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「コンセプト」とは、物事を進めていく上でもっとも基本となる理念のことだ。あらゆる計画は、コンセプトが揺らぐと単なる「予定」に陥ってしまう。そのコンセプトが、2020年の東京オリンピック(以下、東京五輪)にはない。

 はじめからなかったわけではない。招致段階では、明確なコンセプトがあった。当初は「Discover Tomorrow〜未来(あした)をつかもう〜」とうたわれており、「その精神は招致時から今に至るまで一貫して変わっていない」という反論は的を射ていない。これはスローガンであって、コンセプトではない。

 招致段階のコンセプトは「コンパクト五輪」。サッカーの予選を除く33の競技会場のうち85%にあたる28会場を半径8kmの中に集中させ、それらを公共交通網で結ぶとともに、このエリアの中に集約的な祝祭空間を創出していくことによって、過去と未来が結びついた都市の姿を浮き上がらせる。そんな理念が、2020年東京五輪の根幹に据えられていた。

 今あらためて招致ファイルを読み返してみると、「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」などと、とんでもない嘘っぱちも含まれている。後述するように、「コンパクト五輪」のコンセプト自体、どこまで練り上げられたものだったかという疑問も残る。それでも、コンセプトがしっかりしていたから招致が決まったのだと信じたい。

いつの間にか消えた「コンパクト五輪」の理念

 ところが、招致決定後、東京五輪は迷走に迷走を繰り返す。なかでも、立候補後の2013年1月時点で約7300億円と見積もられていた予算は、一時3兆円を超えるまでにふくれ上がっていく。その後、東京都の関連整備費を含め2兆1600万円に縮小されたが、この過程で「コンパクト五輪」のコンセプトは雲散霧消と化していった。

 サッカーと追加種目となった野球・ソフトボールの予選を除く競技会場は35。このうち、半径8km圏にあるのは21会場。その割合は、かろうじて半数を超える60%にとどまる。大会組織委員会も都も、今は「コンパクト五輪」という言葉を使っていない。

 予算が一時は4倍以上に膨張したのは、招致計画がずさんだったからにほかならない。だとしたら、「コンパクト五輪」のコンセプトもまた、ずさんなものだったのかもしれない。

 コンパクトシティとは、単に施設や機能を集約するだけではなく、「スマートグロース(賢い成長)」という新たな成長戦略と対をなすことによって、初めて本来の意味を持つ。その意味で、「コンパクト五輪」も新たな成長のあり方を体現するものでなければならなかった。この一番肝心なところが不十分だったから、あっさりと当初のコンセプトが切り捨てられていったと考えるのは、うがちすぎだろうか。

 そうはいっても、コンセプトがないのはあまりにもおかしい。そう考えたのか、大会組織委員会のホームページを開くと、「3つの基本コンセプト」なるものが記されている。しかし、その内容は、抽象論、一般論に終始している。唯一、コンセプトらしきものを拾いあげるなら「おもてなし」。「コンパクト五輪」から「おもてなし五輪」へ。格落ちの甚だしさにため息が出てきそうだ。

つづく

文=池田利道/東京23区研究所所長2018.10.25
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