五輪を中止する権限は日本になく、国際オリンピック委員会(IOC)だけが持つ」という言説が多い。この議論の際に引き合いに出されるのが、東京都と日本オリンピック委員会がIOCと結んだ「開催都市契約2020」だ。

開催都市契約には「戦争状態、内乱または大会参加者の安全が深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠がある場合」に「IOCは本大会を中止する権利を有する」とある。しかしこの規定の眼目は、IOCが中止の判断をしても損害賠償義務を負わないという点にあり、日本に中止の権利がないと明記しているわけではない。

元来、契約においてはどちらかが一方的に約束を守らないことは十分に起こり得る。その際に、約束を破られた側の権利を守るのが契約という法制度なのである。道義的な是非は別として、法律論にのっとって考えると日本側も五輪の中止を決めることができる。

では日本側が中止を決めたとき、IOCは法律に基づいて日本側に開催を強制できるのか。契約を守らない相手に契約内容の実現を強制できるのは国家(裁判所)だけである。民間団体であるIOCには、そのような執行力はない。くわえて当事者がその気にならなければ実現できない契約は、その実現を強制できないとされる。

履行を強制できない契約の場合、損害賠償をもって問題の解決を図るのが通常である。では日本側が中止を決めた場合、損害賠償を払う必要があるのだろうか。

賠償責任の有無は一義的には、日本側とIOCが結んだ開催都市契約にのっとって判断される。だが開催都市契約は、日本側が一方的に契約を破棄した場合の賠償責任を明記していない。

このようなケースでは、契約が準拠する法律に基づいて賠償責任の有無が判断される。開催都市契約はスイス法を準拠法と定める。日本やスイスが採用する「大陸法」では契約を履行しないことが「債務者の責めに帰すべからざる事由」による場合は、損害賠償の義務は負わないとされている。

コロナ禍は日本の責めに帰すべき事由とは考えがたい。契約法の立場からすれば、仮に中止を判断しても日本が賠償義務を負うことはないと考えるのが妥当だろう。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO72689150Y1A600C2KE8000/