日本人ってよろいに首ぶら下げて白い刀振り回して戦地走り回ってるからモンゴル人から見たら恐怖だな
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>>182
当時鎌倉幕府が日本を一枚岩で統一統治していたなんてあり得ないね
実際朝廷との中は険悪で京都を武力制圧・脅迫してたし
鎌倉府府は奉公と恩賞の契約社会だった 武士は忠誠では無く損得で動いた
元寇を撃退したが元から賠償が獲れる訳でもない幕府が身を切るしか無かった
元寇撃退の後急速に権勢が衰えて滅亡してる
元寇の日本攻略の失敗原因は脆弱な補給計画だよ 日本側がどうであれあれは勝手に壊滅しただけだ >>225
で
朝廷がモンゴルと組んでたってソースは?
仲が悪かろうがさ
対外戦争で日本が消えるかもって時に馬鹿な真似するか
有り得ないってのはお前の想像でしかない >>160
すげー脳内妄想だな
幕府側が元とつるんでたとかならまだしも
何で朝廷が自分の国を売るんだよw
パヨ思想こじらせるとこうなるんだな 自力で倒せない政治的ライバルがいた時に外国勢力の介入を利用するのは歴史上の常だろ
このまま屈辱に耐えるか、それとも外国におもねって一発逆転を狙うか
誰しも自分の身が可愛い 国なんてそのついでだ
薩長だって江戸幕府を倒すためにイギリスに国を売った訳だし >>228
朝廷が売国はやらないが、鎌倉に対してマウント取りたいくらいの欲は大いに持ってるわな。
そもそも神風言い出したのは朝廷の側の記録だろ?国の一大事に「鎌倉の恩賞目当てに頑張った武士によって蒙古を撃退しました」なんて現実は、朝廷にとったらつまらない話だからな。当然のように事後に盛りに盛った事書くわ >>230
だからソース出せ
後薩長がイギリスに国を売ったなんてのは
まさにパヨクの陰謀論
なら何で日英同盟なんて「対等」の同盟を結んだんだ?
イギリスが
ロシアと戦わせる為と言いたいんだろうが、どっちにしろロシアの南下は防げなかっただろ >>231
別に幕府と朝廷が仲が悪いこと
朝廷が幕府にマウント取りたいって思惑を否定している訳じゃないよ
朝廷とモンゴルが組んで日本を潰そうとしてるとか
明らかにおかしいことに対して突っ込んでいるだけ >>231
神々の働きによる人智を超えた現象が起こって蒙古が撃退できたなんてのは
武士と同じく幕府に恩賞を請求する立場の寺社だよ
実際加持祈祷による恩賞を得ることに成功している
寺社は恩賞を争う立場だから八幡愚童訓などは当然武士の力では
蒙古を撃退できなかったものとして描いている
朝廷は別に関係ない 関幸彦『神風の武士像』(吉川弘文館)
・真夜中に箱崎宮から八幡大菩薩の使である白装束の者三千人が突如立ち現れ、おびただしい
矢を蒙古軍に放ったという。その光景は「身ノ毛モ竪テ怖シク」なるほどで、「波ノ中ヨリ猛火」が
あって、これがために蒙古軍は肝を潰し敗走したという(『八幡愚童訓』)。まさしく「神軍ノ威勢」だった。
同様の報告は各地から届けられた。紀伊国高野山金剛峯寺の鎮守丹生明神の場合もそうだった。
弘安合戦に際し、日本国の神々も蒙古に発向することになった。天野明神(丹生明神)は第一陣として
四月二十八日丑刻(午前二時)と決し、それにむけて不動火界呪を修して神の威光を増すべし、
そうすれば、六・七月中には本朝安全なるべし、との霊托の旨が報ぜられた(『紀伊興山寺文書』
正応六年三月二十八日「太政官牒」)。
・この異国との戦争で神慮なり神威なりが、いやがうえにも高められた。日本国中の神仏を総動員しての
異国撃退の祈願、それはあたかも武士達の警護番役に対応するかのようであった。春日・住吉・日吉・
祇園の各社が、各月を分担し異国降伏の祈祷をした。
神や仏も動員され、加持祈祷という世界で戦った。当然ながら、諸国でのこうした神々の
軍忠状に対し、武士と同様に恩賞の要求も激しかった。
・肥前国武雄社の場合もそうであった。(中略)文永合戦のときには神殿から発せられた鏑矢が賊船を射ぬき、
これがために敵は撤退したこと、弘安合戦では紫の幟が異国の船の方向に飛び去り、大風を起こしたこと、
などが述べられていた。こうした神の軍忠にもかかわらず行賞に漏れたことは、堪え難しとするものであった。
・異国合戦での神々の参陣は神の戦争を演出することで、神威を高めることにつながった。
すでにふれた弘安七年(一二八四)の神領興行令を含め、以後の三度にわたる神領の復興運動は、神の戦争と
その軍忠に対しての当然の恩賞だった。 >>195
>>223
超有名な週間少年ジャンプの連載マンガの一節なんだが あのタルタル人追い払ったんだから相当なもんよ
島立地最高やな >>199
1000kmもないからすぐです
いたる所が関所が有って、領国大名が頑張ってた戦国時代の距離感覚で考えると間違う >>134
当時は土地くらいしか恩賞はなかったからな。
戦国時代は壺などに価値を付けて代わりに恩賞にした。いい発明だw 秀吉の朝鮮出征のときの中国側の記録見る限り、めっちゃビビリまくってたらしいなwww
派手な鎧来て化物みたいな仮面つけて大将が目立つ格好してて
それみた雑兵共が戦意喪失しまくってたらしい
挙げ句に恐ろしい勢いで全員で奇声あげて突っ込んできてスパスパ斬り殺されるからやべーわこれってなってたらしい
戦も途中からは慣れてきたらしいが >>154
中学生の頃モンゴル村泊まったわ。
月が真っ赤で怖かった >>180
その頃のチョン(いまのチョンとは別種)は、知らん間に親分(中華)が倒されてモンゴル遊牧民がやってきて手下にされ
船作らされたうえに日本攻めるのにも突合され
逆らえばモンゴル人に殺され、従えば台風で死ぬか日本で鎌倉武者に殺されるとかいう詰みゲー中やぞ
>>148
どんなに攻めても密林籠もってゲリラ戦されたら一生勝てない
きちんとした戦略目標定めないと現代兵器を駆使したアメリカ軍ですらそれで事実上の敗北・撤退したからなw
元の時代じゃ無理、お得意の騎馬戦法もジャングルと泥沼まみれのベトナムじゃうまく機能しないしな
元的には当時の日本はバリバリの戦闘民族真っ最中だったのもツイてなかったよなw
少しでも平和・暇になったら親兄弟で殺し合い始めるくらいやべーやつらだったし >>237
なんでわざわざ欧州での呼称をwローマ法王インノケンティウス4世がカルピニを使者に送った時
タルタルの王よ心を入れ替えてカトリックに改宗しろ、みたいな事を国号も違う上にラテン語で親書送りつけたら
ラテン語とモンゴル語の2通の返書をグユクハーンが返したとかwモンゴルは既にラテン語に精通した者も家来に
していたらしい、俺はお前にモンゴルの神を押し付けるつもりもないのになんでお前の神をあがめなければならないのか?
汝を絶対滅ぼしてやるみたいな事が書いてあったとか、カルピニの回想録に世界中の馬を集めても
モンゴルより少ないと思うとか、モンゴル人同士めちゃくちゃ仲が良くて粗食に耐える人達と評してる、遠征向きだよねモンゴル人は 以前みたNHKのチンギスハーンの特集が、耶律阿海のテムジンの回想録みたいな感じのナレーションで
番組が進行してたんだけど、実在の回想録かわからないけど、チンギスハーンがサマルカンドを占領した時に
ここはどこなんだ?ハーンに従ってついてきてとんどもなく遠い所まできてしまった、早く故郷に帰りたいみたいに
テムジンに対してドン引きしてる阿海のナレーションが面白かった >>225
こういうソース抜きでまるで見てきたかの如くレスする奴は総じて嘘八百ばかりが よろいに首ぶら下げるって何、自分の首? デュラハン? 日本人と違って中国人には人肉は二足羊とに現地調達の食用
城が落ちると洗城といって金目のものは略奪、人間は食糧
目を潰して抵抗できない奴隷にするとかいろんなバリエーションが >>76
Your “Fire” じゃなかったっけ? >>196
朝鮮人ノリノリでしょ!
出兵唆してたじゃんよ 討ち取った証として敵の大将のクビなら持っていくけど
そこらの雑兵なら耳や鼻を削いで持ってたんだけどな
文禄慶長の役で朝鮮兵の耳や鼻を削いだ話は聞くけど
国内(日本人同士)ではあまり例がないよな スレタイと>>1が全然違っててみんなスレタイの話しかしない・・・
なんという5チャンネルクオリティ >>242
明は倭冦対策でなれてなかったのか?
少なくとも前期は日本人主体だろ? 元の兵站計画が脆弱だったって、捕まえた日本人食うつもりだったろ... >>209
我々、大和民族は周囲を海に囲まれて暮らす民族だから
元来、海賊の素質がある
室町時代、倭寇が東アジア一帯を恐怖のどん底に陥れたなw
家康の臆病者が海外進出禁止令を発布してなけりゃ〜
今頃、タイ、ベトナム、フィリピン、中国沿岸部、朝鮮は広く日本語が通じる
日本語圏になっていただろうよ >>245
当時の日本人の獰猛さについては元寇の前に
日本に来た元の使者が調べて報告してるから
元も日本人が大人しいとか気弱だとは思ってなかったはず
ちなみにその使者は元寇反対だった
理由は他にも山や川が多いとかメリット内とか海の風が不定期とか色々あるけど >>154
一応、南宋人は助命されたらしい
人数は知らないけど
>>196
『蒙古人だけ』ではないけど、蒙古人もいたよ
将軍も兵士も多国籍 >>265
モンゴル人、女真族、朝鮮人、漢人、南宋人の部隊だよな。 これな
おーぷんのスレからだけど
1 名無しさん@おーぷん ▼ 2018/10/06(土)22:05:20 ID:Y4y [1回目]
一年ほど日本に居た第五回&第六回使節の趙良弼さんの報告より
・獰猛で殺を嗜む
・親孝行を知らない
・上下の礼も知らない
・土地は山水が多くて耕作に利がない
・日本人を得ても役に立たない
・日本の土地を得ても富まない
・舟で海を渡るのも風は不定期で、損害を測ることもできない。
・日本征服なんて有用な民力で底なしの巨大の谷を埋めるようなもの
・結論、(元寇)反対
ここまで言われてなんで攻めてきたんや… モンゴル帝国が世界の半分を支配できたのは騎馬の機動力あってこそだったので
馬なしのモンゴル兵が日本に渡って来たところで何の脅威でもなかった >>160
負けたら朝廷だって危ういのにそれはないだろう
そもそも、元寇の前の頃の院(当時は院政)は
幕府に息子を鎌倉将軍として送ったこともあったり(色々あって送り帰された)、
承久の乱には関与していない皇子の子孫から選ばれたりで、
(流罪になったのは本人の申し出で幕府も後鳥羽上皇とかとは違う対応してた)
当時の朝廷と幕府の仲はそこまで険悪じゃないよ
承久の乱の時や、後醍醐天皇の頃とは事情が違う >>268 遠征してきたのはモンゴル軍じゃなくてモンゴルに降伏した諸地方の軍隊 >>271
上にも書いたけど、モンゴル軍『だけ』じゃないけど、モンゴル軍もいるよ 以前NHKでワールシュタットの戦いのさらっと10分程で紹介してたけど、蒙古騎兵とか実写(モンゴル人?)で
蒙古騎兵が弓射掛けて逃げるを繰り返して、追撃したら1〜1.5m位の草が生えてる場所に蒙古騎兵が馬の両目に
手を当てて馬を寝かせて蒙古騎兵が草むらに潜んでて、正面に少数(でもそいつらはラメラーアーマー来た重装騎兵)の騎兵が
陣形組んでて、軽騎兵の伏兵に気づかずに追撃してきた欧州軍が少数のモンゴル軍に責めかかった瞬間
伏兵の騎兵が弓射掛けたり騎士に投げ縄引っ掛けてから馬に乗って引きずり倒したりとかやりたい放題やってたわ
蒙古馬って木曽駒みたいな小さい馬らしいけど、騎兵で伏兵やるモンゴル兵と大陸の平原でやりあったら武士でも危なかったかもね >>268
>>269
南宋との戦いは攻城戦と船の戦中心で進めなければならないので馬関係なく滅ぼされてる
というか中華王朝となった大元ウルスは徒歩化が進んでいたので騎兵にそこまで依存してない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています