【芸能】『おどるポンポコリン』日本がピーヒャラ踊ったあの名曲の秘話 [砂漠のマスカレード★]
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ちょうど30年前のヒット曲を紹介していきます。1990年の4月に、量的にも質的にも、まさに90年を象徴する曲が発売されました――B.B.クィーンズ『おどるポンポコリン』。この年のオリコン年間シングルチャートの1位に輝く大ヒット。売上枚数は何と164.4枚ですから「大ヒット」の前に「超」を付けてもいいですね。
言うまでもなく、この年の1月から始まったフジテレビ系アニメ『ちびまる子ちゃん』のテーマ曲として、世に知られることになりました。『ちびまる子ちゃん』は大人気アニメとなり、90年の10月28日には最高世帯視聴率39.9%を記録します(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
『ちびまる子ちゃん』の作者はさくらももこ。上の写真は『FRIDAY』1989年8月25・9月1日号に掲載された、24歳の頃の彼女です。突然のブレイクに戸惑いながら、それでも喜びを隠せない様子がリアルに伝わってきます。
B.B.クィーンズの成り立ちについて、メンバーだった坪倉唯子はこう語ります――「先に『ちびまる子ちゃん』の曲をやることが決まっていて、のちに、寄せ集められたメンバーなんですよ。うちのBeingっていう事務所に所属している…近藤(註:房之助)さんと私と、ギター、キーボード、ベース…そのあとは、これじゃ見栄えが良くないっていうことで、Mi-Keっていう3人のモデルさんをオーディションで選んできたんですよ」(TOKYO FM「ももいろクローバーZのSUZUKIハッピークローバー」公式サイト・2019年9月22日)
作曲は織田哲郎。メロディのポイントはやはり「♪ピーヒャラ・ピーヒャラ・パッパパラパ」のところ。階名で「♪ドーラソ・ドーラソ・ミッレドドレ」となり、演歌やブルース、世界中の民謡で使われるシンプルな五音音階(ドレミソラの五音だけで構成される)で作られていることも、多くの人に親しまれた要因の1つでしょう。
ちなみに大胆な編曲も織田哲郎。本人のコメントからも、大胆なノリで編曲したことが伝わってきます――「『おどるポンポコリン』はなんせ“奇妙さ”がテーマなので、やりたい放題です。リコーダーは私がちょっと下手っぽく吹いて何本も重ねたり、ピーヒャラピーヒャラというコーラス部分はメインがボコーダーで、それにまた私が何十本もオペラ声を重ねたりと変なことばかりやっています」(zakzak「大ブーム『おどるポンポコリン』秘話 誰もそんなに売れるとは思っていなかった」2019.9.9)。
しかし、『おどるポンポコリン』の超・大ヒットの最大の要因は、さくらももこ自身による(編曲以上に)大胆な歌詞だと思います。先の「♪ピーヒャラ・ピーヒャラ・パッパパラパ」に加えて、「♪インチキおじさん」「♪エジソンはえらい人」「♪ニンジンいらない」「♪ブタのプータロー」……と、シュール&ナンセンスの極み。個人的に大好きなのは、「♪キヨスクは駅の中」。そりゃそうだろうと(笑)。
91年10月に発売された、りぼんマスコットコミックス『ちびまる子ちゃん【8】』には、まる子がクレージーキャッツ・植木等の歌う『スーダラ節』を聴いて「じゃあ青島幸男(註:『スーダラ節』の作詞家)みたいにああいう歌をつくりたい」と言うシーンがあり、続くコマで「……15年後その夢をすてずに作った歌が エジソンはえらい人ピーヒャラピーヒャラ……であった」と書かれています。
つまり、さくらももこによる『おどるポンポコリン』の、シュール&ナンセンスの極みのような歌詞の背景には、植木等と青島幸男による『スーダラ節』への憧憬があったのです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a8cd01f124eaf9d44bdde1a77419f56db3a59799
5/3(日) 11:02配信
https://www.youtube.com/watch?v=Ccb2L8x71wA
おどるポンポコリン B B クイーンズ
https://www.youtube.com/watch?v=ilUDPWvbxfY
坪倉唯子 ジュテーム
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/08/28/jpeg/20180828s00041000067000p_view.jpg そんな、さくらももこと植木等が直接対決する日がやって来ます。
90年12月31日「第41回NHK紅白歌合戦」。
23組目が初登場のB.B.クィーンズ『おどるポンポコリン』で、次の24組目が、植木等によるクレージーキャッツ・メドレー『スーダラ伝説』。
自分の作品と自分が憧れた作品との直接対決頂上決戦。
若きさくらももこは感無量だったのではないでしょうか(ただし個人的には、
このときの『スーダラ伝説』は紅白史上に残るパフォーマンスだったと思っています)。
バブル全盛時代を壮絶に駆け抜けた女性「アッコちゃん」の半生を描いた小説=林真理子『アッコちゃんの時代』
(新潮社)の中のセリフ――「あの歌って、今思うと本当にあの時代にぴったりだったと思いませんか。
あの頃、みんなピーヒャラピーヒャラ踊っていたし……」「そうね、インチキおじさん、登場っていうところもぴったり」 30年後の先日、『ちびまる子ちゃん』公式サイトに掲載されたコメント
――「新型コロナウイルス感染拡大防止に最大限の配慮をするべく、当面の間『ちびまる子ちゃん』の新作アニメの放送を休止/することに致しました。
罹患された方々のご快復と皆様の安全、一日も早い事態の終息を心よりお祈り申し上げます」
(「アニメ『ちびまる子ちゃん』放送に関するお知らせ」2020.4.25)
あれから、バブル崩壊、阪神淡路大震災、リーマンショック、東日本大震災、
そして新型コロナウイルス……日本がもう一度、ピーヒャラピーヒャラと踊り出すのは、一体いつになることでしょう。 いつだって忘れない
オーケーは安い店
そんなの雑色〜 ギンギラパラダイス?僕らの七日間戦争2の主題歌?
正直いってそっちの2曲が好き その年の運動会で採用してたわ。ホント流行ったよな。日本の明るい時代の最後の打ち上げ花火って印象。当時の大人にとっても明るい時代だったのか。 坪倉さんのchoose meめっちゃ好きだけど踊るポンポコリンと同じ人と知ったのは最近だわ 今思えばこれもPPAP的に破裂音が上手く使われてたのね あの年のまる子はアニメも歌も本もバカ売れで凄かったな 織田哲郎 あれからこれから Vol.34
https://www.zakzak.co.jp/ent/news/190909/enn1909090002-n1.html
『ちびまる子ちゃん』の曲を作るにあたり、まず漫画を全巻読みました。
特に強かった印象が“ピュアさ”と“奇妙さ”で、その2つの要素をそれぞれ曲にしようと思いました。
結果、“ピュアさ”は『ゆめいっぱい』というオープニング曲になり、“奇妙さ”は『おどるポンポコリン』というエンディング曲になったのです。
『ゆめいっぱい』は子供らしい勢いとピュアさ、そして漫画の中にずっと流れている“ノスタルジア”を感じられるように作ったつもりです。
『おどるポンポコリン』はなんせ“奇妙さ”がテーマなので、やりたい放題です。
リコーダーは私がちょっと下手っぽく吹いて何本も重ねたり、ピーヒャラピーヒャラというコーラス部分はメインがボコーダーで、
それにまた私が何十本もオペラ声を重ねたりと変なことばかりやっています。
結果的に『おどるポンポコリン』は1990年レコード大賞を受賞しました。 ベルリンの壁が崩壊して米ソの冷戦が終結、
さらにノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフが来日
そんな時代 織田哲郎 あれからこれから Vol.67
https://www.zakzak.co.jp/ent/news/200511/enn2005110001-n1.html
今、楽天市場の母の日PRのCMで『ゆめいっぱい』が流れています。
1990年にアニメ『ちびまる子ちゃん』の放送が始まったとき、オープニングが『ゆめいっぱい』で、エンディングは『おどるポンポコリン』でした。
私は『ちびまる子ちゃん』のテーマ曲を依頼されて、まず原作の漫画を全部読み、そのイメージから対照的な2曲を作りました。
あの漫画の持つピュアな部分、ノスタルジックな部分をつめ込んで作ったのが『ゆめいっぱい』、
そしてとても変だったり毒があったりという部分をふくらませたのが『おどるポンポコリン』でした。
作り手としての正直な話をすれば、『ゆめいっぱい』のほうが真面目に作っている分、思い入れがありました。
というと『おどるポンポコリン』は不真面目に作っているのか、と叱られそうですが、ポンポコリンのほうはある意味徹底的に遊んでいます。
生真面目に取り組んだものより、どこか軽い意識で作った、
肩の力が抜けているもののほうが、人の評価につながりやすかったりもするのです。
でも今回、こうしてCMで使っていただいて、とても評判が良いようなのですごくうれしいです。
90年でしたから、もう30年前の歌なんですね。もともとあの曲の持つノスタルジックな部分が、
この30年の間に皆さんの記憶の中でより熟成されて、いい味わいを醸しているのかもしれません。
ところで『ゆめいっぱい』を歌っていた関ゆみこさんは、実は私のイトコなのです。
私が連れてきたのではなく、オーディションで歌のとてもうまい子がいる、ということで
書類を見せてもらったら、なんと私のイトコだったのです。
今回、本当に久しぶりにCMのために歌ったようですが、やはりいい声をしているなあ、と思いました。
関ゆみこさんの母親と私の母親が姉妹で、2人とも歌や楽器がとても好きだったのです。
私の父親はとにかく真面目なカタブツでした。若い頃の私は、自他ともにそんな父親とはまったく似ていない、と思っていましたが、
この年になってみると、母親の音楽好きと父親のカタブツ具合が、確かに両方とも自分の中にあるなあと、遺伝子の不思議さを感じます。
そんな私の母親は去年亡くなりました。死因は老衰ですから、ハッピーな大往生といっていいと思います。
とはいえ、やはり母親が亡くなるということは、自分の心のどこかに、なにやらずっと塞がらない穴が開いたような気がします。
そんなわけで、皆さん母の日には、ぜひ一言何か感謝の気持ちを伝えてあげてください。
いつかは、と思っているうちに言えないままになってしまうこともあるので。 ポカリにおけるCMソングのTOP5
織田哲郎 - いつまでも変わらぬ愛を (1992)
ZARD - 揺れる想い (1993)
DEEN - 瞳そらさないで (1994)
FIELD OF VIEW - 突然 (1995)
ZARD - 心を開いて (1996) >>29
いや違うな
レモンツリーのまぎれなく恋が1位 B.B.キングのパクリ名だったんだな
当時は分からなかったけど 売上枚数は何と164.4枚って書いてるのに、誰も突っ込まないのな。 ちびまる子ちゃんはやっぱり
ゆめいっぱいのイメージだわ
ポンポコリンとかいうくだらない曲がちびまる子ちゃんをおかしな方向にもってった >>35
それをパクリとは言わない
たとえばFF6に「ジョニー・C・バッド」という曲があるけど
パクリとは言わない >>22
エンディング曲だったこと知らない世代もいそう てか楽天のCMのゆめいっぱい、再録音だったのか、全然わからなかったわ MI-Keは、レコード大賞の翌年に最優秀新人賞という
大技をやってのけた、稀有の存在 >>39
おかしくなったのはちびまる子が大ヒットして作者が変わったからで曲のせいでは無いだろう さくらももこや青島幸男だけを持ち上げて織田哲郎を過小評価するスージー鈴木
何も分かってないな
「スーダラ節」「だまって俺について来い」「いい湯だな」を作曲した萩原哲晶に至っては
名前すら出していない
作曲家を作詞家より下に見ている音楽評論家、それがスージー鈴木だ 個人的には「ぼくらの七日間戦争2」の主題歌の方が好き 「ゆめいっぱい」「おどるポンポコリン」「走れ正直者」は作曲だけじゃなく
編曲も織田哲郎なんだよな
オダテツはアレンジャーとしてもすごい >>9
それも織田哲郎作曲
完全に天才
ボンポコリンも1分で出来たらしい
完全に天才 >>48
曲が売れて明らかに作調が変わったから
元凶は曲にあるよ ポンポコリンは当初栗林誠一郎がボーカルを担当にしようとしたんだとさ、長戸大幸とフェイスの社長の対談で言ってた ちびまる子ちゃんはピーヒャラしかイメージなかったけど
母の日に向けての楽天CMだっけ?あれで聴いて思い出したよ「ゆめいっぱい」w
あらためて聴くといい曲だと気付いたw 164.4枚って割れちゃった半分にも満たない盤も売っちゃったのか 坪倉唯子と言うスタジオシンガーでは
トップクラスの実力を持った奴に
馬鹿げた歌詞の歌歌わせててわろた ハミングがきこえるも名曲だよね
やっぱり詞が良いんだよ
今YouTubeで公式観れるけど、カヒミカリィが美人すぎる >>29
は?MOJO CLUBの君が降りてきた夏だろ CD バブル期にヒットを連発した織田哲郎と小室哲哉
小室は自滅したから織田が1番金持ちな日本の作曲家かな? ゆめいっぱいの前奏と「みつや」の絵で始まるオープニング
ちびまる子ちゃんは6〜7巻くらいまでが好きだったなー 織田哲郎作曲(個人的に有名なの抜粋)
●相川七瀬
夢見る少女じゃいられない
BREAK OUT
恋心
●ZARD
Good-bye My Lonelines
眠れない夜を抱いて
負けないて
揺れる想い
きっと忘れない
この愛に泳ぎ疲れても
●酒井法子
碧いうさぎ
●TUBE
シーズン・イン・ザ・サン
●DEEN
このまま君だけを奪い去りたい
翼を広げて
瞳そらさないで
●T-BOLAN
サヨナラから始めよう
●Mi-Ke
想い出の九十九里浜
ブルーライト ヨコスカ
●WANDS
愛を語るより口づけをかわそう ちびまる子ちゃん特有の男性差別が残念
イケメン以外の男は全員例外なく変人として描かれているw リコーダーのドレミファソラシドってのが良いよな
子供が真似しやすかったのもヒットの一因と思う >>72
同感!あの頃ワクワクして見てた
当時小学生りぼん読者だったけど、子供でもわかる位作者に変化がありすぎて読まなくなった
あーみんと合作してた頃が好き >>39 織田哲郎のYouTubeによるとゆめいっぱいのほうはちびまるこのピュアなノスタルジックな部分を曲にして変なところとか毒がある部分をポンポコリンにしたようだ とーびだせヒーロー!
スクリュウが回る〜
タイタイタイタイ ターイヘン
おならおならさようなら バブルが弾けて年号が変わり、平成のええじゃないかソングだと思ってる BBクイーンズが実はすごいメンバーだったってのも最近知った。
ギターの増崎とかもその世界じゃ有名よ。 >>80
あとLOVEマシーンとマツケンサンバかな >>83
広告代理店が宣伝して何が悪いの?と毎回思う 曲調とか人の構成は渚のオールスターズが基になってる気がする >>83 そんなこといったら戦後の商業文化の否定になるよ良くも悪くも広告代理店が作った文化はある、マンダムとか >>63
房ちゃんも坪倉さんも実力もキャリアもあっても下積み長い人
織田哲郎も長いこと自分の活動では売れずに
CM音楽とかで食いつないでいた
一時期ビーイングが一世を風靡していた頃
長戸大幸は音楽評論家や自称コアな音楽ファンwから随分叩かれてたけど
実は長戸自身、GS末期に売れないGSバンドで業界入りして以来
すごく苦労してきた人なんで
ビーイングも元々はそういう裏方で燻ってる実力派の人達に
CMでも企画モノでもアニメとかの劇伴でも
あるいはスタジオやツアーのバックの仕事でも
とにかくなんとか音楽で食ってけるようにしようってことで作られた事務所
そういう事情が知られていたから
業界の中堅ベテランのミュージシャン程
あの時期のビーイング批判に対して擁護の声が多かった この曲がヒットしたのは、アニメのエンディングが秀逸だったからだと思う。
絵と音楽がぴったりハマっていた。
毎週、あれを見ながらテレビの前で踊る子供がたくさんいたそうだ。 >>91 武部聡志のハーフトーンミュージックみたいなもんだな >>73
これも好き!
●AKB48
君のことが好きだから
走れ!ペンギン ピーヒャラピーヒャラパッパパラパー♪って覚えてくれないか期待しながら毎日インコに聴かせてる
近藤のシャウトがうるさくて邪魔なんだけど誰もそんなこと思ってないんだね しょげないでよBabyははじめてのおつかいの
悲しいシーンの定番だったのに
作詞の高樹沙耶がおかしくなって
あまり使われなくなったな >>9
これだな。
次にヒデキのリンリンランランソーセージ >>58
>>68
ドリーミンのイントロとピーヒャラピーヒャラってとこか
当時BOØWY の何の曲かわからなかったけどBOØWY っぽいって思ってたんだよなぁ リアル世代だけど、TVで騒いでただけで全然流行ってなかったよ >>29
ポカリCMは映像とのセットで語るべきかな
92年は一色紗英のちょい色気ある映像が映えてた 山下智久が自粛中にサーフィン行ってたこの時の彼女が丹羽Niki
木村拓哉、サーファーへ外出自粛呼びかけ「いい波があっても家にいよう!」
【維新】吉村大阪市長「こんな時期にサーフィン楽しんでる奴許せない!罰則が必要」★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1587782685/
【サーフィン】<日本サーフィン連盟> 「全てのサーファーの皆さんへ、緊急事態宣言が発令中の不要不急の外出自粛を守ってください」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1587562795/
↓
97 名無しさん@恐縮です sage 2020/04/22(水) 23:28:27.21 ID:ZfunnhzL0
>>1
山Pは彼女とサーフィン
震災でキャバクラの時と変わってないね >>63
これ流行った頃中島みゆきのコーラスやっててツアーで
「この子があれ歌ってんのよ〜それ唯子歌え!w」と毎会場ピーヒャラ歌わされてたぬw 織田さんのピーヒャラ生で聴いた事ある。ギター一本で。 ポンポコリンは織田哲郎が娘(当時小3ぐらい)に向けた曲でもあったらしい、当の娘にはあまりウケなかったようだけどw はじめてのお使いの曲もヒットしたから一発屋じゃないんだよな >>118
ギンギラも売れてるし3発くらい当ててるよな。
普通にすごい。 >>63
BBクイーンズがおどるポンポコリンとジュテームのメドレー歌う動画を見たことがあるな。
坪倉唯子がBBクイーンズの衣装のままジュテーム歌うのが面白かった。 松任谷由実のオールナイトニッポンを担当していた松島宏ディレクターが
「この歌は売れる!」と直感して、いち早く番組でかけた サムライディーパーKYOの主題歌がこのボーカルの人だと知った時はめっちゃ驚いたわ >>113
このころは中島みゆきに日本レコード大賞受賞者がコーラスで申し訳ないとかよくいじられてたらしいね あんな糞曲が年間売り上げトップになるという30年前の日本の闇
みんなバブルでおかしくなってたんだな >>113
いかにも中島みゆきが好きそうなイジリだなw こういう意味不明な歌って流行るよね、ツケマツケマとかもだけど。 オレ的には花輪君がのど自慢で披露した「金持ちロック」が珠玉かとw
♪赤いポルシェに乗らないかい〜オレの家は金持ちさぁ
♪君の為なら何でも〜買ってあげるよ言ってご覧今すぐ〜何が欲しいのぉ
♪ミンクもダイヤも全部君のもの〜とにかくオレの家は金持ちさぁ〜 当時MステでBBクイーンズの格好でジュテームを歌ってたのがインパクトあった >>81
坪倉唯子
近藤房之助
宇徳敬子
栗林誠一郎
増崎孝司 >>86
後に桑田がちびまる子ちゃんのテーマソングを歌うとかその頃は1oも思わなかった >>91
坪倉唯子は工藤静香の「千流の雫」のバックコーラスでヒットスタジオに出ていたな >>137 栗林誠一郎はビーイング系の曲のコーラスやってたな >>137
このメンバーはまだビーイングにいるのだろうか なんでもかんでも みんな
ネットで拾ってくるよ
ミスターデザイン 名乗った
インチキおじさん 登場
いつだって レディメイド
ポンポンと 配置する
そんなの常識
タッタ多摩美だ
ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパクリ
ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパクリ
ピーヒャラ ピーヒャラ 元ネタぽろり
タッタ多摩美だ
ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパクリ
ピーヒャラ ピーヒャラ 証拠ぞっくぞく
ピーヒャラ ピ お仲間減ったよ >>73
>●ZARD
>負けないで
これはダリル・ホールだろ作曲… >>50
同意、同意。スージー調子乗り過ぎなのでもっと叩いて >>16
このあとの思い出の九十九里浜も大好きだったなぁ
ちょっとGSがリバイバルしてた頃でさ >>110
一色紗英はファックスのCMしか覚えてない
w >>108
有線放送で毎日聴いて覚えたよパチ屋で
めちゃ流行ってたと思うぞ BBクイーンズがこの曲ありきで寄せ集められたっていうのは初めて知った
そもそもポンポコリン、はじめてのおつかい、超初期のクレしんの歌ぐらいしか知らんが
今考えると若い時に描いた漫画が国民的アニメになり作詞した曲も大ヒットして…ってさくらももこ凄すぎる
晩年はつまらないどころか不快という意見も少なくなかったがこんな早く亡くなるとは本当勿体ないな MiKeは最初のころ居なかったような
ファーストアルバムのジャケットに女の子三人写ってるがMiKeとは似ても似つかない……だった
MiKeの渡辺さん(の脚)が好きだった 言われてみるとBBクイーンズとしてテレビに出ても
あまり気取らない飾らない人達だった(服装はド派手だったけど)
スタジオミュージシャン出身なところがそうさせてたのかな 坪倉唯子のボーカルは、ボコーダーではなく、ゆっくり歌った歌を早回しで非人間的な声にしたと聞いたことがあるように思う。 >>160
そうそう
で、いざテレビやなんかで歌うときは自分の加工声の物真似してたって言ってた
もとは栗林さんが歌う予定で、彼は独特の声だからそうなったのかな >160
非人間的じゃなくて、織田哲郎と坪倉惟子で小さい女の子が出鱈目な歌を歌ってるみたいにしようとその工夫をして、
歌い方も子供っぽくしたと言ってた >>129
アニメのED曲でノベルティ・ソングというだけで軽く見られるが
実はこの曲自体が非常によくできてるし
さくらの歌詞はもちろんアレンジも印象的で一度聴いたらとにかく耳に残る
やってる人達もアルバム買ったらそのアーティストや作詞作曲だけでなく
編曲やバックミュージシャンまでチェックするようなタイプの人たちには
少なくとも名前くらいは知られてた実力派
これを糞曲というセンスの人はなんでもかんでも「パクリ」連呼厨同様
そもそもポピュラーミュージックというものがどういう成り立ちのものかが全く理解できてない人
>>153
あの年、仕事で都内を毎日外廻りしていると
どこのコンビニや大型店に入っても有線でポンポコリンがかかってて
あと秋葉原の量販店店頭は森高の『17歳』(『非実力派宣言』)の例のポスターとPVだらけだった >>151
そうそう、あの歌はよく聴いたよ。
Mi-Keだけで歌を出してくれて本当に良かった。 歌詞がなんたってすごいよ
さくらももこは人に歌詞の真意を問われると
意味なんてまったく無いよって答えてたけどね
鍋の中から出てくるのは魔人ではなくてインチキおじさんだし
電信柱の陰にいるのは口裂け女ではなくてただのお笑い芸人
つまらない常識にとらわれて人生という舞台で踊り続ける
人々の滑稽な様子をとらえている
まあそれでも明日は来るし腹は減る 曲調で見るとアニメのテンプレ的にはおどるポンポコリンがオープニング曲でゆめいっぱいがエンディング曲だが逆なんだな 最初はエンディングテーマでB.Bキングのパロディだったのはつい最近だった。 当時、結婚披露宴で新婦友人グループが歌ってたな
おめでたさを感じたのかね >>85
何か初めは一生懸命描いてた感があったのにアニメが当たってからは雰囲気が変わったんだよね
上手く伝えられなくて申し訳ない >>151
ブルーライトヨコスカや白い白いサンゴ礁やPlease Please Me、Loveも名曲 >>173
クラスの端にいる地味な存在のまる子からの視点が良かったのに、まる子がクラスの中心っぽくなったからな
小6の時に少年サッカーで優勝して当時から目立った存在だったであろう長谷川健太は同級生のさくらももこを覚えてなかったくらいで、それが良かった
さくらももこ本人が認められて金持ちになったことで変わったんだろう >>176
コミックスの方は知らないが
アニメだと第一期では
金持ちだけどちょっとピントの外れたキザがネタ扱いだった花輪くんが
二期以降では
キザだけどスマートな花輪くんになって
そんな花輪くんが折に触れまる子に好意的なそぶりみせるけど
まる子の側は無邪気で全然その気が無いみたいな描き方になってるんだよな >>177
ひねくれものの傍観者だったまる子が段々クラスで一目置かれる存在になったな
対象年齢が下がった感じで、主人公然としたほうが書きやすかったり、子供向けとしてはより分かりやすいんだろうが >>175
ブルーライトヨコスカはクイズ世界はSHOWbyショーバイのエンディングテーマになったけど
歌詞が歌詞だけにゴールデンで流すのはどうなのよ?て思った
尺長めのSPの時は2番のカーセックスな部分までオンエアに乗っちゃったし >>170
後にTBSでアニメ化された少年アシベだと
当初LittleDarlingがOPだったがEDに廻されてOPにアップテンポなまかせてチントンシャンが充てがわれたな
けどEDがアップテンポてのは割と多かったんじゃね? >>92 自分が通ってた小学校は、この曲に合わせてみんなでダンスを練習してたよ。よく覚えている。90年くらいだよ。 >>153
行きつけのゲーセンでも頻繁にかかってた
当時日曜夕方にテレビ見る習慣ゼロだったが覚えてしまったw
>>82
マツケンサンバは92年には既にあったのだが
大ヒットしたのは相当後の話 >>50
日本の音楽評論って作曲家より作詞家をより持ち上げる傾向にあるよな
評価するのが同じ作家だからかな ビーイングのルーツは三原じゅん子
セクシーナイトの作詞は亜蘭知子で作曲は長戸大幸 ちびまる子は、ポンポコリンより夢いっぱいの方が凄い
1回も使わんフジテレビはアホ
https://youtu.be/_jSGyj2kvi4
楽天市場が今CMに使っとる
https://youtu.be/oC4z67InOxM 近藤房之助と宇徳敬子がデュエットした「Good-bye morning」は珠玉の名曲
確か誰かのカバーだったと思う ちびまる子ちゃんはオープニング主題歌を「ゆめいっぱい」に戻してほしい
もちろんエンディングはBBクイーンズ版「おどるポンポコリン」ね
ずっとこれで固定でいいよ ももクロのポンポコリンはどうなの?と思ったがアニメーションが可愛くて心に沁みる 昔の曲といえばゆめいっぱいもヒデキも良かったし、
時々流してくれたら嬉しいわ。
おどるポンポコリンはレジェンドということで固定で。 >>125
1993年の年間ランキング100曲の内29曲がビーイングだったからな(笑)
後にも先にもあんな無双ぶりは無い >>192
opはカヒミ、edはたま
渋谷系とバンドブーム、90年代を象徴するムーヴメントの両雄をもっと評価してほしい >>29
ペパーランドオレンジの夏の魔法やろ
もっと聞きたかった、あの人らの曲
すぐ解散したのか?
夏の魔法と二人乗りの自転車とビニールハウスしかシングル知らん こんなくだらないカスみたいな曲が馬鹿売れするとか
バブルの負を象徴した現象だわ 2019年には「パプリカ」というキッズソングが馬鹿売れしたけどな サザエドラえもんまる子クレしんの次に国民的なアニメって何? 装甲騎兵ボトムズ
オープニング「炎のさだめ」 エンディング「いつもあなたが」
唄 - TETSU 親父が当時会社の宴会芸としてこれ歌うことになって必死で練習してたのを
横で見ていた母親が陰でだせえだのなんだのと文句言っていたが
あーそのときから家庭内不和が始まってたんだなと後から思った 『ゆめいっぱい』は「夕焼け 草原 風の匂い」のとこでキュンとくるw 虹の都へ 高野寛 くちびるから媚薬 工藤静香 プレゼントJITTERIN'JINN はんぶん不思議 CoCo 浪漫飛行 米米CLUB 危険な女神 KATSUMI 追憶の雨の中 福山雅治 忍ぶ雨 伍代夏子 さよならを待ってるドリカム ZUTTO 永井真理子 真夏の果実 サザン p,siloveyou PINKSURFFIRE >>26
オレは織田哲郎自身のアルバム(ソング)のファン Night BirdsやTwo Heartsとか
他人に提供した曲は好きなの少ない
それでも「このまま君だけを奪い去りたい」は良い曲だが 当時はフジテレビが乗りに乗ってることもあって視聴率がずば抜けてたよな 最初は「おどるチンポコリン」ってタイトルだったらしい
https://www.faith.co.jp/25th/dialogue/nagato-daikoh.html
> 長戸 タイトルの話でいうと「おどるポンポコリン」も最初は「おどるチンポコリン」やった。 高校野球の入場曲でこんな歌で入場させられた球児が気の毒でならんわ。 スーダラ節にはシュールさもナンセンスさもないと思います
当時のサラリーマンあるあるでしょ 歌詞の背景だからピーヒャラピーヒャラは、スイスイスーダラダッタが基にあったってことだろ >>186
29年ぶりの歌唱なのに全く衰えてないの凄いわ
てっきり当時の音源だと思ってた >>201
ルパン三世じゃないかな
幅広い年代が知っているなら 聞くたびギムラだなと。新しく録り直してほしくもオリジナル使い倒してほしくもある >>29
中山エミリ可愛かったな。
ダチョウのやつとか最高だった。 織田哲郎と言えば渚のオールスターズやろ
なかなかのメンバーが集結している 【閲覧注意!?】織田哲郎がきらりん☆レボリューション「恋☆カナ」歌ってみた【オダテツ3分トーキング】
https://www.youtube.com/watch?v=7Lyvv3Lrw9g BBクイーンズのオマージュがちょっと前の妖怪ウォッチの歌で近藤の位置にいたのが生沢だった ポンポコリンよりドレミファだいじょーぶがすき
おつかい見るためじゃなくてこの曲聞くためにはじめてのおつかいの特番見てる >>237
ドレミファの「誰もいなくても 寂しくはない 好きにできるから」ってビーイング的だな〜っておもっていつも聴いてる
歌詞だけなら大黒あたりのちょっと強がりな失恋ソングっぽい 増崎孝司は浜田麻里のバックバンドのメンバー
同時期に松本孝弘がいた ボーカルは買い取り契約してしまったため歌唱印税が入らなくて泣きを見た >>243
作詞はさくらももこ、作曲は織田哲郎でしょうに ゆめいっぱいの方が織田哲郎としては苦労して出来た曲だったらしい、ポンポコリンは数分で出来た曲、ちなみにゆめいっぱいを歌った関ゆみ子は織田哲郎のいとこ >>91
電通案件だろうが、ゴリ押しがあろうが、ビーイングは青春そのものだったよ。曲のレベルも高かった。
〇〇48系なんかより全然マシ 坪倉さんボーカリストとしては素晴らしい
Twitterは見ない方がいい 「ジュテーム」
CD持ってたけどポンポコリンの姉さんと後で知って驚いたw >>241
「およげたいやきくん」の子門真人と同じだw >>197
ペパーランドオレンジいいねぇ〜
ファーストアルバム持っているよ
「夏の魔法」と「二人乗りの自転車」は名曲 さくらももこはこれの作詞でも稼いで、漫画も絵が下手なのにアニメで稼いで強運だと思いきや、
最後は胡散臭い治療にすがって60まで生きられなかったところが、人生プラマイゼロ でも 作者がヤニカスで
飲尿療法で体内でどんどん毒素を濃くして早死にw >>257
まるでアニメのおかげの棚ぼたみたいな表現はおかしい
若い頃から飲尿したりまあちょっとアレではあったが 織田哲郎が作曲してたの初めて知った
このひと才能ありすぎんだろ B.B.クイーンズの中でも変わり種の
神聖かまってちゃんのロックンロールは鳴りやまないっのカバー
https://youtu.be/gjdWO-ir300 当時、中国人が船で東南アジアの難民のふりして船でやってきていた
当時高校生の自分が替え歌作ったのがこれ
何でもかんでもみんな 日本を目指しているよ 長崎沖からボワッとインチキ難民登場
いつだって忘れない あいつら偽装難民 そんなの常識
ピーヒャラピーヒャラパッパパラパー (略) 広東語がチラリ
(略) 踊る難民船 ピーヒャラピー お腹が減ったよー この曲の最大の秘話は
もともとは栗林誠一郎が歌うはずだったのに
レコーディング当日、本人に連絡がとれなくて
仕方なく坪倉に急遽歌わせて
機械で声をいじった
ってことじゃねーの? 歌った記憶はあるが踊った記憶はない
この曲って振り付けあったっけ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています