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2020年3月23日



時代の経過とともにおおらかさが失われつつあり、物事をユーモアで受け止めない人が多くなった昨今。「ドラマが小さくなった」とこぼす。「世の中やり過ぎないと面白くない。中途半端なんだ」。

半世紀以上の脚本家生活で導いた大原則がある。「最初に大きなウソはついていい」。

名作「北の国から」も「あんなところに住むこと自体が大きなウソ」と語る。「大ウソのボルテージが高い分だけ、スケールが大きくなる。その基本形をみんな忘れている」と指摘する。

一方で倉本作品に一貫しているのが「小さなウソ」がないこと。人々のキャラクター、性格を細かく掘り下げ、場面ごとにどう動くかをとことん考えた。また職業や地域の風習に基づく、何げないしぐさや習慣を物語に落とし込む。こうした細部のリアリティーが「大ウソ」とのコントラストを鮮明にするのだ。

豪快さで鳴らした、元石原プロ専務の“コマサ”こと故小林正彦さんと作ったテレビ朝日「祇園囃子(ばやし)」(05年)は、京都・祇園の通りを封鎖し車1台も寄せ付けずロケを敢行。「そういうバカがいなくなった」とこぼす。

 コンプライアンス重視の時代背景、制作費の限界も理解しているが「考えることをみんなしなくなった。根っこを考えず、どんな花を咲かすか、どんな実をならすかばかり。だから根っこのないドラマになる」と訴える。

 狭量な時代だからこそ、ドラマはスケールの大きな虚構でなければならないと話す。たとえば芸能人が不倫を責められる昨今「そんな役者だって、浮気ネタでドン!とやりゃいいじゃないか」と語る。

「僕も昔はショーケン(萩原健一氏)とか(不倫や不祥事を起こした俳優)のことを書いた。今でもできますよ。もっと破天荒でいいと思う」。豪快かつ繊細な作品作りを後進に期待している。

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