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長くトップ外国人レスラーとして日本のリングに君臨したスタン・ハンセンさん(米国)が引退して今年で20年になる。

1975年(昭50)の初来日からラストファイトとなった2000年(平13)10月28日の全日本プロレス日本武道館大会まで四半世紀、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、三沢光晴ら日本のトップレスラーと、数々の名勝負をプロレス史に刻んできた。

昨年11月、故ザ・デストロイヤーさんの追悼興行で来日した彼を、約30年ぶりに取材する機会に恵まれた。現在の暮らしぶりから、現役時代のエピソード、日本のプロレスへの思い、そして、あの一世を風靡(ふうび)した必殺技『ウエスタン・ラリアット』誕生秘話まで、じっくりと話を聞いた。

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現役時代と同じテンガロンハットをかぶったハンセンさんは、取材中ずっと柔和な笑顔だった。リングに別れを告げて18年。19年8月には70歳の古希を迎えた。目尻を下げて穏やかに語る姿に、あのたけだけしい“不沈艦”の片りんはなかった。

「週に5、6回はジムに通って、自転車をこいだりしています。それから日本人の妻が心臓外科の看護師をしているので、私が代わりに毎日食事の準備をします。昔は肉ばかり食べていましたが、今は週に1、2度ほどで、魚を週2、3度食べるようになりました。ベジタリアン(菜食主義者)ではありませんが、野菜もすごく食べるようになりました。いい生活です」

現役時代は195センチ、140キロの巨体を生かした桁外れのパワーとタフネスで、日本人レスラーたちの高い壁となり、その妥協のない全力ファイトは日本のファンからも支持された。一方で長い間、肉体を酷使し続けた代償は決して小さくなかった。

引退直後に2度の大手術を受けた。1つは背中の腫瘍の除去手術。マットにたたきつけられ続けた影響でできた背中の腫瘍が、脊椎を圧迫して体の一部がまひしていたためだ。もう1つが関節が摩耗して、骨が砕けていた両ひざに人工関節を入れる手術だっだ。幸い日常生活を送れるまで回復したが、代償はそれだけではなかったという。

「実はその後、両肩も手術して人工関節に取り換えました。これから右手首も手術する予定です。でも、それ以外は今のところ健康です。気分はいいですし、元気ですよ。たぶんね(笑い)」

アメリカンフットボールの選手だったハンセンさんは、ウエスト・テキサス大を卒業した72年、NFLのボルティモア・コルツに入団したものの、ほどなくして解雇された。ちょうどその頃、大学の先輩で日本でも人気レスラーだったテリー・ファンクの誘いを受けてプロレスに転向した。

75年、26歳の時に全日本プロレスに参戦するため初来日した。77年には新日本と契約してアントニオ猪木の宿敵としてトップ外国人レスラーに君臨。81年の全日本復帰後は馬場、鶴田、天龍、三沢ら日本の歴代王者らと名勝負を繰り広げた。どの試合も激しく、白熱した。あのタフネスとパワー、無尽蔵のスタミナはどうやって身に付けたのか。

「自分のストロングポイントは実はパワーではなく持久力でした。だからパワーより心肺機能を高めてスタミナをつける練習を重視していました。毎日、朝食前にホテルの階段を上り下りするトレーニングを続けていたのです。それが私のプロレス人生を支えてきたのだと思っています。あの(225センチ、230キロの大巨人)アンドレ・ザ・ジャイアントとの対戦前だってパワー系の特別なトレーニングはしていません。試合の流れの中でチャンスをうまくつかもうと考えていました」。

4/8(水) 14:10配信
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