社運を賭けて拓郎がプロデュースした原田真二は見事その期待に応えた 土産にもらったサイコロ2つって歌詞の歌
歌詞にも味があるけどメロディが好き >>687
好きだぞ(笑)
夏は拓郎の「サマーピープル」とこうせつの「夏の少女」と長渕剛の「夏の恋人」がヘビロテだ >>658
ネトウヨ歓喜のみゆきソング「4.2.3」 >>664
みうらじゅんが言ってたけど80年代って時代は
吉田拓郎、という名前を出しちゃいけない雰囲気があった
もうお洒落でシティミュージックで軽薄な時代で、
間違っても会話の中で吉田拓郎なんて言うとマズいような空気感があった >拓郎バージョンの神田川を初めて聞いた時はビビった
>たしか91年の男達の詩のツアーの時だったと思う(元オフコースの松尾と清水だったか)
>「男達の詩」も名曲だよなあ
>もっと評価されても良いと思う
ワイそんときの武道館ライブ後の打ち上げに参加したよ。 >>671
バブル景気だったからね
ああいう日本人の心をしみじみ歌ったり
フォークギター自体もダサいイメージだったわ
実際自分も拓郎→アリス→チューリップに
易々と乗り換えて行ったよ >>673
そうかな
ぴあのはみだしに吉田拓郎のライブに来てる女は美人が多いって書き込み見たぞ なぜかバグってレスが間違ってたわw
>>496→>>474 >>673
マジで?すごいなあ
関係者の人?
拓郎の登場の時の「こんばんは」の一言でもうテンション上がりまくりでヤバかったわ(笑) カラオケスナックで「夏休み」をリクエストしたら70代の爺さんに
「お、チューブか!」って言われました >>686
あ!ああ俺はてっきりジッタリンジンの歌だと ここまで、ドンファンは無しか
拓郎は作曲だけだからかな
でも落陽も作曲だけだから単にドンファンが知られてないだけか >>671
浅田美代子と結婚してフォークの人にもそっぽ向かれてて
テレビに出ないって拗ねてた時期だからだろうな >>671,675
ニューミュージックの全盛期、その中心にいたのは松山千春・アリス・中島みゆき・尾崎亜美・小椋佳・
庄野真代・原田真二・渡辺真知子・太田裕美などであって、吉田拓郎・井上陽水はひと世代前のフォークの
カテゴリーにあったし、ファンであるというのは少し勇気がいった。
陽水が下の世代から評価されるのは中森明菜や安全地帯への楽曲提供だし、拓郎の良さを再評価されたのも
もう少しあとだと思う >>690
>浅田美代子と結婚してフォークの人にもそっぽ向かれてて
その通りで、キャンディーズに曲提供したのもいい顔されなかった。
このころ、南こうせつがゴルフを始めてフォーク界隈から批判を受けたっけ・・・ >>636
ダイヤモンドユカイがカヴァーしてるのがいい感じに聴けた
ソロワークの『いとしのセーラ』というシングルのカップリングでやったんよ >>685
>>>673
>マジで?すごいなあ
>関係者の人?
>拓郎の登場の時の「こんばんは」の一言でもうテンション上がりまくりでヤバかったわ(笑)
陽水も来てた。ベロベロに寄ってて拓郎と肩組んでカラオケ。
雑誌社でフォーライフの担当でした。 692の追加
さだまさしを忘れてたw
この頃のニューミュージックには「軟弱すぎる」という批判があって、まさにタモリがさだを猛批判していた。
ただし、タモリは渡辺真知子のファンだったし、松山千春はなぜか批判の対象外。
なお黒歴史「雨の嵐山」でデビューした長渕剛は典型的な軟弱者扱いだった。
一方で洋楽ロックでは「産業ロック」というこれまた訳のわからん批判があってTOTOがその代表格だが、
ABBAやQueenなんかも馬鹿にされてた。ベイシティーローラーズに至っては、女子供の聞くロック。 落葉、流星、唇をかみしめて
素直になれば、妙子マイラブ、元気です
この当たりかな 俺は当時のことは知らない(若いという意味ではなく音楽事情に疎かっただけ)が確かにニューミュージックという言葉が出てくる時代に吉田拓郎は古いと思われたんだろうな。
中島みゆきもずっと売れているイメージだけど、ユーミンに圧倒されていたよね。やっぱり古いと思われたんじゃないかな?陽水はおしゃれな感じがあったからな 竜飛崎歌ってみたらこんなに気持ちいい極はない。
後は
いつか夜の雨が
流星 >>703
80年代前半は中島みゆきのアルバムのほうが売れてる 昔こいつの歌でCMみたいのがあったな
結婚しようーー僕とー
みたいなの。
何のCMだったかは覚えてないw ♪女房子供に手を焼きながらも 生きてぇいぃるぅ〜〜
というフレーズが無性に好き >>593
中森明菜まで陽水とデュエットで飾りじゃないのよ涙は
そんなアウェイの中ただ一人アイドル代表として笑顔で一本でもニンジンと歌いバク転まで披露した田原俊彦に涙した記憶
ちなみにバク転の瞬間拓郎は大喜びで拍手してた >>698
そう。それで長渕剛と世良公則でラジオをやることになった時に世良が「へへっ。僕長渕」みたいな感じだったらどうしよう?
とか思ってたら予想外に「ほいでよぉ公則よぉ!」って九州男児なキャラだったので気に入ったとか >>692
フォークソングというのが一時期席巻したプロテストソングを切り離して
日本では「四畳半フォーク」と同義語になっちゃったんだよね
だからこそユーミンは「嫌い」といい放ちはっぴいえんども「フォークじゃない、バンドだからロック」と言いはった 前にスナックでバイトしてた時にお客さんが歌った「旅の宿」きいて、初めて聴いた歌だったけどカウンターで号泣してしまった >>698
Queenは当時ネタにされるような存在だったのに、いつのまにか神格化されたとスージー鈴木が歴史改変に文句言ってた
リアルタイム世代のおっさんたちの記憶ではやっぱりそうだったんだな >>716
知らなかったらわざわざ書き込まなくていいよ
君嫌いな芸能人のSNS見ちゃう高卒でしょ? >>646
デビュー前の愛奴が町内の運動会にやってきて演奏した
バンドのメンバーと俺たち小学生と世間話をした。たぶん浜省とも
懐かしい思い出 全く知らない世代だがなんで吉田拓郎評価されてるのかわからない
例えば同じく知らない井上陽水だとかは昔の映像見ても上手いと思うが
吉田拓郎は映像見ても髪伸ばしたおっさんが特に上手くもおもえない歌ってるだけ、時にがなって叫んで
当時熱狂してた人が過去記憶なくして0から今見てもいいと思うのだろうか? カリスマ性とか音楽界での数々のパイオニア的なこと、
破天荒な生きざまとかライブパフォーマンスばかりで語られがちだが
吉田拓郎の一番のすごさは楽曲。日本のマスコミは吉田拓郎の音楽性について正当に評価してこなかった
この理由はいくつか推測してるが、一つは芸能界とテレビ、マスコミを敵に回したこと、
もう一つがミュージックマガジン系(はっぴいえんどや洋楽派)が拓郎を完全になかったもののようにスルーした点だよ >>709
結婚しようよ、と結婚しよう、どっちもあったよなと昨晩調べたら拓郎で出てこない
上野精養軒のCМで秀二と言う人が歌ってるらしい >>723
耳触りだけで音楽を聴くタイプの人なんだね
それが悪いと言うつもりは一切ない
だが世界観への共感といった評価基準も存在するんだよ
巧く歌うことがマストじゃないんだな
大勢が良いと言っているなら自分には理解できない価値観もあるんだなとただ素直に受け止めたらいい >>723
全然わかってないねえw
青春時代に拓郎に当たったやつらにとって
吉田拓郎の歌は単なる歌ってだけの存在じゃない
生き方であり価値観そのものなんだよ
あの退廃的な詩
ぶっきらぼうな態度
だが人懐っこいとこもある
そして伏し目がちで
だみ声でシャウトする
拓郎を聞いて
背中をすぼめ、世の中に抗い親にあらがうことを知った
まあいってみれば、宗教の教祖に近い存在なんだ
拓郎自身にそういう人を引き付ける危険なとこがあったんだろ
陽水にはそういうところはない
だが背中を丸め世にあらがう時代が終わり
テレビにおもねりCMや俳優女優の真似をするのが
平気な若者が増えた80年代からは
過去の人になっていった >>723
あと、拓郎が歌がうまくないと言ってるが
それは上にも何度か書いたが
まったくの間違い
拓郎は多くの歌手の中でも
歌のうまさはAランクだ
とにかくライブアルバムを聴いても
ほとんど音程を外さない
スタジオ音源だとうまいけど
ライブだと音程外す歌手がほとんどだが拓郎は外さない
それとあのだみ声
拓郎は相当うまいと思う >>723
桑田の吉田拓郎の唄の詩で
お前の描いた詩は
俺を不良くさせた
ってあるが、クラスに2〜3人
そういうやつがいたもんだ 俺は小学生の時にペニーレインデバーボン聴いてガツンとやられた
それまでテレビで聴いてたのは西城秀樹とか山口百恵とかだから
何だこれ?というカルチャーショックに近い衝撃。これは歌なのか何なのか?
まず一緒に歌おうと思っても早口過ぎて歌えないのと、
しゃべってるように歌ってるのにどこかに(今思えばコード進行)旋律があること ジャスト ア ローニン
武田鉄矢が坂本龍馬役の映画で拓郎はパーマ頭のまんまで高杉晋作役
映画館に見に行ったけど全然覚えてないな >>671
そういえば、90年代くらいまでは
中島みゆきの名前も出せない雰囲気があった
好きでも口に出せば、100%暗い奴と思われるからね
80年代は軽薄短小の時代だった
今では信じられない人が多いだろうな
中島みゆきが好きと言いやすくなったのは
ファイト・ソングが増えてきたのと匿名ネットの時代になったからだな >>733
そんなことない
知ったかするな
中島みゆきのANNで
中島みゆきって面白いって
知った奴が80年代たくさんいた
悪女や横恋慕などのヒット曲もあったし
他人に提供した曲も多くヒットしてる >>735
知ったかじゃない
爺だからその時代を生きてる
あなたは年いくつ?
その時代を知ってるの?
とにかく、上にも書いている人がるけど
軽いのが受けた時代だよ >>736
俺もその時代生きてるよ
だから中島みゆきの名前を口に出せない時代じゃないことよく知ってる
当時中学生でANNを一番聴いてた時代だし
柏原芳恵や研ナオコ・工藤静香などに提供した曲がヒットしてた >>732
あの女〜の柔肌に〜
あの女〜の黒髪に〜
のRoninの方が好きなんだよな
ジャスト ア ローニンも好きだけど >>736
アルバムはほぼ毎回1位だし、シングルもチャートで10位以内に入ってるのに >>593
トリはアルフィーだったが思い出さなくてもいい
吉田拓郎の介護がメインだったようなものである 自分は80年代は暗くて中島みゆきは好きじゃなくて、
90年代に好きになったが人には言いにくかったよ
空君、糸あたりからかなあ
2000年代になってぐっとファン層が広がった気がする >>741
そうそうANNは知ってても、80年代は暗いイメージ
90年代でドラマ主題歌大ヒットでもっと大衆的な感じになって
2000年代で暗いイメージは消え、幅広いファン層になった感じ 70年代フォークは知らず、90年代から拓郎聴き始めたけど
元気です
春だったね
純
竜飛崎
落陽
いつも見ていたヒロシマ
あたりがお気に入り。 >>741
俺も大っぴらには言ってなかったけど、時代のレコード貸した友人が
勝手に放送室に持ち込んで俺のリクエストとして流したから全校に知られた >>640
なんだ、このタコ珍しいな
×××××
小室さーん(フェイドアウト)
と聞こえるが江の島云々は聞き取りにくいとこにある? タモリがネクラ排斥運動みたいな事やって、フォークを叩いてたな
タモリ自身、根本的に決して「明るい人」ではないと思うんだが
中島みゆきを暗いと言って否定する層は確かにいたし、実際には売れていて多くの人に聴かれていたのも確か
この2つの層は水と油みたいに混ざり合わない形で併存していたんだよ >>750
自己レス
江の島云々は言ってた
小室〜は違うかも
このEP結構好きでジャケ違いで2つ持ってるw >>751
タモリが叩いてたのは
さだまさし
小田和正
とかの
「優しい」「繊細」「家族愛」系フォークじゃね >>754
あと谷村新司
松山千春の
「メッセージ」「人類愛」系もかな >>754
名指しで叩いてたのはその辺りだけど、フォークそのものを暗いと言って否定してた
井上陽水に対しても会う前はフォークだからという理由だけであまり良い印象を持ってなかったけど、実際に会って話してみたら面白い人で、意気投合して親友になってしまったらしい >>756
そういえば、笑っていいとものテレホンショッキングに谷村だか堀内だかが出て、アリス再結成の話をしたら「えっ、あの気持ち悪い3人組またやるの!?」とか言ってたな
本人前にしてw >>671
きっとむしろ音楽業界とか
ポップス通の人たちがそんな風潮だったのでは
80年代若者のもう一つの萌芽ムーブメント「オタク」系の人は普通に話題にしてたよーな >>733
山下達郎とか佐野元春とかそういう時代になっていて
拓郎とか絶対に名前は出せない雰囲気、いわゆるニューミュージックの時代じゃなくなっていた
>>750
江の島は拓郎のオールナイトでも「江の島へ帰れって。笑」と笑っていた
タモリは田辺エージェンシーでムッシュは田辺の盟友
いいとものテレフォンショッキングで二日酔いの拓郎が出てきて
ムッシュのヅラについて拓郎が何度も言うのでタモリは顔面蒼白で大慌てで止めていた フォークがダサいという風潮は一時期、間違いなくあったなあ >>19
理屈ばかりをぶら下げて首が飛んでも血も出まい >>757
テレホンショッキング岡林信康のときはふつーにしゃべってた覚え >>40
それの長いバージョン「準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響」はシングルじゃないんだよなぁ >>759
シティポップとかフュージョン、お洒落な時代だった
あがた森魚がロンリーローラーとか歌う時代だからね
あの時代のシティポップ連中は今思えば本当に酷い奴らだよ >>58
車だとスバルレックスのがあったり
百恵ちゃんが歌ってたフジカラーのCMとあ手がけてる
くっきりーすっきりーフジカラー >>759
80年代って一口にいっても10年の期間があるからね
ただ申し訳ないんやけどチャリティーブームに乗っかった『オールトゥゲザーナウ』で
ヒットチャート現役中のミュージシャンが集まったなかで軸(とトリ曲)が“前の時代のヒーロー”吉田拓郎だったのは違和感全くなかったかといえば嘘になる
だからこそあのイベントがはっぴぃえんど再結成も含めて『ニューミュージックのお葬式』なんて言われちゃったかもだし バンドブームでフォーク氷河期に高田渡は全く仕事が無くなり築地市場でアルバイトをしていた
拓郎と泉谷は「俺、元々ロックだから」と言い出して
泉谷はバンドブームに上手く便乗したが
拓郎は神田川をロックアレンジでカバーしてドン引きされた オールトゥゲザーナウはあれは
拓郎が世話になった人を男にするためにやったと最近漏らしてるね
ニッポン放送の偉い人と拓郎がケンカしてそれの間に入って事を収めた人らしい
ラジオ局主導で企画されたイベントで、本当の深いところは分からないが
それでもあのはっぴいえんどが出てきたというのは拓郎じゃなきゃあり得ないんじゃないだろうか
ニューミュージックの葬式、と彼らに皮肉られたとしても >>72
結婚しようよはすごい低テンションの現場で作っててリズム刻んでたのはスティックで椅子を叩いてたのが意表を突いて大ヒットして次も絶対売れないと思ってた旅の宿がヒットして次は売れるのを念頭にした「おきざりにした悲しみは」がずっこけたと本人が言ってた >>78
この歌をある人に、は前妻との間の娘のために作ったと言われてる ま
もう少し歌がうまかったらよかったね
陽水とはその辺の差が歴然
逆にいうとこれくらいの歌唱力でも歌っていいんだという希望を持たせて
多くのミュージシャンを生んだ功績はある 陽水聞いた後に拓郎聞いたら歌ヘタだなって思った
嫌いじゃないよ >>773
宇崎竜童が「俺のような面で歌手になれるのか」と悩んでいたが
ふと泉谷しげるの写真見て「はっ!泉谷。ブザイクじゃん」
とデビューする決意が出来たと言ってたの思い出した >>83
ペニーレインは青山通りからちょっと入るとこにあったのだが(今知らん)その角にあった「らいむらいと」が天地真理や太田裕美あたりが常連だったそうな
ペニーレイン高校の時に行ったなぁ、レスカ頼んだらガムシロと別で出てきてそういうの知らずシロップ入れずに飲んで「大人のレスカは甘くない」と通ぶってたw
しかも「ガムシロです」と出されたのを「ラム酒です」と空耳してこれを一気飲みしたバカは私ですw >>758
たぶん丁度その頃さだまさしのセイヤングに谷村が出て
「我々はあのタモリらの連合に対抗せねば・・・」
とか言ってたのがなんかほのぼのした >>87
先輩が行って録音したの持っててダビングNGで聴かせてもらった。長渕が帰れコールされたのも聴いたが「俺も拓郎みたいにアイドルと結婚したり逮捕されたりしてビッグになるぜ!」とか言ったのが炎上した 昔々沖縄の民宿泊まった時、部屋に空きがないって経営者の息子の部屋に泊まらされたことあったけど
そこに貼ってたポスターが吉田拓郎とディープパープル
なんか印象的だったわ
沖縄ってまさに日本とアメリカの接点だったんだな >>100
篠島でこの曲の入りを3回トチってその後暫くたえこmyLOVEが禁句だったw >>104
後に太田裕美は全曲拓郎作曲でアルバムだしたね ♪たえこマ違えた〜
♪たえこマ違うな〜オイ!
と3回くらい間違えたのは覚えてる >>778
>アイドルと結婚したり逮捕されたりして
夢は叶ったなw >>751
タモリがANNでよく言っていたのは、とにかく偽善が嫌いで叩く。
優しさを前面に出していい人のふりで、信者から金を稼ぐタイプが嫌いだった。
その代表格がさだまさし。 >>110
昔はNHKの歌番組出るのにオーディションがあったそうで、そこで「これーこそーはとー信じる物が…」でカーン!と鐘なってストップになったと言ってた。一緒に話してた松任谷由実も「アタシも落ちたよwそういや浅田美代子が落ちて記者会見やったよねー」とも 曲名忘れたけど金八先生やってた人も歌ってたやつが好き >>118
作詞は岡本おさみ
落陽、竜飛崎、都万の秋、襟裳岬が旅情シリーズと言われる >>137
当時所属のエレックレコード社員総出でラジオにリクエスト葉書書いて出したデビュー曲 夜ヒットでガツンとやられ拓郎狂になりライブのリンゴ弾き語りで神を見たわ。拓郎死んだら喪にふくす タモリはジャズ好きだから稚拙な音楽は元々馬鹿にしてたと思う
ブラック巨泉という感じ
巨泉と言えばハウマッチに拓郎が出たことがあって
巨泉が「拓郎、拓郎」と馴れ馴れしかったが、よく考えると
巨泉が準主役のドラマ「おはよう」で拓郎は天地真理の兄役で出てるんだよな 拓郎の歌詞によく出てくる ♪ あれからきみは〜
の あれ というのはたいてい酷いDV >>787
さだまさしに関しては
「嫌でしょうがないところの日本的家族像そのものを歌われるのが嫌」
とゆーてたそーな >>794
ハウマッチに出た時、
巨泉「フォーエバー・ヤングという曲の意味は、いつまでも若い女を口説く
ということですか?」
拓郎「なんで俺こんなところにいるんだよ!」 ご冥福をお祈りします。
兄が買ってきた
元気ですと言うアルバムはよく聴きました >>794
巨泉は誰にでも馴れ馴れしい
王貞治を王君と呼んで野球関係者を怒らせた >>318
陣山、恒富の変態コーナー
吉田拓郎のギター講座、ハーモニカ講座
TBSヤンタンだけどTBSホール非公開生放送
録音したの持ってたんだけどなぁ 拓郎や陽水のテレビに出ないでファンの飢餓感をあおって
逆に人気を高めるというやり方は、その後フォーライフで
裏方として在籍した長戸大幸が受け継いだものと思われる
そのビーイングの最たるものがZARDだろう
まあ長戸もそうだが、拓郎陽水泉谷も、左翼系であるとは思う 昔、司会の土井まさるが拓郎のことをものすごく嫌ってたなあ
あれは何かあったんだろうか? >>441
上から読んで下読まずにコメ書いてるが(今ココ)
何周か回ってシングルならやはり「明日に向かって走れ」かな。85年だったかに1度引退宣言したラストコンサート最後の曲でもあるし >>802
左翼系が「ふるさと」なんて曲を作るかよ
テレ朝が「夏休み」を広島原爆のことを歌ったみたいな放送したのち
即座に拓郎は否定している >>523
あのアルバムは小室等と井上陽水が沁みる
この街のクリスマスーってのと
今夜のパーティーにおいでってやつ
これ聴くと今でも涙腺が緩む 反戦フォークに走らなかったのがよかった
反戦フォークを唄ってるような偽善シンガーには反吐がでる
一時の流行で全員消えたけど >>805
そうかな?
長戸大幸は青学でたしか左翼系との関連を昔週刊誌に書かれたような記憶があるが・・
あと陽水も泉谷も韓国系なんだろ
拓郎はwikipediaで生い立ちを見ると日本人だと思うが
あと社会に逆らい、世の中に背を向ける退廃的歌詞・・
あれはどう見てもマイノリティ・・左翼系だろ
ペニーレインでバーボンの歌詞なんか完全に左寄りだ
まああの年代のフォークソングの歌手なんてほとんど左だとは思うがね >>580
いわゆる金沢事件
ファンの女の子の捏造だったんだっけ
取り調べがきつくて弁護士に出られるなら認めると弱気になったの励まされたって話があった >>808
陽水や泉谷が韓国系なんてどこにもそんなソースはない
ふるさとって曲は民謡風のおちゃらけた感じの曲に聴こえるが
アイデンティティについて歌っている 長戸大幸に関してはググったらここにちょっとだけあったな。
真相は不明とブログ主は書いてるが
http://blog.livedoor.jp/medicine777/archives/50577627.html
滋賀県立膳所高等学校卒業。青山学院大学経営学部を中退後、京都でフォークロックバンド”赤と黒”を立ち上げ、
ギタリストとして音楽デビューし、♪Mr.DJを作詞作曲リリースした。
1975年、フォーライフの第1回新人オーディションに入選したのがきっかけで、阿久悠の事務所に入り、作曲活動を開始する。
また舘ひろしのアルバムに作曲家として参加する。一方でウエストロードのライブに度々参加していた妹尾隆一郎のマネージ
ャーを引き受け、また一方でディスコポップ曲「ポパイ・ザ・セーラーマン」を「ジョン・ロング」名義(後に判明)で制作する。
1978年、音楽事務所ビーイングを設立。
2003年、大手週刊誌『週刊新潮』によって「学生運動(共産主義革命運動)人脈説」をスクープされるが真相は未だ明らかとなっていない。
2002年から2004年まで3年連続して滋賀県高額納税者番付第1位であった。
長戸のプロデュース手法はフォーライフで培い継承したんじゃないかと思う
まあ経営能力に関してはもともと将来の素質があった感じだが >>441
泉谷の春夏秋冬は東京都心区で育った人が
東京を歌った「望郷」歌だなあ
と思っている
あれはまさに東京育ちの人間の心象風景 >>808
井上陽水は幸徳秋水(明治時代の思想家で大逆事件で処刑)と縁続きで
代々「水」の字を受け継いでると拓郎と小室等がラジオで言ってた
お子さんが生まれたとき「水」をどうするのか論じていた(結局継がなかったらしい ウチのカーちゃんが、拓郎と高校の時友達でしょっちゅう遊んでいたと自慢をよくしてきてウザイ。 >>789
川谷拓三に提供した「だけど泣かないさ」だな
あったなあ >>808
拓郎、陽水がそれまでと一線を画してたのは反戦だ平和だのメッセージソングち疲れて来たところに「髪が肩まで伸びたら結婚しよう」とか「若者の自殺問題よりデートに行くのに傘がない」ってのが受け入れられたってことじゃないかな
出典忘れたライブ盤で「僕は恋の歌を歌い続ける」と言ってたし >>820
それと、浅間山山荘事件とが時代的にシンクロして
サヨクおかしいじゃんみたいな空気のなかで個人主義がうけたのよね 拓郎じゃなくてトランザムだけど,俺達の勲章のテーマ曲が好きだった >>671
「アジアの片隅で」の歌詞読むと岡本おさみの先見性に驚かされる
先進国気取りのうかれてた時に日本がアジアということを痛感される時代がくると
今となっては軽薄な時代に染まらずアンチテーゼを続けたのが拓郎らしくて尊敬できる >>814
幸徳秋水はwikipediaに
高知県幡多郡中村町に生まれる。幸徳家は、酒造業と薬種業を営む町の有力者で・・
とあるな
陽水の父親は高知出身の軍医だから高知の上級国民で縁籍関係だったのかも
陽水の父が監督総督府に赴任中に母と知り合い結婚とあるので
それが陽水韓国人説になって誤って流布されたのかもな
wikipediaでは
終戦に伴い、母が地元の福岡県直方市 に帰郷。追って父が引き揚げて、以降福岡に定住。
とあるので陽水も日本人だな >>808 >>810
泉谷は経歴詐称を自称してはいる
20歳の頃に
東京出身だとハングリーさがないと思われると思って
青森の田舎から出て来たと嘘ついていた
確かに青森生まれだが三歳で東京に引っ越している 今の日本人ってフォークを日本の音楽と思ってるから
神田川を「日本人の心」とか
だからバカだっていうんだよ
フォークは100%アメリカの音楽 >>827
ただ貴女の優しさが怖かった、という運動に疲れた男の心情だったんだよな >>802
長戸大幸はオーディション受かっただけだよ
すぐに嫌になって舘ひろしとアメリカに行った >>806
このアルバムが陽水の歌い方の転換期
「メリー・クリスマス」は初期の甘い歌い方
「夏願望」以降今の気取った歌い方になる
このセッションで何か影響を受けたのかもしれない 唇を噛み締めて一択!
イントロ、間奏、エンディングのギターが素晴らしい
歌詞も良いし、声や歌い方も全部良い >>837
いらっしゃい
何にもないけど水でもどうです? >>823
当時確かに邦楽はアジアブームが来ていた。
YMOに始まり鹿取洋子から泰葉まで、陽水もなぜか上海と歌っていた
そんな中に出たのがそういったお洒落ソングと真逆の「アジアの片隅で」だった
>>825
泉谷で一番笑ったのはとんねるずの番組で泉谷の自宅へ行ったら孫娘が出てきて
石橋「おじいちゃんに何か言いたいことある?」
孫「地獄に落ちろ」 KinKi Kidsと篠原ともえで復活してなかったらどうなってたんだろ >>802
泉谷は元々漫画家志望
アニメーター色塗りバイトもしたことがある >>840
クイズで上海の場所が答えられず、タモリに「あんた上海の歌唄ってたでしょ!」と突っ込まれた陽水w 落陽はセルフカバーで
近藤真彦のテレビドラマの主題歌としてシングルリリースされてるが
やはり落陽73でなければならない
高中は我がよき友よのイントロの強烈なギターもやっている
陽水の夢の中へのイントロもおそらくそう >>830
この爺さんときたら わざわざ書き込んできて♪
ワシも好きだぞ >>844
陽水と拓郎は見た目が真逆で陽水は天然、拓郎は物凄く几帳面らしい >>842
COMとガロ両方に載ったことがある
昔の貸本漫画の凶暴さと無法とシッチャカメッチャカを持って歌うたいになった
歌う血だるま剣法
を目指すが所詮実は都会の小市民な人 歳も年だしその上がんを患ってるし、いつコロっと逝ってもおかしくないし
体にだけは気を付けて欲しい 今の日本の音楽シーンて、拓郎が耕して来た道を歩いてるんだよな
今日までそして明日から
人生で初めて好きになった曲
童謡じゃなくてこの曲 >>835
その長戸大幸のインタビューは結構すごいな
ただ当然全部は語ってないだろうなあww
ただ、長戸を見てるとなーんか
拓郎の影が見えるんだよなあ >>837
おっさんじゃないよ、年金貰ってるかもうじき貰える爺さん達が書き込んでる 辿り着いたらいつも雨降りくらいしかしらんわ
勿論、狂介のアレンジのやつ >>812
望郷の歌だと月並みだけど
海援隊「 思えば遠くへ来たもんだ」アリス「 遠くで 汽笛 を聞きながら」かな
街を出る歌だとかまやつ「どうにかなるさ」井上順「お世話になりました」が好き
最近は望郷ソングあまり無いな 名曲になる率高いと思うけど 望郷の曲は拓郎だとやはりシンシアかな
しみじみとはしてるんだけど湿っぽくはないんだよな
今の時代なら白夜かな。白夜をツアーでやってたのを松本隆が知らなくて
もし知ってたら百万円払ってでも聴きに行きたかったと先日語っていた 中島みゆきとつま恋で歌った永遠の嘘をついてくれが最高です >>836
青山透さんとのミラクルコンビだね
春を待つ手紙も次点でいれときましょう >>839
ありがとう
すぐ上に貼ってあった長戸の対談でお腹いっぱいです
聞き手が達者な奴ならもっと良かったのに なんかしみじみした雰囲気で酒飲みたくなってきた
拓郎の歌は日本酒洋酒どちらも合う なんかしみじみした雰囲気で酒飲みたくなってきた
拓郎の歌は日本酒洋酒どちらも合う 拓郎的な歌は現代でも受けると思っていたから、そういう意味でも、あいみょんが成功したのはうれしかったな 照和で吉田拓郎、財津和夫、武田鉄矢、井上陽水等が絡んだ話を武田鉄矢が文句を言いながら話すの好き。 >>804
拓郎の歌詞の良いところが詰まってるからね
別れ、孤独、旧友、希望、とりあえずがんばって生きていくオチ
難解な詩だけどなんとなく理解できるし
曲も完成されてると思う >>823
岡本おさみは今(当時)を詩にしたんじゃないの >>851
フォークルが作ったレールを
エレックのよしだたくろうは後乗りしただけ >>874
「....だろう」が連発されてる詩なんだが
当時の現状を表してるなら「...ている」になると思う NHKのアナザーストーリーズでフォーライフやってたけど、泉谷が拓郎に画面越しにゴメンなさいしてたのと、拓郎からはコメントだけだったのが印象的だった
体調悪いのかな >>868
騒ぎになった頃には本人は既に会場に居なかったそうな
会場の進行がグダグダで観衆がイライラしてるところへ同じく進行グダでサブステージ取り残しになった拓郎が即興で「人間なんてラララー」とインスト始めたら観客が喰い付いてバカ乗りして輪が拡がって拓郎がステージ降りたあとも収まらず「反権威権力」で始まったジャンボリーが権威化してしまった怒りを象徴である「神様」岡林信康が歌ってるメインステージに人間なんてラララーを歌いながらなだれ込んだ…
というのが複数資料から総合した「日本フォーク史 中津川フォークジャンボリー人間なんて騒動の章」なんだけど異論訂正認めますw >>882
吉田拓郎プロデュース三ヶ月連続シングルリリースだっけ?タイムトラベルは今でも口ずさむ
井上陽水は永井龍雲をプロデュースしてたっけ
吉田拓郎って女の子(名前失念)もプロデュースして「風になりたい」リリースさせてた。 >>878
自分が出ると、語っちゃうことがイヤだったんだろうよ
よくわかるよ
泉谷は拓郎が社長になって「俺を社長と呼べ」といったのが嫌だったと語ったことがあったが、
二人の真意がよくわかった
出演して謝った泉谷、語った小室、拒否した陽水、逃げた拓郎、それぞれに正直すぎて泣けたよ。
普通はあれだけのことがあると憎しみ合うのが普通だが、それがないのにも泣けた。 拓郎、フォーライフの連中とはもう会って無いってラジオで言ってたなぁ…
10年ぐらい前にはラジオに泉谷が突撃してたのに 襟裳岬のレコード大賞のときジージャンジーパンで登壇して時は子供心になんでこんな汚い格好してるんだろうと思った
俺は育ちが良かったんだな 長髪でジーンズ履いてるとヒッピー扱いだった私の両親 >>776
ペニーレインは青山通りというより明治通り寄り、表参道との交差点近く。
拓郎に会えるかもとの儚い思いでよく行ったもんです。結局一度も会えなかったけど。
ある日ペニーレインが満席でライムライトへ行った時に原田真二とは会えたけど。
拓郎をコンサート以外で見たのは、今はイオンスタイルになった碑文谷のダイエーで一度だけ。
これらは皆40年以上前の出来事という爺の私でした。 落陽だなあ。あそこまで詩と曲がマッチして映像が立ち上がる歌はそんなに無い。博徒のじいさんの歌なんてさらに無い。 >>890
70年代終わりごろの大学でも
講義にジーパン履いての出席は不可って外人教授いたからな
びっくりだよ 「唇を噛みしめて」はB面がない(裏はツルツル)のレコードとして発売された。
当時、普通のドーナツ版が700円のところ400円だったはず。 広島弁の歌だからな 拓郎は過度に広島を強調するタイプではない だからこそ逆にぐっとくるね >>892
ギターは不良の象徴だったからな
ジーパンにジージャン着て黒いトンボサングラス掛けて
背中にギター背負って、下駄履いて
カブに乗って走る
それが昭和40年代の不良 アルバム shangri-la からのシングル「いつか夜の雨は 」全然ヒットしなかったけど いい曲でよく聞いた。 確か夜のヒットスタジオでも歌ってたはず。このアルバムからは「街へ」とか「また会おうぜあばよ」とかいい曲が入ってた >>893すまん表参道だったね
店のカウンターにアクリル板でバインドしたジョン・レノン射殺を報じたNYタイムスが立てられてた
靴下をダイエーに買いに行くってホントだったのかw >>901
79年末でそれまでの曲を全て封印してリスタートすると宣言した最初のアルバム(ロスのスタジオ収録)だね
封印とか引退とかすぐに反故にしちゃうけどそれを微笑ましく受け入れるのが拓郎ファンのデフォw 唇をかみして
流星
RONIN
選んだの全部に鉄矢が絡んでてワロタ >>898
例外はもう一つ「いつも見ていたヒロシマ」かな
ニュー速に拓郎の名が出ると訃報かとドキッとする歌丸の後継者かよw
いつまでも元気でいると永遠の嘘をついてくれ やっぱり唇をかみしてだなぁ
詩がいいわ、なんと言っても
方言をあんなに上手く使った日本の歌はないだろう、あれが最高だ
後はたどり着いたらいつも雨降りかな
あれもいいね >>904
流星はドラマ主題歌で拓郎もゲストで1回だけ出てる
確かツアーバスがエンコした吉田拓郎本人の役
武田鉄矢とは私的にも交流あって自宅に招いたりしてたと話してて武田の子供が床暖房に感動してずっと寝転んでたとかw >>906
たどり着いたらいつも雨降りは広島アマチュア時代の「好きになったよ女の子」という曲の歌詞変更版
コンサートで仮題で歌って後にアルバムやシングルになった時タイトルや歌詞が変わってるのいくつかあった 拓郎の最初の結婚式の余興で
陽水は「ザ・ロングアンドワイディングロード」を歌って祝福した
この頃が一番拓郎が幸せな時期だったと思う >>906
広島弁に全くなじみが無い自分でも、何か響くんだよなぁ…
つま恋で、みゆきさんと共演した、永遠の嘘をついてくれ、と
我がよき友よ
RONIN
遙かなる
とかも好きかな… >>403
俺以外に親切を挙げる人がいるとは思わなかった
あの歌詞を聞くと悲しくなる >>915
猫バージョンは田代まさしも好きだって言ってたな 岩崎姉妹は妹の良美が拓郎とラジオやってて
いっつも拓郎にからかわれていた
結構息が合っていたのでYという曲は良美のことではないかと噂になったが
拓郎はラジオで「残念でした〜」と言っていた >>912
私は痛快だった・・・・・
(←性格悪い)
ああ言う対人関係の微妙な違和感て
結構あるんだけど
それを明確に言葉にして
楽曲として完成されてるのなんて他になかった(今もない?)
よく考えたら凄いかも・・・ >>904
刑事物語3に出演した沢口靖子に書いた「潮騒の詩」の作曲(作詞武田鉄矢)で、「もう2度とやらん」とか
言ったと思う
「私そろそろ真珠」とか歌詞がわけわかんない。「あんな暑苦しい男の曲なんかもう書かないよ」って
アルフィー坂崎相手に言ってた
なお、沢口靖子の歌はド下手で、吹石一恵「セピアの夏のフォトグラフ」と並ぶレベルの怪作 >>918
的がピンポイント過ぎて話題になったのは桑田の「全ての歌に懺悔しな」があるが桑田って結構拓郎フォロワーだから親切リスペクトなのかも 吉田拓郎はオレが選ぶ最も偉大なボーカリスト1位だな
上手いボーカリストってんなら吉田拓郎は名前はあがらなくても偉大なボーカリストなら絶対1位 >>919
俺は潮騒の詩大好きだよ
デビュー当時の沢口靖子の等身大の歌だと思う
とても魅力的だ
ttps://youtu.be/jMPLeFyjKNk 夏休み
午前0時の街
僕の人生の今は何章目ぐらいだろう
永遠の嘘をついてくれ 夏に必ず聞く三曲
せんこう花火、となりのまちのお嬢さん、蒼い夏 字余りの歌い方はこの人が発祥だよな!
まーイメージの歌かな >>925
60年代のフォークでは普通だった気がするな
そしてそもそもの発祥はボブディランとかじゃないの 俺のベスト3
ルームライト
ペニーレーンでバーボンを
襟裳岬 >>909
りんご試験場の女(付き合い始めたばかりの片山の彼女)がバイクに引きずられて死んだ 元気です。
ジャスト・ア・RONIN
たべちゃうぞ >>83
トグロではなくクダを巻くではないでしょうか 世間が過剰評価している。
よく聞くと大した歌は作っていない。 旅の宿って超クールなサウンドだけど
拓郎と石川鷹彦の二人だけでレコーディングしたんだんだってね
コストパフォーマンス凄いね 長髪時代の長渕って吉田拓郎からパクリまくってると聞くが、実際にはどうなの? 鉄矢は人間性はクソだけど役者としては一流
刑事物語が至高 >>675
結婚しようよが71年で心の旅が73年だから拓郎とチューリップってそんなに時代の違いは無いんじゃないの? 近所の女子大の大学祭で拓郎の「人間なんて」に興奮した
いや、見たのは母親と姉だったか。小学生だった俺はお化け屋敷と人形劇を見て満足して
家に帰って話を聞いた 旅の宿みたいなのやりたくて
彼女と温泉行って膝枕してもらったっけ… >>902
ペニーレインに入り浸っていた時はまだジョンレノンは生きていたからそのオブジェは知らない
という本当に爺だな、俺w
美代ちゃんと結婚してた頃の住まいがダイエーのそばだったからよく行ってたらしい
僕の趣味は雨の日のドライブとダイエーでのお買い物、というのは実話
ところで、シングルで3曲選ぶのは至難の業
あえて
イメージの詩
今日までそして明日から
明日に向かって走れ
と言っておきます >>942
クズ人間みたいだけど演技は上手いよねえ
金八、片山、ガンテツ、どれも最高だわ >>491
岡本さん作詞だけど私も一番好きな曲
今でも毎日聴いてる
オールナイトニッポンで浅田美代子との結婚を発表した後拓郎がボソッと流れると言って曲が流れたのが忘れられない
当時高校生だけとショックで号泣したわ
だから流れるの曲は苦手 森下愛子が「みんな集まってるから来いよ!」って言われて行ったら、拓郎しかいなかった。
ちなみに浅田美代子も同じことを言ってた。 言葉
祭りのあと
Y
声と見た目もすき 喋りもすき >>949
東京者から見ると金八はなんか違和感あって嫌だった
泉谷や坂崎幸之助を見ててわかった
言葉が東京言葉じゃないからなのだ
背景が東京なのに
東京の公立学校であーゆータイプの教師は
べらんめえ入った東京言葉が普通だった
(昭和 >>876
一晩経てば…だろう だし当時を歌った詞として違和感はまったくなかった >>944
僕の人生の今は何章目くらいだろう、か
あれ拓郎が歌うとめっちゃいい曲だよね
トータスもあと10年経ったら上手く歌いそう >>962
僕の人生の今は〜…
それも好きだった。
あとシンシアもあったな…
というか5〜10曲くらいにしないと
3曲なんて、とても絞れないんじゃないかな… >>959
岡本おさみに聞かないとどうなのかはわからないけど
書かれてる詩は、悲しいけど普遍的なものだから
いつの時代の事かで議論するのはナンセンスだとおもうよ >>225
この国に賭けるものがなけりゃ、自分で作れよ、と思うがね。 >>126
いい曲だ
俺ら氷河期の腐った人生にも当て嵌まる >>596
全部だきしめて
たしか近畿でシングル化してミリオン超えた
拓郎は作曲 >>968
楽曲提供のシングルを“あり”にするなら、セルフカバーの「いつか街で会ったなら」も「あゝ青春」も「やさしい悪魔」も「メランコリー」も全部“あり”だな
山田パンダの「風の街」もそうか そういえば関係ないけど、山田パンダが「落陽」歌ってなかったっけ レコードになってないけどyoutubeある
僕の一番好きな歌は >>938
シングル版も良いけど「元気です」の弾き語りバージョンも良い。ギター練習したっけなぁ >>875
高石ともやいわく「(自分が)ビクターでオーケストラのバックにギターの音が小さくなってる」時に
東芝の高島ディレクター(ちさこのパパ)がフォークルでジャーン!って大きい音でならしてくれた。
って言ってたね >>948
貴方は俺の同級生女子の兄貴と同年代の先輩世代かなぁ、文化祭の打ち上げでその先輩の車で初めてペニーレイン行った。上にも書いたが篠島にも行ってて録音したのをダビングNGで聴かせてもらった
「望みを捨てろ」と「アイランド」「悲しいのは」が記憶に残ってる
その世代の人はファン同士の情報交換交流もしてて後日武道館のチケット融通してもらってソニービルに受け取りに行った >>941
ラジオ局のトイレでたまたま拓郎が隣の立ちトイレで用を足してて先に出て行った後便器覗いたら毛が落ちてて拾っていこうか真剣に悩んだとANNで言ってた なんかのステージで洛陽歌ってるの凄い良かったな
つま恋だったかな
なんかしゃがれ声がエモーショナルでカッケーなって思ったわ
あーいうのが歌手っていうんだわ、多分 >>973
つべに残ってるんだ?
いちばん偉いやつそいつはこんなやつ
自分の叫びを何時でも持った奴
自分の哀れを慰めたりしない奴
ライブでしか聴けなかったのに
「煙草の煙を眺めながら激しく燃えた月日を…」とか
「暗い暗い路地が見える、野良犬さえも臆病がって…」
とかあったね
タイトルあったか失念 このスレの最後は
また会おうぜ あばよ
で締めたら完璧 あいみょんのマリーゴールドを最初に聴いたときは吉田拓郎っぽいって思ったよね >>981
証明は「元気です」のB面かな?
>>983
今から聴くよ〜 何十年か前にやったBSフォーク大全集でも拓郎のベストワンは落陽だった
拓郎自身は自身の作詞ではなかった為か少し不満気だった
拓郎の作詞は好きだけどあの落陽の歌詞は凄い
岡本おさみは天才だと思う
すいたはれたの歌詞ではなくギャンブル廃人のジジイしか出てこない
拓郎からこの歌詞は生まれない
あと当時あのイントロのカッティングは斬新だった
ドゥービーのロングトレインランニングと少しイメージがダブる >>987
ありがとう
このスレも終わりだがその前にカムアウトせねばなるまい。さんざん通臭いこと言ってたが拓郎のシングルって「サマーピープル」1枚しか買ってないのだったw アルバムは…テープで「よしだたくろうオンステージPart2」持ってたんだが先輩にダビングさせて貰ったんだっけなぁ…憶えてないけどこんなのレンタルレコード屋にあるはず無いし でも落陽って録音悪いよね
アレンジも何このブラス?センスねえw
って感じだし
イントロのアコギとエレキソロは単純ながら秀逸
これのイントロとかぐや姫のあの人の手紙のイントロ弾けるとまあまあギター上手い方に思われたあの頃 まあ「落陽」になるよな
ライブでも受けが全然違ったし
青山徹の暴走ギターソロを拓郎が苦笑いしながら見てたわ
俺がギターで「F」を押さえられるようになった最初が「落陽」
爺さま達の拓郎話が訊けて楽しかったわ
また拓郎スレが立ったらよろしくな ゆうべの夢と祭りの後のメロディが同じ理由を知ってる人いる? 89年の国立競技場で初っ端が拓郎
あの歌ら馴染みがなかった… >>995
ゆうべの夢は元々ライブのみの曲で持ちメロディとして祭りの後に仕立て直されたんでないのかな
たどり着いたらいつも雨降りも元は別曲だし
ゆうべの夢が収録されたオンステージPart2は拓郎がエレックからCBSソニーに移った後エレックに残ってたライブ音源を拓郎に断り無くレコード化発売し揉めたため再販とかされてない このスレッドは1000を超えました。
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