バラカンさんは、YMOのレコードを制作していたアルファレコード(現・アルファミュージック)の販売戦略に疑問を持っていたという。

 YMOのデビューアルバム「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」は78年11月に発売された。アルファレコードがアメリカのA&Mレコードと提携していたこともあり、翌79年5月、A&M傘下のホライゾン・レコードから米国盤が発売された。

「YMOはA&Mに所属していたチューブズ(The Tubes)というバンドの前座としてアメリカを回りました。その時にアルファレコードは雑誌記者を現地に飛ばして、『YMOが世界制覇』、『YMOのアルバムはアメリカで売れている』という記事をいっぱい書かせたんです。でも、アメリカでアルバムは全く売れていなかった。明らかな嘘で、そういう売り出し方が“クサ”かった。それに反発していたんですね」

初期のYMOに関しては、サウンドも苦手なところがあったという。

「僕は音楽評論家ではありません。単なる音楽ファンとしても好き嫌いが激しい。そして70年代後半、ディスコミュージックの行きすぎたブームが僕は嫌でした。人気があるからラジオでよく流れるけど、『またあのビートか』と思っていた。あくまで僕の耳には、初期YMOもディスコにしか聞こえなかった。コンピューターで作った“ピコピコ”という音も軽薄で、YMOに対する興味はなかったんです」

https://news.yahoo.co.jp/articles/55d3572842f3feabab8e41280d9dae7024df0fcd?page=3