ポルトガルは宣教する傍ら日本人女性奴隷を船内に連れ込み如何わしい行為←許せん空自で空爆すべき [866556825]
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「大量の日本人女性を、奴隷として本国に持ち帰る」豊臣秀吉がキリスト教追放を決意したワケ
手足を鎖につなぎ、船底に押し込む
https://president.jp/articles/-/52513?page=1
1587年、豊臣秀吉は、キリスト教の布教を禁止し、外国人の宣教師を国外追放とする「伴天連追放令」を発した。歴史学者の渡邊大門さんは「秀吉が発令を決意したのは、ポルトガル商人たちが日本人を奴隷として海外に連れ去るからだった」という――。
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※本稿は、渡邊大門『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』(星海社新書)の一部を再編集したものです。
狩野内膳作『南蛮人渡来図』(右隻)(神戸市立博物館所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)狩野内膳作『南蛮人渡来図』(右隻)(神戸市立博物館所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
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中国・日本で数多くの淫行を行ったポルトガル商人
一五八三年のこと、ポルトガル船がマカオを出発しインドへ向かったが、マラッカに近いジョホール沖で座礁した。
この報告を耳にした宣教師のコウトは、ポルトガル商人が日本や中国で行った放逸な行為に原因があると考え、それゆえに神罰が下ったと手厳しく評価した。ポルトガル商人が行った「放逸な行為」は、次のように記述されている(岡本良知『改訂増補 十六世紀日欧交通史の研究』引用史料より)。
神はポルトガル商人らが神を恐れることなく、色白く美しき捕らわれの少女らを伴い、多年その妻のように船室で妾めかけとして同棲した破廉恥な行為を罰したのである。
この明らかな大罪は、神からも明白に大罰を加えられたのであった。それゆえ、彼らに神の厳しい力を恐れさせるため、中国・日本の航海中に多数の物資を積載した船を失わせ、もってこれを知らしめようとしたのだ。
また、中国・日本方面では、ほかの国々よりもポルトガル人の淫靡いんびな行為がはるかに多いので、神はそこに数度の台風によりそれらの者を威嚇・懲罰し、その恐ろしい悪天候により怒りを十分に示そうとしたことは疑いない。
ポルトガル商人は少女を捕らえて妾とし、船室で「破廉恥な行為」に及んだ。「破廉恥な行為」については、もはや言うまでもないだろう。ポルトガル商人は神をも恐れぬ行為に及んだので、神から天罰を下されたのである。
https://i.imgur.com/lvV7jMh.png >>220
日本の国内では、奴隷売買が行われていたが? >>215 >>217
こうした日本人女性の海外渡航は、当初世論においても
「娘子軍」[11][12]として喧伝され、明治末期にその最盛期
をむかえたが、国際的に人身売買に対する批判が高まり、
日本国内でも彼女らの存在は「国家の恥」として非難される
ようになった。1910年代および1920年代の間(明治43年〜昭和4年)、
海外の日本当局者は日本人売春宿を廃止し、日本の名声を
保とうと熱心に取り組んだが必ずしも成功しなかった[13][14]。
バイカル湖の東側に位置するロシア極東では、1860年代以降、
日本人の遊女や商人がこの地域の日本人コミュニティの大半を
占めていた[16]。玄洋社や黒龍会のような日本の国粋主義者た
ちは、ロシア極東や満州の日本人売春婦たちを「アマゾン軍」
と美化して賞賛し、会員として登録した[17]。
朝鮮や中国の港では日本国民にパスポートを要求してい
なかったことや、「からゆきさん」で稼いだお金が送金
されることで日本経済に貢献していることを日本政府が
認識していたことから、日本の少女たちは容易に海外で
売買されていた[22][23]。1919年に中国が日本製品を
ボイコットしたことで、「からゆきさん」からの外貨収入
にますます頼るようになった[24]。 >>221
餌だけ与えて蹂躙してたの?
せっかくの戦果を無駄遣いしてたのか 布教と植民地化はセット
日本のキリスト教徒はどうかしてる >>224
貧しくて娼館とかに売られる女も奴隷なの? その時代は年貢の取り立てが厳しい時代。海外に行くしかなかったんだろう。 アンリ4世とエリザベス1世の人生みてれば
宗教対立大変って印象
同時代の三傑と違った苦労 >>230
まあアホなんだけど生き残るために必死だからな
最新鋭の武器が欲しいんだよ >>68
植民地剥かれマッパになって貧乏になった恨みだわな >>222
人身売買≠奴隷売買
日本に奴隷制度は存在しない 昔いた人を心配するより今体売ってる女を助けてやれよ >>1
ポルトガル来航以前より倭寇は大規模な奴隷ネットワークを持っていた
多数の日本人倭寇もカガヤンの戦い(1582年)、マニラの戦い(1574年)で確認されている
前期倭寇は朝鮮半島、山東・遼東半島での人狩りで捕らえた人々を手元において奴婢として使役するか、壱岐、対馬、北部九州で奴隷として売却したが、琉球にまで転売された事例もあった[13]。
後期倭寇はさらに大規模な奴隷貿易を行い、中国東南部の江南、淅江、福建などを襲撃し住人を拉致、捕らえられたものは対馬、松浦、博多、薩摩、大隅などの九州地方で奴隷として売却された。
1571年のスペイン人の調査報告によると、日本人の海賊、密貿易商人が支配する植民地はマニラ、カガヤン・バレー地方、コルディリェラ、リンガエン、バターン、カタンドゥアネスにあった[14]。マニラの戦い (1574)、カガヤンの戦い (1582)で影響力は低下したが、倭寇の貿易ネットワークはフィリピン北部に及ぶ大規模なものだった。
乱妨取りや文禄・慶長の役(朝鮮出兵)により奴隷貿易はさらに拡大、東南アジアに拠点を拡張し密貿易も行う後期倭寇によりアジア各地で売却された奴隷の一部はポルトガル商人によってマカオ等で転売され、そこからインドに送られたものもいたという[13]。 >>222 >>1
朝鮮出兵では多数の人狩り、人売り商人が朝鮮半島に渡り、奴隷のお土産の記録もある
文禄・慶長の役では、臼杵城主の太田一吉に仕え従軍した医僧、慶念が『朝鮮日々記』に
日本よりもよろずの商人も来たりしたなかに人商いせる者来たり、奥陣より(日本軍の)後
につき歩き、男女・老若買い取りて、縄にて首をくくり集め、先へ追い立て、歩み候わね
ば後より杖にて追い立て、打ち走らかす有様は、さながら阿坊羅刹の罪人を責めけるもか
くやと思いはべる…かくの如くに買い集め、例えば猿をくくりて歩くごとくに、牛馬をひ
かせて荷物持たせなどして、責める躰は、見る目いたわしくてありつる事なり
— 慶念『朝鮮日々記』
と記録を残している[15]。
渡邊大門によると、最初、乱取りを禁止していた秀吉も方向転換し、捉えた朝鮮人を進上するように命令を発していると主張している[16]。
多聞院日記によると、乱妨取りで拉致された朝鮮人の女性・子供は略奪品と一緒に、対馬、壱岐を経て、名護屋に送られた。[17]
薩摩の武将・大島忠泰の角右衛門という部下は朝鮮人奴隷を国許に「お土産」として送ったと書状に書いている[18][19]。 ポルトガル本国に日本人混血がいない時点で、好きなようになぶられて海に捨てられたんだろうな。欧州は国家賠償すべき。 >>234
伴天連追放令後の1589年(天正17年)には日本初の遊郭ともさ
れる京都の柳原遊郭が豊臣秀吉によって開かれたが[19]、遊郭は
女衒などによる人身売買の温床となり、江戸幕府が豊臣秀吉の
遊郭を拡大して唐人屋敷への遊女の出入り許可を与えた丸山遊廓
を島原の乱後の1639年(寛永16年)頃に作ったことで、それが
「唐行きさん」の語源ともなっている[20][21]。
秀吉が遊郭を作ったことで、貧農の家庭の親権者などから女性を買い遊廓な
どに売る身売りの仲介をする女衒が、年季奉公の前借金前渡し
の証文を作り、性的サービスの提供を本人の意志に関係なく強要
が横行した(性的奴隷)。
日本人女性の人身売買はポルトガル商人や倭寇に限らず、19世紀
から20世紀初頭にかけても「黄色い奴隷売買」、「唐行きさん」
として知られるほど活発であり、宣教師が指摘した日本人が同国人
を性的奴隷として売る商行為は近代まで続いた[22][23]。 >>239 >>1
遊郭では少女の人身売買が常態化していたという[9]。
ヨーロッパでは個人が自分で売春するのであって、だから
こそ本人が社会から蔑視されねばならない。日本では全然
本人の罪ではない。大部分はまだ自分の運命について何も
知らない年齢で早くも売られていくのが普通なのである。
— 沼田次郎、荒瀬進共訳『ポンぺ日本滞在見聞記』雄松堂、一九六八年
すでに江戸時代から長崎の外国人貿易業者により
日本人女性は妻妾や売春婦として東南アジアなどに行
ったとされる[10]。総計万単位の数のからゆきさんがい
たという[10]。
こうした日本人女性の海外渡航は、当初世論においても
「娘子軍」[11][12]として喧伝され、明治末期にその最盛期
をむかえたが、国際的に人身売買に対する批判が高まり、
日本国内でも彼女らの存在は「国家の恥」として非難される
ようになった。1910年代および1920年代の間(明治43年〜昭和4年)、
海外の日本当局者は日本人売春宿を廃止し、日本の名声を
保とうと熱心に取り組んだが必ずしも成功しなかった[13][14]。
からゆきさんの多くは日本に帰ったが、更生策もなく残留した人もいる。
バイカル湖の東側に位置するロシア極東では、1860年代以降、
日本人の遊女や商人がこの地域の日本人コミュニティの大半を
占めていた[16]。玄洋社や黒龍会のような日本の国粋主義者た
ちは、ロシア極東や満州の日本人売春婦たちを「アマゾン軍」
と美化して賞賛し、会員として登録した[17]。 >>234
https://bunshun.jp/articles/-/50051
《日本人同士の人身売買》1人あたりの値段は約2000円…上杉謙信の指示で始まった“連れ去り商行為”のリアル
『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』より #2
渡邊 大門
こうした人々は、城下で将兵自身によって売買されたか、あるいは奴隷商人を介して売られたのだろう。
奴隷商人にとって、どれだけの利益があったのかは、残念ながら判然としない。戦場では武器や兵糧を
取り扱う商人のほか、奴隷を売買する商人も存在した(両方を担当していたかもしれない)。つまり、
戦場における人の連れ去りは、大袈裟に言えば、一種の商行為として彼ら商人の懐を潤わせていたのである。 ヨーロッパ旅行する奴って奴隷の歴史知ったら行く気失せるだろ
特にイタリア >>1
アメリカ大陸では征服から宣教はあっても、宣教からの征服はしていない
ポルトガルやスペインによる植民地化を懸念した陰謀論については、大航海時代の
ポルトガルはゴア、マラッカ、マカオ等の独立した港湾都市、小規模の貿易拠点、
居留地を手に入れる一方で、すでに文明が発達していたインド、中国等のアジア諸国
の植民地化には成功していない。ゴア、マラッカ等の港湾都市の領有と要塞化は
法制度が異なり財産権が十分に保証されない国との香辛料貿易を行うために不可欠な
環境整備であり、ヨーロッパの小国だったポルトガルが最優先すべき目標は安全な
貿易路の確保、ポルトガル人の資産保全、香辛料貿易の独占であって大規模な軍事紛争
を伴う植民地化ではなかった。イエズス会の布教を支援したポルトガルと対比するか
のように、キリスト教の布教を重視しなかったオランダやイギリスがアジアで植民地
を増やしていった。
フランシスコ会の宣教師が米大陸に上陸したのは、コルテスによる1522年の
メキシコ征服の翌年の1523年であり、侵略が完了した後に布教をしているため、
フランシスコ会の宣教師が侵略を支援した事実はなく、また布教活動が侵略に重要な
役割を果たした事実はない[11][12]。米先住民に対するフランシスコ会の布教については、
スペイン人の支配者に対する反乱に繋がる可能性が懸念されており、当初は否定的に
受け止められていた[11]。イエズス会が新大陸での布教を始めたのは1570年以降だった
が、1500年のペドロ・アルバレス・カブラル率いる艦隊がブラジルに上陸してから70年経
過した後のことである[13][14][15]。 >>240 >>1
中仏戦争では、からゆきさんの日本女性売春婦の市場が
形成され、やがて1908年にはインドシナの日本人の人口
の大半を売春婦が占めるようになった[19]。
19世紀後半、日本の少女や女性は売春に売られ、長崎や
熊本から香港、クアラルンプール、シンガポールなどの
都市に人身売買され、太平洋、東南アジア、西オーストラ
リアなどに送られ、彼女たちは「からゆきさん」と呼ば
れた[20]。西オーストラリアでは、これらの日本の売春婦
たちは商売をしたり、他の活動をしたりしていたが、そ
の多くは中国人男性や日本人男性を夫にしたり、少数の
者はマレー人、フィリピン人、ヨーロッパ人を夫にしたりしていた[21]。
朝鮮や中国の港では日本国民にパスポートを要求してい
なかったことや、「からゆきさん」で稼いだお金が送金
されることで日本経済に貢献していることを日本政府が
認識していたことから、日本の少女たちは容易に海外で
売買されていた[22][23]。1919年に中国が日本製品を
ボイコットしたことで、「からゆきさん」からの外貨収入
にますます頼るようになった[24]。
アメリカ統治時代、日本とフィリピンの経済関係は飛躍的
に拡大し、1929年には日本はアメリカに次ぐフィリピンの
最大の貿易相手国となった。経済投資に伴い、商人や庭師、
日本人娼婦(からゆきさん)などを中心とした大規模な
フィリピンへの移民が行われた。ミンダナオ島のダバオに
は、当時2万人以上の日本人が住んでいた。
1872年頃から1940年頃まで、オランダ領東インド諸島の
売春宿で多数の日本人売春婦(からゆきさん)が働いていた[29]。 >>239
>>241
人身売買≠奴隷売買
単に著者か奴隷という言葉を使っているだけであって、日本に奴隷制度は存在しない 長崎あたりで日本人が日本人を売りさばいてたな外国に >>106
救うのは神に愛された極々一部
向こうの神は罰を与えるのがお好きです 最近こういう都合悪い事実ネットでポツポツ聞こえてくるから
沈黙とか隠れキリシタン弾圧の洗脳映画作ってんだろな >>251
迫害されたっつーても侵略の尖兵なんかそりゃ迫害するわなぁ
踏み絵もするわ 男だろうが女だろうが人権も糞も無い時代だしな
こんなのは世界中であった話だろう そういう時代だったとしか
まあわざわざ過去のことを持ち出してくる特亜は別だが >>255
その特亜に加担してるのがキリスト教なんだけどね 乱取り(奴隷狩り)は戦国時代の一般的な兵士たちへの報酬だからなぁ
武田も織田徳川領から乱取りして奴隷持ち帰ってるし ふうーん
今度はポルトガルが中国に敵対するのか
わかりやすいなあ この数年歴史系のドラマや映画に登場する秀吉は悪としてしか描かれてない >>23
キリシタン大名じゃねえか
ほんとキリスト教は潰しておいてよかった まあでもどの宗教史でも最近まで
女人はそもそも救われる対象の人間ではなかったからな BBCも先週のニュースで隠れキリシタンがらみのフェイクニュース流してる >>263
で世界に倫理道徳を説く
エプソン島、神父の性凌辱なんて可愛い方
マジで糞 >>1
これだからキリスト教は邪教なんだよな
神の名のもとにこんなことやってんだから
キリシタン弾圧は人の人権を守る正義そのもの 南米あたりで日本人の女を見たとかいう記録があるんだっけ? >>267
共産主義も実態はなあ
キリスト教も似たり寄ったりの醜悪さ
理念はともかく実態は主体思想北朝鮮も真っ青 他人のアバズレがどうなろうとどうでもいい
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