【文芸】<村上春樹>「直木・芥川賞」を受賞できない理由...なぜ「賞」とは無縁なのか?★2
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■村上春樹はなぜ「賞」とは無縁なのか?
ハルキ・ムラカミの名前がノーベル文学賞の有力な候補者として挙がっているらしい。そんな非公式な噂をもとに日本のマスコミが盛り上がりはじめたのは、春樹がフランツ・カフカ賞を受賞した2006年ごろからだった。以来、秋になるとビジネス・チャンスを逃すまいと出版界や書店業界などが前のめりになり、そんな興奮をよそに「春樹受賞ならず」というニュースが繰り返し報じられてきた。
昨年は、この文学賞を審議するスウェーデン・アカデミーの関係者にスキャンダルが勃発。その混乱による影響で発表は取りやめとなったが、今年の秋には昨年分も含めて受賞者が発表される予定らしい。いずれ受賞したときの春樹フィーバーがどれほどの賑わいになるのか。想像するだけで恐ろしくなる。
少なくとも春樹の作品が国内だけでなく海外でも熱心な読者を獲得し、また評価も高いことは否定しようがない。というところで、だいたい蒸し返される文学賞についての定番の話題がある。
日本で最も有名な文学賞といえば、芥川賞と直木賞だが、春樹はどちらも受賞したことはなく、今後も受賞することは考えにくい、という一件だ。
はたして、なぜ受賞していないのだろうか。……というのが本稿の中心テーマなのだが、率直に言ってしまうと、そこに奥深い答えなどありはしない。
1979年のデビュー作『風の歌を聴け』、翌年には『1973年のピンボール』と、春樹は芥川賞の候補に2度選ばれた。ついに受賞には至らなかったが、当時の芥川賞選考委員が話し合った結果、「受賞させるほどのものではない」と判断したからだ。答えはそれ以上でもそれ以下でもない。
文芸評論家の市川真人に『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』(幻冬舎新書)という、その名もズバリの本がある。そのなかでも、当時の委員が春樹作品をいかに理解できなかったかが細かく分析されている。要するに、選考委員がこの新人作家の将来的な活躍を予見できなかった、と言うしかなく、当の委員の1人大江健三郎が、のちに「私は(中略)表層的なものの奥の村上さんの実力を見ぬく力を持った批評家ではありませんでした」(2007年・新潮社刊『大江健三郎 作家自身を語る』)と語っているとおりだ。
春樹の作品を評価できなかったなんて無能もいいところではないか。確かにそのとおりかもしれない。しかし、総じて直木賞や芥川賞は社会一般から評価されすぎている。期待されすぎている。そのくらいの失敗やとりこぼし、世間の文学観とのズレは、あるほうが自然だろう。
2/10(日) 5:47配信 東洋経済オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190210-00264622-toyo-soci&p=1
写真
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20190210-00264622-toyo-000-view.jpg
1:Egg ★[] 投稿日:2019/02/10(日) 07:19:20.58
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1549750760/ >>506
ジャズってそこまでメジャーな趣味じゃなかったと思うけどね
あくまで都会のちょいインテリの趣味だよ
エヴァンスが入門大名盤なのは確かだがそもそも手を出すひとがって話
ビートルズは大メジャーだけどわりかしそれを好きな俺みたいな要素あると思うわ >>507
インテリかは知らないが、早稲田大学の内省的な学生、の生活に
有名な1枚目みたいなアルバムがでてきてそんなに不自然でスノッブか?
全然そんなことないだろ
> ビートルズは大メジャーだけどわりかしそれを好きな俺みたいな要素あると思うわ
これはもう完全に何が言いたいか意味がわからん >>501
村上春樹現象って「純文学の消滅」を象徴してると思う
そもそも「純」文学って、きちんとした定義ないしなw
そしてそもそも、小説って文「学」なのか?
文学って、なんで「学」なの?の素朴な疑問にちゃんと答えを提出した文芸評論家なんて一人もいないと思う 坂口安吾は「純文学という呼び方は大嫌い」
と言ってたが、ああいう素朴で気取りのない作家が本当に純粋な文学者だと思う。 東野圭吾の直木賞を渡辺淳一が邪魔してたみたいなことが
村上関係でもあるんかな? >>500
というか小説自体がもうオワコンのジャンルだから、それ相応の評価になるんじゃなあ?
ピアノのクラシックも、アメリカのコメディーも全盛期の時代以外の人間なんて語られないでしょ
村上もそういう感じになるんじゃない?
まあでも世界の売上が凄いから、そういう意味では名前は残るな >>511
> 坂口安吾は「純文学という呼び方は大嫌い」
> と言ってたが、ああいう素朴で気取りのない作家が本当に純粋な文学者だと思う。
自分の基準では、いわゆる「純文学新人賞」としての芥川賞は村上龍で終わったと思う
(村上龍以後で、才能感じさせたのは町田町蔵こと町田康ただ一人)
龍以後の芥川賞っていうか「純文学」って、スポーツで喩えると、野球サッカーバスケバレー陸上のメジャー競技で通用
しないやつが一発当てるためのマイナー競技(アチェリーとか)って感じだな やれやれ系主人公がジャズ聞いてパスタ作ってメンヘラ系美少女とセックスしまくる話だろ この人の本1冊も読んだ事ないわ
読んだら「あーっ!イライラする!」って本投げちゃうような気がするから読むの辞めておく、本に悪いしね >>510
小説なんて元々けしからん娯楽の一種だからね
何で「小」がつくかって話だよ
でもバカ売れする物も出てきたから、その流れに乗じて権威付けされて定着していった
極論言えば、お笑いとかアイドルとかと同じ流れなんだよ
村上が純文学の消滅の象徴っていうのは当たってると思うよ
日本的純文学がいったん熟成してやることがないから、彼なりのやり方で既存の文法を壊しにかかっている
それでハルキストになる人もいれば、こんなの文学じゃないと拒絶反応を示す人もいる 抱いた死んだ泣いた次の女を抱いた
こればっかりだから >>516
日本人は寿司ばっか食べて、チョンマゲして、腹切りするレベルのレッテル張りだなw >>518
そんなだいそれた作家かな?
既存の文法から逸脱できる才能だと思えないんだが >>520
わりと手癖っていうか書いてる方向性同じだから一理あるぞ
メンヘラ多すぎ今の世界と違う世界うろうろしすぎ洋食食いすぎは俺も思った 村上春樹に拒絶反応示す人多いのは、カフェとかで盛り上がってるハルキストの影響も大きいと思う。なんか宗教みたいな感じだもんね
あれ見てから本読んでも、バイアスかかる気がする >>521
だってラノベみたいって言う人多いじゃん
質の是非は置いといて、一種の破壊になってることは間違いないでしょ >>525
内容がラノベ風なのが純文学の破壊なの?
純文学の定義にもよると思うけど
純文学って内容けっこう幅広くてドMがセックスオナニー妄想垂れ流してるようなのも立派に文学作品扱いだからそんな新奇には思わなかったかあ 純文学にファンタジーを持ち込んだのが村上春樹と筒井先生は評価してたな。
あと村上春樹はお洒落だからとジャズ聞いたりアメリカ文学読み漁ったわけじゃなくて、もともとジャズ好きでクラシック好きで60年代の音楽にはまって続けていたら、周りからおしゃれとか言われるようななっただけ。
本人にそのつもりがなくて周りがおしゃれぶりやがってっと、ただのやつかみだね。 なんだかんだ言って
このスレの書き込みの格調が高くて
ちょっと引くわー >>526
いや、実は俺も全然新奇には思わないんだ
人間の感情を丹念に追いかける、王道を貫いてる数少ない作家だと思う
言葉の使い方は変わってるけど、王道中の王道だと思うよ
でも、世間の多数派の評価は違うから
小説理解してないんじゃないかとすら思う
まあ小説だし、別に理解しなきゃいけないほど高尚なものだとも思わないけどね 俺は村上春樹の一部の作品(ねじまき鳥クロニクル、ノルウェイの森、中国行きのスロウ・ボートに入っている短編の数々、遠い太鼓)が大好きなんだが、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』はどこがいいのかさっぱりわからない
スカした奴がビール飲んで女を抱いてるだけっていう感想だ
あの2作品の良さって何なんだ?? >>527
小説家になるまではカフェのオーナーだったんだよね、確か >>527
日本の純文学ではな
結局村上春樹のやったことって海外小説の本歌取りみたいなもんだと思うが
ファンタジーやその前段階の奇跡みたいなのはキリスト教の国の方がお手のものだった
ジャズだのクラシックは当時からスノッビーだよ
あの世代本当なら全共闘ど真ん中でそれどころじゃないし 世界で売りたいため? 日本を貶める村上春樹の大罪
平然とでっち上げた「南京40万人虐殺」は中国の思う壺
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54327
また一つ追加、村上春樹にノーベル文学賞が来ない理由
前代未聞の偽ノーベル賞「ノミネート辞退」が発散する下心臭
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54151 この人の小説はアルバム聞いたときの感想の域を出ない >>523
女なんて多かれ少なかれ大体メンヘラだろ
女を描いたら自然とそうなる
世界を移動するのはファンタジー作家の性か
洋食の印象はそんなないんだよなあ
場面転換のアイコンになることはあるけど、そんな洋食一辺倒って印象はない >>532
ポッポやかいたひとは古書店の店番だっけ
店主だっけ
今日本ペンクラブの会長 村上春樹の無自覚な不正学位取得会見が示す病根
早稲田も日本の社会や歴史も嘲る営利作家とはいったい何者か
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54648 >>518
「純文学の既存の文法壊しにかかった」というのはそのとおり
その一点で文藝評論家とかが異常に評価し、徐々に過大評価されていった
でも、そもそも「純文学」なんてのが虚妄じゃないの?という素朴な疑問を
脇において、村上自身が「純文学の頂点」目指してノーベル賞狙い(そのための社会派的発言、
政治的発言で馬鹿丸出し)、なにこれ??というのが正直な感想 村上春樹「日本の抱える問題に、共通して自己責任の回避があると感じる」
村上春樹は「終戦後、悪かったのは軍閥で、天皇もいいように利用され、国民もみんなだまされて、
ひどい目にあったという考えがある」とし「結局、誰も悪くないということになってしまった」と述べた。
日本人が自ら犠牲者であり被害者という誤った認識の中にいるという説明だ。
村上春樹は「(日本が起こした戦争に)中国人も韓国人も怒っているが、日本人には自分たちが加害者
でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思う」と付け加えた。
村上春樹「日本は相手国が納得するまで謝罪すべき」
−歴史認識の問題についてはどう思いますか?
村上 今、東アジアには大きな地殻変動が起きています。
日本が経済大国で、中国も韓国も途上国という時には、
その関係の中でいろんな問題が抑え込まれていました。
ところが中国、韓国の国力が上がって、その構造が崩れ、
封印されていた問題が噴き出してきている。
相対的に力が低下してきた日本には自信喪失みたいなものがあって、
なかなかそういう展開を率直に受け入れることができない。
宮崎駿
「慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、
きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです。
領土問題は、半分に分けるか、あるいは『両方で管理しましょう』という提案をする」 >>530
ウッソー
村上春樹って丹念に心理描写する作家じゃないでしょ
それこそ近現代日本文学のじっとりした心理描写否定してアメリカ文学のどっか淡々とした筆致真似してる作家だと思うんだけど 今まで、学生時代ノルウェイの森が直木賞だから読んだんだと思ってた >>532
ジャスのライブとかもやれるカフェというかバーというか。
料理作ってお酒出して、バンドのブッキング、ギャラの支払いやってた。
じゃあ連客に村上龍、安西水丸がいてその頃から仲よかった。 >>541
芸術家ってのはオツム子供なのがデフォだから、これはこれでいいんじゃない?
しかも団塊世代だし
でも、村上のはイヤらしいんだよね、ノーベル賞狙いで社会派気取ってるから >>536
そういう男尊女卑的な決めつけには与しません
女びっくりするくらい似たパターンじゃない?
世界っていうのはある世界とある観念?の世界を行ったり来たりするのまたかよってなるかな
世界の終わりもねじまき鳥もそうじゃん
あとパスタとサンドイッチ >>533
村上は全共闘には少しは期待してたみたいだけど、例にもれず連合赤軍で冷めたようだ
神戸で子供の頃から外航船の船員が置いていったペーパーバッグを置いてる本屋で安く買って読み漁ってた。両親が国語教師で日本文学読めとうるさかったのが嫌で海外の本ばかり読んでたみたい。自然とそうなったようだ。
大学では戯曲ばかり読んでたみたいだし。
バイトもジャスレコード屋だっそうだしね。
本人的には無理したわけではなく自然とそうなったということ。 >>542
個々の人間を描くのにたけてないというか、そもそもそこは狙ってないというか
人間そのものを描こうとしているから、一人ひとりは全く魅力的にかけてない
記号的だったり掴めなかったりするような >>547
うーん生い立ちはともかく作品での洋モノの扱い方は極めてスノッビーだなと思うよ
リアルでいたら西洋かぶれのアホって感じがする
まあこのへんの感覚は人それぞれなので深入りはせじ >>542
俺は海外の作品はドストエフスキーとサルトルぐらいしか知らんから、世界レベルではどうなのか分からんが、日本の現代作家で春樹レベルの心情描写できる奴はいないな
湊かなえぐらいだな、いい線行ってるのは
後はドラマの脚本を棒読みしてるような感覚に陥るよ
上にも上がってたが「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」、ここまで人間心理の深部を理解して描写できる現代作家いるのか?俺は見たことないよ
この言葉に何も感じない奴は、どういう気持ちで小説を読んでるのか真剣に問いたい
多分、人生の修羅場を知らない人間なんだろう >>544
そうなのかー、すごいつながりだったんだな >>527
> 純文学にファンタジーを持ち込んだのが村上春樹と筒井先生は評価してたな。
日本の「純文学」にファンタジー持ち込んだ?
そんなもん三島由紀夫せんせがとっくにやってるがな >>548
道具的はそうだね
主人公という自我のみがあって他の登場人物はストーリー回す道具とか記号だよね
そういう受け身感孤独感みたいなのがある意味現代的ではあるかな
ただそれは人間を書こうとしたと表現する気にはならない
ゆるふわ雰囲気って印象だなあ >>555
個々の人間の感情を丹念に描くという書き方ではないし
そもそも描く気すらない
しかしテーマとしては、曖昧模糊として複雑な人間そのものを描こうとしているようでもあるので
人間の感情を描いた作家という指摘もわからなくはない
アプローチが違うだけで >>549
もともと気質的にスノッビーだったのかもしれないね
小説家になると決めて最初は 文体の確立を意識してて、英語で書いてから日本語に直すこともしてたみたいだし、今も一にも二にも文体としつこく言ってるし、文章はリズムだとも言っている。
子供の頃から慣れ親しんできた英文の影響とジャズのリズムの影響してることも認めてるしね。
あと全共闘時代大学生全員が全員シンパしてたわけではないし参加していたわけではない。
授業潰されて迷惑してたことを公言してる学生も多くいる。 日本人年収ランキング
ユニクロ柳井575億
尾田 栄一郎 230億
前澤友作 140億
鳥山明 75億
近藤麻理恵 35億
大阪なおみ 30億
ダルビッシュ有 28億
田中マー 25億
村上春樹 21億 >>546
青豆と直子が同じ女に見えるか?もちろんバックボーンに共通してる部分もないことはないが、行動のベクトルはかなり違うと思うぞ
まあパターンは出尽くしてる気はする
でも、多彩なパターンを持ってる作家が良いとも思わないな。そういう作家って総じて浅く広くの場合が多いし >>553
美しい星とかね
筒井先生の三島評も面白かったけど、どういう意図で村上が三島ではなく村上が日本の純文学にファンタジーを持ち込んだと評したのか具体的には分からん。 >>551
ええ…
自分に同情するなって当たり前のことを厨二っぽく迂回表現してるだけじゃん…?
何に感銘受けてるのかわかんない
日本の現代作家がへぼいのは同意するがかといってハルキが輝いてもみえないかな…
とりあえずカポーティとかヴォネガットでも読んでみたら?
なんかわかんないわ俺は そこはファンタジーというよりマジックリアリズムを持ち込んだというのを専門用語を避けたのでは >>562
だからこの程度の表現すら、他の日本作家はできないんだよ
はっきり言うと、延々セリフを繰り返してるようにしか見えんのだよ。三文ドラマと同じレベルだよ
まあ海外知らんから、そっち読んでみるわ
このスレでもおすすめいくつか上がってたしな >>563
それはあるかもしれないですね
3.4年前の東大福武ホールでの対談の時に発言してたよ ちょっと上でも書いたけど、ここでこの作家は面白いおすすめだとあがる日本作家のほとんどが、
描きたいものがストーリーそのものだと思う
村上は成功しているかしていないかにかかわらず、ストーリーを描くのは主ではなくて
なにか得体のしれない塊を描こうとしている作家だと思う
そこが他の作家との違いだと思う >>565
> 高村薫とかどうだった?
マークスの山だったか、酷かったなあ
東大法学部卒高級官僚で柔道七段、
とか絶対ありえない肩書き書いてるのみて、
ディテール疎かにしてる小説家二流以下と確信した >>567
しかし村上作品でよくお奨めされるのは比較的ストーリーが追いやすい世界の終わりとなんちゃらという >>567
> ちょっと上でも書いたけど、ここでこの作家は面白いおすすめだとあがる日本作家のほとんどが、
> 描きたいものがストーリーそのものだと思う
> 村上は成功しているかしていないかにかかわらず、ストーリーを描くのは主ではなくて
> なにか得体のしれない塊を描こうとしている作家だと思う
> そこが他の作家との違いだと思う
たしかに、その「得体のしれない塊」を描くのが芸術だと思うが、
村上春樹にその伎倆はないと思うよ
村上春樹が描けるのは「ふわふわとした雰囲気」であって、「塊」というべき重量感を
表現するには一番不得手な作家だと思う >>571
そのあたり海外ではどうなんだろう
この数年の印税は国内分より海外の方が多いと本人は言ってたが。
日本一国と海外複数国分じゃ比較しようがないが。 >>569
柔道知らないけど俺も国公立大学で二年まで弓やって四段はいった
そう非現実? >>573
その塊が、重量級であるか、ふわふわという軽い物体であるかは、個人的にはあまり問題ではないように思う >>572
> >>569
> あまりに枝葉末節でワラタ
いやあ枝葉末節こそ文藝の命だよ
「細部に神は宿り賜う」というしね >>573
軽いか重いかは受け手に委ねてる感じがするけどね。
本人的にはどっちでも良いと思ってる節がある。 >>578
気が合うね
今回のスレはわりと面白い話題が多かったな >>577
そのために校閲や編集がいたりするからね。 >>575
柔道の段位では、オリンピック金メダルクラスで三段四段が通常
五段以上は名誉段で、七段なんて還暦過ぎの爺婆だよ
東大卒で現役官僚が七段なんて、調べればありえないと分かる話で、
そういうディテールを疎かにする作家はいかがなものかとw >>581
梶原一騎的なアプローチとしてはありだけどね笑 >>581
そんなこといったら村上春樹の作品にリアリティーなんてカケラもないじゃないですかー >>579
そうですねぇ
ぼんやりしたものをポーンと放り投げられた時の違和感を良しとするか否とするかも受け取り手に委ねてるような。
その手法を許せないと思う人がいるのも理解できるけど。 そこは、作家としての価値、位置づけの話ではなくて
合う、合わないの話なんだけど、
どうもそれを混同している人が多いなと思う
カフカ賞など国際的な評価について、どう考えているのかよくわからない
自分が好まない作家だから、価値がない=賞も無意味だという思考回路なのか >>583
舞台となる世界設定によるんじやないかな
筒井康隆が純文学と銘打って発表した虚構船団読めばリアリティって言葉の足元が揺れる感じ楽しめるし
三島の美しい星読めば、登場人物が作品内で納得してればそれがリアリディなんだって事かわかると思う。
一方で時刻表もの、舞台が現実で場所も特定されてるなら何丁目何番地までのディテールが求められるだろうし。 本人は欲しがってないのに毎回バカな連中が一々記事にしてる >>585
おっしゃることはよくわかる
でも、あえていえば、「村上春樹現象」みててつくづく思うのは、
「純文学」の終わりと、出版社と早稲田閥としてはハルキにノーベル賞とらせたい執念の「非芸術性」 流れを変えちゃうようで申し訳ないけど、村上の魂の表現の重さって、作者本人的にはどうでもいいの?
ノルウェイの森を例に出すと、脇役の直子も緑も永沢も、全員のそれぞれ違った葛藤や孤独感が痛いほど俺には伝わってくるんだよね
皆ちゃんと、自分なりの言葉で語ってるしね
だから脇役がアイコン的な役割しか果たしてないとか、ゆるふわな心情とか俺には全然しっくり来ない
痛い程の心理的葛藤が伝わってくるし、村上本人もそれを読者に伝えたいんだとばかり思ってた。そのギャップに驚いちゃうんだよね
ストーリーより魂ってのはすごいしっくり来たんだけど >>589
書いてる本人は軽いかつもりで長編小説は書いてないはず
しかし受け取られ方についてはどちらでも構わないあとは好きなようにというのも徹底してる。
書評はまったく読まないが、読者からの感想は全部目を通さそうだし。
本人は今回はつまらなかった、どこが面白いのかさっぱりわからなかった、でも次回作も絶対読みますみたいなお便りが一番嬉しいと言っていた。 >>589
いいづらいけど、ノルウェイの森読んだことないんだよね
興味もてなくて
あらすじはなんとなく把握している程度
カフカとか1Q84、ねじまき鳥を読んだ感想としては、個々の人間をいかに丁寧に描くかにはあまり興味ないんだろうなと思ってる >>576
> >>573
> その塊が、重量級であるか、ふわふわという軽い物体であるかは、個人的にはあまり問題ではないように思う
その「塊」を「ストーリー」として表現するのが「小説」なんだよ
その「塊」を『ストーリー」として表現しないんだったら、別に表現形式は「詩」でも「音楽」でもいいわけでw
村上ファンって、芸術における表現内容と形式の問題とか、考えたことあるんだろうか? >>592
>個々の人間をいかに丁寧に描くかにはあまり興味ないんだろうなと思ってる
わかるそれ
その登場人物が本当はどんな人間かなんてことまで、作者もわからないって感じだもん。 >>593
ストーリーの中で表現しないと言ったつもりはないけど
ただ、その塊が重厚だろうと軽やかだろうと、たとえ雰囲気でしかないと思われてしまおうと
狙いとしては作品の価値を下げるものだとは思わない
雰囲気だけしかないと思うのも自由だと思う。ただそうではないと思う人がいるから、カフカ賞をもらえるわけで >>593
>その「塊」を「ストーリー」として表現するのが「小説」なんだよ
まさにその指摘こそがアンチの象徴的批判だと思う。
でもそれって誰が決めたの?
小説って作家の数だけ、かくあるべきとあると思うのだけど。それだけじゃないよねということ。
私小説、群像劇、ファンタジー、SF、なんでもいいけどさ。
重厚じゃなければならないという理由は実はないんだよ。 ざっとこのスレだったか前スレだったか見て気になったのは、公にすら的外れな批判が多いなということ
貼ってあった文芸評論家かなんかの、社会に対して影響を与えないから害悪だみたいなのはその最たるものだと思った
あんな唾棄すべき文章を平気で書けるような人がいるんだなーとめまいすらした 上下巻合わせて400万部売った小説が影響ないってのは流石に的外れだなぁ
ゲスな話だけどさ >>591
なるほどー、春樹らしいと言えば春樹らしいな
売れる理由も長続きする理由も分かるよ
いいこと聞けた、ありがと >>596
もう寝るので最後のレス
「塊」を「ストーリー」にするのが小説で、それは昔は馬鹿にされてたんだよ
「詩を書けない落ちこぼれが小説に流れていく」というのは萩原朔太郎の名言
「ストーリー」のない「小説」って、それ長編詩だよね?w
村上春樹ファンって、「小説」がなぜ「小」なのか、なぜ「説」なのか、考えたことないんだろなあ >>599
作品の本質というか真実は読者の感想全て、毀誉褒貶含めた総体だというようなことも言ってました。
だから、ここはそういう意味じゃないんだよという作者の主張も皆無なんですとも。
投げやりということではなくて、作者にもわからないってこと。村上の作家性はそこなのかなと。 >>592
確かにそこらへんの作品群はそうかもしれない
そこらへんからちょっと作風が変わっていった気もする。人間より世界観が優先になってるかな >>593
塊とストーリーを両方表現できたら、それが最高だろうね
でも少なくとも今の日本では、それを両立できる作家は存在しない え?芥川賞って新人賞だろ
この記事書いた奴ガイジなの? >>601
教条的な話だね
小説ってものの可能性を自ら狭めてるよ。
その結果、村上の登場を当時の文壇は評価しきれなかったんだよ。
小説って何?って今一度見直してもいいかも。
むすがしいなら、絵画の世界の歴史を、特に日本の画壇の歴史をなぞり直してみると良いよ。
表現って魂とかストーリー性だけでくくりきれるものではないよ。何だかんだ進んでるんだよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています