「おもてなし」の理念すら危うい東京五輪

 大会組織委員会の言う「成熟都市での五輪」には、2012年のロンドン大会という格好のお手本がある。「ロンドンでもっとも貧しく、荒廃していた東部地区で五輪を開催し、これをテコにしてまちの再生を図っていく」。ロンドン大会は、ここからスタートした。東京なら、足立区で五輪を開くということか。いや、当時のロンドン東部の荒廃を考えると、そんな生やさしいものではなかった。

 なぜ、五輪を招致するのか。地元開催だからメダルの数が多くなることくらいしか思い浮かばない東京と比べ、根っこがしっかりしていたロンドン大会は数々のレガシーを残す。オリンピックパークは市民に開放された憩いの場となり、選手村は低所得者に配慮したコミュニティ(イーストビレッジ)へと姿を変えた。

施設のレガシー以上に重視されたのが、ソフト分野のレガシーだ。近代五輪の創立者であるピエール・ド・クーベルタンの理念に返り、オリンピックの文化イベント(カルチュラル・オリンピアード)をイギリス全土で大々的に展開したこと。さまざまな人を大会ボランティアに活用し、「ダイバーシティ&インクルージョン」(多様性の包括)の定着を進めたこと。厳しい食材調達管理基準を徹底させ、GAP(Good Agricultural Practice:適正農業規範)の普及に弾みをつけたこと。これらは、ほんの一部にすぎない。

 文化イベントは経常的な情報発信力を持ち、インバウンド客の増大を促す。「ダイバーシティ&インクルージョン」は、人材確保という経営戦略そのものだ。GAPの普及は流通の再編に直結する。つまり、ロンドン五輪のレガシーとは、ポジティブに社会を変革していくスマートな成長につながる戦略そのものだった。ここを見逃してはならない。

 このロンドン五輪のレガシーから、もっと謙虚に学ぶべきだろう。「謙虚」は「おもてなし」の基本のはずだ。そういえば最近、メディアでは「日本すごい」「日本のおもてなしはここがすごい」という話題があふれている。自分で自分をやたらほめあげることを「増上慢」という。このままでは、「おもてなし五輪」のコンセプトも危うい。
(文=池田利道/東京23区研究所所長)