ロシアの侵攻から1年あまりが過ぎたウクライナでは日々、世界各国のメディアやジャーナリストらが取材を続けている。戦争の実相を伝えるにはこうした報道の力が欠かせないが、日本からは、あの人も現地を繰り返し訪れていた。ゆっくりとした独特のしゃべり方でおなじみ、「戦場カメラマン」の渡部陽一さん(50)だ。【金志尚】

フリーランスのカメラマンにとって、貴重な発表の場が週刊誌。かつて渡部さんもさまざまな媒体に写真を売り込んでいたのだが、「サンデー毎日」もその一つだったのだ。2003年にはイラク戦争直前の首都バグダッドで長期取材を敢行し、緊迫した現地の状況を誌面でリポートしている。当時30歳。

 「最初は飛び込みでした。(コネや実績が)何にもなかったんですけど、やっぱり燃えていましたね。編集部に電話をかけて、ドキドキして。(自分の写真が載った)イラク特集号は大切に保管しています」

 それから時は流れ、渡部さんも今や50歳。結婚して家族もでき、長男はこの春、中学生になる。だが紛争が起きれば現地に飛ぶのが戦場カメラマン。22年2月に始まったロシアの侵攻では、5~9月にかけて計4度ウクライナに入った。滞在中は首都キーウ(キエフ)のアパートの一室を拠点にし、周辺地域にも足を運んだ。

 その詳細は後述するとして、実は渡部さんにとってウクライナでの取材は今回が初めてではない。クリミア半島をロシアが一方的に自国領に併合した14年、やはり親露派武装勢力が実効支配した東部ドンバス地方を訪れている。強く印象に残ったのが、「腕章をつけていない国籍不明の兵隊」だったという。

 「彼らははっきりそうだとは言いませんでしたが、ロシア軍だったと思います。一般人じゃない。何より武装している。一目見て、これは危険すぎると感じました」。当時、ドンバスではロシア軍が軍事介入していると指摘されていたが、現場ではやはりそう見えていたのだ。

以下略
https://mainichi.jp/articles/20230320/k00/00m/030/200000c