スリッパ生産量日本一として知られる山形県河北町で、県スリッパ工業組合が4月に解散していたことが明らかになった。
販路拡大を目指すブランド化や販売価格を巡る方針の食い違いが主な原因。加盟していた会社関係者は「『生産量日本一』を大々的に宣伝することが難しくなる」と不安視する。

 複数の関係者によると、解散は4月に開かれた総会で決まった。最後に組合を構成していたのは町内の製造業者など5社で、中には継続を望む意見もあったが亀裂を修復できなかったという。

 組合は1973年に設立し、当初は宮城県の4社を含む33社が加盟した。
住宅の洋風化や好景気が追い風となり、88年に室内履きの全盛期を迎えたが、90年代から安価な中国産スリッパに押されるようになった。大手製造業者の経営破綻で危機感が高まり、産地復活に取り組んできた。

 2014年に組合統一のロゴマーク「かほくスリッパ 山形」を作り、各社の商品タグに付けて産地をアピールした。
日本最大級の見本市にも年1回出展してきた。ただ、ある業者は「ブランド化に向けた組合内の取り決めはあいまいだったと思う」と振り返る。

 事務局を担った町商工会によると、新型コロナウイルス禍の巣ごもり需要に伴い、スリッパの市場は活気づいているという。
担当者は「子育て世帯の母親の働き場になっているなど、スリッパ製造が町に与える影響は大きい。新たな形で組織の再結成を考え、業者を支援したい」と話した。

 河北町では江戸期、草履が農家の副業として盛んに作られた。明治期に草履表をそろえる圧搾機が町内で発明され、主産業に発展した。
戦後は生活様式の変化で需要が急激に減り、スリッパの生産に移った。町商工会によると、町のスリッパ生産量は国内の約4割を占める。

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