江戸時代末期 戊辰ぼしん戦争はなんで弓矢使わず銃を使ったの? [144189134]
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弓矢の威力って使い手によりそうだけど鉄砲なら一定の火力を維持できそう 鉄砲の方が練習せんでも遠くまで飛ばせるからな。適当に募集かけて集まった兵隊で戦える。 つかこっちは幕府軍と戦わなかった。
赤坂海岸で和解。
おいおい
こりゃ俺らどちらの勢力にも踊らされてるぜ
おいおい
ヤメヤメ
ストップ!
で終結。 日本は信長の頃には既に鉄砲の保有台数が世界一だったんやで。これ豆な。 アメリカ南北戦争が終結したから、使い道がなくなった大量の鉄砲を薩長に高額で売り付けたんだよ。 >>10
オスマン帝国は大砲持ってたけど16世紀前半に 弓矢は修練必須だからな
江戸末期に弓の修練する場所もない 銃も今と違って真っ直ぐ飛ばないからそうそう当たらない。投石がまだ最強だったはず。 まぁこんな感じだろうな。
えっ?!お前らあの徳川のタヌキのために??
アイツどんだけ無駄使いしてるか知ってるか?!
えっ?!天皇?!
何だそりゃ??
誰だそりゃ??
誰も顔見た事ない?
西郷どんならまぁ信用できるな。
何々下関の?英国領事館で長州の毛利が?
あん??
おかしいな
合戦タイム!ストップな。 何で大きな河川に橋をことごとく掛けなかった幕府が
東進する官軍を迎え撃つ位置で河岸や海から砲撃しまくらなかったの? 信長らへんから戦闘終わった後の弾拾いってお仕事が出来た 薩長は幕府と戦う前に西洋軍とバトルしてるから、その辺で銃めっちゃ強えじゃんってなってたんでは 弓を扱えるのは訓練された軍人
銃であればある適度で戦力 織田信長の時代で既に弓矢より火縄銃だろ
それから300年経って弓矢使ってたら、武器退化してオカシイだろ >>10
当時はきちんとした統計がなくて
宣教師が主観で言っただけだぞ ネトウヨの大先輩の封建主義者達は銃でなく、弓矢,刀槍で戦った。 で。明治になり
伊藤さんよぉーで天皇って何?
あっこれ?どこの山猿よ?これ?
イーもん食ってた割にひでえ顔だな。
あ、どうでもいいわ。
芳賀さん!たのんます!
この土地を製鉄所つくるんですわー。
おーこれが高炉かぁー?
たたらでチマチマ鉄作ってる場合じゃねーな
おい! 弓矢が射程600mのエンフィールド銃に勝てるわけないだろ 戦国時代の合戦も主力武器は投石だってたって聞いたな。 アームストロング砲がある時代に何で弓矢で戦うと思ったの? >>19
新政府軍が錦の御旗を掲げた時点で尾張徳川家まで新政府に恭順したりして、
江戸幕府には抵抗する気力がなかった
鳥羽伏見の戦いの幕府軍は、軍というより警備兵だし
「徳川慶喜が軍を見捨てて大坂から逃げた」と言われるのも、徳川慶喜は軍を率いて京都に攻め上っていた訳ではなくて、
大政奉還(ただし、徳川慶喜を議長として諸大名を議員とする議会制)の相談に行っていただけだから、
一緒にいた少数の警護兵と帰ったというだけ 農民を弓兵に練兵するには手間と時間が掛かりすぎるんだよ 井伊直弼も実はピストルで狙撃されたんだよな
大名行列の家臣は駕籠かきに至るまで全員主君を守れなかった責任を追及されて斬首刑になってる
ひどいブラック藩だわ >>10
「無理というのは嘘つきの言葉なんです。」
みたいな奴が指揮を執って大量生産したのか? 既に機関銃(と言っても車輪付きの砲座に乗ってる大砲みたいなやつ)がある時代に弓矢は使わんだろ。 板橋区に高島平って地名あるけど
幕府の銃兵砲兵部隊をそこで練兵した高島秋帆の高島が由来
因みに軍用背嚢に「ランドセル」って名前を
オランダ語のランセルから取ったのこの人 ポルトガル人が最初の鉄砲を1丁1000万ぐらいで売れたから一年かけて輸入したら日本ではすでに大量生産体制に入っていて日本の技術にびっくり >>19
長い江戸時代の間に旗本や御家人が徳川家の直臣ということも忘れられて
幕末には徳川家の直轄軍(幕府軍)というものが存在しなかった
あるのは幕府の命を受けた藩が出す軍
大塩平八郎の乱も、蛤御門の変も、長州征伐もみんなそう
「新政府軍」も、新政府についた藩の出した軍ということ
会津は薩摩と因縁があるので降伏しても許されないだろうと徹底抗戦を決めて、奥羽列藩同盟が会津に付き合った以外は、
幕府側に付く藩がいなかった >>19
有事に備えた大井川や箱根の関だけど普通に通過されてしまった
征東軍は3方向に分かれて向かってきている上に
御三家の尾州をはじめ諸藩が新政府側について誰が裏切るかわからない状態だったので下手に迎撃もできないし仕方ない 幕軍も反乱軍も洋式に切り替え済みだったからな
そもそも安土桃山時代には鉄砲と槍に切り替わっとる >>19
それより要塞化していた街道の重要藩が悉く簡単に開城しちゃったからな
大阪城、空城を官軍が接収
彦根城(日本を東西に分ける関ヶ原の抑え。北国街道と中山道の結節点)速攻で官軍に寝返る
桑名城(東海道の最大の要衝、7里の渡しの拠点)、戦わずして開城
名古屋城以下、小田原以西の全ての藩が勤王の誓紙出す 逆に銃が手配出来るのに何で弓矢という発想になるんだ? >>6
マスケット銃より古い銃を使ってたんだから、個体差がでかくて弓より信用できないんじゃね? >>45
初期は銃兵も弓兵と同じように騎兵の襲撃から護るために
直援として長槍パイク兵が槍衾を構える必要があったんだけど
あるときフランスの農民兵が銃口に剣を刺して騎兵に対抗したら
上手くいって銃剣が生まれた。じゃあ槍要らないじゃんってなって
紀元前のマケドニアのアレクサンドロス大王以来
人類の戦略兵器で有り続けた長槍はその歴史的使命を終えた 五稜郭の蝦夷松
上の方を調べてみれば
その時代の弾丸とか
撃ち込まれてるの発見するかもな >>24
唐入りのころの伊達家の鉄砲装備率は日露戦争の頃の日本軍と変わらないレベル
各大名は鉄砲鍛冶を抱えて自国で生産もしていた >>6
>>50
戊辰戦争前後の銃事情は複雑なんだよね、
ゲベール銃(前装式プリントロック)とエンフィールド(前装式パーカッション)とミニエー(ライフル)が入り混じっており、ここに数は少ないけどスナイドル(後装式ライフル)が使われ始めて、これが戊辰戦争後に主力になってく。
https://www.touken-world.jp/wp/wp-content/uploads/2019/10/b3385b57368caaf5599f46a52f25d6a8.jpg >>54
農民兵ということはナポレオン以降の話かな >>60
エンフィールドがパーカッション(信管)だけど、ゲベール(プリントロック=火打ち石)も相当数あったんで色々だね。
後装式パーカッションライフル(スナイドル銃)になると近代的だけど数は少なかった。 幕末当時、弓矢をまともに扱えた武士なんて上級藩士だけだろ。維新で戦ってた武士はほとんど貧乏下級藩士達だから弓矢なんて無理ゲーだぞ。 そのへんの鍛冶屋にコピー作らせようとしてたとか夢があるね それに矢の供給がないよな
戊辰の従軍兵は弾丸を作りながら補充できた 銃砲は爆音による威圧効果もある
訓練されてない馬などは爆音でパニック起こす >>62
生まれはフランスの農民兵だけど
フランス騎兵に実戦で銃剣の槍衾で対抗したのはワーテルローのイギリス軍みたい 引き金引くだけで致命傷与えられるからな
頭おかしい連中が銃持ってウロウロしてるアメリカは頭おかしい >>47
要衝の箱根関をあづかる小田原藩の大久保家が優柔不断すぎたのも大きいかと
そうそうに幕府裏切って東征軍の箱根関通過を黙認させたくせに
林忠崇がやってくるとこれに従って明治政府を裏切ったけど
明治政府から問い詰められると今度は林忠崇を裏切って襲いかかるなど節操がなかった そういや信長の鉄砲隊って弓矢じゃだめだったの?
飛距離の問題?命中率の問題? この時代からずーっと
地域紛争の裏には列強諸国が
裏で糸引いてる構図は変わらんのな。
中東アフガンウクライナ 動物は基本先端恐怖症だから
騎兵を訓練しても槍衾に突っ込めないんだよね
だから銃剣でも十分対抗できた
あえて突っ込んだのは田原坂の薩摩兵子位だろ >>74
明治維新は謀反を起こした薩長同盟が正義なんだよ
ミャンマーで謀反起こした奴らは悪者だけどw >>36
主のおかげで
先祖代々贅沢三昧出来たのに
守れなかったんじゃ仕方が無いだろう >>10
日本の鉄砲の量産スピード所有数にびびったスペインやポルトガルは、それゆえ大砲の技術は伝えなかった。
一方、海上貿易でスペインとバチバチやってた英国は
家康公に惜し気なく大砲をプレゼントした(これが後に大坂冬の陣で火を吹き、豊臣方にトラウマを植えつけることになる) これも結局のところ
薩摩についた英国と、徳川幕府についた仏国の代理戦争に過ぎないんだよ。
あの二国は百年戦争からの因縁がある。 銃なんて子供が使っても殺傷能力を持つ兵器だからな
鎧を破壊し致命傷を与え
何より爆音による敵への威嚇はとてつもなかった
それに対して弓矢はペラペラの木製の盾で防げる程度のもの
昔は銃の生産性が整ってないから弓の物量で押し切っていたが
銃が兵隊全てに行き渡るようになればそら銃が強いわ >>67
それは渡来の火縄銃だろ?
日本のは300mぐらい狙撃してた
ライフリングも無いのによ >>81
とはいえ他のアジアは植民地にされてるわけで >>73
弓矢ってのは元来ムキムキマッチョマンがしっかり鍛錬して初めてまともに扱える武器だからな
対して鉄砲は扱いさえ覚えれば女子供でも簡単に人殺しが出来る武器だ 下関戦争では、長州軍が先進国の陸戦隊相手に
弓とかで意外な抵抗を見せてるんだよな。
幕軍や奥羽越軍も、兵器差を地の利で補える戦いもあったんじゃないかと思うけど
長岡以外は何であんなに脆くて一方的だったんだろ?
軍制や戦法自体が古くて駄目だった? 規格化という意味でも鉄砲が優るな
弓は射手によって弓勢が異なるから、同じ命中率だったとしても、有効射程と殺傷力が揃わない EMURATED
EMURATED
EMURATED 弾やな
弓矢の殺傷距離も威力も
それなりにあるが
携行可能数が違いすぎる >>90
反乱軍の方が次々に戦力を増強して数的にも優勢だったからね
最初のうちは旧幕諸藩が善戦した戦線もあった >>97
恭順した地域が先遣隊に組み込まれてまず出張ってくる
そいつら先遣隊の攻撃はなんとか凌げるんだけど
薩長本体が来るとだいたい戦線が崩壊してる >>90
会津藩は各位方面口に兵を分散しすぎたんで
易々と会津城下に新政府軍突入を許してしまった >>73
長篠の戦いの信長軍総数を5万人(諸説の中央)として、鉄砲総数を3000(諸説あり)とすると、鉄砲は総員の6%程度。
鉄砲持ってない兵員の方が遥かに多く、侍身分は弓も扱えるんで、どちらも使ってたが正解。
長篠の戦いの様子を見ると、信長軍は野戦陣地を組み上げていて、鉄砲隊はこの前方に位置して細かく移動しながら個別に敵将を狙い、撃った後は陣地に戻って装填を繰り返していたようで、その間の弓隊は後方から延々と射ていたようだ。
(馬防柵の後で構える様相とは違う)
現代風に言うと、弓隊が制圧射撃で、鉄砲隊が狙撃と言った感じ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています