日本の戦国史上最高の軍略家は誰?©2ch.net
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>>2
啄木鳥戦法良かったんですこどねー謙信が上手でしたね。 補給戦読んだら直接的な武勇や采配よりも動員や補給関連で堅実な将に目を向けるようになったなあ
日本にはそういう武将いないけどスレチになるがフランス大元帥のテュレンヌとかな 佐久間玄蕃かな〜
荒山合戦の急襲や約10km山岳地帯行軍して約四時間で砦落とした賤ヶ岳の奇襲作戦・攻撃が神がかってるから >>5
それは戦略的視点だね
最初に佐久間盛政の名が出てたから、優秀な戦術指揮官を選ぶものだと勝手に邪推してた 半兵衛さんかな。
てかこの人以外に「戦国時代」の「軍略家」は存在してないから。 >>9
ゼークト的に言えば、「有能な怠け者」を探せばいいわけだ >>12
佐久間盛政の強みって何だったんだろう
勝機を見切る決断力、に加えて
戦闘力を維持しながら長躯軍勢を移動させるリーダーシップ
なのかな
豊臣勢の反撃を受けてもしばらく持ちこたえてるし
この2点に優れているなら確かに最強かも >>15
采配・戦術眼かな〜強みと言ったら賛否両論だけど 優秀な用兵家といえば、源義経や楠木正成のように
小をもって大を制すようなタイプを連想するけど
実際には、大兵力を組織立って運用出来るタイプの武将が
安定して高い戦績を残してると思う >>16
采配=組織の維持管理能力と捉えていいのかな
ということは、部下達に慕われる人だったのかもね
確か、佐々成政もそういうタイプの武将だったかと
ただ、関羽のように同僚や上司との間の調整能力に欠けていたのかも… >>19
それ親父
東軍総大将細川勝元の嫡男
でも、政元がめちゃくちゃだったから細川京兆家没落するんだけどね苦笑 >>21
後、張飛とかもパワハラだね
>>22
勘違いしてたわw >>20
表裏比興の者が出てきた
否定のしようがありませんな
大阪の陣に参加出来なかったのが悔やまれる 謀聖尼子経久はどうなるんかね?
尼子最盛期は晴久だけど >>24
寿命だから仕方ないね…でも息子の信繁はさすがとしか言いようがない祖父・親父譲りの軍略を如何なく発揮するしw >>25
晴久より尼子再興軍の勝久が好きだなw有能な若武者だったらしいし >>30
散り際の美学好きでしょ?
勝久といい信繁といい
尚、尼子本家義久は毛利家客というね >>25
政治家の面も大きいから、軍事だけに絞るとちょっと霞む
けど、優秀であることは疑いようがない
それで言えば、伊達稙宗、北条早雲、毛利元就、今川義元、武田信玄なんかも同じか
戦国大名は軍事以外のことも手掛けなければならないから、職業軍人みたいな人に焦点を
当てた方がピンとくるかも… >>29
典厩さん、部下受け悪かったの?
まあ、最後は部下に殺されてますが… >>34
でも、武将は大なり小なり領主だから、職業軍人なんて
鬼小島弥太郎くらいしかいないかもねw >>36
法律作ったのはすごいよね
領土的には義元の時が最盛期だけど
まあ、それ言ったら北条は氏政最強になっちゃうんですが >>41
義元って三河、遠江、駿河
氏親、駿河、遠江、尾張那古屋、伊豆、相模じゃね(伊豆、相模は北条早雲だけど付き宿老だし) >>39
繁長は一時期15万石以上を支配する大名だったから
政治力・外交力もあったんじゃないかな
最後の伊達との戦いは鬼神ぶりを発揮しますが >>42
あ、そうか。軍事支配権で言えばそうだ
早雲が司令官になって松平攻めも行ってたな
盲点でした >>46
因みに尼子氏は京極の支流だよ
その本家京極から経久が出雲乗っ取ったんだけど >>48
それは把握してたわ
話変わるが織田信成はやはり詐称してると思うかい? >>40
あれだけのポテンシャルあって何で根白坂で負けちゃうかな
やはり鬼島津を手玉に取った宮部継潤最強ということか >>50
知らんけど、天童信雄家からも、織田一応本家信包家からもそんなの居ない
更にひいじいさんからの経歴怪しいって..... >>52
>>53
信雄系の当主からも直々に否定されてたし、ひい祖父さんから分からなくなるのも怪しいよね
一様、旗本織田家の末裔を名乗ってるけど >>1
戦国期にしぼるから楠木正成は無しなのかな? >>54
wikiで盛政読んできたが、賤ヶ岳での敗戦のくだりがどうも軍略家らしからぬ感じがする。
盛政のナイス軍略エピソードがあったら教えてください 軍略家なら二人
桶狭間敗戦時に敗残兵をまとめ鳴海に籠城して主君義元の首を取り戻し
返す刀で織田方の刈谷城を急襲して一矢報いた岡部元信と
親父譲りの奇襲戦が得意で数々の武勲をあげた立花宗茂 >>64
有能な前線指揮官について話し合うスレだと思ってた >>58
佐久間盛政伝説
朱功記録保持者第二位
温井景隆
三宅長盛
遊佐長員
中川清秀
計四人の朱功を記録
加賀一向一揆
越中一向一揆(鳥越城の戦いを勝利し勢いのままに越中一向一揆を潰す)
計2つの一向一揆を潰す。
なお約100年一向一揆の国加賀を上手く治めた知略・政治力は卓抜したものがある。要するに善政家と武将として戦国一。
荒山合戦における佐久間盛政の働きは、350年後に日本陸軍の戦史研究チームから絶賛された。
『第九師団管古戦史』では、参考にした史料群から佐久間盛政の働きについて、
・事態を想定していた。速やかに出陣した
・現地の住民を味方につけた
・戦機を見逃さなかった
・諸将とよく協力した
・手柄を前田利家に譲った(佐久間勢が討ち取った敵将たちの首を、盛政は前田利家に譲った。能登を安定させるためか)
等々を挙げ、盛政の采配と戦術眼を高く評価した。 朱功記録保持者第一位は島津家久なのか
討ち取ったのは
龍造寺隆信
十河存保
長宗我部信親
さすが最強の釣り師 韓国では脇坂安治が評価高くて、「日本の関羽」と言われてるらしい ちなみに島津家久の朱功記録は8人
第二位の佐久間盛政は4人 >>69
そろそろ大河で島津四兄弟を取り上げて欲しい
家久役は藤原竜也で >>71
龍造寺四天王(5人)も加えた数かな?
それなら武田の主要武将を何人(5人くらい?)も平らげた村上義清も評価せねば >>73
朱功=大将(指揮官)首
だから村上義清も評価に値するけど実際どんくらい活躍したの? >>74
野戦に限れば武田に勝ち越してる
上田原の合戦で、武田家臣筆頭の板垣信方、甘利虎泰を討ち取り
一時的に武田の信濃計略を頓挫させるほどのダメージを与えた
wikiによると、長槍による槍衾戦法を得意とし、槍戦術の創始者の一人に数えられている >>76
でも結局、領土奪われて越後に逃走するんだよね…
野戦に強いだけでは大名失格のようです
信長の野望・天正記ではラスボス候補だけど 詳しい人にはバカにされるかも知れないけど
歴代信長の野望の能力値見てると、その武将の評価の変遷が伺えて面白い
最近では、脳筋筆頭候補の柿崎景家が頭脳派として再評価されてる >>79
信長の野望は今年新作発売されるから楽しみだw評価含めてw >>65
すまぬ
戦略家だと思ってた
1ではないので把握仕切れてなかったわ このスレも終盤かな…結局戦国No.1軍略家は誰なんだろうな。一番名前上がったのは佐久間盛政だけど… 信長の野望もう新作でるのか・・・早いな・・・まだ創造すら手をつけていないのに・・・
キャラゲー偏重するなって言うとたたかれるかもわからんがパラドゲー並みのデータ量・シンプルなゲームデザインで外交重視の戦略SLGつくってほしいな
いやパラドにはsengokuもあったけどさ・・・ 領民巻き込んで国の運営止めて、どこも負けるか勝つかの戦争繰り返すよりも関東平野にこもりながらも勢力を広げていった武装農兵団のほうがよほど賢いよ。 今川の大源雪斎も中々だったのかね
あの人物が亡くなってから今川家は一気に衰退したと語られているのを目にするが、
確かに桶狭間の戦いで有名な田楽狭間での討ち死ににしても今川義元が迂闊だったのか、それにも増して誰もが油断しそうな状況下に織田方が一枚上手だったのかと考えさせられる。
仮に大源雪斎が生きていたとして防げた程、織田方の急斜面特攻が不可能レベルにあったのかも疑問なんだが。
また大源雪斎は確かにそれなりに知恵者だったのかも知れないが、他の今川家武将に戦中に酒を飲むという安易さを諫言出来た者はいなかったのか、それほどまでに義元のワンマン運営で口を挟めなかったのか等色々思う節はある 一番じゃないんだけど
小早川秀秋を再評価してあげたい
関ヶ原唯一の山城の傍に大軍で布陣する事で
石田の籠城戦を未然に防いでいる
裏切る前提で考えると、実に理にかなった行動を取っている >>91
小早川秀秋は10代のガキンチョだからそれを指示した家老?軍師?が凄かったのでは? 北九州で闘ってた頃から小早川隆景の元で軍略学んだ家老とかがいたんだろうね。
で、隆景を推すわ。 関東の孔明、栗林義長
軍神・上杉謙信を大敗させた松田康郷 荒山の急襲・賤ヶ岳の奇襲の軍略が凄い佐久間盛政じゃないの?ナンバーワンは >>99
九州戦線で黒田官兵衛に負けた人と、関ヶ原で黒田長政の陣に加わってた人がいたハズ。
長政としては、竹中半兵衛がかくまってくれなきゃ、官兵衛が荒木村重につかまって出てこないから荒木村重側についたと信長に疑われた時に、信長によってバッサリ斬られてたわけで、恩義を感じて竹中の家名が残るようにかなり頑張ったハズやわね。 >>101
東西分裂したのか
半兵衛がいなかったら長政の命危なかったもんな
荒木家も改易されたような 主旨と違うけど、滅亡や改易された大名家のその後を調べるの好き >>103
尼子本家が毛利家中で佐々木と名乗って家臣に加わってたとか? >>103
ミーもトゥートゥー
長話で家康を困らせた今川氏真のエピソードとか 伊達政宗
カタワで、なんだかんだ人生全うしたから。 半兵衛が関が原あたりまで生きてれば
どうなったかな 矢沢父子 絶対北条殺すマン抜きで沼田 上田の存続は考えられない >>104
おはよう
そうそう、そんな感じの
例えば朝倉家のその後とか
>>105
おはよう
おお同志よ
そういうエピソード聞くとより楽しく感じるよね あと最上義光の子孫が水戸藩家老になったとかも燃える展開 後、佐久間盛政の娘が盛政が討ち取った中川清秀の息子に嫁ぐとか >>113
いいよなーしかも中川の息子は優しくて盛政の娘を冷遇しなくて子沢山になるからな >>114
鴛鴦夫婦でいいね
ガラシャと忠興とは >>115
確かに
忠興は息子に「子供のような人」と言われるくらいだからな >>116
嫡男は忠隆だっけ?結婚で揉めて追放されたくらいだから仲が良かったんだろうね
弟の仕官も邪魔しようとしたよね
それで茨城一万石になったとか >>117
一万だと大名行列やれるかやれないかギリギリじゃないのかな? >>118
やってるはずよ
五島列島からも来てるし
ただ人数が少なくなるみたいね
弟の興元だわ、確か谷田部藩の
>>119
継いだのは忠利で、結婚で揉めて京都に追放は忠隆じゃなかったっけ? 五島列島って石高ひくいのかな?
めぼしいトコでは中元のやっこさん臨時雇いして、道中は10人くらいで中抜きしたビンボー諸藩もあったとか >>121
福江藩は確か一万五千石くらいだったかな
後期は貧乏で領民を奴隷みたいに扱ってたみたいね
江戸に到着時だけ賑やかとかは各藩やってたみたいね 継いだのは忠利だね。結婚で揉めたんじゃなくて離婚で揉めた忠隆は 【ネトウヨ訃報】安倍晋三首相「韓国は大事な国だ。日韓交流を盛んにする基礎づくりをしっかりやっていきたい」【ソース産経】
http://hitomi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1497124484/ >>123
離縁せまれてだったね
dクス
>>127
信成? >>127
鉄砲三段撃ち
ってのが作り話ってのはきいたことがあるわ。
別に後ろに下がって弾込めしなくても、
横に一班二班三班ってやっても変わらんもんな テレビで、漫画で今川義元が主人公っていうのがあるって。
酷い時代になっているけど
ネットの時代はそうなのかも
能力が高いのは メガCDの天下布武とか高いやつってことで
いい時代で楽しめてよかったかも。
本で優秀な武将を学ぶこともなくなく、いろいろな本を大河ドラマの脚本家が調べることもないのかも。 ほんと最近思うのは、
○○と○○を読めばわかるってかんじで 本をたくさん集めていくとわかるので
本を集めるって大事。 でも本とかあると そこで引用されている本とかを読んでどんどんわかるってあると思うから
天才子役が大人向けの本をたくさん読んでいるってのをもっとだれもがまねられるように教育もいい感じになるといいねって。 なにげに開いたらものすごく濃かったwww
>>72
藤原竜也わろた
シマヅは扱って欲しいね
>>90
急斜面急襲って近年否定されてなかったっけ
大源雪斎がいればなかった用兵、敗戦な気もする
>>115
ガラシャと忠興は鴛鴦というか
夫の束縛がはんぱじゃなかったんでしょ? ところで、女武者が好きだなぁ。
ぎんちよよりも前、野戦の前線に出て行くようなんおらんかなぁ?
源平期の木曽軍だけ?
>>130
小説でも見かけたよ。桶狭間だけ立ち読みしたが、それまでに300ページほどあったわ >>136
でも、戦国期じゃないんだよね〜。
巴の同僚の山吹と葵もすごいんだよ。 >>134
おはよー
そうだよ
ただ最初は信長もお似合いのいい夫婦が出来たって喜んでたんだよね
忠興が嫉妬深くてだんだん歪んでいったんでしょうね
>>135
南北朝時代にも女武者を連れてって資料あるけど、実態は動員が足らなくて女性も連れてったみたい
戦国期ならけっこう実例あるけど あと加藤清正か福島正則か忘れたけど、便所で浮気に怒った奥さんに切りつけられて、生涯唯一逃げ出したって逸話があったな >>126
用兵術と戦術眼の二つの歯車が噛み合った奇跡の成功 >>138
あ、上杉謙信っていう女軍略家がいたのかもしれないの忘れてた。
でも率で言うと八割がた男性ってこっちゃろね。
女人禁制の高野山に入った時期が風林火山ではあったもん。 >>126 >>140
賤ヶ岳は前田利家が裏切らず柴田勝家本隊が盛政に呼応してれば勝てたかな?
勝って秀吉の首獲れれば、後に盛政が天下人になってたかもしれないね >>142
勝てたと思う。利家が利敵行為の敵前逃亡する前までは柴田方が圧し気味だったから >>142
こーいう「もしも」は関ヶ原でも大阪の陣でもあちらこちら考えられて面白いね >>148
確かに面白いよな。所謂Ifシナリオだね。 >>148
>>149
ifは想像すると面白いよね
豊臣政権が続いていたらとか >>152
なるかもね。江戸幕府創立の功臣だからね。 尾張武人物語
尾張が生んだ猛将猛卒のうち、強い武将を以ってその人を求めるなら佐久間盛政如きは、その随一に推されるべき人である。
と評価されてる鬼玄蕃は凄い‼️ ちょっと脱線だけど、近代になってからあんまり軍略家っていないような >>153
どちらかと言えば謀略家なイメージだったわ >>156
榎本武揚とかは?
>>158
そのとおりだね。 >>156
あえて旧幕府軍視点で言えば
桑名の立見尚文が最強
次点で、庄内の酒井了恒、会津の山川浩
この連中は自分の受け持った戦線では勝ち続けた ここまで東郷平八郎が出てないとかVIPのレベルの低さがよく分かるわ >>161
日本の戦国史上最高の軍略家なのに東郷平八郎w
しかもここはびっぷらww
お前のアホさが良く分かるwww >>161
ドヤ顔でそれ言うなら
秋山真之の方だろ >>161
ワロタw確かに東郷は有能だが戦国ではない 個人的には長岡藩の河井継之助が好き。
長岡城奪還の八丁沖からの奇襲が記憶にある。 >>159
榎本武揚か
確かに
でも、敗北しちまったが
いや、敗北してくれたから日本が分断されずにすんだか
>>160
桑名も函館付いてった人多いもんね
庄内は領内に侵入させなかったみたいね
同盟も温度差が激しいよね >>165
東郷・秋山は、実はもっと画期的な戦法(雷撃を中心とした戦法)を編み出したけど
軍事機密として隠蔽されたって説があるみたいね
海戦記録に丁字戦法の話が出て来ないらしい >>181
んじゃ、応仁の乱以降なのか、北条早雲以降なのか、どっちを取ればよいのだ? 戦国時代の始まりって今は応仁の乱以降なのか、応仁の乱からなのかどっちなんだろ?
20年くらい前の中学生の時は応仁の乱以降だったが 九州なんかは、南北朝時代から止むことなくいくさばっかりだったらしいね。
群像劇大河でまる二年かけて全部(立花宗茂の柳川帰還まで)をやって欲しいわ >>185
このスレでは、九頭竜川の戦い以降にします。 >>186
立花宗茂は朝鮮出兵がもろ被るから厳しいみたいな話聞いたことある >>188
でも、黒田官兵衛やら愛の字の直江兼続やらも、朝鮮をセット作ってやってたぞ。 慶長・文禄の役で最強だったのは、「日本の関羽」脇坂安治 >>189
>>190
なんかクレームが来るって聞いたわ
本当かは中の人じゃないから定かではないが
>>191
こないだ自称子孫の女医が捕まったけど、本家の当主が即座に否定してたな >>200
佐々木高綱からの佐々木家の分家で独立しちゃったのな。
四国の三好の初代も怪しい出自のゴロツキ。
美濃の斎藤道三は二代まとめて神話にされてるとかだから、最初の油屋での親の方も豪快。
でも、北条早雲がいちばん外道ぽくて好き 北条家も最後は大阪の方で小大名で生き残ったんだから大したもんだよ >>203
なかなか決めにくいよね
人によって意見違うし 山中鹿之助 って、すごかったん?
やさぐれ忍者ぐらいのイメージだけど >>205
山中鹿之助は毛利から嫌がれてた武将だよ。
知っての通り尼子家の名将。
しかし毛利との合戦で尼子勝久の切腹で捕虜になった山中鹿之助は確か、川で顔を洗いたいと言って顔を洗おうとした時、毛利の兵に刀で切られそうになり川に飛び込み複数の毛利兵に斬られ絶命したって話。
その川はその後「鹿之助川」って名付けられたらしい。 >>205
対毛利戦は負け越してるけど、それ以外の合戦には連戦連勝
自力で因幡半国を制圧し、脅威を感じた毛利が出雲以東の山陰に進出するきっかけになった
織田に従属後は、松永久秀討伐戦にも参陣し、片岡城一番乗り、信貴山城二番乗りを果たし
松永配下の武将を討ち取っている
宇喜多直家とも対戦し、寡兵800で宇喜多勢3000に勝利 真田幸村は軍略家になるのだろうか?大河だとマルチな人間で画かれてたが >>215
確かに
ただ大河だとけっこう改変はあったけど
まあ、ドラマだから仕方ないんだけど >>218
仕方ないんだけどね
直虎見てないけど、ギャグ要素が多いって本当? >>219
真田丸で味をしめてそっち路線に寄せて来たんだろね >>219
問題点は史実か?どうかわからないところ >>221
成る程
>>222
野郎かも知れないとかニュース流れてたね
そして、養子の中村さんが井伊本家当主みたく取り上げられてるし(´・ω・`) 長篠の合戦の信長が
瞬間最大風速的には最高かもなぁ >>234
信長の移動は今川側から丸見えだったらしいから
あれは完全に今川の油断だからなぁ… >>235
なるほど信長が有能なんじゃなくて今川が無能だったと…
でも最近は今川再評価されてるよね >>236
どうやら上洛が目的では無く
純粋に信長ぶっちめに行ったみたいだから
それで返り討ちに遭ってちゃ、無能と呼ばれても仕方ないわな >>240
当時の信長は、尾張のあるじってほどでも無く、尾張守護の筆頭家老あたりの立場だったともきくんだが、
若い頃に上杉景虎と上洛してたとか、よーわからんね。
岐阜に移ってからのは大概のドラマで把握したけどさ >>242
信長の家系は、尾張守護・斯波氏の家臣の守護代織田家のさらに家臣
陪臣であり、尾張国内での格は低かった
ただし、信長の父・信秀が経済感覚に優れていたことと、商業集積地・津島を抑えていたため財力が豊富
金にモノを言わせて官位を買い、軍事力を強化して格上の同族を圧倒し、尾張一の勢力となっていた >>242
なんか、今川が上洛するための障害
斉藤や六角なんかに外交工作してた気配が全くないんだよね
なので、出兵の目的は尾張平定だったんじゃないかって言われだした >>244
外交工作あったとしても破竹の勢いの信長を目の当たりにしたら証拠隠滅しちゃうよね 関ヶ原の際の石田方からの恩賞の約束の手紙がみな焼かれて、徳川方からの約束の手紙が家宝にされたのと同じ理屈かぁ。 でも、伊勢路を使うなら、
北畠だけ調略して、あとは、京都をおさえてたのは、三好か?
その三好にせめかかる大義名分さえありゃ、なんとかなったよーな気もするな。
結局、今川義元の先代がすごかったんかな? 真田十勇士の三好清海とかは、三好長慶の親類にあたるんかね? 戦国期にはこんなに有能な軍略家や武将が生まれたのに近代になってから微妙なのが多いような >>261
某大陸の国もそうだけど…時代の流れかな 80年ほどは平和ボケで説明できるんだが。
そーいや、九州は南北朝動乱からの休まる間もなく戦国無双になったとか、見かけたけど、
やはり、ぎんちよって、えーオンナなん? >>262
確かに某大陸も近代になってから名将みたいなのはいないよね
近代化に失敗ってのもあるんだろうけど >>265
そう考えると大陸も某草原遊牧民国家もそこがピークだったのかもね >>274
了解
前にもレスしたけど、個人的には本田正信が五指に入る位の有能な人物だったかなと思う >>275
本多正信は一回家康を裏切った愚策犯したからな… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています