江戸時代末期 戊辰ぼしん戦争はなんで弓矢使わず銃を使ったの? [144189134]
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>>90
東北諸藩は金ネンだわ
30年前の天保の大飢饉の藩財政崩壊して立ち直れてない
幕府は士気の問題かな
先祖は戦国の勇猛な旗本でも子孫は公務員気質で無難に生きることを重ねた連中 会津城下突進を進言したのは板垣退助麾下の土佐藩兵で
大村率いる長州兵は周辺拠点を一つずつ落として
会津の降伏を待つ長期戦の構えだったんだよね
戊辰の仇って恨まれるのって薩長じゃなく土佐じゃないかと セポイ兵がイギリス正規軍に対して2年粘れたほど、ライフル銃の威力は絶大 >>23
信長は銃のイメージが強いが信長の快進撃の要因は槍を長くして改良したからだと思う。 薩摩は関ヶ原でも維新でも、忠義を売って保身に走るクソ 弓はゲームなどの創作だと女性の武器みたいなイメージだが実際は体格に恵まれ特殊な訓練をした兵士が使うスペシャリストのための武器
遠距離から鎧を抜いて致命傷を与えられる実戦用の弓は張力が60kg以上あって凡人には引絞ることすらできない
西洋では背筋力で引けるクロスボウが発達したのはこのため
現代の狩猟用弓にも凡人が引けるように滑車がついている
数百年平和が続いた後じゃ皆扱いの簡単な銃つかうだろ |l ili l ili iliii|i|/
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'、/ バシーン!バシーン! >>113
滑車付きの弓(コンパウンドボウ)を引いた事があるんだけど、引き初めは普通の弓より強い力がいるんだよね。
でも、引くにつれ力がいらなくなる(そーゆーメカらしい)。
なので「うぬぬぬぬ」と引くと、引いた後は少ない力で狙えるってのがメリットで、それゆえ強力な張力でも扱えると言う事のようだ。 桑名藩は
戦国最強の本田忠勝が開祖であり
戊辰最強の立見尚文が率いてた
最強の藩 >>119
日露戦争で活躍した弘前師団の師団長だな? >>109
> 信長の快進撃の要因は槍を長くして改良したからだと思う。
これ
特に信長の頃の火縄銃は
雨はおろか風が強いだけで使えないしライフリングのない銃身から丸い弾を発射するから
命中率はお粗末だった 江戸時代が長く続いた後に武士がすぐに戦闘ができたのかな 戦国時代後期には既に弓はお払い箱で銃、大砲がメインだったろ。 >>126
2000年近く前のマケドニアのフィリッポス2世にやっと追いついたのか >>6
戦国時代に種子島が流行ったのは徴兵した農民でもすぐ扱える手軽さに
その爆音で騎馬隊を混乱させることができる側面が強いから この時期の新政府軍なぜか黒いアイマスクみたいなのしてたりするよね でも長弓兵だと都市防御+25%だろ
ライフル兵で攻略するのは効率悪いよね >>95
「火薬の音が敵に恐怖心を与える」とかあったような 俺思うんだけど
徳川将軍政権じゃ廃藩置県は出来ないと思う 廃藩置県は大政奉還前に徳川幕府の役人によって計画されてたんだが
政治力がなかった薩摩長州軍は結局徳川幕府の描いてた議会制度等に乗っかっただけ 金の価値知らずにイギリスとフランスからボッタクリ価格で武器を買ったから >>19
先の大老を出した普代の名門伊井彦根藩(滋賀県)は桜田門外の変の後冷遇されたこと
尾張藩(名古屋)は少し前の大政奉還で御三家で唯一征夷大将軍が出ないことが確定
と、いうことで早めに新政府側に寝返った。
どこの藩内にも旧幕府派と新政府派で激しい主導権争いがあったが、この事実で一気に新政府有利に
家康が西からの攻撃を予想して配置した頼みの両藩が真っ先に寝返るということに 昔の銃は連射出来ないのでは?
熱を持つので、数発撃ったらアツアツで使えなくなったはず >>142
去年の大河ドラマ、それやってたよな
結局がんばってたの旧幕臣だった >>36
井伊直弼は居合いの達人だったらしいな
なので狙撃する人間も用意してまともな斬り合いにならないようにした >>36
逃げた者は斬首だが、戦ったものは切腹だったような。 銃より弓のほうが威力あるってナニ??
RPGゲームのやりすぎだろ
弓は甲冑を貫通できないが、銃は容易に貫通する。そんなこともわからないのか 弓矢は訓練しないと敵まで届かないしまっすぐ飛ばないからな 雑兵には扱えない 幕府軍や政府軍が大量に武器購入できた訳は世界的な武器余りが関係していると思われる
19世紀後半の一時期は南北戦争やヨーロッパの戦争や内戦がほぼ終結して
余った武器が大量に日本に流れこんだと見られる >>153
家康の失態は毛利を潰さなかったことだよ
宇喜多や長宗我部のように改易すべきだった 火縄銃と騎馬隊でも鉄砲有利だったしな
盾使って放物線描くように射ればワンチャンあるかもな >>13
日本は戦国終わって余った鉄砲をオスマンに輸出していたぞ
実は大砲の方が火薬の燃焼を整える技術や
銃身を破裂しないように強くする技術が未熟でもいいから
大砲は鉄砲みたいな小型の火器よりも早く出現して実戦でも効果を上げているんだよ >>154
毛利が動かないでいてくれたからこそ勝てたんだから潰せない
関ヶ原の後はまだ万全じゃなくて家康もいつ後から襲われるか知れない状態
だから島津が国に帰って立て籠もって「書状で安堵するまでやめへんからな!」も通用した 弓って怖いよな
発砲音がしないから
狙われて
気が付いたら抜かれてる
昔から怖い武器だわ(´・ω・`) 日本の戦国時代で大砲は無理だよ。火薬がたりなくて貴重すぎるから。
日本でまともな大砲が使われたのは大阪の陣くらいだけど(大友のは欧州では銃に分類される)
あれは長い間戦がなくて、かつ権力と財力の集中した徳川だからこそ使えた。
五箇山とか塩硝製造技術が確立されて大砲運用できそうなレベルになるのは16世紀後半。
大砲は一発で銃100発分くらいの火薬使うからな。銃の運用でも火薬足りなくて1割どまりだった日本では大砲は無理 ミス訂正。五箇山の火薬生産が大砲運用が可能なほどのレベルになるのは16世紀後半じゃなくて17世紀後半ね。
戦国時代は弾も硝石も輸入がメイン >>161
大砲は日本の城には要らないから発達しなかったんだぞ
西洋やトルコの大砲は全部高い石の城壁を崩すための道具だからね
スペインの再征服もムーア人の城の壁を大砲や投石器で壊せたからできたこと
あと野戦では大砲が使いにくいというのもある
重すぎて動かすのに苦労するから
独ソ戦の時代になっても撤退の時に重い大砲をみんな捨てていかないといけないんだから面白いよな 薩摩のパシりする変わりに武器の売買を薩摩に許されてただけのただの武器商人の坂本龍馬の持ち上げられ方は異常だし心酔してる馬鹿はキチガイだよな。
中岡慎太郎の方が偉人だっての。 >>163
>日本では大砲要らないから発達しなかった
日本が火薬あり余っていていたのならその理屈もなりたつけど、一切大砲を運用してないんだから、それはすっぱい葡萄だよ
文禄慶長などで城に貯めていた火薬・硝石の量からもとても大砲運用できるレベルでなかったのは明らか
対平城や軍船等、大砲が必要な局面は日本でも多々あるが運用されんてないんだからできなかっただけ >>89
そっか、少し練習すれば誰でも熟練者のパフォーマンス出せるのは強いな
見たことない銃にビビって戦意喪失もあっただろうね
>>100
そういや鉄砲隊は足軽なんだっけ
後ろにいたほうが万一の時撤退もしやすいね 攻城用の大筒は鉄砲伝来よりはるか前から倭寇は使いまくってたよな
もとは元の時代に中国で発達した火器だし >>104
これだろうなあ
豪商本間家がバックアップした庄内藩には官軍は領内に侵入すら出来ずに西郷さんが直接出張ってくるくらいだし >>169
無煙火薬発明される以前の黒色火薬だと、
発砲すると煙モウモウと立ちこめて煙幕的効果もあったよう それにはこれが一番わかりやすいだろう。
幕府海軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%95%E5%BA%9C%E6%B5%B7%E8%BB%8D
軍艦(蒸気船)
観光丸 - オランダより寄贈。明治政府へ移管。
咸臨丸 - オランダで建造。1866年に機関を撤去し輸送船に。明治政府が復旧。
蟠竜丸 - イギリスより寄贈。1869年5月箱館港で自焼。明治政府が復旧し、開拓使から日本海軍へ移管。
朝陽丸 - オランダで建造。明治政府へ移管後、箱館湾海戦で沈没。
富士山丸 - アメリカで建造。明治政府へ移管。
回天丸 - 元プロイセン軍艦を購入。1869年5月箱館港で自焼。
開陽丸 - オランダで建造。1868年11月江差沖で沈没。
第二回天丸 - 秋田藩所属の「高雄丸」を1868年10月27日箱館で捕獲し改名。1869年3月九戸港で自焼。
千代田形 - 国産。量産予定も1隻のみ完成。1869年4月箱館港で座礁。明治政府が復旧。
(東艦 - 甲鉄艦。アメリカから購入も、明治政府が受領。) おまえらは学校で教える偏向された嘘歴史しか知らないけど
幕末明治は学校やテレビが伝える姿じゃないから。 もし、徳川政権下で重臣の言いを受け入れて「廃藩置県」を強硬した場合
天皇制を廃止すべきか問題だ >>168
NHKのヒストリアか歴史探偵かで信長の鉄甲船のことをやってたが
当時は鉄板を作るのも一苦労だったらしいぞ >>154
防長2国を与えたのが失敗だった
安い輸入品が入ってきて領民の生活が大打撃受ける地域だからこそ反発がすさまじかった
堀尾→越前松平の統治した松江に押し込めておけば良かったものを >>154
徳川としては毛利を取り潰すつもりだった
しかし、毛利家臣で徳川に内通してた吉川に内通の功で防長二国与えたら、
吉川がこの防長二国を主君の毛利家に献上したいと言って、徳川もこれを認めて毛利存続となった
吉川の忠義がなければ毛利は滅亡してた >>179
吉川の領国はもともと月山富田城だし吉川に出雲隠岐を安堵して毛利は改易
長門を天領に、周防を適当な譜代に任せておけばよかったとおもう >>177
当たり前だけど鉄は海水に浸かるとすぐ錆びるから、石山本願寺攻めみたいな内海沿岸の短期決戦でしか使えなかったんじゃね?
鉄甲船で海外遠征なんてした日には戦場に辿り着く前に錆びて穴が開いて沈みそう >>181
鋼道路橋塗装・防食便覧によると海外では1400年頃にベルギーで防錆の油性塗料が出現していたけど
国内では安宅船に銅を使うくらいしか錆への工夫がなくて
そういう塗料が日本に入ってきたのは明治元年だそう。国内生産は明治14年で大坊が働いている会社が作ってる >>164
薩摩(大久保・西郷)の手下であるのと同時に、
東インド会社ジャーディスマジソン商会(日本の出先はグラバー商会)という、
ユダヤ系イギリス植民地経営組織の手先でもあった。
南北戦争の余剰兵器を買い漁って、新式小銃やアームストロング砲を供給したのもココ。 弓は熟練いるから下手くそに持たせるなら銃
あと技術革新で欧州のライフル性能上がった
そしてアメリカ南北戦争が終わり
武器商人が余ったのを売りにきた >>186
ゲベール銃(プリントロック)はマッチロック(火縄)と同じ50m程度だけど、結構な数が入ってきてるミニエー(ライフル)や少数ながらも入ってきたスナイドル(後装式ライフル)の射程は1000m(有効300m)だもんな。 東インド会社ジャーディスマジソン商会(日本の長崎の出先はグラバー商会)という、
ユダヤ系イギリス植民地経営組織の手先
の横浜支店の支店長が吉田茂の養父。 電波にいるゼウス様が、「これから世界の人口を11億人にまで減らす」と昨日冗談ながら本気で言っていた。
世界中のほとんどの人と同じく耐えられず、人生途中3人殺してしまっているらしい。
世界中に農地はたくさんある。食料はたくさんある。
悪中国みたいに、人口は減らす必要なんてないです。 ちなみに、グラバー商会破産後に身を寄せたのが三菱財閥。
そして、ジャーディン・マセソン商会の今の最大組織がHSBC(香港上海銀行)。 結局、戊辰戦争も、その後の日英同盟と日露戦争も、イギリスの植民地政策機関である、
東インド会社というユダヤ系金融組織に操られて来たともいえる。 鳥羽伏見の戦いで刀や槍、弓矢で戦う時代は終わったのだよ
旧式銃も役に立たなかった
小太刀の名手と言われた京都見廻組の佐々木只三郎も銃であっさりとやられてしまった
最強の剣客集団と言われた新選組も銃に前には無力だった >>13
当時の大砲は炸裂しないから攻城戦にしか役に立たない >>84
平和主義軍縮主義の徳川幕府が新規の技術を禁止したからな >>199
炸裂する以前の大砲でも14世紀から野戦に使われて成功例はある(失敗例も多い)
戦術として標準化したの16世紀末からの三兵戦術くらいからだけど。
炸裂しない弾を野戦で撃っても、大掛かりなわりに一人しか死ななないし効率悪くない?と思うかもしれないが、
野戦では限りなく水平に撃つ。
すると水面に跳ねる石のように跳弾して、射線上の敵兵をまとめて何人も殺すか損壊させる凶悪な兵器だよ。
あと船に大砲は16世紀から常備される兵器となったな。役に立たないのならあんな重いもはのせない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています