センゴクの仙石秀久って長宗我部と十河の忠告聞かず島津の策にかかって二人を死なせて自分は逃げたし
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>>11
センゴク → 改易 高野山へ追放
十河 → 改易
長宗我部 → お咎めなし 次男親和への家督継承の朱印状
大隅国に知行加増
長宗我部だけ特別扱いなんですが 「センゴク」シリーズって15巻ごとに題名一新させてたけど
一番新しい「センゴク権兵衛」は15巻ペースで収まってるの?
単行本派なんでヤンマガ本誌知らんけども
たぶんムリだよね >>28
古田織部と便所で会って会話したけど紹介も何もなかったね
へうげものに気遣ったのかな 仙石秀久は秀吉に大恩があるくせに平気で豊臣を裏切ったからな。何でこんなやつを主役に漫画を描いたのか不思議。リアルだと統率39武勇71知略24政治60魅力37くらいだろ。どうせなら岡左内とかにしろよ。ちなみに有名な方の島津は分家筋な 元親が秀吉に降るときに土佐国以外の領地ボッシュートされるが、
「これで息子信親とともにまた新しい国づくりができる」ってポジティブなこと言ってたがフラグキタコレだわなこれ 秀吉やおねには恩義もあったし、秀吉の最期まで忠義を尽くしてたろ
関ヶ原は徳川vs石田であって 豊臣に歯向かったわけじゃない
むしろ徳川こそ豊臣正規軍の扱いじゃないのかね?
大阪の陣のまえに秀久は没してて参加してない 秀吉に忠誠尽くさなかったやつはもれなく粛清されてるから >>19
ん?
創造では武勇高いから、
官兵衛とか久秀と相性よくて、
コンビ組ませられる便利な存在だぞ 君主である斎藤から秀吉、無職から秀忠への乗り換えタイミングが絶妙なタイミングでスゲーけどこれがただの運なのか時代を見る目があったのか >>81
副将システムで戦争系能力は一芸さえあれば超有能なんだよな 信長の野望で処断してたのは爆弾正かなぁ
生かしてても厄介家臣にしても厄介 「仙石(笑)程度のボンクラでも家康は丁重に扱っている。あの恩知らずよりも義理堅く、
ウスノロよりも賢くお調子者よりも慎み深い俺が味方につけば、もっと尊重されるはずだ」
とか考える大名がたくさんあらわれるのを期待して家康はあのボケナスを使うことにした
カイより始めよというやつだ。郭カイは自分から献策した功臣だけど、
槍バカは無知無脳なので、意図に気づかず死ぬまで浮かれてた 郭カイって、趙臣の郭開のことか
名将の廉頗・李牧を死に追いやる佞臣という評価 センゴクが無能扱いされてるけど後の歴史家ぎボロクソに評価してるからそれに右に習ってるだけじゃね?
結果だけ見ればなんで九州のアレがひどいのだけど
どうして腹を切らされてないかを考察するのがおもろいんでないの? 比較対象が尾藤知宣と神子田になるんで
センゴクで知名度あがったから大体理由も察せられてるでしょ
センゴクで繰り返し強調されていたのが一般的かな? 郭塊は燕王姫平に対しまず自分への扱いを基準にして重く用いれば優秀な人材が集まるという進言をした人物だろ。「塊から始めよ」の語源。そのおかげで名将楽毅を招聘できた。仙石秀久は羽柴四天王より功少ない無能のくせに秀吉の扱いが良かったのに不義理なやつだわ このスレには仙石が憎くて仕方がない方が多くいらっしゃるようで 仙石秀久は家康にも陣借りした大恩があるから
それが無ければ大名に復帰することも出来なかったし
となると
秀吉の大恩死亡>>家康への恩>>>>知己の薄い淀秀頼
になって家康を取るのは当然かと
それに千石はあくまで、秀吉につけれれただけの織田家家臣だからな
織田家を蔑ろにした豊臣家に忠義を尽くす必要は薄い >>87
何やかんやで秀吉の出世物語での古参メンバーの一人で貴重な武家出身の家臣だから多少の贔屓はあっただろうけど、出世スピードは歴史の主人公級では無いにしても普通に超有能側の勢いだし無能扱いはされてないだろ なんだかんだで、大名復帰後の小諸藩の運営はうまくやってるんだよねぇ 家康より秀忠に取り入るあたりが抜け目ない感じだわ
隆慶一郎なんかコイツ大嫌いなんじゃね? 仙石が与力扱いなら竹中重治や蜂須賀正勝に黒田孝高も与力だが功績が段違いではある。漫画のセンゴクで仙石を主人公にしたのは単に戦国と仙石をかけたかっただけだろ >>73
今シリーズは冊数気にせずやるってTwitterで言ってた気がする 島津すごい、島津こそ最高の戦国大名で名君ぞろい!って始めたのは司馬遼太郎なんだよな
島津が大量に連れてきた朝鮮人職人が、戦後日本に広がっていく暴力団の基礎になった
司馬遼はそれを消して、いい人たちだらけの島津ってやったの
朝鮮人はアメリカの使う侵略兵器で、じつは司馬遼もアメリカの手先だっただけ
司馬の資料が異常に詳しいのは、アメリカが日本から接収した資料を与えられていただけ
その司馬も早々に口封じ、これが売国奴の運命な訳よ >朝鮮人職人が、戦後日本に広がっていく暴力団の基礎になった
お、面白い話だな
ソース教えて? >>58
それ愛媛だった気がする
>>57
他の3県にしてみりゃ侵略者だしね
そもそも高知での扱いも龍馬〉〉〉山内〉〉〉〉長宗我部
勝てば官軍、負ければ賊軍だあね >>36
小飼以外だと、藤堂高虎、蒲生氏郷、浅野長政 >>106
堂々たる俊英たち過ぎて比較されるのが可哀相になる 堀尾吉晴は有能な部類だろ。秀吉直臣で一番有能なのは弟の秀長だけど。羽柴軍の実質的な戦闘指揮はほぼ秀長がしてたし。ちなみに三中老は後世の創作。長宗我部も元親よりも弟の吉良親貞の方が有能だったし、武田も信玄より弟の信繁(以下略) 考証とかいろいろ面白いよね
信長像とかボンヤリだったけど、経済とか銭とかで
天下とったんだなーてのこの漫画で知ったわ 最高指揮官が逃げる途中で諦めて切腹。籠城の果てに切腹。敵に捕まって切腹。はあるだろうけど
逃げ帰った後で主君に敗戦の責任を問われて切腹を命じられた人っているの? >>116
佐々成政が熊本治世の責任を取らされて切腹したよ。 >>115
信長の祖父の代で津島神社を抑えて、その門前町の上がりを得たことな
今でこそ津島天神、天王信仰は衰えてしまって往時の面影もないが
明治以前は日本屈指の大信仰の総本社
それは日本各地に天王という地名が残ってることからも良く分かる >>116
切腹ってこの時代は戦犯への刑罰だからそう言うのはむしろ無い
自殺で切腹するのが広まったのは江戸時代から
元は天下統一した後に秀吉が部下に本当にカッコいい武士とは戦場で何十人殺したり大将首取ったりしたりする奴ではなく、
戦争を終わらせるために自分一人が切腹して毛利と家臣と民を守った清水宗治のように誰かを守るために自分を犠牲にできる人間だぞって
語ったのが伝言ゲームで伝わっていくうちに一番どうでも良いと思われる「切腹する武士がカッケー!」って部分だけが何故か残ってしまったから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています