【野球】森祗晶氏「知恵比べ楽しかった」戦友野村氏と日本S
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時代を同じくして名捕手、名監督の道を歩み、しのぎを削り合ってきた森祗晶氏(83)。逸話をひもときながら悼んだ。
◇ ◇ ◇
古い言い方だが「戦友」と呼ばせてもらう。
1957年(昭32年)、高知でのオープン戦で初めて会った。
以来、半世紀以上の付き合いだが、私以上に野村さんと野球の話をした人間はいないだろう。
気がついたら朝だった、ということが一体、何度あったか。
違うリーグだからこそだが、日本シリーズの前には当時西宮にあった野村さんの自宅に泊まり込み、相手チームを研究した。
阪急と初めて対戦した67年(昭42)、主軸を打つスペンサーをどう抑えるか。
クセや配球を読むのがとてもうまいと教えてもらい、それを逆手に取らせてもらった。
第2戦の初回無死一、二塁でスペンサーを3球三振に仕留めた。
当時の巨人は2球で追い込んだ場合、3球目は外して様子をみていた。
スペンサーも絶対に外してくると思ったのだろう。手を出さなかった。その試合を1−0で勝ち、シリーズを4勝2敗で制すと、以後、私がいる間は阪急には負けなかった。
南海とも日本シリーズを戦ったが、この時はやりづらかった。でも打者野村を攻略しないと勝てない。野村さんは配球を読んで絞ってくるので、なんとかその逆をいこうと必死だった。でも知恵比べは楽しかった。
その集大成が、お互いに監督になって戦った92年(平4)と93年(平5)の日本シリーズだ。
2年とも第7戦までもつれた。仕掛けても「その手に乗るか」とお互い逆をいくので、流れは行ったり来たり。
その中で印象深いのが92年の第7戦だ。1−1で延長戦に入り、西武が先に1死三塁の好機をつくった。
打者は3番秋山。清原をすでに下げ、4番には奈良原が入っていた。
秋山が歩かされたら困るな、スクイズも外される恐れがあるからできないと思っていたら、勝負。
秋山が犠飛を放ち、その1点を守って優勝した。
あとでなぜ秋山と勝負したのか聞いてみた。
「歩かせても、三塁の辻、一塁の秋山、奈良原も足が速い。
何をやってくるか分からない。
岡林のスライダーが決まれば、秋山の方が三振が取りやすい」。
そのスライダーがほんの少し甘くならなかったら、結果は逆だったかもしれない。互いに知力を尽くした92、93年は最高の日本シリーズだったと思う。
野村さんと最後に会ったのは、2年前の巨人ホークスOB戦。ホテルで2時間くらい話をした。「ハワイからよく来てくれたな」と言っていただいたのが、最後の言葉になった。もう野球の話ができないと思うとつらい。(日刊スポーツ評論家)
2/12(水) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200212-02110956-nksports-base >>165
なかなかよく知ってるねえ。
長嶋監督になって間もなくの頃の試合で、
王が星野に「今年から好きなようにやれる」
と言ったらしいからな。 >>179
森が自分のポケットマネーかけてデストラーデに盗塁させたりしてたな 西武時代の選手で森を慕ってるのは清原だけ。これがこの人の人望の無さを物語っている。 長年の野球仲間としてまさに野球に生きた2人の話しだが、92年は西武が勝ったことを入れるなら93年の日本シリーズは野村ヤクルトが優勝したことを入れないとなぁ。 >>165
卒の無いキッチリした野球の方がチームとしての闘い方が徹底しているので相手は嫌がる。
相手に隙を突かれる作戦を取り難くさせる。
選手のレベルが高くないとやろうとしても中々、出来ないが。 西武が強かった時代面白かったな
ヤクルトとの日本シリーズも記憶に残ってる
平日の昼間に試合やってて小学校の給食の時間に先生がテレビ観戦させてくれた思い出 秋山敬遠で奈良原勝負なら2失点の可能性
秋山勝負なら1失点で済む可能性
最終回裏の攻撃は1点差の方がいいな >>180
よく知らないけどゴマスリ人間はゴマスリ人間が好きだよ
人間社会の鉄板 森はベイスターズの監督やらなきゃ大分印象は違っただろうな
結局、堤西武の恩恵受けまくってただけの、大した監督じゃない >>180
元々、川上哲治と青田昇は三原修監督排斥では親三原(反水原茂)で一致していたが、川上が水原派
に衣替えしたこと、又、野球感の相違から、両者の仲は疎遠になった。後年、広岡達朗は川上と対立し、
引退後、評論家として反川上色を鮮明とするが、奔放な青田とは野球論は別に、仲は悪くなかった。 93年の森西武vs野村ヤクルトの日本シリーズ何戦だったか神宮での試合、つまりDHではない試合。
西武のチャンスにP潮崎に打順が回ってきて
BSで解説してた広岡は「ここで代打ですね、代打以外に選択肢なんて無い」と断言。
しかし森は代打を出さずに潮崎がタイムリーw
広岡が「こんなもの丁半博打の結果論ですよ。これは僕の野球ではありえない」と吐き捨ててたw >>178
当時は他の球団もいろいろやってるよ、
西武が強くなったのはその選手達が期待どうりに活躍したから。 知恵比べというけど野村は西武の戦力あれば誰が監督やっても優勝できるわって言ってたけどな >>195
これ覚えてるわ。
ここで重要なのは潮崎のタイムリーじゃなくて、次のイニングに潮崎を続投させた方が失点の確率が少ないって森が判断したことなんだよな。
野手出身の広岡と捕手出身の森の違いが出たと思う。 昼間からビール飲んでる大男を見つけて
「練習しろよデブ!だから森に干されんだよ!」って言ったら
真っ赤になって追いかけてきて所沢プロペ通りを逃げ回った思い出 >>198
なんかのサイトで読んだけど日本シリーズでの東尾リリーフ作戦とか全部森のアイデア頼りで
森の方が広岡の上行ってたよね
広岡も投手のフォーム指導したり投手の目利きは卓越してるのに ガチ勝負とエンタ―テ―メントのバランス。森西武は前者に特化した塩試合で
強いけど動員振るわず。野村はセオリー遵守とゲリラ戦術を織り成していて
面白かった。森って野村の薫陶受けてたんだな。野村もお人よしだよな。
教えを請われたら教えずにいられない性分なのかな?企業秘密を教えるよう
なもんだ。 森は完全に隠居生活だな
亡くなっても全く話題にならなそうだ >>2
そういや、清原のヘルメットは野村から受け継いだものだったな... >>205
ノムは球場外の口撃も面白いからなあ。
それを嫌ってた権堂と東尾がシリーズ前に仲良くワインかなんか飲んでて白けたの有ったなw 選手成績は段違い。
なんといってもノムさんは三冠王だからな。
森のバッティングなんて鼻くそレベルだ。 最近の監督はいい人ばっかりでキャラが埋没しててまったく面白くない
やはり清原とか桑田みたいな癖の強いのがやらないとだめだ それでも若い頃は4番5番打っていたんだから、よっぽとの貧打線だったんだろう 森は甲子園の人気者で脚肩打撃に優れた天才肌の人気捕手の藤尾を追い落としてレギュラーを掴んだのが凄い
ノムも、藤尾には勝てないからと巨人のテストを受けなかったのに ゴマスリといえば川上もゴマスリがうまかったとか
軍隊で一緒の虫明あろむという作家が批判的に証言している
巨人でも大正力の絶大な信頼を得てV9 >>209
予告先発でなんか淡白なシリーズだったな
伊東が走られまくっていたな >>203
巨人監督候補の時の森のことを人格批判までして叩いたのに、
今になって「ヘッドコーチなら森が最高。あんな頭の良い奴はいない」と褒める広岡。 ノムさんは阪神で、森さんはDNAで苦汁をなめる結果となったが、
その原因は何だったのか、素人にはいまいち分からないんだよな
2人とも何がいけなかったんでしょうか??? 単純に戦力が
森は1年目ローズ抜けて 2年目谷繁抜けてだしねえ
1年目は何とか3位になってるんだが 野村と森
野球を知り尽くした神々の遊び
もう見れないね 名将といわれた三原も 近鉄ヤクルトではだめだったし >>219
結局、監督がチームに与える影響の割合は小さいということだな
サッカーみたいにいろんな戦術が編み出されて弱小チームを上位に押し上げるなんて無理
でも野村がやったID野球は間違いなく当時としては最先端だから評価されてる
阪神の監督やった頃はどのチームも同じことしだしてるんでアドバンテージがなくなった >>10
そうそう。読んでてイライラする記事多いよなあ。 >>48
お前みたいな奴が原稿書いてるんだろうな。
想像力がなさすぎ。 >>52
アホか。三球目様子見る根拠はなんや?
巨人発の悪しき習慣。
最近はなくなってきてる。 >>223
サンクスです
ただ、ヤクルトも楽天も野村の下で少しずつ
力を付けたのに、阪神だけはびくともせず最下位堅持w
というのは、何だかなあ〜てな割り切れない思いは残る >>222
近鉄では阪急と優勝争いするまで持って行ったし、
ヤクルトは前の別所体制で崩壊状態のチームを大矢、若松、安田等
若手起用で後の優勝の礎を築いたからまぁいいんでないの。 >>219
横浜に関しては98年の優勝メンバーが移籍したり力が落ちたりしてた
そこに放任の権藤から管理野球の森に変わったんで選手が対応できなかった >>227
追い込まれたらストライゾーンを広くして振ってくれるから
ボール球も三球使えるし
という、理由だろう
ノムはツーナッシングから見え見えのボール球は無駄と言ってたが 野村が阪急の攻略情報を森に教えてたんじゃ
阪急が巨人に勝てなかったはずだな 森の成績は見るべき所はない。
巨人に在籍していなかったら全く注目されない選手。
ただ、自分を脅かす若手を潰すのは天才的だったようだね。 ノムさんも森も指導者として優れてるけど、指導者の指導者としてより優れている >>230
結局は選手たちと相性が悪かった
つまり球団の体質と合わなかったという一言に
尽きるのかな
現に、ノムさんの死について、阪神OBからの
追悼は新庄とか井川とか、ハグレ者からしか
出てこないしね 球児とかも出してるよ
単純にマスコミが誰にコメント取りに行くかって話だから
マスコミと上手くやってたノムさんだからこそ数多くのマスコミ関係者が動いて多数の追悼記事があるって感じ >>9
監督じゃなくてフロントの上の人だよ、
森はケチだけどそういう時は凄い高級品贈ってたらしいな。 >>217
伊東はシリーズ後半中嶋に代えられてたな 広末とヨーグルトのCM出てたな
「あ〜ビッグで健康」 意味不明な森さんの過小評価で評論家気取りばっかりだな塵どもの笑っ 工藤は元祖、新人類って言われてたけどクレバーだったよ
97年の西武vsヤクルトの解説とか面白かった、
確か飯田が怪我で出れなくて、
野村さんがミーティングで日本シリーズ男の飯田の分まで頑張ろう
その言葉を意気にして結果的に四勝一敗だけど実質4連勝って言ってたな
ノムさんいわく「OBの先輩に対して西武ベンチからブタ!」って罵倒されたのが許せなかったらしいがw
工藤は森よりも野村さんを尊敬してたんじゃないかな
悪態ついた城島を説教して、野村さんの所に謝りにいったそうだし。
まぁ92年の日本シリーズは映像化として販売されてたから
一度は見る価値あるよ、第一戦の9回裏2アウト満塁、代打杉浦!!!
あれは痺れたし、杉浦さんもヤクルトの営業いったりしても、その件で仕事が上手くいったみたいね >>238
>結局は選手たちと相性が悪かった
これはあると思うが、
>つまり球団の体質と合わなかったという一言に尽きる
その一言だけじゃなくて、嫌われ役込みで参謀向き、
監督には向かないタイプってのもあったと思われ。 広岡時代の根本
根本「石毛の5年後はどないや?」
広岡監督、森ヘッド「選手としては一流ですが、ショートとしては峠超えてますね」
根本「そうか。石毛はサードにシフトしていこう。ショートの後釜考えないとな。」
サードだった秋山がセンターにコンバート、石毛はサードになり、黄金時代のスタメンが完成したのは
その5年後のこと。 二死一塁で秋山がなんの変哲もないセンター前ヒット
しかしクロマティの守備が緩慢だってデータがあり一塁ランナー辻が長躯ホームイン
そんなレベルの時代w >>222
1978年の初優勝は、三原の布石、広岡経由で
わからんかな〜 >>250
あれはクロマティの動きもそうだが、
・弱肩のクロマティの中継するため深い位置で中継する傾向がある
・三塁方向に背を向けて中継する傾向がある
↑
このショート川相(当時は補欠の若手)の2つの癖が
最大のポイントだったとか。 2年続けて西武とヤクルトの日本シリーズ観てない自分
野村はキーマン対策に重きを置くらしいが92年はどうだったのかね
自分思うにシリーズの西武はキーマン絶対石毛。投手なら郭
石毛を潰さないと必ず一方的な試合になるの何度も見た
ダイジェスト昔ちらっと見たけど忘れちゃった あんまり封じ込めてなかった記憶 プロ野球には3つの流れがある
根本広岡森の西武野球
でもこれは巨人の川上野球
もう一つは野村のID野球
もうひとつは
金本の
根性野球 >>254
もうひとつカープの野球もあるような気がする。
86年の日本シリーズは印象的だった。
第1戦、9回裏に追いつかれた西武、ペナントレース中に阪急、近鉄相手にこの展開なら
確実にサヨナラ負けしてる。それが引き分けに持ち込めたから、西武ファンの自分としては
「カープ、全然怖くないwたいしたことないww」なんて思ってたら…。
86年のカープ野球は86年の森西武野球の何倍も緻密だった。2アウトランナー無しからノーヒットで1点取れるような嫌なチームだった。
それでも追い詰められた第5戦からの工藤を抑えに据え、あとは先発Pをどんどんつぎ込む森の投手起用は壮観だったな。 >>222
>>251
三原か娘婿の中西太をバッティングコーチで連れてきてな
その中西が若松を育てて、広岡時代の主軸に >>254
>金本の根性野球
ルーツはカープな。
山内・沢崎・カンエー・河野ら、特に投手を潰しまくったスパルタ野球 >>21
全然違う
森は横浜では最下位だった
西武時代の成績は最高だったが、
これは優勝したのに広岡が監督を辞め、
広岡が育てた最強の選手を引き継げたから
最下位のチームを日本一にした広岡や野村のような名将とは比較にならん >>258
広岡采配のアイデアは森による所が大きかったから ノムさんがヤクルトの監督になった時に「アソボウズ」だっけ!?
野球のデータ解析ソフトを作ってたよね
それ以前からコンピュータは使われていたかもしれないけど
いよいよ野球もIT化って感じがしたね >>218
采配、選手起用については、明らかに森>広岡だったよ
特にワンポイントの采配よりも、試合とか3連戦全体の流れを意識した采配は圧倒的に森のが優れていた いわゆる野球における采配って運だし全て結果論じゃね? かつての選手たちがみんな泣いてるの見て
あんだけ言いたい放題悪口言って好かれてるんだから幸せな人生だったなとつくづく思うわ >>183
森本人が清原だけ特別扱いしたと本に書いてるからその辺りかな? >>119
実質南海を滅ぼした女だからな。
なんばパークスのメモリアルギャラリーに野村氏のことが全く無いんでわだかまりは相当なものかと。 >>258
野村は最下位のチームを日本一になんかしてねえよw >>236
野村もヤクルトの監督に就任当初はチームカラーに合わなそうな暗い人ってイメージがあった。 YouTubeで視たけど2人はキャッチャーとしてライバルで最高の親友じゃねーか笑っ
森さん関連も視たけど堤オーナーって嫌みな貴族そのまんまで草
森さんよく耐えたなあんなオーナーの下で。 大事な場面で内角徹底的に攻められて抑え込まれていた清原を代えず任せたが、駄目で守備を考えておもいきって清原交代させられたのも森さんだったからでしょうなぁ。それで92年勝ちをもっていったんだから。 >>236
就任当時は清原の入団会見で笑顔笑顔、秋山のバク転見ても笑顔笑顔 「森は三枚舌。森に比べれば野村なんか可愛いものですよ。」(長嶋茂雄)
「森はホントむかつく野郎ですよ。拳銃に三発あれば、三発とも森にぶち込む。」(デーブ大久保)
「現役時代の森さんは悪魔」(堀内恒夫)
「森は嫌な奴だった。」(マニエル)
「森は巨人監督の器ではない。性格が悪すぎる」(広岡達朗)
「広岡監督時代に鍛えられた選手達が主力になりチームが完成しつつあった時期に
森さんが来られたので森さんは特にやることはなかったと思います」(伊東勤)
「試合終了後ミーティングをやるのだがやるのは広岡さんではなく森さん。
森さんは個人的には好かんかった。前置きで広岡監督が言ってたんだがと言って
選手を名指して批判した。広岡さんが辞めた時「広岡さん、森さん通して随分
批判してましたね」と言うと「私が選手を批判するときは直接言う。 」
球界で森さんを慕っている人はほとんどいません。」 (伊勢孝夫) >>78
広岡は工藤には慕われてるのが救いだな
現在の最強監督だし
現役時代も優勝請負人とまるで広岡が監督時代に言われていたようなキャッチコピーがついてたしな >>207
それしかあるまい
店の奥の席に座ったまま投げるコップの速さとコントロールは
さすがキャッチャーだったわ ヤクルト監督に野村克也就任ってニュースの後で
ノムさんが心臓の病気か何かで一時療養とかになって
そのとき「安田監督代行」説が広がって、
やくみつるも「暗い野村より明るい安田を監督に」ってマンガでネタにしてたな。
それだけ当時のヤクルトとテレ朝で「ノムさんのクール解説」とかやってた暗い野村監督のイメージが合わなかった。
でもこれが見事にはまったんだよなぁw ノムさんにオファー前はシゲオにゾッコンだったヤクルトのフロント >>262
これは同意だな。
森野球は流れを把握してそれを支配して乗る野球なんだよな。
一試合の流れ(先制・中押し・ダメ押し)、三連戦の2勝1敗、
シーズン全体の流れを支配するための守りの野球が軸にある。
根本+広岡→森の組み合わせは最高だった。 >>277
選手は野村のIDを吸収して成長した。野村もいかにも現代っ子なヤクルトの選手達にいい感じに染まった。
後年ヤクルトに移籍してきた辻がクラブハウスでテレビゲームやってるヤクルトの選手たちに
学生かよ?ってショックを受けたって言ってたから、野村は見かけに反して相当柔軟だったのだと思う。 >>23
口より先に手が出るけどそれでも選手が我慢する人徳
これに全振りの人だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています