【プロレス】不沈艦ハンセン ラリアット誕生秘話、3度の大手術
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
https://i.imgur.com/8ERu6C7.jpg
長くトップ外国人レスラーとして日本のリングに君臨したスタン・ハンセンさん(米国)が引退して今年で20年になる。
1975年(昭50)の初来日からラストファイトとなった2000年(平13)10月28日の全日本プロレス日本武道館大会まで四半世紀、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、三沢光晴ら日本のトップレスラーと、数々の名勝負をプロレス史に刻んできた。
昨年11月、故ザ・デストロイヤーさんの追悼興行で来日した彼を、約30年ぶりに取材する機会に恵まれた。現在の暮らしぶりから、現役時代のエピソード、日本のプロレスへの思い、そして、あの一世を風靡(ふうび)した必殺技『ウエスタン・ラリアット』誕生秘話まで、じっくりと話を聞いた。
◇ ◇ ◇
現役時代と同じテンガロンハットをかぶったハンセンさんは、取材中ずっと柔和な笑顔だった。リングに別れを告げて18年。19年8月には70歳の古希を迎えた。目尻を下げて穏やかに語る姿に、あのたけだけしい“不沈艦”の片りんはなかった。
「週に5、6回はジムに通って、自転車をこいだりしています。それから日本人の妻が心臓外科の看護師をしているので、私が代わりに毎日食事の準備をします。昔は肉ばかり食べていましたが、今は週に1、2度ほどで、魚を週2、3度食べるようになりました。ベジタリアン(菜食主義者)ではありませんが、野菜もすごく食べるようになりました。いい生活です」
現役時代は195センチ、140キロの巨体を生かした桁外れのパワーとタフネスで、日本人レスラーたちの高い壁となり、その妥協のない全力ファイトは日本のファンからも支持された。一方で長い間、肉体を酷使し続けた代償は決して小さくなかった。
引退直後に2度の大手術を受けた。1つは背中の腫瘍の除去手術。マットにたたきつけられ続けた影響でできた背中の腫瘍が、脊椎を圧迫して体の一部がまひしていたためだ。もう1つが関節が摩耗して、骨が砕けていた両ひざに人工関節を入れる手術だっだ。幸い日常生活を送れるまで回復したが、代償はそれだけではなかったという。
「実はその後、両肩も手術して人工関節に取り換えました。これから右手首も手術する予定です。でも、それ以外は今のところ健康です。気分はいいですし、元気ですよ。たぶんね(笑い)」
アメリカンフットボールの選手だったハンセンさんは、ウエスト・テキサス大を卒業した72年、NFLのボルティモア・コルツに入団したものの、ほどなくして解雇された。ちょうどその頃、大学の先輩で日本でも人気レスラーだったテリー・ファンクの誘いを受けてプロレスに転向した。
75年、26歳の時に全日本プロレスに参戦するため初来日した。77年には新日本と契約してアントニオ猪木の宿敵としてトップ外国人レスラーに君臨。81年の全日本復帰後は馬場、鶴田、天龍、三沢ら日本の歴代王者らと名勝負を繰り広げた。どの試合も激しく、白熱した。あのタフネスとパワー、無尽蔵のスタミナはどうやって身に付けたのか。
「自分のストロングポイントは実はパワーではなく持久力でした。だからパワーより心肺機能を高めてスタミナをつける練習を重視していました。毎日、朝食前にホテルの階段を上り下りするトレーニングを続けていたのです。それが私のプロレス人生を支えてきたのだと思っています。あの(225センチ、230キロの大巨人)アンドレ・ザ・ジャイアントとの対戦前だってパワー系の特別なトレーニングはしていません。試合の流れの中でチャンスをうまくつかもうと考えていました」。
4/8(水) 14:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200408-24080313-nksports-spo
https://i.imgur.com/645Z4J7.jpg
https://i.imgur.com/fU7zNMm.jpg
https://i.imgur.com/x5vRoZd.jpg
https://i.imgur.com/ZDObfOl.jpg
https://i.imgur.com/d1BmXsK.jpg
https://youtu.be/rwxl0EsdFTI
サンライズ 必殺技は大概パクられただろ
ファンク兄弟のスピニングトーホールドだけはパクられなかったけど 基本全日新日2団体でプロレス対象以外交わらなかった方が幸せだったかも >>396
今見てもいいなぁこの試合
全盛期をやや過ぎていたハンセンも、遥か前に全盛期を過ぎていた馬場も
全盛期の三沢と小橋と長時間にわたって闘ってて、涙が出てくる試合だった
ハンセンも馬場も改めて凄い >>391
ちょうど身長差の関係でラリアットが絶妙にヒットしたらしい >>5
ウィーじゃねえええええええええええええ
Youth(ユース)だああああああああああああああああああ >>437
サポーター直すだけで観客の心がザワザワする。 >>440
小橋の技構成が若手らしくとっ散らかってていいな >>419
あれマジ失神じゃないよ
未だにマジと思ってる人多いからやっぱりハンセンが上手いんだろうね >>437
歌舞伎で言えば見得を切るって奴だ
カッコイイではないか >>241
ネプチューンマンはホーガンがモデルだろ
バッファローマンがハンセンとブロディを合わせたようなモデル 最後は年取ったハンセンが全日のコーチみたいに見えた ハンセンは怪獣が大暴れしてるみたいだから
ウルトラマンとか戦隊モノで育った当時の日本人にはハマるよねw
ハンセンやブッチャー好きになっちゃうとこも
怪獣にもいい奴いたりカタルシス感じたりする日本人らしい >>443
お前誰だよ。
関係者でもない人間の話を誰が信じると思ってんだ。
関係者ですら話盛ること多いから信ぴょう性に欠けるってのに。 馬場がいたころは四天王とハンセンはいい感じだった
馬場が死んだら、元子のせいで全部メタメタになった ローランドボックとタッグを組んだが対戦させて欲しかった。 ただのビッグインジャパン
米じゃ無名だから誰も知らんし
殿堂入りのスピーチで「ウィー」言うてもシーンとしてたのわろたww >>1
昔の全日見ると、ハンセン、ブロディ、ウィリアムスって塩だよね。 ラリアットをアメリカではクローズラインと呼ぶのは知ってたが、
closelineでなくてclotheslineなのね。
洗濯物の物干しの意味だと。
clotheline football で検索したら、ラリアットそのものの画像もヒットした。 >>391
初期は大熊元司。
背が低くて前傾姿勢のハンセンの肩が喉元にきれいにはいるし、
いかにも頑丈だしね。
当時の大熊はたけしの番組に出ていて、たけしがよく、
「ラリアット食い過ぎですよ」みたく突っ込んでいた。
大熊がラリアットを食うシーンもその番組で流していたような。 ウエスタンラリアートはアッパー気味で振り抜くから相手の頭が綺麗に垂直にストーンて落ちるのよな
小島がそのスタイルに変えてフィニッシャーにしたがハンセン程の説得力は流石に無かったな 初登場の乱入時の試合後、ドリーを3人でボコボコにしてるとこへ馬場鶴田が止めに入って、星パン時代の鶴田がジャージ振り回して奮戦する姿にテレビの前でにまだ流しながら大声出してたわ
もう一度あんな思いでテレビを見たい 1975年の初登場時で全日本プロレスでは186cm112kgと紹介された。
1977年3月に新日本では196cm143kgと船橋アナは紹介したがずいぶんちがうな。 ボック初登場の時リング下にハンセンが現れておおっと思ったが
試合終わったらリングに上がってボックの手を上げててええって思ったな
まあみんなボックとはやりたくないよな >>466
時代的に日本人対ガイジンが基本フォーマットの上に
ペーペーのハンセンがメインエベンターのボックに挑戦って意味わからないじゃん >>465
あの体格で186cm112kgなわけねーだろ。
お前の記憶が間違ってんだよ。
頭ボケてんだろ。 >>465
新日本は身長鯖読みがひどいから、外人レスラーもそれに合わせて水増し。
あの藤波辰巳も何年公表身長が増えて、最後は186センチ!
179センチの長嶋茂雄と並んでほぼ同じ背丈なのに。 >>467
YouTubeのデストロイヤー戦を見なさい。
倉持アナが186cm112kgと紹介してるよ。
デストロイヤーは175cm100kgくらいかな。 >>467
え?当時ハンセンはすでに外人のエースだよ
鳴り物入りの新入りの試合中わざわざリングサイドに出て来たら
ピリピリしてんのかってときめくだろ
ハンセンvsボックなんて超ドル箱だからな
そしたらボックの手上げてるからさ
つーか当時見てないでしょ? 全日本では186cm114kgのマードックは新日本のリングに上がると
猪木や藤浪よりもかなり大きかった。 アンドレは馬場と並ぶとさほど身長差はなかった。
それなのにミスター高橋は正確に測れば240cmはあると言ってたね。 あの雄叫びってなんて言ってたの?
子供の頃ピー派とウィー派に分かれてたんだが >>465
晩年は試合前の紹介で毎回300ポンドで適当だなと思った 馬場が「猪木もうちならジュニアヘビーだな」とか言ってたな
全日本は105キロで区切るし、プロレスはちゃんと体重測定とかしないからね テリーが大学の先輩なのに
よくあれだけボコボコにするよなあ
遠慮しろよ >>480
テリーが望んだんだろ。ブッチャーのフォークとかもやり過ぎだったし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています