史上最もラウドなバンド10組:ギネス記録や会場の天井にヒビが入り、地震計に計測されたライブ
Published on 1月 31, 2020 uDiscoverMusic Written By Martin Chilton
https://www.udiscovermusic.jp/stories/loudest-bands-in-history


1975年、モーターヘッドのレミーは有名なジョークを残した。

「俺たちは超ラウドなバンドだから、もしも俺たちがあんたの隣に引っ越したらあんたの庭の芝生は全滅するだろうな」

これは彼らが世界一喧しいバンドとしてギネスブック世界記録に登録されようと躍起になっていた頃の発言だが、確かに、モーターヘッドは常に世界屈指のラウドなバンドのひとつとして、常にその名を挙げられている。

もちろん、コンサートに行く人々の聴覚神経が破壊される危険性は現在ではかつてよりもよく知られていて、ギネスは後にこのカテゴリを除外している。だが、世界で最もラウドなドラマーのカテゴリはまだ続いていて、2006年にオーストラリアでのギグで137.2デシベルの音量を記録したCol Hatchmanが記録保持者だ。これは聴覚障害が永久に残る危険性がある騒音レベルよりも約50デシベル高い。

今回は、サウンドの障壁を叩き壊す、史上最も騒々しいバンド10組のご紹介だ。


●ボブ・ディラン&ザ・ホークス (1966年)

すさまじく騒々しいコンサートといえば、普通はロックやヘビー・メタル系のバンドというのが相場だろう。ニューポート・フォーク・アンド・ジャズ・フェスティバルはそんな一群にとっては厳しい場所だ。しかし、1966年にヨーロッパをツアーしていたフォーク界の旗手ボブ・ディランは、新しく結成した自分のエレクトリック・バンドのために、より大きな音量で演奏できる環境を求めていた。そして彼はリチャード・アルダーソンを雇い、ライブ用の新しいサウンドシステムの開発を依頼したのだ。(中略)


●レッド・ツェッペリン (1969年)

大音量の音楽によってエンドルフィンの分泌が誘発され得ることは科学者たちによって実証されている。ならば1960年代も後半に至って、レッド・ツェッペリンが音量を上げ始めたとき、彼らのファンはさぞ喜んだことだろう。最初の2枚のアルバムのリリースに続く1969年にグループはカナダをツアーしており、同年、アメリカの言語聴覚士職能団体ASHAはバンドの「Heartbreaker」の演奏中、130デシベルという値が記録されていたと発表している(当時の音楽評論家は、大音量で地震が発生したと言っていた)。(中略)


●ディープ・パープル (1972年)

大音量を獲得するためにディープ・パープルは1万ワットのマーシャルPAシステムを購入した。あるコンサートではスピーカーの近くで立っていたオーディエンスが卒倒してしまったこともある。1972年には、ロンドンのレインボーシアターで117デシベルを記録したことから、世界一ラウドなバンドとしてギネスブックに承認されている。グループのドラマー、イアン・ペイスは、「ロックン・ロールは昔とは違うレベルになった。ボリュームが桁外れにデカくなったんだ」と語っている。


●ザ・フー (1976年)

爆音で有名なザ・フーだが、それは警句としての意味も持っている。1976年5月31日、ローウェル・ジョージを擁するリトル・フィートらのステージを観ようと75,000人がロンドンのチャールトン・アスレチックのサッカー場に集まった。その時のヘッドライナーはザ・フーで、雨の夜に行われた彼らのパフォーマンスは126デシベルを記録。しかもそれはスピーカーから100フィート離れた位置で計測した値である。(中略)


●マノウォー (1984年)

モキュメンタリー映画『スパイナル・タップ(This Is Spinal Tap)』では、最強の大音量バンドを目指したバンドたちが対抗心を燃やす様を風刺として描いている。例えば、ライバルのひとつ上をいこうというわけでバンドのアンプのボリュームが10ではなく11になっているという場面などがある。しかし、ニューヨークのヘヴィ・メタル・バンド、マノウォーは実際に技術を用いてハードルを上げてみせた。なにしろ彼らの契約の条件項目として、サウンド・システムの最低音圧レベルを126デシベルに指定するという条件が盛り込まれていたのだ。

そして1984年、ドイツのハノーバーでのステージで129.5デシベルという数値が2人のサウンド・スペシャリストによって確認され、彼らはザ・フーが持っていた世界記録を遂に更新した。(中略)