【野球】野村克也が「王貞治」に抱いたジェラシーの正体
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プロ野球の名監督、野村克也。84年の人生を振り返ると「嫉妬にまみれていた」。幼少期の劣等感、そしてノムさんが嫉妬した男とは。
■海水入り酒瓶で素振りユニフォームも買えず
「嫉妬」とはつまり「やきもち」のことだろう。最近ではやきもち妬く相手もいなくなったが、若い頃はずいぶんと妬いた。
育ちからして他人を羨まざるをえない。思えば俺の人生、嫉妬にまみれていた。
俺が3歳の頃に親父が戦争で死んで、そこからずっと母子家庭。
当時は学校で「父親がいない」ってのは、それだけでもう劣等感の塊だ。
母親が必死になって働いて、それでも生活はカツカツ。
俺も小学3年生から新聞配達をして、夏はアイスキャンディー売り、冬は近所の子守なんぞをしたもんだ。
子どもはさっさと寝かすに限る。そうしたらこちらは楽だからね。でも、その親からは怒られたねぇ。
「昼間寝かすから、夜寝ないのよ!」って(笑)。学校ではいじめられてたよ。
4つ年上が仲間を引き連れて校門の前で待ち伏せして、教科書をぶちまけたりしょうもないことをしていた。
野球を始めたのは中学3年生から。でも貧しくってユニフォームなんて買えねえの。
集合写真撮っても俺だけ短パン、ランニング姿。試合では後輩からユニフォームを借りていた。
実は俺の野球人生は中学で終わるはずだったんだよ。
母親から「中学を卒業したら働いてくれなきゃ困る」っていわれて。だけど兄貴が「高校くらい出ていないと将来苦労する。
俺が大学進学しないで働くから」と後押ししてくれたんだ。もう頭が上がらないよね。
俺と違って頭がいいのに、その言葉どおりに高校卒業後に就職して、しかもその後、ちゃんと夜学で大学までいったんだから、俺とはまったく出来が違う。
だいぶ後になって兄貴に聞いたことがあるんだよ。
「俺の野球の素質を見抜いていたのか」って。そうしたら、「いい素質しているなとは思っていたけれど、プロになれるとは夢にも思っていなかった」とさ。
野球部の顧問にもお世話になった。金がないから野球ができないというと、わざわざ自宅にまで来て母親に「野村君は野球の素質がある。
私が父親代わりとして就職まで世話をします」と直談判してくれた。こう考えると、俺の野球人生はいつも首の皮一枚でつながっていたんだな。
高校には1日4本しか走らない汽車で登校していたからバイトもできない。
ユニフォームや道具は先輩からの払い下げ。海水入りの酒瓶をバットにして、必死に素振りした。
高校卒業前に、南海ホークスの入団テストを受けた。
部活の監督が「お前ならひょっとするとひょっとするぞ」と大阪までの汽車賃まで貸してくれて、それで見事受かったんだから、自分でもびっくりよ。
でもこれには後日談があって、実は田舎者ばかり受かっていたんだよ。
キャッチャーはとにかくピッチャーの球を受け続けなきゃいけないから絶対数が必要だ。
あるとき二軍のキャプテンにいつ試合に出られるのか聞いたら、「がっかりするなよ、後は自分で決めろ。
テスト生から一軍に上がった奴なんて過去にひとりもいねえよ。お前らは全員ブルペンキャッチャーとして採用されたんだよ」と。
もうショックもショック。田舎者は純粋で忍耐強いだろうと採用されたんだ。
でも、3年後に仲間は全員クビになったが、俺だけ残った。不思議だ。いまだに理由がわからない。
https://news.livedoor.com/article/detail/17334587/
2019年11月5日 11時15分 プレジデントオンライン ヤクルトはもうダメだ、新潟に移転するしかないorz . ■王よ、お前さえいなければ……
そんな底辺にいた俺が野球界に残り、将来を嘱望され華々しくデビューしたのにその後鳴かず飛ばずで消えていく人間がいる。
その違いは何だろうと考えることがあるんだ。
きっとそれは目標と到達点を勘違いするからなんだよ。みんなプロの野球選手になりたくて必死の努力をしてくるわけだろう。
そして夢が叶う。でもそれは人生の到達点じゃない。
むしろ出発点だよ。なのにそこで安心して遊びまくってしまう。
■俺の野球人生で数少ない満足の瞬間
そこに金の魔力がくる。プロ野球選手なんて若くして尋常じゃない給料や契約金を得て、酒と女を覚える。
夜なんて合宿所に誰もいやしねえ。
俺? 俺は契約金0円のテスト生で、遊びたくても金がねえ。
2年間、背広をつくる金もないからずっと学生服を着ていたくらいだから「金のある奴はいいなぁ」と妬みながら、1人黙々とバットを振っていたよ。
俺なんぞは監督が褒めるところがなくて「よう頑張っとるな」くらいしかいえない。マメをつくるくらいしか努力のしようがなかったんだよ。
そんな人生に転機が訪れたのは、入団から3年目。帯同したハワイキャンプで試合に出させてもらえたこと。
理由はなんてことはない、一番手が肩を壊し、二枚目の二番手がハワイで遊び惚けて、監督が激怒。
「もういい! 野村お前出ろ!」と投げやりに仰せつかったんだ。
でもそこで大活躍できて運命を変えたんだから、人生わからないもんだ。人間、努力をすれば誰かしらが見てくれているもんだとも思ったね。
俺の野球人生で数少ない満足の瞬間がある。52本のホームランで新記録をとったとき。
「これで俺の地位もあと10年は安泰だ」と一安心したら、翌年に王(貞治)がその記録を抜きやがった。
表向きはにこやかに接したけど、王、あいつは俺の価値を下げた男よ。あいつさえ、いなければ……。
ちなみに、オールスター戦で王と戦った数十打席、俺は1度も王にヒットを打たせなかった。
「王はこう抑えるんだ」って気概でやったが誰も評価してくれない。なんでやねん。
長嶋? あぁ、あれはもう天才だ。それ以外、何もいうことはねえや。
俺は今、84歳。俺から野球をとったら何も残らない、そんな人生だった。今思うことは、なんで若い選手たちからもっと記録が出てこねえんだろうなぁということ。
野球知識も増えて、才能ある選手もいて。時代的に恵まれすぎているのかな。俺がプロになろうと決意したのが、
小さい頃から苦労をかけてきた母親を楽にさせてやりたかったから。ハングリー精神は必要だよ。
世のなか「努力=結果」ばかりじゃない。でも、努力しなけりゃ確実に結果は出ないんだよ。
「この世界は才能。素質だよ。バット振って一軍になれるなら、みんな一軍になっているよ」って俺も散々いわれた。
でも「才能がない」ってのは、甘美なる逃げの言葉だ。
それくらいなら、他人を妬んでもその感情を「なにくそ!」と力に変えるほうが人を成長させるんじゃないかね。
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野村 克也(のむら・かつや)
野球評論家
1935年、京都府生まれ。54年、プロ野球の南海に入団。70年からは選手兼任監督。その後、選手としてロッテ、西武に移籍し45歳で現役引退。ヤクルト、阪神、楽天で監督を歴任。野球評論家としても活躍。
---------- 野村の著書には王長嶋の名前が頻繁に出てくるが
王長嶋の著書には野村の名前はほとんどでてこない 少し元気になってきたようで何より。
サッチーが亡くなった時の憔悴ぶりは
見るに忍びなかった。 何で残されたか鶴岡に聞いとけば良かったのに
幸運だったのは入団二年目にウェスタンリーグ始まったことだろうね
イースタンリーグも同年に始まったけど一年やってしばらく中断しちゃったから 不人気パリーグ?
DBで鈍足不細工?
大阪球場(後楽園球場より狭い)での記録?
まあどうでも良いけどノムさんは王さんと違って酷い老害だけどな。 暗いな、ノムさんとかハリとか性格がいじけた奴らばかりだ
当時のパリーグがいかに日の当たらなかったかわかる この文を読む限りでは不遇というよりは良い人間に恵まれたなと思うけどw
兄貴や顧問、監督みんな良い人だな 野村が巨人に入団してたら大成してないと思う
王が南海に入団してたら大成してないと思う ノムさんも十分天才だよな
配球読んでたからって600本も打てないっつーの 南海を首になりそうになったときに、そんなことになったら南海電鉄に身投げしますと直談判したらしいね >誰も評価してくれない。なんでやねん。
こんなん言うかw >>17
王さんが南海に入団してても大きい記録残したんじゃない?
球場狭い、投手はストライク勝負、メディア対応しなくて良い
良い事づくめだよw 通算本塁打上位の王、門田、山本浩二はいま動画でみてもスイングスピードがとんでもなく速くて
すげえのがわかるけどノムさんが657本とか意味不明
くっそしょぼいバッティングホームだし >>23
「団野村はイケメン、克則は不細工・・・畑が違うわ」と思ってる。 >>4
そろそろアブナイって自分でも思ってるんだろ >>24
コーチ()なんかで変わらんと思うけど
そもそも打者転向って事なら南海ならなかったかも知れんね・・・ 入団テストで遠投70mしか投げられなかったらしいな
稲村亜美と同じくらいの肩だろ
脚も遅い
このしょぼい身体能力でどうして657本も打てたのか >>31
遠投及びあなたの言う身体能力と
ホームランを打つ技術は関連が薄いからじゃね?
下半身の強さと、ボールに力を乗せる技術は最低必要。
遠投の距離は全く関係なさそうです。 ノムさん、そろそろ自分で死期が近いこと分かってるみたいな物言いだな
後世に何かを残そうとしているように感じる >>16
俺も思った。人に恵まれてるって。でも野村にも人から良くしてやりたいと思わせる何かがあったんだろう。 ノムさんのドキュメント番組見てエモやんが泣いた話好き 安打
1位 張本 勲 3085
2位 野村克也 2901
3位 王 貞治 2786
本塁打
1位 王 貞治 868
2位 野村克也 657
3位 門田博光 567
打点
1位 王 貞治 2170
2位 野村克也 1988
3位 門田博光 1678
歴代2位が多いな >>27
ダンとケニーは伊東芳枝(野村沙知代)の連れ子だね >>33
関係あるよ
王は投手で肩が強かったし
門田は若い頃は俊足強肩
山本浩二も史上最高の5ツールで強肩俊足
落合は肩と足はなかったけど握力90kgの超怪力
ノムさんにはなにもない 妬み、嫉み。野村の発言の端々にそれが観られる
およそスポーツマンにふさわしくない性格 >>1 で散々自分の素質って言って
長嶋は天才とか言っておきながら
まとめが努力では筋が通らない >1
ノムさんが金がねえとかなんでやねん何て言うかな?
インタビューはしたけど何言ってるかわからんから過去の発言をつなげてそれっぽくしたんじゃねえの その他の500本塁打クラブの身体能力
張本 俊足でパワーは力道山道場でナンバーワン
衣笠 黒人とのハーフで日本人離れした身体能力で俊足
松井 NPB史上最強のパワーを誇る若い頃は俊足
清原 新人の頃は脚もあってポスト山本浩二と言われた5ツール 野村が何かの新記録を出した翌日のスポーツ紙のトップが「長嶋、犬の散歩」だったとかで
長嶋にはずっと嫉妬してたというのが定説だったけどw ルーキーたちの年俸
金田正一(国鉄)1950年 120万円 契約金 50万円
野村克也(南海)1954年 8万円 契約金 無し(練習生)
長嶋茂雄(巨人)1958年 180万円 契約金 1800万円
王 貞治(巨人) 1959年 144万円 契約金 1500万円
張本 勲(東映) 1959年 130万円 契約金 200万円
1949年長者番付(当時は収入で発表)スポーツ部門
1位 スタルヒン 46万円
1位 大下 弘 46万円
3位 青田 昇 45万円
現在だと金田のルーキー年俸は、20億円相当
野村の最高年俸は監督兼任の時で、5億円
現在だと育成選手が年俸150億円まで上げた
むちゃくちゃやん 長嶋は六大学のスーパースター王は甲子園の優勝投手
野村は妬む以前に格が違い過ぎるだろ >>37
試合
1位 谷繁元信 3021
2位 野村克也 3017
3位 王 貞治 2831 ルサンチマンが成功の原動力になった典型的な例か
それが人間としての成長に結びつかなかったから、プラマイゼロなのかな そもそも足が速いか肩が良くないとプロ野球選手にはなれないからな
ノムさんはインチキして合格したんだよな
いくらレベルが低い昔でも遠投70mは弱肩すぎる
稲村亜美のほうが強肩だとおもう >>53
王さんって甲子園の優勝投手だったんだ
今知った 苦労は正しく乗り越えないと、人格をねじまげるという悲しい実例
イケメン・長身・大卒が嫌いで、一流には褒めないのが信条、
でも実際自分は褒められたくてしょうがないという構ってチャン
才能と金以外、褒められたがり・他人への当たりがキツイところが
親そっくりでムカムカする
あのサチヨより長生きしてるのも怖い
(※有名野球選手は皆、奥さんが先…
どれだけ苦労させたのか
世のおばちゃんたちが大抵旦那より長生きしてるのに) >>26
適当なことを言えば、最近で言ったら山崎武司みたいな感じだったんじゃないかな?
山崎もゆったりとしていてそんなにスイングスピードは速くないし「なんでそんな打ち方でホームランになるの?」みたいな感じだし。
日本人の成人男性の平均身長が160cmとかの時代に175cmあってガタイもいいし、まあナチュラルなパワーはあったんじゃないかな? 若い頃のノムさんは打者としては一流だが、捕手としては全くダメだったんじゃないかね?
今だったら早々にファーストにコンバートされてるんじゃないか >>58
春の甲子園
本人は投手でやる気だったが、球団は才能なしということで野手に
漫画で読んだ >>13
二軍の連中は練習試合くらいしかなかったのか。
ま、人数は今よりはるかに少なかっただろうから
そんなものでもよかったのかもしれないが。 それがスター性っていうやつですよノムさん
こういうものは生まれ持ってのものだから努力や根性ではどうにもならない そんな兄弟と仲違いしてた恩知らずだろ。
今と違って年俸も違うだろうが、家くらい送っていいくらいなのに。
裏切って性悪女に走る ていうか才能があったから目をかけられたんだろ。w
才能がなかったらそもそも始まってない 技能は成長しても性格は成長しない。
野村や張本がいい例 こんなに公言するってことは、実はそんなにジェラシー抱いてない。
俺の方が上ぐらいに思ってるし、周りにも「いやいや、野村さんのが凄いじゃないですか」
と思われたくて言ってる 王は荒川コーチの前で全裸で一本足打法のトレーニングするぐらい、ナニには自信あったんやろ 口調がおかしくないか まあ東京に逃げてきて久しいけど >>63
王は大阪の寝屋川高校相手にノーヒットノーランしてるな
https://vk.sportsbull.jp/koshien/game/1957/400/6578/
夏も早実と寝屋川は対戦し、今度は1安打完封
https://vk.sportsbull.jp/koshien/game/1957/300/9169/
王は1年夏から4期連続出場したが、3年夏だけ出場できなかった
その大会はそれまで出場できなかった同年齢板東英二が出場し、三振記録達成し準優勝 ノムは影山と出会って配球技術を覚えた。技術論や感性を上回る配球をね。だから意外とメカニックは詳しくない。 左門豊作はノムさんがモデルではないかと思えるほどのスポ根漫画のような人生だな
ノムさんモデルで朝ドラやったら面白そう >>56
野村の考え方だと
どんな境遇でも同じことだったと思う
野村よりはるかに厳しい境遇の人間は無数にいた
「自分は選ばれた人間」と思い続けてたんだろ
で、その思いがエネルギーになったと >>73
板東が長嶋、王を上回る契約金で中日に入団して
親父が契約金を株で溶かしたはなしは何度も聞いたな 寮の窓ガラスが割れても付替えてくれずにベニヤを打ち付けてたり、
試合後の食べ物がポテトチップスだけだったり、
門田がアキレス腱断裂しても担架がないから戸板で搬送したり、
ユニフォームは洗うと縮むのが一枚だけだったり、
貧乏エピソードには事欠かない南海に、ハワイキャンプなんぞする金があったのか。 >>15
金もなかったからな門田がアキレス腱切ったとき担架すらなくて戸板で運んだんだろ。
そら性格もねじ曲がるわ 一番手が肩を壊し、二枚目の二番手がハワイで遊び惚けて、監督が激怒。
「もういい! 野村お前出ろ!」と投げやりに仰せつかったんだ。
でもそこで大活躍できて運命を変えたんだから、人生わからないもんだ。人間、努力をすれば誰かしらが見てくれているもんだとも思ったね。
なんか違うくね? >>30
荒川の指導を受ける前の王なんて凡打者だろ 妻がブスで世間的に隠しておきたいのに、その妻がものすごく出歩くの好きな目立ちたがり屋だというそういう 金本「野村さんは打撃論を全然語ってくれない 僕らはそれが聞きたいんですけどw」 上を見ればキリがないと思うけどな。
ノムさんの努力は勿論だが貧乏ながらも周りの人に恵まれていたんだなと思う。結果、選手として一流だったし、指導者としても一流だったから、幸せな野球人生だったんじゃね? >>84
サッチーは銀座のホステスで美人
ブスって誰のことだ? 野村は荒川道場に王の練習を見学し、あまりの気迫に圧倒されてたのも おまえらホント野村嫌いだな
国民栄誉賞くらいもらってもいい >>78
ハワイの費用を捻出するために他のところが削られたんじゃない?w 野村はヤクルト監督になって長嶋王と肩を並べるスターになったよ いろんな占いの本見ると蟹座でB型ってのが最高に性格悪いらしいんだよ
まあ、俺がそうなんだけどなって言ってたときはお茶目だと思った >>91
1950年代だからなあ。そもそも海外旅行自体気安く行けない時代だ。
多少コスト削ったところで、ハワイキャンプの費用は捻出出来ないだろうな。しかも26日間もいたらしいから。
ちなみに、ハワイで遊び惚けていたという二番手捕手の小辻英雄は、この年のオフにクビになってる。 さちよのせいで恩人である兄と絶縁していたんだっけ? ガチの日陰者の森祇晶と違って野村克也はメディア出演も積極的にやったからな
そういう意味ではあのいかれた嫁も助力にはなってたな >>10
野村のことを書いてる杉浦忠の本も面白かったぞ 才能はあるんだろ
でなきゃあんな記録作れんだろ
才能がないとか謙遜し過ぎ 貧乏はやだね
性格がねじまがる
俺の周りでもほとんどはそうだった ノムはとにかく頭が良い
特に言語センスが優れてる
監督インタビューが毎晩ニュースに出るんだから異常だったよ どうしようもなかった阪神タイガースを優勝狙えるくらい強くした、
その後を継いだ星野のときにすぐ優勝して世間の人々は星野だけを称賛した、 人を見抜く人って居るけど、ドンピシャで見抜く人なんて居ないんだよ
何人か気になって目をかけてた奴の一人が出来る奴に育って〇〇さんが僕を・・
って言うから、〇〇ってスゲェな、見抜いてたんだなって話になるだけで
だからたまに、「いや、まさかアイツがやるとは思ってませんでしたわw」とか答えてる人がいる
人を見抜くなんて簡単じゃない、それに天才だな!って思ってた奴がダメになる事もあるし
逆にダメだなコイツって思ってた奴がミラクル起こす事もある
人間ってわかんねぇもんだよ >>41
そんな少ないサンプル数で関連あるとか言っちゃうって
統計学者もびっくりだね >>26
今と比べてショボいってバカが良くいるけど
そういう時代を経て今があるってことすら分からない頭の悪い障碍者が多すぎw 4番捕手で監督
野村みたいなのももう出てこないのとちゃうかな カネヤンとどっちが先輩かわからなくなる
死んだ時も全くでなかったから仲悪いんだろうけど 野村が老後も悠々自適なのは解説者の仕事の他に、著書がかなり多いため、印税収入も
定期的に入ってくるからか 晩年の活躍はむしろノムさんの方が目立つ訳で
人生をトータルで考えれば何一つ負けていないだろう
今は逆に野村克也の存在によって王、長嶋がクローズアップされる逆転現象が起こったんじゃないか
平成の人に王、長嶋と言ってもピンとはこない
ノムさんが「あの人は凄かった」って讃えたり、貶したりするから、その存在を知るだけ >>97
現役時代は殆ど取り上げられなかったんじゃないか?あれだけの成績を残したにも限らず
球場はいつもガラガラでそりゃまあ捻くれるだろ >>111
王って荒川コーチと畳擦り切れるぐらい素振りして猛練習したってぐらいであんまりエピソード覚えてないな
長嶋は一茂忘れてきたとかいっぱい思い出せるけど 野村と飲みに行きたいな
話が面白い
コラムやって欲しいわ 肩は弱かったが、バッティングが素質があったんだろ。
じゃなかったら生き残れるわけがない。
当時なら打てるとか守れれば捕手なんて出来たろう。
データの鬼ってのもあったろうし、当時としては最先端。
もし20年後に生まれてたら、中学でほんとに終わってる 王こそ努力の鬼だったはず
長嶋は…誰にもわからない >>102
楽天でもそうだけど
やっぱ星野は過小評価され過ぎよ
監督としての値打ちなら星野の方が断然上 ノムさんは月見草キャラにセルフプロデュースしてるだけ
この人はプロ野球の興行的側面を凄く意識してるエンターテイナー
その意味でもプレイングマネージャーなんだよ
楽天監督時代は特に顕著で、記者のために試合後にボヤきタイムをわざわざ作って、キャラを活かしたぼやきトークをして盛り上げてた
プロ野球を面白くしてくれた役者だよ >>97
野村はそこんところをとても大切にしていた。
「長嶋や王はいい野球をすれば自然とお客さんは来てくれるくらいに思ってる。そうじゃないんだ」って言って、ヤクルト監督時代も選手がオフシーズンにテレビ等に出て顔を売ることを積極的に勧めていた。 >>114
>コラムやって欲しいわ
週刊ベースボールONLINEで何年も前からコラム連載してるんだが
一度読んでみ >>24
二本足で打ってただろうね
その場合あそこまで打ってたかどうかつーのは興味あるね 二十歳前後から84になる今日まで
年平均で今のお金で億単位の年収がある人ですわ
金持ち時代の方がずっと長いやん
あんまビンボービンボー言っても説得力ないよ >長嶋? あぁ、あれはもう天才だ。それ以外、何もいうことはねえや。
雑すぎ(笑) メガネをかけた捕手は大成しないって持論で古田取る時も二の足踏んでたらしいけどあんたがメガネかけとるやないかい。 >>124
80過ぎの昭和一桁とか12、3年生まれぐらいの成功した人は どうしても 世間に対して恨みというか強烈な人多いな。あの奥さん貰う人だから 根の部分は大して変わらないんだよ。俺たちには理解出来ない。 ファンの送ってくれたテッド・ウィリアムズの著書「バッティングの科学」に真剣に向き合い、
その中で「投手は球種によりモーション時にクセを見せる」という一言があり、
これをきっかけに投手のクセを研究するようになりスランプを克服した
(ちなみにこの本は日本で出版されたのは1978年のことである。
その南海のファンでもなく阪神ファンである医師の謎のファンは
原板をガリ版にして翻訳してコピーして当時の野村に渡した)。
この珍カスすごいわ。 山崎武に投手の配球を考えて打席に立つように教え込んで打者として開眼させた話は有名だよな。 >>131
あぶさんにノムの前妻とその子供が出てたからサッチーが一方的に毛嫌いしてたと聞いたことある 盗塁王福本との攻防で投手にクイックさせたり日本の野球のレベル上げたのもあるな ノムも資質というか素質はあったんだろ
でなけりゃ3000本近くのヒットと600本以上の本塁打なんて打てやしねえ
努力と運の差だろ
近年ノムに近い奴というと小笠原を思い出す >>102
星野時代に、片岡、金本、伊良部、下柳を連れてきたから優勝出来た
フロントを動かせる政治力の違いだろw >>78
野村入団時は普通に金ある球団だったんじゃない?鶴岡時代は本社に鶴岡シンパがいただろうから 正直だよね
一方の王さんもけっこう正直
監督やめさせられたとたんに藤田監督でジャイアンツ躍進した頃
プロ野球ニュースだったか、ON座談会やって
司会者「王さんがおやめになって、急にジャイアンツ活躍するの見てどうですか」
王「正直いって面白くない気持ちもありますけどね」
長島「んー、どうでしょー、ワンちゃんはですね、いわゆるこれはひとつのテレビなんで、そのようなことを申し上げはしますけど、ほんとうはうれしい気持ちでいっぱいじゃないですか?」
王 ひたすら苦笑い。こりゃミスター本気でいってるなあという表情
あらためて長嶋って人はすごいと思った
野村さんが
長嶋? あぁ、あれはもう天才だ。それ以外、何もいうことはねえや
で終わらすわけだな >>113
王で思い付くのは鯉が口をパクパクさせてるのみて「フェ○○オみたいやな」って言ったのと、江川に対して「おい、嫌な奴が飯食ってるぞ」っていうクソみたいなエピソードあたりかなぁ この人の批評、批判の根源はすべて
「嫉妬、妬み、嫉み、恨み、個人的な私怨」
人間教育の大切さを感じる
だから有能な割りにあまり人がついてこないし、古田は年賀状をださない >>141
王の練習に関しては広岡の著書、巨人監督時代に関してはクロマティの著書を読めばいい 野村は王、長嶋に次いでNo3の大打者
落合より上だと思う 長嶋「野村さん?ん〜・・ベンツに乗って田園調布に住んで、月見草ですか?」 「1度も王にヒットを打たせなかった」と言っても、配球だけじゃなく、
攪乱させることばかり言う「ささやき戦法」が、功を奏したからだろう
同じことを言っても、真面目な王は気にして打てなかったが、
長嶋は「そう?!」と言って、スコーンと打ってしまったという 王、長嶋さんは国民栄誉賞を貰ったがノムさんは亡くなっても受賞は無いかな 日本的姑息な野球しかできないおっさん
王や長嶋が目指してたのはメジャーを意識したベースボール
野球に対する志が違いすぎる >>147
オールスターでノムさんが長嶋に得意のささやき戦法を仕掛けたら、
「野村さん、フグ食べたことあります?美味しいですね!あれ、下関ではフクって言うんですよ」
カキーン!ホームラン。
みたいなエピソードなかったっけ?w サッチー死んだあと速攻かなと思ったけど元気になってなにより
でもそろそろ悟ってるのかな >>102
阪神を三年連続最下位にしただろw
星野が来ずに野村が続けてたら5年も6年も最下位だったと思う
野村は阪神では赤星だけ
今岡は干したし新庄は出て行った 南海とヤクルトの黄金時代を作ったのは
紛れもない事実
南海はサッチーのせいで追放されちゃったけど その落ちた連中とかも野村に嫉妬してたんだろうし。
自分より高いレベルで凄いのを見ると、嫉妬するものだろう。 おい、誰か
野村におまえは凄いよ、偉大だよーって言ってやれよ
誰も褒めてくれないからすねてるぜ >>5
まあこれよ。
いつも日陰者扱い
顔つきから言動も、もう日陰道を歩んできたそのものだな。 >>155
次の監督に星野を推薦しただけでも凄いと思う。
生え抜きじゃなく、阪神に必要なのは星野みたいな厳しく、変な癒着の無い人物なのは正しかった。 ここには出てないけど
通算本塁打1位だった野村が1973年シーズン中、王に追い抜かれ2位に落ちるんだけど
1973年夏、二週間ぐらい野村対王の通算本塁打1位を巡る
抜いたり追いついたりの攻防が続いて王が二週間後ようやく追い抜いていった。
で野村はその間、毎日「王の足が骨折して試合に出れなくなりますように」藁人形に
釘打っていたって言うんだから怖いね >>141
前者くらいは許してやれw
後者は、王は人格者でもなんでもないと思わせるに足る暴言だが。 >>141
青い稲妻(松本匡史)に対してこいつのそばにいると感電するからあっちで飯食おうぜって話もある >>164
松本に対する扱いで
中畑のワン公発言が出てきたわけでない 王は巨根だからな。
野村が張本のチンコが小さい、とかバカにするのは自身が粗チンのコンプレックスの裏返しだろう。 ノムの「うらやましー」の供述はとても相手が魅力的に述べられるのであった
長嶋の描写とか秀逸 野村のささやき
王が打者「次はカーブでいくぞ」
王「えっ、カーブですか?」
王、シュートを空振り。
長嶋が打者「次はカーブでいくぞ」
長嶋「今日は、いい天気ですねえ」
長嶋、シュートをクリーンヒット。 >>147
>>150
バットの振り悪いと言ったら「そう思う?ちょっと待ってね」とタイムかけて素振り始めて
「これでいいだろう」と戻ってその直後きたボールをホームランとかもあったな
てか長嶋は素振りの音で調子の良し悪しわかるカンピューターの固まりだから(掛布も松井もそれに頼った >>149
イメージだとそう思い込んでしまうってのはわかるんだが(あの言動的に)
実際はすげー攻撃的だったりばくち打ちだったりする走塁とか戦術だったんだけどなあ野村
基本的に戦力足りないチームを任されることが多かったから意外と奇襲が多いんだよ >>97
森は恵まれた環境に産れたのに子どもの時に家が没落してひねくれた
オレは元から貧乏で向上心しか無かった分オレの方が素直
的なこと言ってたような・・・ ノムさん 「江夏の21球」のドキュメンタリー番組で、
江夏の投球を解説してたが、
南海で2年間一緒にやってたから、
何を投げたから何をさせたいって、
詳細な事まで考えて投球してたんだな、
と分かるのが凄い。 南海時代には、南海カラーの黄緑色のアメ車に乗ってたってさ。
すげ〜、目立っただろうなw >>163
王は若い頃は喧嘩好きでヤクザの事務所にも殴り込みに行くくらいだった
イチローだって人格者じゃないし
長嶋だって奥さんは自殺したって陰では言われている
田園調布の万引きおばさんで有名だったそうだわ
長嶋と結婚したことを後悔してたんだろうなあ >>180
巨人の監督を辞めた後、
芸人のさんまが長嶋家に招かれたそうだ。
スターの長嶋さんだから家でも尊敬されてると思ってたら、
奥さんがさんまの前で「本当にあんたはバカなんだから」
ってボロクソに言ってて、さんまが驚いたそうだ。
長女の件と長嶋さんが倒れた心労で自殺したんだろうな。 >>179
70年代後半はラメとか派手な色が登場したから
意外と違和感なかった。ある外車で一番売れた色が緑なんてのも珍しくなかった? 南海監督時代の野村はミーティングでは選手に高度すぎる知識を要求してたっぽいんだけどな
エモやんが書いたエピソードで、ウェストボールとピッチドアウトの違いを述べよなんて問題が出てくるらしい
ちなみに上記の答えは「ピッチドアウトは明確な目的をもってボールを外す。ウェストボールは相手が何をやってくるかわからないような場合に様子見的にボールを外す。
ウェストボールのウェストはwasteで「浪費する」という意味から来ているから」
だそうだ >長嶋? あぁ、あれはもう天才だ。それ以外、何もいうことはねえや。
草 ちょ、ヤクルトID野球の時はまだ50代だったのか? 長嶋も王も野村も落合もみんな子育て失敗してるくせになに偉そうにしとんねん >>35
何か昔から不思議に愛嬌っていうか憎めない所あるよねw 稲村亜美とか書いてるやつはどんだけ見る目無いんだよw
稲村亜美は110キロすら出ない、今のそこそこの小学生男子以下
昔とはいえ175センチあるノムがそれ以下なわけないだろw >>189
野村克則はコーチとして引く手あまただし
落合福嗣は声優として立派に活躍してるぞ >>1
>でも、3年後に仲間は全員クビになったが、俺だけ残った。
>不思議だ。いまだに理由がわからない。
???理由はあんたがクビ通告されたときに「南海電車に飛び込んで死にます」と脅したからじゃん。
なんでいったん他のメディアで明かしたことを他の取材では言わなかったりするの?
この脅し文句は電鉄会社には訊くぞ。
本当にやられた企業イメージ含めて大損害だからな、本社にも球団にも。 >>163
王は義理を大事にする人間だから
江川の入団の経緯が気に入らなかったんでしょ
レジェンドの中では屈指の人格者だと思うわ 監督としての評価はどうなんだろ
いまんとこはギリ野村>王だけど10年後は逆転してそう >>189
失敗してるのは王だけ
といっても王は子育てを一切せずすべてを嫁に任せてた
自宅では娘たちに「お父様」と呼ばせていたのは有名 偉大すぎるが故にリードというオカルトが蔓延しすぎてしまった
ストライクゾーン25分割で投げ分けられる投手なんて世界に何人いるんだよw
https://imgur.com/k112oX3.jpg 野村が監督として本当に生きるのは野村の野球を理解してそれを実践できる選手がいればこそで弱いチームを強くするよりソフトバンクや巨人か代表の監督が向いてるが残念ながらお声がかからない
で声がかかるのは弱いチームが多い お・・俺の代打の鈴木晴彦などダブルプレーに倒れてしまえ!!!(ウジウジウジウジ) >>130
これ真実だとすると本当に意味がわからないんだよな >>203
バッティングの化学って1978年発売で書いてある内容読むとウィリアムズが
監督やっていた1969年以降の話がたくさん出てきて、書いたのはおそらく1970年前後、
1978年なら野村が43才で、野村が25才の1960年ごろに稲尾攻略の
ヒントを得るため読むことなんか不可能だよ >>139
入団テストの時、昼食のカレーが食べ放題で、野村の食べっぷりに鶴岡が感嘆して入団が決まったとか言ってるね。
得意の誇張、捏造かも知れんが。
選手への食費を一日あたり500円しか出さなかった南海末期とは大違いだ。 >>205
その後の毒ガス耐性テストに耐えたからだな やりたくないのに代表監督のオファー来る人ら
代表監督やりたくてやりたくてしゃあなかったのにやらしてもらわれへん野村 >>189
でもおまえ子育てどころか人生自体を失敗してるじゃん >>210
昔、なんかの番組で引退を決めたときの心情を語ってたな
ベンチで代打は自分だと思ってたら別の若手が指名されて不満を感じた
その代打に出た若手が凡退したときに「それみたことか」とつい喜んでしまった
で、チームメイトの失敗を喜ぶようではもうダメだなと思って引退を決意したとか >>211
王に通算本塁打の記録を抜かれた1973年以降、野村がマスクを被った試合での王の成績は27打数1安打、ということらしい。 >>213
細かいところが違うよ、
一死満塁のチャンスで、スタメンだった野村に打席が回ってきたけど、鈴木葉留彦(もう若手ではない)が代打に送られた。 ロウソクの化学に続きバッティングの化学もベストセラーになるか? >>5
雑草は、月や太陽を妬む
だが、月や太陽が、雑草を気にするかい? プロ野球選手の嫁さんで衝撃受けたのは、野村と落合の嫁と駒田の元嫁だな >>172
こんなしゃべりかたはしないよな
関西人だぜ プロで活躍できるレベルは中学時代はとてつもなく凄いから。誰でも続けさせようとするわ。プロで100勝した投手の中学時代みたけどとてつもなかった。 ビートたけしみたいな文体だなw
こっちのほうが面白いけど ノムさん完全に人生総括モードだな
こりゃそろそろくるか 王さんがいなきゃホームラン、打点の歴代1位はノムさんだったんだよなあ。王め!許せん!と思うのは仕方ない >>63
自分でも薄々気付いてたけど、球団から投手の才能ないから野手で行けと言われた時は相当落ち込んだらしいな。
まあそりゃみんな投手で成功したいと思うわな。 >>15
野村が若手の頃は南海は人気球団だった
鶴岡親分がテレビ中継に否定的だったので阪神に
人気で追い越されてしまった >>80
ワンマンオーナーの川勝傳が寵愛してた野村克也を
放逐しなきゃならなくなってそれ以降チームに全く金
を使わなくなったんだよ
1977年まではむしろリッチだった方だ >>180
王さんと同年代の芸能人(誰かは忘れた)が、「あの人は野球よりも先に喧嘩の強さの方で有名になった」とか言ってたな。 >>29
かねやん曰く沙知代に頼まれて仕方なく獲ったらしい >>78
何十年のスパンがあっても全部「昔」で済ますのは
良くないぞ 南海を追われた後でも
プロで通用する力があったとは思えない
ダンやケニーをそれぞれ広島とヤクルトにねじ込むくらいの影響力があったんだよな。 >>102
星野阪神が一年目に優勝したとでも思ってんの?
一年現有戦力でやってみて「駄目だこりゃ」と大改造
して二年目に優勝だぞ
楽天での優勝メンバーに野村時代の選手は田中と
嶋くらいしか残ってなかったのを知らんのか? >>114
ノムさんYouTuberになればいいのに
まこなり社長と対談してほしい >>114
ノムさんYouTuberになればいいのに
まこなり社長と対談してほしい >>126
最晩年の西武時代の写真を見てみ?
メガネなんかかけてない >>3
>長嶋? あぁ、あれはもう天才だ。それ以外、何もいうことはねえや
こーゆとこホント好きだww >>176
相手に必要以上に警戒させるためにわざとね
ツーランスクイズとかまさにそう
仮に失敗しても相手が意識するようになれば儲けもの >>178
絶好球見逃しでスクイズ警戒は現在の感覚では
セオリーだけど当時は激賞されるようなことだった
んだなと違う意味で感心した映像だった >>243
星野の凄さって、うるさ型で選手を堕落させるタニマチ筋を納得ずくで抑える力だと思う。ノムさんにその政治力はなかった。
落合も東海圏のタニマチを抑えはしたけどやや禍根は残した。 お兄さんもまだ健在なんだっけ?
王さんもお兄さんがいてお医者さんだったな >>176
与田が野村の元で選手をやった時に、
「色々やっても上手くいかない時は何も考えずにズバッとど真ん中に投げて力勝負するのも必要」と言われて、与田も野村に対しては策士という印象を持っていたので意外な一面を見たと語ってたな。 >>252
慶応大学附属病院で石原裕次郎の主治医だったんじゃないかな? >>121
これは大事なことで普及しなきゃ話にならない
いいもの作っても宣伝しなきゃね 戦後、アメリカ裏社会は日本を永続に間接支配するために、容貌が日本人によく似ていて、心や魂が外国人である
在日朝鮮韓国人を登用した。高い地位に就かす代わりに、日本人に成りすまし、反日活動に従事させた。
日本人を社会から抹殺する工作、米FBIが開発した集団ストーカー・テクノロジー犯罪もその一端です。
富山県南砺市警察、或いは南砺市井波消防団は家宅侵入、窃盗、器物破損を繰り返す犯罪集団です!!・・・集団ストーカー >>117
大学時代にメジャーのトレーニングメニュー取り寄せてたとか 王は売国反日球団の提灯持ちになり下がったことで晩節を汚したな 野村に本当にこんなにジェラシーやコンプレックスがあったのかは知らんが、
あれだけの偉大な成績を残してコンプレックス全開キャラというのも一人くらいいた方が面白い
対して落合はコンプレックスの塊みたいなのにそれをおくびにも出さず、
理屈っぽい言い回しで、さも正しいことを言っているかのようにして、
嫉妬の対象となった選手を貶めていく攻撃をする
ノムさんと真逆の存在、球界の害悪 ロッテや西武で指導者にならなかったのが意外だったわ 僻み根性でここまで来たんだから、大した人だよね。
まぁでも光に当てられた人達、王さん長嶋さんとかと比べるとクローズアップされないのは仕方がないかな 長嶋さんは全裸で素振りをしてチンコが内股にパチンと当たる時がベストスイングだと語ったらしいな 貧乏でまともな物食ってないだろうに当時としては平均よりはるかに体格いいよな
俺も貧乏で子供の頃腹一杯食った記憶あんまないけど両親が小さいから160ちょいしかない
やっぱ貧乏でも両親が体格良かったら大きくなるのかね? >>241
広島から古場を受け入れて面倒を見ていた >>261
どちらでも疎まれてたって言うより鶴岡人脈からの圧力が原因では? クロスプレーでスパイクされて、骨が見える裂傷を負っても休まない精神力と身体能力 父親が戦争で死んで母子家庭なんて当時はいっぱいいたんじゃね 野村が現役時代からセリーグは巨人を中心に話題になるが、
パリーグは記録が掛かった時くらいしか話題にならない。
だから、俺は記録にこだわるんだ、みたいな事を言ってたな。
昔のパリーグは観客も少なくて話題も少なかったから。 野村の呟きに王は集中していたので効果はなく、長嶋は呟きに返答しても打つ事が出来た天才。張本は風呂の件を聞いてバットで殴った。 >>237
ノムさん若い頃足はそれほど遅くはなかったみたいだぞ
入団テストで走塁テストは普通にクリアしたらしいからな
遠投テストは審査する人が多目に見てやるから線より前に行って投げろと言ってなんとか合格したらしいがw
日経の私の履歴書で読んだから間違いない >>260
落合が嫉妬する選手なんているのか
大谷やイチローの事ですら激賞してたし >>16
ほんと。兄ちゃんから恩師からいい人に恵まれてここまでこれたのに、首の皮一枚って。
その上貧乏貧乏言ってるけど、昭和10年とかの生まれて、高校行けたとかそこそこ
の家よ。
兄ちゃんのお陰だとしても。 老人の時代遅れの精神論
全体的なレベルが上がったから
昔はレベルが低いやつもかなりいてそいつらから数字を稼いでた >>269
てか戦争で死んでたら、恩給とか遺族年金とか支給されてね? >>278
安定した生活に足りるような恩給や遺族年金が支給されたことはないからな。
そも遺族年金が昭和27年度、恩給が28年度まで支給されなかったし。 >>257
長嶋は大学では砂押に鍛えられてるよ
あまりのスパルタぶりに部員が反発するくらい >>218
「ワンちゃん、ホームランはヒットの延長やろ」
「そうですね、ノムさん」
「監督、王さんまで抱き込んでこんな芝居うってもあきませんよ」
「ワシのやり方に不満のあるやつは手をあげい(まあおらんやろけど)」
「ハイッ!!」
しかし同時期に通算2位と3位がいたんだから南海もたいしたもんだ
もっとも門田さんが量産し始めたのはノムが追放されてからだが
大けがもさることながらカセが外れたのが大きかったんだろうな 金田の400勝も江夏の250奪三振とか昔凄い記録が作れたのは層が薄かったから
当然いい選手もいたが、今なら端にもかからないような選手がたくさんいた。 >>282
昔はプロで稼げるのは野球だけだった。
だから、競争率がメチャ高かった。
今じゃサッカーだバレーだバスケットだと、
プロがあるけど昔はなかった。 >>252
王鉄城さんはお亡くなりだね
しかしあらためてマジンガーか王天上みたいないかつい名前だな >>264
この時代の175は今の180以上だからね
>>1にあるように小学生の時からバイトしてたから意外といいもん食ってたのかもしれない
野球本格的に始めるのが遅かったから余計なカロリー使わずに済んだとか 野村の嫉妬の相手は長島だったろ
そのストーカーぶりはひどかった
長島が半身不随になってからは勝ったと思ったのか長島への悪意は見せなくなったがな >>282
投高打低で打撃が投手の実力と比較してヘボかったんやろ
投手は沢村とかがアメリカ相手でも稀に抑えたりしてたから >>1
さんざん南海電車に飛び込んで死にますといって
残ったこと書いてるだろ
何が自分だけ残ったのがわからいだよ >>282
4割打者がなぜいなくなったかを検証する番組がアメリカで作られてたな。
日本でもNHKで放送されていた。
ボトムの水準が向上して、平均点が上がったので
トップの人間の偏差値が下がったというような結論だったが。 >>282
王か誰かが言ってたな
今なら自分たちはたいした選手ではないと >>292
その発言には、
そのかわり、競争するなら自分も同じ準備をさせてもらうよ
みたいな言葉が続いているのも重要。
ふたつあわせて、すこく真っ当な見方だと思う。 >>272
野村が一番恐れていたのが王の早実の先輩にあたる榎本喜八だった >>294
そういや榎本って全く名前が出てこないなあ
カリスマ性も成績もあった選手だったのに >>274
甲子園のスターみたいに若い頃から目立ってる選手
あと実力以上に世間から注目されるような選手
大谷やイチローは自分より実力自体が上だから、そういう選手には上から物が言えない >>26
とにかく手首の返し方が凄く上手くて、
ボールをバットてすくい上げるように高い打球で本塁打を量産した人だったらしい。
中日時代の落合の打ち方がノムさんに近かったみたいよ? >>282
今のピッチャーが金田の現役時代に投げてたら400勝できそう? 落合が言ってたのがノムさんは自分を神格化する為にキャッチャーのリード云々言ってたって
配球なんてベンチで指示できるからキャッチャーのリードなんてそんな重要じゃないってね >>154
基本べらんめぇの下町のおっちゃんなんだよな 王は自分の記録を抜かせないために
バースを敬遠させたからな
本性はかなり汚い人間だ ノムさん、ビートたけし、オシム
この3人の言葉の選び方というか飛び出す言葉が面白い
何か共通点があるんだよなぁ >>102
中畑もそうだけど根っこの部分から強化できた貴重な監督だったな >>304
オシムは東欧の言い回しが含蓄めいて聞こえるだけ >>13
あの頃の監督は絶対的権威だから、一選手が気安く話などできない
特に鶴岡は軍隊上がりで超スパルタのカリスマ監督だから、
今のようなフラットな関係など微塵もない
陸軍で若くして二百人の部下を従えていた人で、
軍隊式のトップダウンの訓示や号令ばかり
いくら四番選手でもテスト生上がりの野村は、ハイといいえくらいしか口を聞かなかったそうだ >>102
スカウトを変えたり、スコアラーを鍛えたり、
下手投げや軟投派ばかりの投手陣に本格派を取るように進言したり、
130キロのマシンしかないのを、150キロのを入れさせたり。
何より、オーナーに金を使って補強する必要を説いたこと。
あのまま監督をやってて星野のように優秀したかはわからんが、
阪神の暗黒期の欠点を変えるきっかけは作った。 >>277
監督夫人はストレスの塊
巨人の水原、川上、長嶋監督の嫁は病に倒れた
王と長島の嫁は早死にした
負けはと抗議や嫌がらせの電話や手紙が殺到
監督はグラウンドで汚名を晴らせるけどな
夫人はただストレスを溜めるだけ
長嶋夫人も二度目の監督には猛反対 >>309
せっかちで豪快な人
口癖の「そうですね」も、せっかちだから相手の言葉にかぶせるように言うしなw
藤田元司も長嶋より王の方が大陸的で豪快だと証言 >>299
でも落合は古田に「ヤクルトとの対戦ではお前とヤクルトのベンチとの戦いだった」と >>75
左門豊作は川上哲治
熊本育ちで貧しい子沢山兄弟の長男で、家族のためにハングリーに野球をやると
メガネや見た目も川上がモデル >>281
それもあるがアキレス腱を切ったことが大きい
もともと俊足攻守の外野手
走らない守れないだから、居直ってホームラン狙いに徹した >>278
母親が戦争中にガンになって、まともに働かなかったとか
看護婦だったから、都会に出れば母子家庭でもそこそこの生活は出来だろうが、病弱でそれも無理だったんだろう >>307
鶴岡監督は、選手に挨拶されても完無視。
自軍の選手は絶対に褒めないが、
相手チームの選手は褒める。
とことん自軍の選手には厳しい監督。 >>284
昔はいかつい名前が多いな
医学が未発達で子供のうちに亡くなることも多かったし、戦争中だし、とにかく強そうな名前を
女でも岩子とかな 落合は嫉妬と言うよりは気に喰わん奴に手当たり次第かみつく感じだぞ
ただ絶対かみついちゃいけない相手だけは把握していて、それがONとイチロー >>102
そこまでのことは出来てないだろ
野村の再生工場のやり方は恵まれてない立場の選手に
その弱みを握って言うことを聞かせて鍛えるというもの
阪神の選手は活躍してなくても恵まれたようなやつばかりだから
そのやり方が全然通用せずものになった選手がいなかった 松沼弟がリリーフで出てくると、セットでノムさんが受けてた黄金期前の西武球場の思い出。 投手との共同作業とはいえ阻止率言われてるほど悪くない、むしろいい方
長嶋と同じで晩年しか見てない人達にそう思われてるだけなんじゃないかな >>320
ノム曰く、それは根本監督の嫌がらせ
野村の西武へのトレードはフロント案件で根本監督の希望ではないと
それで、監督として優勝の経験もあり、先週としても超一流の大ベテランのノムを根本は煙たがったと
それで、肩の衰えた野村をわざと、クイックのまだ出来ない、
ファームの大きいアンダースローの松沼兄と組ませて、
散々盗塁をされてはじをかかせて、野村に早く辞任して欲しかったと
最後はチャンスでの野村の打席に鈴木葉留彦だか三流の若手を代打に出して、
ようやく野村が引退を決意 >>318
なかなか鋭い指摘だ
3人に共通するのは実力・実績・人気の3つが全部歴代トップクラスということだな
大谷にも噛みつかないな >>318
カネやんや有藤と仲悪かったんだっけ
稲尾のことは尊敬してたみたいだけど >>323
そういえばパリーグを語る上で根本も欠かせないな
なんせ今年優勝を争ったライオンズとホークスの両方を強くした人だ >>280
砂押は後にスワローズの監督に抜擢されるがあまりの
無知さに呆れ返られた
野球のことなんて何一つ分からず扱いてただけだった >>288
マシンがないから打撃練習はバッピ相手にやるしかない
バッピもチームスタッフじゃなくて現役選手だから >>294-295
つべで動画を見たけど上から叩いてとんでもない
速度のライナーを放ってた
普通の打者ならセカンドゴロだよ >>323
新人を除いたら東尾一本柱の当時の西武で何を
言ってるんだノムは >>282
昔があって今があるんだろ。徳川家康はパソコン扱えないから無能とか言ってるようなもん。 野球が盛んになってレベルが上がったからこそ記録が出なくなった
良いことじゃないか >>328
野村克也と榎本喜八はマシンを買って自宅に打撃練習場を作った >>318
落合いわく
「王さん?王さんも野村さんも三冠王取ったスターなのに暗いよね。
日本の野球人で明るいのは稲尾さんと長嶋さんくらいじゃない?」
「スーパースターは結局長嶋さんだけだね。
王さんも俺もいくら打ってもスーパースターにはなれない」
「長嶋さんは、側から見るのとそばで見るとでは違うね。
物凄く厳しくて冷たいところがある。
これは、川上さん王さんもそうだろうし、巨人の伝統なんだろう」
「イチロー?あいつ今は脚があるから当たり損ないでも内野安打を稼げるけど、
歳とって走れなくなった時にどうするのか見ものだな」
結論、落合は誰に対しても遠慮なしでしたw >>333
それもあるが、ノムの言うようなハングリーさの欠如もあるよ
イチローとか、全体のレベルや戦術も向上して、傑出しにくい中でも、
日米で八年連続首位打者で四千本安打。
記録やタイトルに異様に拘る選手が減ったとは思うわ。
今は、勝星が伸びなくても、タイトル取らなくても、高い年俸を貰えて、昇給もするしね。
ノムはチームが日本一で二冠王の年に減俸提示されて、それが発奮となり三冠王。 頭がいいのか話が面白いよな
当然盛ってるところもあるだろうけど
定期的に野村スレがたってそれなりに伸びる >>176
ホームスチールを何度も成功させてるんだよね >>182
栗本慎一郎が長島夫人と幼なじみで、小学生の栗本がローマ字を読めなかったのを馬鹿にしたそうだ。
小さい頃からそういう性格。 >>318
落合が噛みつかないのは大恩人の稲尾さんだけ >>326
しかも監督も秋山、工藤と根本チルドレンみたいなもんだな >>327
長嶋はプロに入ってからもスランプの時砂押に教えを乞うてたそうだがな >>280
大昔読んだ本にかいてあったが、
日々の練習の締めのノックで、長嶋がエラーすると砂押から「やり直し!」と声がかかったらしい。
もう一本ノックやり直し、の意味ではなく、練習の最初の体操やランニングからやり直し、の意味だと。
スパルタなんてもんじゃねえ。。 あほそあ大なんて聞いたことないな。どこのぽっと出のFランだよ >>343
もっと凄いのがあって
夜中寮で寝ている部員を叩き起こし
照明も何にもないグランドで月夜の中
猛烈なノックが始まるらしい なんだかんだで立派だよね。俺は仕事でもうダメだって時にブックオフでノムさんの本をたまたま買って、気持ちが燃えて頑張れた。おかげで今がある。 クビにならんかったのは当時の人にしては恵体だったからじゃないか?
ノムこれについては一言も語らんで努力と工夫だけでやってきたみたいなことほざくよな 途中ビートたけしになってて草
この人関西の人やろが >>31
小学何年生かは忘れたが
当時のプロ選手の背筋力ランキングが
確か小学何年生だかに載ってて
1位野村、2位若松だった
何か子供心にも、このランキングには
痛く感心した記憶あんだよね。。
なるほどなー、みたいなw >>41
背筋力があった
何かの力がなければとても飛ばせない
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