志賀の回想によると、ある晩、宮野は、雑談の合間にふと真顔になって、

 「先輩、この戦争、勝てると思いますか?」

 と訊いてきた。志賀は、表情を一瞬、こわばらせた。宮野は、続けた。

 「P-40(米陸軍戦闘機)なんか、何機来たって問題じゃないんです。
でも、敵は、墜としても墜としても(新しい飛行機を)持ってくるのに、こちらは、飛行機も搭乗員も補充が全くないんですよ。

 台湾を出る時は45機揃えて行ったのに、新郷さんの隊(台南空)など最後は20何機。
搭乗員に下痢やマラリアも出ますが、何しろ飛べる飛行機が間に合わんのです。
それで内地に帰ったら飛行機の奪い合いで、今回の12機を揃えてくるのも大変でした。
いまに搭乗員だって足りなくなりますよ。――先輩、こんなことで勝てますか」

 志賀は、思わず考え込んだ。志賀自身はこれまで、機動部隊で連戦連勝を重ねてきて、戦局の行く末を深刻に考えたことがなかったのだ。
いや、アメリカの国力の強大さについては理解しているつもりだったから、考えないようにしていた、と言ったほうが正しいのかも知れない。

 少しの沈黙の後、

 「いや、勝たなきゃいかん、しっかりしようぜ」

 と答えて、志賀は話をそらせた。 

 「どうしてダッチハーバーみたいな田舎のところへ、貴様も不満だろうけど、問題はミッドウェーだよ。
いかにして犠牲を出さずに向こうまで行くかということだ」

 戦後半世紀あまりが経っても、このときの宮野の、戦場での経験に基づいた切実な言葉は、志賀の心に鮮やかに残っていた。

 「当時、搭乗員で戦争の見通しについて、そこまではっきりと悲観的なことを言う者は珍しかった。
彼には先を見るセンスがあったんですね。
私は思わず答えに窮してしまいましたが、内心、物事を冷静に見ている、偉い奴だと感心しました」

 と、志賀は筆者にしみじみと述懐している。

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