「飯場」の姿、後世に 宇治・ウトロ地区で解体 部材生かし、祈念館に移築 /京都
https://mainichi.jp/articles/20210805/ddl/k26/040/199000c
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2021/08/05/20210805ddlk26040511000p/9.jpg
(移築に向けて解体される宿舎跡。作業員が屋根板などを慎重に外した)

宇治市伊勢田町ウトロ地区にある「飯場」と呼ばれた建物跡が、在日コリアン住民の歴史を伝える
「ウトロ平和祈念館」の敷地内に移築するため、解体された。

同地区は戦時中の京都飛行場建設に携わった、朝鮮人労働者と家族が暮らしたことが
きっかけでできた在日コリアンの集住地域。戦時中に労働者の宿舎として作られ、
ウトロ最初期の姿で残る唯一の建物として、柱など元の部材を最大限に生かして再現される。


 建物は1943年ごろに建てられたもので、12戸が連なった木造平屋建て。
室内で見つかったカレンダーなどから、住人は86年までいたとみられる。
急ごしらえの作りで、何度も修繕された跡があるが、築75年以上で老朽化が進み、
風雨であちこちが破損している。

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