【もう教科書にその言葉はありません】 青天を衝け:「今日も出てきましたよ」 北大路欣也“家康”「士農工商」話で視聴者に衝撃与える [朝一から閉店までφ★]
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2021年03月14日
俳優の吉沢亮さん主演のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」(総合、日曜午後8時ほか)第5回「栄一、揺れる」が3月14日に放送された。同回にも北大路欣也さん扮(ふん)する徳川家康が登場。「今日も出てきましたよ」とあいさつし、視聴者の笑いを誘った。
またこの日は家康から「『士農工商』、もう教科書にその言葉はありません」と明かされ、
SNSでは「えっ…教科書に士農工商ってもうないの!? びっくりだわ」「士農工商ってもう教科書に載ってないって徳川家康が言ってたけど、本当?」「士農工商てもう教科書に載ってないの? 北大路家康が言ってたぞ」といった驚きの声が上がったほか、「現代の教科書を知ってる徳川家康」「最新の教科書もチェックしている家康」「家康公、最近の教科書事情にもお詳しいw」などと感心していた。
「青天を衝け」は、“日本資本主義の父”と称される渋沢栄一が主人公で、連続テレビ小説(朝ドラ)「風のハルカ」(2005年度後期)、「あさが来た」(2015年度後期)などの大森美香さんが脚本を担当。「緻密な計算」と「人への誠意」を武器に、近代日本のあるべき姿を追い続けた渋沢の生きざまを描く。
第5回は、惇忠(田辺誠一さん)に薦められた本で、清がアヘン戦争でいかに英国に敗れたかを知った栄一(吉沢さん)は、開国した日本の未来を危惧する。そんな中、栄一の姉・なか(村川絵梨さん)は、自身の縁談を、“相手の家に憑(つ)き物がいる”という迷信的な理由で伯父の宗助(平泉成さん)たちから反対され、ふさぎ込んでしまう。
一方、幕府の方針をなおも受け入れられない斉昭(竹中直人さん)は暴走。老中・阿部正弘(大谷亮平さん)と斉昭の側近・藤田東湖(渡辺いっけいさん)は斉昭を必死にいさめる。そんなとき、大地震が江戸を襲う……という展開だった。
https://mantan-web.jp/article/20210314dog00m200033000c.html
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「青天を衝け」徳川家康、新パターンのあいさつにネット沸いた「また新たなるパワーワード」 [爆笑ゴリラ★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1615726415/ 士農工商は昔は徳川幕府が制定した身分制度だと言われていたけど、最近の研究では単に職業区分を表す言葉で身分制度ではなかったとわかってきたから教科書から消えたんだよ。 エタヒニンとは?
どういう存在だったのか?→現在の『警察』的存在で様々な特権を付与されていた。
どういう仕事をしていたのか?→年貢を納める農民の監視・逮捕・拘留・取調べの権限付与
何故そんなことをしていたのか?→年貢=藩の経済基盤だから確実な年貢徴収のため。
以上の事実を『自分の頭で考え、理解できる』ならば、
『部落民=貧困・差別されてかわいそう』などいうのはインチキ・嘘、ファンタジーで、
実際は『部落民=藩の現業公務員的存在』だった。、
では一番かわいそう苦労したのは重い年貢を課せられた農民。
今現在税金納めている一般市民と財政難なのにボーナス出る公務員と何ら変わらないよね、
と結論が導き出される。
そのインチキがばれる、既得権喪失を恐れて解同は『エタ・ヒニン』を
禁止ワードにしたり自作自演をしててでも『差別』がある!という演出に余念がないわけ(笑)
部落解放運動や在日差別?をマンデラ・キング牧師と同列に扱うのは失礼
http://hamaguri-inspire.blogspot.jp/2013/12/blog-post_1255.html
同和・人権屋の目指せ!『水平社宣言』ユネスコ世界記憶遺産登録〜御所市
http://hamaguri-inspire.blogspot.jp/2014/02/blog-post_4392.html 農民が商人や武士になれたのか?
なれないなら身分制だろ >>5
じゃあなんで日本政府は同和政策で多額の税金を投じたんだって話しになる。 >>8
なれたよ
逆に武士から帰農したり工商になったりした例も沢山 わざとそういう表現を避けてるのかなあ。
だけど、そういう身分制度で苦しむ人がいたから、世の中を変えようという若者たちがでてきたわけだからなあ。 >>9
弱者利権ってのは近代国家ならどこでもある話だから
アメリカのエスキモーとか有名じゃん >>15
明治維新は身分革命じゃ無いぞw
武士が武士を倒しただけ なにこれ?
NHKは解体すべしと思ってるからテレビなんて見ないんだが
大河ドラマで「『士農工商』、もう教科書にその言葉はありません」みたいな
メタ演劇やってんの??
ますます潰れろと思うわ 今は聖徳太子と言わないで、厩戸皇子と教科書では言うと聞いたこともある。 >>5
歌舞伎役者や芸人なんてもともとこの層だよね >>19
それでも視聴率取れちゃうから
これからはこういうYouTube大河になるのかもね…
それが平均的日本人だよ…
ゆとり教育ばんざい! 士農工商がもうないは定期的に話題になるな
いい加減、みんな知ってるんじゃないか 元々は中国の国民みんなくらいの意味で使われてたことば >>21
聖徳太子は聖徳太子だよ
存在しない説とか言ってんのはパヨチョン連中
息子の教科書にはちゃんと載ってるわ >>3
と、いうおかしな「研究」をして歴史を捻じ曲げてんだろうな
「士農工商」と言うとどうしてもそれに続いて出る言葉があるから隠滅してしまおうということ 俺も最近知った。
士農工商という言葉は古くからあったが、そんな身分制度は無かったんだとか。
特に天下泰平の江戸時代に入ると『武士> 百姓・町人・商人>>>エタ・ヒニン』
みたいな感じの並びだったらしい。 >>27
研究も何も、史実をいくつか上げるだけで
士農工商なんてガチガチの身分制度なんか無かった事はアホでもわかるわ
坂本龍馬の実家なんか元々は商人じゃん >>23
NHKなんて視聴率気にせず運営できるのが
一番の利点なのに何やってるんだろうね。
公共放送の理念から遠ざかるばかりだわ。
こんなのに金払うの止めてホントよかった。 >>27
なるほどそういう事か
でも士農工商は最高の考え方なんだよ
だって儲からない順だからね >>27
エタ・ヒニンに気を遣って士農工商が無かったとねつ造?
するわけないじゃん、そんな意味の無い事。
デマを流布する人ほどデマを信じ易いんだとさ。 >>28
エタ・ヒニンもわざと曲解してる所があって
被差別身分であると同時に特権階級でもあった事実は
何故か教えられてないのよ 【大河ドラマ】吉沢亮主演「青天を衝け」第5話も好調16・2% 初の上昇!2週ぶり“首位”同時間帯横並び単独トップ [鉄チーズ烏★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1615799644/
こっちのスレでは毎回好評価だし
5ch時代のチャネラーには受けてるらしいで つうか幕末はすでに経済社会なんだよね。 武士は権威はあっても貧乏なやつは貧乏。渋沢みたいに藍でもうけてる豪農の方がいい暮らししてたろ。
いざという時戦うことになってる武士は敬されてたが、
夷人叩けない結果で何で征夷大将軍って
徳川幕府と武士の信用が地に落ちた。 えっとすまん見てないんだが
幕末から明治の話だよな
なんで家康が出て来るんだ? 下級武士は内職で実質職人みたいなもんだったし
無駄に広い庭で家庭菜園をしていたから農民でもある >>39
世にも奇妙な物語のタモさんみたいな感じです >>21
今また復活してる。っていうか消えたのも一部の教科書なんじゃなかったっけ? >>36
せやで
アメポチのタケナカとコイズミの仕業や
だから日本に親欧米派はいらんねん >>8
武士株を買えばなれる
岩崎弥太郎の父弥次郎は武士株を売ってしまったけど弥太郎が買い戻したらしい エタヒニンはもっと遡ると、精神疾患や奇形などの障害を持ったものをひと所に集めて住まわせ、専門職業を与えた、当時でいうところの福祉。
遺伝などを恐れて一般人と分けたのが始まり。 >>43
厳格な階級社会は無かったと言うこと
金を稼げればどうにでもなったのが江戸時代 最初はなんだこれと思ったけど
なんか癖になってきたわ
最終話まで出てほしい 農民が商人に威張ってるのはおかしいもんな
武士・それ以外・被差別階級 >>48
んなわけ無い
例えば天皇陵を数百年守り続けてきた村が部落だったりする
日本に限らず、被差別階級ってのは歴史や文化に根ざしたものだよ >>43
士が一番上なのと、穢多・非人が一番下なのは間違いない。
農工商の間にはそんなに差は無かった。 旗本とかもアホな奴は領地の豪農に借金をして
年貢抑えられていた場合もあった >>53
士は名目上は一番上だが
農工商も金や功績次第で武士になれたわけで
外国で言ういわゆる身分制度とは違うよね ●アメリカ初代総領事タウンゼント・ハリス
(1857年、下田の領事館から江戸へ向かったときの日記)
「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。
これがおそらく人民の本当の幸福の姿というものだろう。
私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、
果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であろうかどうか、疑わしくなる」
●イギリス初代駐日公使オールコック
「封建領主の圧制的な支配や、全労働者階級が苦労し呻吟させられている抑圧については、
かねてから多くのことを聞いている。
だが、日本の良く耕作された谷間を横切って、非常な豊かさのなかで所帯を営んでいる、
幸福で満ち足りた暮らし向きの良さそうな住民を見て、
これが圧制に苦しみ、過酷な税金を取り立てられて窮乏してる土地とは、まったく信じられない。
むしろ、反対にヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きの良い農民は居ないし、
またこれほどまでに穏和で贈り物の豊富な風土は、どこにもないという印象を抱かざるを得なかった」
●フィッセル,1833(オランダ人。長崎出島のオランダ商館員)
「日本人は完全な専制主義の下に生活しており、何の幸福も満足も享受していないと普通想像される。
ところが私は彼らと交際してみて、まったく反対の現象を経験した。
専制主義は名目だけであって、実際には存在しない。
自分たちの義務を遂行する人たちは、完全に自由であり独立的である。
奴隷制度はなく、封建的奉仕という関係さえも報酬なしには行われない。
勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階級のものもほぼ満足している」 ただの区分で身分制度ではなかったんだっけ
教科書から消えたのか >>58
江戸末期だと日本独自に色々な農法が出来てた頃だよなあ
特に外国人が居留していた地域は、幕府の直轄地が多くて
言うならばモデル統治地域というか、税率も低めだったり
あるいは代官も小まめに農地を見回って作業してなかったら多少小言言って
農地にかり出す、あるいはそれでも作物の育ちが悪かったら年貢をその年は多少免除、
そして農地改良にも手を掛ける、などで農地そのものも豊かに肥えていたなどという話だね
幕府の直轄地や、あるいは江戸や大坂の周辺の土地は
「大都市から出る肥料」で非常に生産力の高い土地になっていたのも事実だな
東北とか中国地方などだとどうしても?せた土地が残されていた 農地の所有者のことを農というなら武士に次ぐ権力者で間違いないかと ●アンベール (スイス遣日使節団長)
日本には二つの階級が存在している。
一つは武装した特権階級で、広い城塞の中に閉じこめられており、
もう一つは武器は取り上げられ前者に屈服させられているが、
それ以外の自由をすべて享受している。
●マクガワン(アメリカ人宣教師)
日本は専制政治について世界最良の存在理由を提供している。
政府は全知であり、その結果強力で安定している。
その束縛は絶対であり、あらゆる面をひとしく圧している。
なのに社会はその存在をほとんど意識していない
●ヴェルナー(プロシア使節団)
日本の絶対専制支配は、、時に立憲的なヨーロッパ諸国家よりも個人が多くの権利をもっている
幕府は、土地を強制収用することもできない。
●バジル・ホール・チェンバレン(イギリス人。帝国大学教授)
この国のあらゆる社会階級は、社会的には比較的平等である。
一般に日本人は、大西洋の両側のアングロサクソンよりも根底においては民主的である。
金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。
ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透している。 基本的に武士の大半はインフレに対応出来ずに貧しかった
下級武士なら町人の方が金持っていた
武士は屋敷が広い以外は裕福でもなかった 子供の頃別に歴史に詳しいわけでもない母親に「士」はともかく「農工商」はどうしてこの順番なんだと聞いたら商人は農民や職人と違って何かを生み出すわけではなくて取り引きによって儲けているからではないかと言われた
もう教科書に「士農工商」は載っていないかもしれないけれど母のこの説は今でもちょっと好きだ >>62
誉めてるように見えるけど、
要は独り占めするほどの富が無いから
国民みんなが貧乏で、武士も貧乏だったってことよね
富が多ければ搾取と階級を生み自由がなくなる
実際、明治になって豊かにはなったけど、自由は剥奪され
大平洋戦争に突入して国が滅んだわけだ… イッキ飲みは、一揆が語源
農民達が酒を回し飲みして団結力を高めてから屋敷を強襲した ●カッテンディーケ、1859 (オランダ海軍軍人。幕府海軍伝習所教官)
日本の下層階級は、むしろ世界のどの国のものよりも大きな個人的自由を持っている。
そして彼らの権利は驚くばかり尊重されていると思う。
日本政府は民衆に対してあまり権力を持っていない。
上層の武士階級は、地位が高ければ高いほど格式と慣例の奴隷となっているが、
町民は個人的自由を享受している。
しかもその自由たるや、ヨーロッパの国々でもあまりその比を見ないほどの自由である
●スエンソン、1867(フランス海軍軍人)
上層階級は下層の人々を大変大事に扱う。
主人と召使の間には通常、友好的で親密な関係が成り立っており、
これは西洋自由諸国では、まずあり得ない関係といってよい。
●ニコライ(ロシア正教宣教師)1861
片田舎の農民を訪ねてみるがよい。
政府について彼らが持っている考えの健全かつ自主的であることに、諸君は一驚することだろう。
日本の民衆は、ヨーロッパの多くの国に比べてはるかに待遇は良く、自分たちに市民的権利があることに気がついてよいはずだ。
ところが日本人は、なお、はなはだしく不満であるというのだ!
商人はあれやこれやの税のことで不満を言い(実際にはその税は決して重くはないのだ)、
農民は年貢の取り立てで愚痴を言う。また、誰もかれも役人を軽蔑していて、
「連中ときたら、どいつもこいつも袖の下を取る。やつらはろくでなしだ」と言っている。
そして民衆はおしなべて、この国の貧しさの責任は政府にあると、
口をそろえて非難している。そうしたことを聞くのはなかなか興味深いことであった。 鎖国も
教科書から消えたと聞いたが
このドラマだと鎖国してんだけど >>68
鎖国じゃなくて海禁だからな
明の外交政策であの時代は東アジア諸国はみんな海禁していた >>47
金持ちの武士>金持ちの農工商>>>>>貧乏な武士>貧乏な農工商>>浪人=貧乏な無職
こんなもんか >>54
四大文明は嘘、韓文明とその他で五大文明ニダ >>65
庶民は貧乏でもなかった
住環境は酷かったが
下級武士がガチで貧乏で
白米とみそ汁と漬物だけの食事が当たり前だった >>72
武士は外に働きに出ると格好悪いから内職してたんだっけ エタヒニンを教えたくないから士農工商まで消しちゃったのか
酷いなあ >>65
江戸260年で日本の人口は3倍に増えてるわけで貧乏なわけ無い。
士農工商なんて実際は存在しない緩やかな社会だったからこそ
搾取層の出現やその固定化が起きなかったというだけ >>27
「士農工商とよっつの身分があります」
と四本指を立てた教師が懲戒免職になったデマ信じてそうだな。お前はw >>9
このゴミ喋るのか
大量に気持ち悪いコピペしまくってんじゃーよゴミ ●アメリカ初代総領事タウンゼント・ハリス
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将軍家定の衣装は絹でできていた。少々の金銀のししゅうが施してあった。
だがそれは想像される王者らしい豪華さからは遠いものだった。
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燦然たる宝石も、精巧な金銀の装飾も、柄にダイヤをちりばめた刀もなかった。
木の柱はすべて白木のままだった。火鉢と、自分のために特に用意された椅子とテーブルの他には
どの部屋にも家具の類はなかった。
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私は、質素と黄金の時代を、いずれのほかの国におけるよりも、より多く日本において見出す。
生命と財産と安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる
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●ヒュースケン (オランダ人通訳 1861年に攘夷派薩摩藩士に殺された)
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江戸城は、たしかに人目を引くほどの豪奢さはない。
廷臣は大勢いたが、ダイヤモンドが光って見えるようなことは一度もなかった。
わずかに刀の柄に小さな金の飾りが認められるくらいだった。
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シャムの宮廷の貴族はその未開さを
どろ臭いぜいたくで隠そうとして、金や宝石で飾り立てていた。
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しかし江戸の宮廷の簡素なこと、気品と威厳をそなえた廷臣たちの態度、
名だたる宮廷に栄光をそえる洗練された作法、
そういったものはインド諸国のすべてのダイヤモンドよりもはるかにまばゆい光を放っていた。
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●チェンバレン(イギリス人 帝国大学教授)
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床の間に一枚の絵画と一箇の花瓶があって、ときどき取替えられるだけである。
西洋人と違って、『どうです、高価な品物がたくさんあるでしょう』
と言わんばかりに、 この家の主人が、
財物を部屋いっぱいに散らばして置くようなことはない。
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●カッテンディーケ (オランダ海軍軍人)
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日本人が、他の東洋民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心をもたないことであって、
非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。
大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない。
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●オールコック (イギリス初代駐日公使)
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気楽な暮らしを送り、欲しいものも無ければ、余分なものもない。
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家の全家具を見てみたまえ。
これは、もっとも富裕な人びとの持ち物のすべてであり、
もっとも貧しい人びともこれ以上を必要としない。
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かれらの全生活におよんでいるように思えるこのスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、
称賛すべきなにものかがある 穢多非人は一番下というよりも職業区分の埒外にあるというイメージ >>3
消す事は無いじゃんね
職業区分として載せれば良いのに 日本に身分差別はありませんでした!!
ハイ!この話しはここまで!! >>75
やっぱ宝永の富士山噴火がターニングポイント
あの時点までは基本、高度経済成長。
そっから世界的にどこもプチ氷河期に入る。
日本は芋の普及が比較的スムーズに行ったからなぁ。 >>34
特に差別とかはされてなかったんだよね
漁師は取った魚を、あまったら当たり前にエタニヒンに施してたらしい >>4
士農工商はもともと古代中国の言葉
で単に“国民”とか“みんな”って意味だったけど
南宋時代にはじまった朱子学から身分制度的なニュアンスが入ってきたみたいだな 明治になって四民平等とか出てきて、わしみたいなブルジョワも庶民と等しく仲良くやりなさいという話だったような 室町時代とかあるからアレだが
江戸以降で一番酷かった政権がコイズミ政権じゃないかな?
次がアベでその次がスガーリン政権 >>75
女性が強い社会だったから、だと思う
女性論理の社会だったから、縦社会じゃなかったんだよ
命あるものは全部横並び 今だって、差別はあるじゃないか。
口に出さないだけで、●方とかホ●ムレスとか●クザとかな。
夜の街だってそうだ。今と全く変わらないと俺は思ってる。
士→政治家・高級官僚・経団連etc.(全体の5%程)
農→一般サラリーマン(全体の60%程度)
工→工業系・職人系(全体の15%程度)
商→個人経営者(全体の15%)
エ→ヤ●ザ(当時の弾は大名クラスの生活と実権有り。)
非→芸●界・ホーム●ス・生活保●者(全体の2%程度。エに支配されている)
こんな認識でOK? >>86
俺も習ったわ
今思えば、先生命知らずだったな >>91
それらは別に固定された身分でもなんでもない
差別されたく無かったら這い上がればいいだけ >>95
いやだから、今も大差ないって言ってる。
皆口には出さないだけで、上とか下とか認識してるでしょ?
江戸時代もこんな感じで、口には出さないけど上下をつけてたんじゃないかと。
昔野中某かの政治家の事を書いた本で、エの人にお金を渡すのが、普通の人は嫌だから柄杓で渡してたとか書いてたけどほんとかね? >>9
あ、おまんこさんもフツーの書込
するんすね >>86
習ったわ。先生は気難しいようで実は子供好きな歴史と特撮オタクだった 旗本なんか領地の農民から入り用で少し年貢上乗せしようとしても、口三寸であしらわれて断られ、強制して一揆起こされたら不行き届きで改易されたらたまらんと困り果てることがあり、代理人に交渉を頼んだりした。それをした人物で有名なのが勝海舟の父親の勝小吉。彼と農民の交渉は実に面白い。 >>97
そんなもんは
古今東西人間が集団を作ったら必ず発生してたものだろ
このスレは日本の身分制度について話してるんじゃ無かったのか?w ●リンダウ (プロシア商人 長崎近郊の農家にて 1858)
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火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子が慌てて火鉢を持ってきてくれるのであった。
私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰をかけるように勧め、母親は丁寧に挨拶をして、お茶を出してくれる。
家族全員が私の周りに集まり、子供っぽい好奇心で私をジロジロ見るのだった。
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幾つかのボタンを与えると、子供達はすっかり喜ぶのだった。
「大変ありがとう」と皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。
そして跪いて可愛い頭を下げて優しくほほえむのだったが、社会の下層階級の中で
そんな態度に出会うのは、全くの驚きだった。私が遠ざかって行くと、道のはずれまで送ってくれて
ほとんど見えなくなってもまだ「さようなら、またみょうにち」と私に叫んでいる、あの友情のこもった声が聞こえるのである
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●イライザ・シッドモア (アメリカ婦人 1884)
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日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し浜砂に拡げて干す。
漁師のむすめ達が臑をまるだしにして浜辺を歩き回る。
藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。
子供らは泡立つ白波に立ち向かって利して戯れ、幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。
婦人達は海草の山を選別したり、ぬれねみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。
暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。
こうした光景総てが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ。
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●リュドイック・ボーヴォワル伯爵(フランス人 1867年の江戸・王子にて)
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数多くの公園や庭園がこの江戸を埋めつくしているので、
遠くから見ると、 無限に広がる一つの公園の感を与える。
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市街から田園へと気づかぬうちに移ってゆき、
道路は次第に花咲く藤のしたかげの小径となった。
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ついさっき天守閣の濠をみたしていた水は、曲がりくねった小川となり、つつじのトンネルの下から流れ出ていた。
緑の楽園のただ中の、この蛇行する川ほど愛すべきものはない。
ああ、日本の何と美しくのどかなことか。
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●ヒュープナー(オーストリア外交官)
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読者諸氏にはこういう言いがたい幸福感を思い描くことがおできになるだろうか。
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つまり篠つく雨が、絶え間なく朝から晩までどしゃぶりに降って、
快い涼しさをふりまいている中で・・・
庭に向かってぱっと開け放たれた瀟洒な部屋で、とても綺麗な畳に寝ころがっているという幸せを。
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●ヒュースケン (オランダ人通訳)
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私がいとしさを覚えはじめている国よ、この進歩は本当に進歩なのか。
この文明は本当にお前たちのための文明なのか。
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子供たちの愉しい笑い声を聞き、どこにも悲惨なものを見出すことの出来ない私には、
おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、
西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならないのである。 >>101
身分制度ってなんだろな?
もっと古くには、五賎の色とか奴碑(売買できる奴隷)とか普通に居たらしいけど。
ハッキリとした身分が決まってるのって皇族位じゃないの?
後は時代で、落ちぶれ武士とかも非人とかの刀鍛冶になってたりするし。 薩摩目線の西郷どんの幕末は醜かった
今回は中々期待して観てる 士農工商、編集者、漫画家
って川原泉が書いたらクレーム来たんだよな。
花とゆめだったかなあ 徳川家の末裔は被差別階級の子孫に残虐されても文句は言えない。 >>16
日本政府が同和地区を指定して被差別階級の子孫に利権を与えたのか。 家康は、あの世からしゃべってる設定?
アシスタントで、西田敏行演じる吉宗を出して欲しいわw >>85
儒教って商人蔑視もあるから
士農工商で一番下なんだよな
農作物や商品を作らず右から左に流す手間賃(流通)だけで儲けるなんてけしからんって >>113
でも日本が中国や朝鮮とはっきり違うのは
大工から工芸職人まで工人の地位が高かった事
あの辺は儒教的にはどうなんだろね
大工が宗教職(神職)を兼ねてたのなんて世界でも日本ぐらいだろ >>3
これだから、ゆとり世代はw 円周率が3なのと同じ理屈だな いいくに(1192年)作ろう鎌倉幕府
これも今は違うんだっけね >>104
わかりやすく言えばインドのカーストみたいなもんだろ
社会における立場や職業が固定化されて、その原則を破る事は許されない状態
そういう意味では江戸時代の士農工商も
現代の格差社会も全然別物だよね 同和教育に騙され過ぎやろ
穢多も非人も江戸ではそういう職業で特に差別というものはなかった。
岡っ引きがそうだし
関西猿のことは知らん
今でも東日本では部落は集落の上の尊敬語にあたる
部隊とおんなじ意味合いで、集落こそ乞食が住むと思われる 『食べるラー油』を断腸の思いでイギリス人の友人3世帯にあげたら、意外すぎる反応が返って来た「抹茶キットカットの1000倍騒いでる」
http://wuce.gejudo.org/JOiT/825163119.html え、士農工商ってもうないんだ…
今の中学生の教科書でも買おうかな >>113
販路を確立したり物を運ぶのも長距離になると大変だったろうにと思うのだが… >>7
穢多は終生穢多 穢多の子供も穢多
非人は他の身分(階級)から非人という身分に落とされる
ただそこから抜け出て農民や普通の町人に戻ることも不可能ではない
穢多は俺たちは非人より上
非人は俺たちはここから抜け出ることができるから俺たちの方が上と思ってたと何かで読んだ記憶 オレが小学生の頃は、教室の黒板の上には歴史年表が貼ってあった。
たしか、オレの記憶では江戸時代と明治時代の間に、なんとか時代という区分があったと思うのだが、今は無くなったてしまったのだろうか? 「士農工商エタ浪人」と書いて打ち切られたマンガがあったな >>18
身分革命。
名実ともに部落層消滅させたし、
誰でも兵役に就くようになって国民軍になったし一夫一妻で男女平等の基礎も築いた。 士農工商えた非人
30代以上なら
みんな社会の時間に習っただろ 士農工商エタヒニンの語呂の良さは絶品
ついメロディ付けて口ずさみたくなる あのパフォーマー黒子に徹すればいいのに何で顔出しするかな >>113
士農工商の原点は中華の春秋時代に最初に覇者となった斉の桓公を支え中華歴史上で理想の宰相といわれた管仲が定めた制度な
管仲は孔子=儒教が誕生する大分前の人物で管仲は後の儒教的な思想ではなく法家思想ね
商人蔑視は同じく法家で秦の中華統一の基となった変革をした商鞅(公孫鞅)もしていて商人には特別高い税を掛けてる
なので士農工商で商人が蔑視されてるのも最下層なのも儒教は関係ない
管仲・商鞅曰く「国の基は農にあり。人に欠かせない食を生産する農民が居なくては国は滅ぶ」
同じく管仲・商鞅曰く「商人は何も生産せず他人が苦労して生産した物をただ動かし楽して利益を貪る。国が楽して利益を貪る商人だらけになったら食を生産したり人の生活を助ける工業品を製造する人がいなくなり国が立ちいかなくなる」
ちなみに管仲が定めた士農工商は当時の斉の首都臨鯔の街の区割りでもある
管仲の言う士は日本で例えたら一般武士ではなく武将クラスで貴族階級(士大夫)を指した
君主から領地を貰いその領地を支配する者を士大夫といい貴族とみなされるのは士大夫から
当時の中華では下僕奴隷は人とは見なされていなかったのでいわゆるえたひにんみたいに士農工商の下に表される事はない 日本の士農工商は元々職業区分に
過ぎなかったがマルクス主義歴史学者が
身分制度で広めてそれがどうも
おかしいになったから消された
本来は元の意味で載せ続けるべき 江戸時代は長屋は月60〜90文で借りられた
なので庶民は週3日、数時間働くだけで生活出来た 下級武士も商売始めたり農業の兼業居たりで割と流動的だったみたいだし
言う程キッチキチでもなかった様だな >>29
階級の移動が有るから身分制なんて無かったとはバカらしい。
「最近の研究では」の胡散臭さを理解出来ないバカは知能指数が低い。 もうこの頃は金で士分が取り引きされる時代
勝海舟のオヤジは金で武士の身分買った >>75
貧困ではないが相対的に豊かでは無いだろう?
飢饉も定期的に起こってるわけだし
人口増加率なら明治に入ってからどんだけ増えたってんだよ?
明治に入ってから飢饉ってあったか? >>52
それは御陵の周辺には住居があり、それらの糞尿処理などの仕事があったからじゃね?知らんけど。 明治維新ってそれまでの歴史の改竄を結構やってるからな
士農工商もその過程の産物
徴兵制導入のために、江戸時代には士農工商という身分制度があったことにして、
四民平等にして全員が名字を名乗る代わりに全員が国防に関わるという口実を作った >>147
相対的にって
何と比較して貧しかったと言ってんのよ?
意味不明 >>150
元の文章が「明治と比べて豊かになった」
ってなってるんだから明治と比べたら貧しかった
おまえが書いたのか知らんけど
>>75が人口増加率を基準にしてるんだから、
それ基準なら明治の方が江戸時代に比べて豊かだった。
おまえはNGしとくから同じIDで書けよ 同時期の欧米と相対しても
江戸時代の日本が豊かだった
っていうヤツいるかな?
ネトウヨ? >>153
「米」はないだろ・・・・
その時代は中国が圧倒的。まだインドも江戸前期ぐらいまでは西欧に劣ってなかった
最近の世界史の研究では西欧が中国とインドを抜いた時期がかなりあとに繰り下がってきてる
西欧中心史観がかなり見直されてる
イギリスの産業革命の過大評価も修正されてきてる
日本史も世界史も教科書は最新の研究結果を取り入れて20世紀のものとはかなり変わってきてる >>154
>>江戸時代の期間は、1603年3月24日(慶長8年2月12日)に徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸(現在の東京)に幕府を樹立してから[2]、
1868年10月23日(慶応4年/明治元年9月8日)の「一世一元の詔」の発布(一世一元への移行)に伴い、慶応から明治に改元されるまでの265年間である。
Wikipediaより インドや中国が欧米より優れていたなら
なんで植民地になんかなるんでしょうか?
教科書だとか最新の研究だとか
現代のグローバリズムでバイアスかかりすぎなんじゃないですかね? >>154
「日本」の話ししてるのに
インドとか中国出して話を反らそうとしてて悪質 豊かと優れているがまず関係ない
インドと中国が今みたいな国だと考えてるのも間違い >>157
上回った時期が大きく後ろに繰り下がったって言ってるじゃん
誰も19世紀にアジア諸国が西欧に優越してたなんて書いてないでしょ。
日本語読もうよ 元々差別利権ゴロが学者を買収してでっち上げたものだし。 >>64 自分は小学校の先生から
「商人は武士にお金を貸したりできたので
それ以上権力を握らないように一番下の身分にした」
と聞いた 家康公は最後まで出そうですな。
ナビゲーターだから。 >>160
日本語読めと言うなら
趣旨が違うこと言い出したのはお前
アスペルガーか発達障害の方なんですかね?
最終学歴は? 士農工商が身分制度でなかったというなら結婚は自由に出来たのだろうか?
結婚と身分制度は密接に関わってる
もし商人の娘が農家に嫁ぐことが許されなかったり、武士の息子が農家から嫁貰うことが身分違いとして許されない風潮だったとしたら
身分制度はあったとみるべき >>168
どうせなんの権威も学歴もない無学者なんだろうから
ここで全て晒してみれば?
出来るならな(笑) >>140
だったらお前さんの濃い知識とやらを教えてくれ。
江戸時代の現代の常識に関しては明治時代の影響が大きいと東大のなんとかって先生がラジオで言ってた 徳川の場合は
日本の科学技術を二百数十年停滞させた罪だよな
社会制度自体は優れていた >>157
インドは豪族同士の争いに欧州が加担して
領地奪っていく戦法にやられたパターンだな
白人ってガチのサイコパスが多いから信用したら駄目だぞ
日本もそのパターンをやられかけたが
徳川慶喜が無抵抗で政権明け渡したから大きな内戦にならなかった
無学なネトウヨ気質の奴ほど欧米が正義だと勘違いしているが
あいつらは悪魔だぜ 関東でも部落差別はあったよ。
25年前まで品川駅の向こう側には
行きづらい構造になってた。
昨今は不動産会社の陰謀で
海沿い川沿いのマンションが人気だから
元部落に自称セレブが住んでるけどw >>172
幕府も学者も「中国の学問こそ本流であり正義!」つって南蛮の学問を軽視し続けてたからな。
既得利権と自分等に都合の良い制度を必死に維持した結果だわな。
それでも「うわ蛮学レベルたけー!これ取り入れないとヤバいぞ!」って
蘭学者達が弾圧されても踏ん張ってくれたおかげで今がある。
先人に感謝だ。 歴史嫌いだし分からない
大河嫌い
光秀のスマホみたいなのやって!
分かりやすい 前回のラスト、竹中斉彬の「せいこせいこせいこ!」はさすがにやり過ぎじゃね?
実は誰よりも信頼していたという臣の絆を表現したんだろうけど、あれ現場で渡辺いっけい絶対爆笑してたろ >>173
サイコパスつーか
利益のためになら義理やら情けは不要
戦争も殺戮も正義って考え方なんじゃね?
日本人がiPodやiPhone作れなかったのは、
傘下に連なる部品メーカーを大手家電メーカーが切れなかったからって意見もある
グローバリズムの世の中になって
ますますこの考え方が利点になっている。
中国人も合理的だからな
日本人はもうダメじゃね? 士農工商ってテンポある言葉でなぜか好きだったわw
行き来のない身分制度ではなかったから教科書から消えましたはわかんなくはないけど
幕府がそれぞれの身分に応じて権利や義務をある程度定義してたのは事実だし
当時の身分制度を理解するにはいい言葉だとは思うんだけどね 300石取りの中級旗本で手取り100石=100両
1両13万円説でも1300万円の世帯収入
ボチボチな待遇だが実際は5〜7人くらい人を雇わないと駄目だから
役職につけないと借金生活だった >>178
斉彬は島津斉彬(なりあきら)
竹中は徳川斉昭(なりあき)
せいこじゃなくて、とうこ(藤田東湖) 士農工商て老若男女という言葉と同じ「みんな」という意味合い
明治新政府がこれを厳格な身分制度と教育し
戦後は階級闘争史観の教育に引き継がれた >>1
祈祷師を追い出してお姉さんを助けた話
実話なのかな どうせまた何年かしたら変わってんだろ?
実際に行って見てくるしか真実を知る方法がない学問ってしょうもないわ >>128
流通、物流にはコストが掛かる。
家康だって決して商を軽視してたとは思えんのだけどな。 >>139
どうも士農工商を階級闘争に利用したがるがそもそも自由民権運動だって藩閥からあぶれた士族がやりだした運動の側面がある。
農工商も豪がつくと国の行方を左右する政治にも口出したくなる。
最も農工商も江戸時代以前から町、村の自治には積極的に関与していたからなぁ。 うちの子の教科書には、士農工商はないのに、四民平等はあったな。
四民というのは士農工商でと解説した覚えがある。 >>186
姉の発狂と祈?・渋沢栄一
私が十五歳のとき迷信を打破したやったことがあった。
その頃、姉が発狂して十九歳という妙齢の女性でありながら暴言を吐き、暴行をあえてするというふうに状態が激しかったから、
両親はもちろん自分も少年ではあるが、非常にこのことを心配し、常に精神を患った姉に悪口を浴びせられながら、そのあとについて歩いていたほどだった。
ところが、同様に心配してくれた親戚の人々のうち伯母、すなわち父の生家の奥方は大の迷信家だったから、ときどき来ては修験者を招いて祈?をしてもらってはどうかと勧めた。
けれども父はそういうことが嫌いだったから、それよりも病人に滝を浴びせたほうがよいと言って、姉を連れて上州の室田というところへ行った。
すると、その留守中に母はとうとう伯母に勧められて、それでは祈?をしてもらってみようということになった。
そのとき、私は少年ながらこの行動に賛成することができなかったから、反対の意思表示をしたが、もちろん取り合ってもらえるほどの資格はまだなかった。
さて「遠加美講(とうかみこう)」の修験者が二、三人来て、いよいよ祈?を始めることになったが、それには中座というものが必要だから、この役目にはあまり利口でない人のほうがよいとのことで、
最近雇い入れた飯炊き女を振り当て、この女性に目隠しをして幣束つまり神前への供え物を持たせて修験者が祈?する中央に端然と座らせた。
このとき私は何か機会があったら彼らの行動が偽物であることを暴露してやろうと考え、そのきっかけが見つかるのをいまかいまかと待っていた。
やがて祈?が進むにしたがい、中座の女性は持っていた幣束を少し高く振り上げたので、修験者はいよいよ神が降りられたのだと言って、その女性に対して恭しく平伏し、そして神様のお告げを伺った。
ところが飯炊き女がさも真面目に告げて言うには
「この家には無縁仏があって、それが祟りとなって病人に現れているのだ。さっそく祠を建てて十分に供養するがよい」
と言ったので、伯母はただちにそれを信じ、
「そういえば去年、この家から伊勢参宮に出たきり帰らない人がいると聞いていたが、お告げの無縁仏とはこの人のことかもしれない。何と神様はあらたかなものではないか」
などと早くもそういうことにしてしまった。 ところが自分にはそれが一つの疑問の種となったので、中座の女性に向って 「それはだいたい何年頃のことですか」 と問いただした。
女性は 「七十年ばかり前」 と答えた。
私が 「神様なら年号もご存じでしょうが、それはどんな年号ですか」
と聞いたら 「天保三年である」 と言った。
ところが、その天保三年はその頃から起算してわずか二十三年しか経過していないので、私はただちに反論して
「神様なら年代の計算ぐらいできないはずはないが、いま目の前でこんな嘘をつくから神様でも何でもない」 と詰問した。
すると修験者は返答に窮して 「神様が乗り移らずに野狐が来たのだろう」 と言い、おせっかいな子供だと言わんばかりにわたしの顔を眺めたが、
伯母は横から 「そんなことを言うと神様のバチが当たる」 などと言っていた。
しかし、自分は迷信を打破して十分に勝利を得たので心の中では得意だった。
思えば、そのとき修験者たちは最初からその女中に耳打ちしていたのだろうが、ただちに露見するような虚偽によって愚かなる人々を欺くとは、迷信から生じた弊害もまた少なくないことだと思う。 >>175
吉宗の洋学解禁の反動で偏屈な儒学者が増えたイメージだな。
そもそも吉宗の洋学解禁でさらに洋学を探求していった多くが儒学者なんだよ。
洋学を理解できなかった人間、脱落した人間が既得権益守るためにコチコチの儒学者になった可能性は高い。 教科書に四民平等と載せてるくらいだから、士農工商の身分制度があったことは否定してないよね。
ただ教えないだけで。 >>27
身分制度も糞もないんだよ。
武士以外は人に非ずだから。 世界四大文明とかいう日本だけのトンデモ世界史はまだやってるんでしょ? 徳川斉昭「トウコートウコー」
一橋慶喜「シンゴーシンゴー」 「本間様には及びせぬが せめてなりたや殿様に」
と、歌われた本間氏は江戸時代の豪農であり豪商である。
江戸時代の関八州の穢多頭、弾左衛門は世襲で、
幕府から二本差を許され、大名との比較では格式1万石、財力5万石と言われる。
13代弾左衛門は幕府に協力した功績で、配下65名とともに幕臣に取立てられ、移動時に豪勢な大名行列を組んだ。
非人頭の車善七は、千坪近い広大な土地を所有して大きな住居を構えていた。 「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」も、もう通用しなくなっちゃったんだろ?
いったい「日本史」って何だったんだよ まぁ実態として武士以下の身分は分かれていて、
例外はあるにせよ固定化されていたが、
武士以外に上下をつけるような公的なシステムを示す根拠は無かったってことでは?
インドのカーストみたいなものとは違ってたと 部落差別があったんじゃなくて、あることにしないと国から予算が引っ張れないってそれだけな
何度も繰り返すが人が他人を見下してるかどうかなんて傍からは分からない
予算を出したら後付で差別を認めたことになる
だからこのシステムを導入するなら大陸的に一族郎党皆ころしにしなきゃ成立しないんだよ
一生たかられるし
中国様のやり方が正しい >>202
階級対立を狙って
実力(財力)がある方(商人)を下にした
という話を聞いた
あと、えた > ひにん の関係も
えたは、生涯そのままだが、
ひにんは、元の身分に戻れるチャンスが付いていて
えたからひにんを見れば、お前ら俺たちより下じゃん だけど
ひにんからえたを見れば、お前ら生涯そのままじゃん という
相互に蔑視できる形だった
とも聞いた 実際、中級旗本でも無役だと町人以下の生活だったろうからな
武士は屋敷が広い以外は生活水準は高くなかった
逆に町人は住居費がほぼかからなかったから
住環境がうんこ以外は割と良い暮らしをしていた >>204
幕末で外からの脅威が出てくると部落関係の
人員も兵隊に使っていいかとかの伺いが出てきたが、
幕府は使うのはいいが、「平人」と同じにはするなってわざわざ通達してるし、
国民軍の先駆けのように言われること奇兵隊も、部落関係のやつは隊を
別にして名字を名乗らせない、服装に差をつけるとかやってた。
高杉も最初は部落関係は除外しろとかの指示出してたぐらい。
ちなみに身分偽って他の隊にまぎれこんで、ばれて死刑にされたのもいる。
やっぱ完全な部落身分の解消は明治革命を待たなくちゃダメだった。 >>203
源頼朝が征夷大将軍になったのは1192年で変わらないけど、「鎌倉幕府の成立とは何なのか」という定義が変わってしまったからな。
理系分野ならよくある事だけど。 ほんと同和教育は害悪だな
見てきたかのように嘘を吐きやがって
穢多だって今なら分かるだろう
コロナ同様、動物の皮革は伝染病の元になるので扱いは許可制で一般人からは隔離されたのが一番の理由らしい
差別で見下したから。んなもんはあとから朝鮮人が考えた言いがかりだ >>208
江戸時代までは慣習的土着地域的なものだった部落差別も
富国強兵やら四民平等やら議会制民主主義やら
欧米的な社会政治制度の導入と、
鉄道網など人の移動が大規模になる時代になるにつれ
その存在が江戸時代と同じように扱うわけにはいかなくなってきた
ということではないでしょうか? まあ徳川幕府政府から明治政府へクーデターによる政権移行がなされたんだから
以前の政権である徳川幕府の政策に関して悪し様に言って当たり前
江戸時代は士農工商が市民という広義の意味で使われていたのにいつの間にか身分制度にすり替えられ 不都合だからと歴史から無かったことにしちゃうとかw
韓国かよ ドラマで栄一たちの村の代官が道路工事するからと村の豪農たちから度々何千両とか取り立ててるけど実際にあんなことあったのかねえ?
商人への借金で首が回らない藩とか沢山あったはずだし武士だからって下の身分のものから好きなように取り立てられる時代ではなかったはず >>115
これだから低学歴はw
円周率が3なんて教育はどこにもないのに まあ武士の身分は、いわゆる裏から金で買えたので
そんなに徹底した身分主義でもなかったそうだ 豪商とか豪農とか、下級武士よりはるかにいじゃねーか >>211
国家神道で天皇制政府の功績は大きいだろ。
アメリカの黒人差別、インドのカーストやイスラムの多妻制みたいに
いまだに残ってる形で近代に突入するケースもあったんだし。
政府がリードして部落身分を消滅させて側室制度も公式に廃止、
女子留学生まで国費留学で送り出したりとか近代の基礎を築いたおかげで
現代がある。 アメリカなんかついこの前まで黒人の血に基づいて
法律で結婚禁止、公正な司法の否定とかガチでやってたからな。
この手の制度をモデルにしたのがナチス。
マララに向かって「女が学校行くな!」って銃撃してたのがイスラム原理。
それに比べて明治の天皇制政府の男女平等ぶりよ。
政府が率先して高い教育を受けさせようとしてた。
日本が国としてナショナリズムでまとまるようになったのも明治革命の力が大きい。 >>8
農商工は相互に移動が可能、婚姻も盛ん。
大体、農民の余った人口が商工の下位の労働者として都市に流入。
武士→浪人→帰農したり商工民になったりは多々あったが、農商工の生まれの男が武士身分を獲得することは江戸時代には殆ど不可能。
武士の屋敷に働きに出たり妾にはいったりしていた女の産んだ子が武士の継嗣になることは時々あった。
「御家人株を買う」「持参金付の養子で御家人になる」とかいうのは、農商工民が武士になるのではないよ。御家人は正規の武士身分ではないから。
一代限り帯刀を許して俸禄も一代きりの、臨時雇いのようなもの。
慣例で後任を指名できる場合が多々あったのでその後任指名を買うとか、子とか弟とか甥とかの血縁では後任の指名を拒否される場合が少ないから養子の体裁をとった
というもの。
明治の身分の再編のときには、御家人・郷士・足軽・同心は、「士族」ではなく「卒族」に分類して、間もなく「卒族」は平民に統合。 江戸幕府中期までは身分や家柄が絶対だったのかもしれないが幕末の頃は2代前までは武士ですらなかった勝海舟が幕府の実力者とかになってるので相当実力主義というか身分制度も崩れてきてる 江戸幕府中期までは身分や家柄が絶対だったのかもしれないが幕末の頃は2代前までは武士ですらなかった勝海舟が幕府の実力者とかになってるので相当実力主義というか身分制度も崩れてきてる >>221
でもさ白人はでかい黒人●ンポには抗えないようだ
ソースはBlacked >>223
確かに勝海舟の生まれはそうだが父親が旗本の勝家の婿養子になってるので代々の幕臣だよ >>27
むしろ逆
とある層の存在をなかったことにしたら当事者が黙ってない >>214
取り敢えず史実では
岡部の代官の方が豪農の屋敷を回って頼んだんだってさ >>75
増えたのは家光の時代まで。そこから、少し増えては少し減りの停滞時代。
18世紀19世紀ったら世界中で人口増えまくりなのに、日本は鎖国の中世の延長戦の停滞時代。
幕藩体制崩壊するや、人口急増。 占い
Qおじいさま、数学なんかチンプンカンプン♪?
「バスケットボールの女の子たちが集団で追求したゴールには、この王家の優れた力と責任を果たす玉座ができ上がってしまった」
→まるでお手上げ〜♪ >>85
儒教大嫌いなモンゴル帝国時代は
一官二吏三僧四道五医六工七猟八民九儒十丐
猟は遊牧民、民は農民、商業はあらゆる階層が兼業、最後の丐は物乞ということになってるけれど分類不能職業のこと >>100
幕末に、知行に施政できるような旗本、そんなに残ってないだろ >>114
古代ギリシャ。
殆どの額に汗する労働を奴隷にやらせていたけれど、
市民の特権として、神事・政治・戦争。神殿の造営なんかも市民の特権で石切り場から石材を割いて丘の上に運んで削って積み上げて磨くというのも、
参政権・武装権持ちの市民の奉納神事として特権として行っていた。
パルテノン神殿とかも、奴隷の手足を使わず、市民が上位層から手弁当で出張って造った。 >>223
250年以上武装特権を世襲してきた武士が、いざ大事となると点で役に立たないことが判って、倒幕。
実際に、戊辰戦争なんて、宮様やお公家さんの戦大将に農工商民かき集めたにわか仕立ての維新軍が、
武士で編成されてる佐幕軍を蹴散らしていたでよ。 代官は御家人や下級旗本なので
実際はそんなに偉くない 士農工商という階級制度があったというよりそれぞれの職業集団の中で封建主義的なシステムがあったという方が正しいんだよな
特に農については戦後の農地解放まで封建主義的なシステムが残った
まあ農地解放は実質的に日本の農業を弱体化させるための施策だったが >まあ農地解放は実質的に日本の農業を弱体化させるための施策だったが
昔は強かったみたいな口ぶり >>229
技術革新が停滞してて米に偏りすぎてて東北の寒冷地で
米作に向かないところまで農業やらせようとしてたからな。
しかも幕府は中央政府として介入が弱いから
飢饉の時とかも近くに食糧事情ひっ迫してない藩があるのに
その辺の調整もしなくて犠牲者増えた >>209
江戸幕府成立も、家康が関ヶ原で勝った1600年でいいよな。 身分制とだけ言えばいいのに士農工商なんて訳のわからん用語使うの?
はっきり言って士分と町人だけやん いやいや身分制度はあっただろ
抜け道で違う身分に慣れただけで
歴史改変とか江戸仕草とか胡散臭え エタヒニンを妖怪扱いして謹慎になったアイドルはまだ謹慎中? 大阪のアイドルの話の時に士農工商その他諸々は今でも授業で習うから問題ないって暴れてた奴って単なるアイドルヲタだったのか 聖徳太子はいなかったことが定説になりもう教科書は載ってない >>3
日本には身分制度は無かったと歴史を改竄してんだろな
穢多非人とかも不都合な真実だしそのうち消えるんだろw >>203
あまり触れられないけど戦前も今と同じ1185年に成立ってスタンスだったそうな、1192年説は戦後から60年程の間だけ主流になってただけ
個人的には律令制的な定義で言うなら1190年、現代人のイメージする全国政権的な意味なら1221年だとは思うんだけど >>3
あまりにそつちなパワーワードなため、マルクス史観からのバッシングによく使われたんだよな >>3
士>農=工=商
実際は侍だけ上で、他は身分同等だった
しかし農民からは半分ぐらい年貢を取れ、商人から年貢を取る方法が少なく農民が一番有難い存在
貧乏侍は田畑耕したり、工の内職したりはあったが、商人のバイトはしない
侍は銭を蔑視し、買い物では財布を渡しそこから商人に金を抜き取らせるのが普通
侍の教育ではソロバンは習わず、低い身分の勘定方だけが習った
侍視点では士>農>工>商、は存在していた 士農工商の説明から幕末を 武士vsその他 で説明したのはよかったな
第一回のアバンでいつもの幕府かわいそ徳川わるくないで行くかと思ったけどそっちは飽きたからもう要らない いくら不都合な歴史でも、無かった事にするのは朝鮮的発想 「士農工商ではなく、人口のわずか7%の武士がその他を支配していた」って聞いて
「身分制度が無かったことにしている!」って騒ぐのは日本語力やばそう
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