恨み・怒りは「持つだけ無駄」と言える納得の理由


不運な出来事が起こったとき、それをあきらめて受け流すのは難しい。どうしても不満や怒りが湧いてくる。

不満を言うのは簡単だ。あまりに簡単なので、多くの人は不平不満を言うのが日常になっている。誰かが待ち合わせに遅れた、隣人がうるさい、急いでいるときに限って駐車スペースが空いていない。

不満をぶちまけるのは、一種の快感だ。

ソーシャルメディアを見れば、ありとあらゆる不満が並んでいる。みんなが攻撃的になっている。巻き込まれまいとしても、知らず知らずに影響を受けてしまう。

他人の愚痴を見るうちに、心が少しずつむしばまれ、世の中の悪いところばかりが目につくようになる。

不満というものが、脳にどっかりと居座ってしまうのだ。

不平不満を口にするうちに、あるいは他人の不平不満を見聞きするうちに、どんどん不満が増えてきた経験はないだろうか。

一方、感謝しようと努めるうちに、感謝すべきことが以前よりたくさん見えてきた経験はないだろうか?

不平不満は、簡単で価値のないものごとの典型だ。

不満を言うだけなら誰にでもできる。そして不満に身をまかせるうちに、頭の中に無価値なゴミがたまり、自由に使えるスペースがどんどん減っていく。

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