東京五輪まで3年余り、日本マラソンの再建を託されたのが長距離界のレジェンド・瀬古利彦氏(60)だ。日本陸連のマラソン強化・戦略プロジェクトのリーダーに就任した。同氏を長く取材してきた高川武将氏が、なぜ、再建プロジェクトのリーダーを引き受けたのかを聞いた。

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「本当に僕で大丈夫なのかな、というのが、正直な気持ちでした」

 プロジェクトリーダーに任命されたときの心境を聞くと、瀬古利彦は普段の明るい表情から一転、神妙な面持ちでそう言った。

「この10数年、日本のマラソンは相当苦労している。その状況でたった3年しかないのに、果たして間に合うのか。相当悩みました。決断するまでに1か月はかかりましたね」

──なぜ、引き受けたのですか。

「僕らは53年前の東京五輪で銅メダルを獲られた円谷(幸吉)さんの走りを見ている。小学2年生でしたけど、日本人もやれるんだって、凄く元気をもらった記憶があるんです。

 その後『東京オリンピック』(総監督・市川崑)という映画も見て、円谷さんて凄いな、僕も将来はスポーツマンになろうと思った。今、マラソンや駅伝がテレビ中継されるのを当たり前に思っているけど、これはやっぱり、円谷さんと次のメキシコ五輪で銀メダルを獲られた君原(健二)さん、お二人の功績が大きいと思ってるんです」

──日本マラソンの伝統は円谷さんから始まった。

「そうです。この50年、彼らが努力で築いた功績の上に、僕らが甘えさせてもらってやってきた。日本の伝統を受け継いで、世界と戦うんだという気持ちで頑張ってこれた。

 その伝統がここ14、15年、一気に無くなってきている。日本のマラソンとはどういうものか、忘れ去られている。本当に危機なんですよ、今、日本のマラソンは。このまま弱い状況が続くと、ファンにも見放され、テレビ中継もなくなるかも知れない。マイナー競技になってしまう。それでは、円谷さんたちに申し訳ない。

つづく

7/8(土) 7:00配信 
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170708-00000011-pseven-spo