大正時代の人って何を食べてたの?
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鬼滅が大正だっけ
モガファッションなんかが流行ったのも大正 海原雄山が言うには昔の人たちのほうが美味いもの食ってたらしい。 関東大震災が大正12年
と言えばだいたいイメージが湧いてくるんじゃないかね おれが子供のころですら家でなんて滅多に肉食わなかったけどね。 現代じゃ「今夜はお肉よ〜」なんてCMに訴求力無いんだよな。 脚気も多かった様だしおかずよりも白米を多く食べていたんだろうな >>29
>>34
カレーもトンカツも銀座の高級レストランでしか食えないぞ
パスタも無いし >>26
あの漫画は嫌いだけど
それだけは一理ありそう
食品添加物も合成調味料もないし
作られた味も作れないし
保存技術も高度な冷凍技術もないから
本当に鮮度のあるものしか食べられないだろうし >>38
宮沢賢治が1日四合の玄米を食いと書いてたころの兵隊は1日六合食ってたらしい。 >>41
子供のころ食ってたイワシやニシンやら鯨なんて臭くて不味かったけどね。 >>47
今のすき焼きだな
東京では大繁盛して店いくらでもあったらしいね 山育ちの婆ちゃんは海苔の佃煮食った時に世の中にはこんなに美味いもんがあるのかと思ったそうだ 庶民の飯なんて中世からほぼ変わってないよ
大幅にカロリー増えたのは戦後から >>54
コンビニ食材の裏側見てみろよ
安全性は担保されてるとされてるが
自炊するとそれ一切排除して食事作れるんだぜ >>42
かなりのものだろ
文学者のエッセイに下女だがに口でちんこ吸ってもらって可愛がってもらったって書いてあったし
下女なんて孕まされたら捨てられて泣き寝入りになるし自己防衛として教えられてたんじゃないの >>57
醤油じゃなくて味噌説があってな
食いたくて仕方ないんだが具材やら調べてもよくわからんくてな 吉村昭の関東大震災のルポ読んでたら
「地震発生のときの食膳には茶碗蒸しがあった」
という被災者の証言があった >>47,>>78
NHKの坂の上の雲で、映像として初めて見た。
それなりに考証してるだろうから、あれ信じていいのかな。
肉がどえらく分厚くてうまそうだった。 フライパンが日本に伝わるまで焼き物つくるのそうとう不便だったと思うんだ。
卵焼きをフライパンなしでつくるのは大変だと思うんだ。魚は七輪みたいに網の上で炙ればつくれるけど 冬は湯豆腐、夏は冷ややっこ
春は山菜の天ぷら、秋はキノコ汁 天皇の料理番(古いほう)によるとトンカツが大衆食堂で一般人にも広まったころ 蕎麦とか。
昔は米の育たない地域で蕎麦、稗作ってた。
有り難がって蕎麦食うやつwww 鬼滅の刃で屋台の月見うどんを食ってたシーンを見る時、うどんはわからなくもないが
一介の自営業が充当出来るほど卵とか普通に流通してたんかな、と思う 大正生まれの爺さんが肉や魚は祭の時しか食えんかったって言ってた お金持ちは現代にも続く結構良いもの
貧乏人は野菜の漬物とか 普通に米食ってたな
おかずは無くて味噌汁と漬物ばかり
味噌汁と言っても採れた茸や葉を入れただけの薄い汁だったがな
あとは魚だ日本は島国だから当たり前なのだが魚をよく食べた >>107
紅緒さんも伯爵家に嫁入りするほどの上流なんだけどな 今でも食われてる田舎の食いもんじゃね。
(B級グルメ除く) 大正時代の農村は基本鶏と卵
縁の下に鶏飼ってるのが普通だったんだよ
たまにはうさぎも食ってたがキジはあんまり美味くなかったらしい >>108
どんなのですか?ぜひ知りたいです。
フライパンではないけど、平らな鉄の塊とか? マジレスするとほとんどご飯。1人1日6合くらい。そんかしおかずが漬物とか野菜。海沿いの町は魚とか食べてたから内陸部より寿命が伸びてた。 大正までくると洋食が家庭にも入ってくるので
割と現代に近い食事になってくる >>114
コンビニ弁当で腹を満たす人が多い現代よりよっぽど贅沢な食事をしてたんだな
俺も鶏飼って毎日新鮮な卵とか食いたいけど金と時間に余裕が無いからとてもじゃないが面倒見られんわ ウチの爺ちゃん大正生まれで農家だったけど普通に白飯食べてたって言ってたわ 米と地元の魚と野菜
冬用に各家庭で魚の干物と野菜の漬物を作っておく >>127
ありがと
へー、こんな調理器具はあったんだね >>41
鮮度なんて感覚がなかったんじゃね?
食べられるうちは食べる。 >>26
世界で一番売れてるMacのハンバーガーが世界一うまいに決まってるわけでそれを食えなかった昔の人はかわいそうだと思うんです >>130
熊本は食うものなくて馬肉を瓦で焼いて食ってたんだよ >>26
なわけねーだろアホか
いまだにあんな糞マンガ真に受けて >>82>>88
ありがとう
それは明治初期にありえない形態だから別にあると思うんだ
そしてソレは牛丼を超えるかもしれないとも思ってる 茶目子の一日 大正8年
向ふの横丁から いつものお婆さんが
「納豆、納豆! ナット納豆ぉ〜! 味噌豆っ!!」とやって来る
「サア御飯の仕度が出来てゐますよ、早くおあがりなさい。」
「アァ忙しい忙しい、頂きます。」
お膳の上にはお茶碗とお皿 赤い箸箱小さなお椀
お椀の中には私の好きな 卵のお汁が入ってます
お汁は御飯にかけたいけれど 中々熱くて食べられない
やっぱり別々に食べませう
お皿にあるのは葡萄豆 同じ豆でも納豆は 臭くて私は大嫌ひ
豆を食べたらその次は 澤庵のおこうこ
お茶漬さらさらおこうこばりばり さらさらばりばりもうもう澤山
「お母様御馳走様…オゝ苦しい」
「マア茶目子さんはオゝ苦しいなんて何ぜん食べたんです?」
「四ぜん食べたのよ」
「マア朝からそんなに食べる人が有るもんですか」 >>133
白米のほうが圧倒的だよ
白米原理主義で脚気は肺結核に並ぶ国民病となり
オリザニンの研究発見に至ったんだから >>132
売れてる=美味い、とは限らない
食事はコストパフォーマンスだから
安くてそこそこの味をみんな選ぶようになるよ >>148
そんなこと言うとハンバーガーとコーラの漫画を貼られますよ うちのじいちゃんは小学校の弁当にフレンチトースト持って行ってた 野菜は糠漬けに魚は干物に
井上靖の自伝小説『しろばんば』が、ちょうど大正期の伊豆を書いてる
出てくる料理としてはライスカレーが印象に残る
といっても固形ルウなぞ無い時代だから、小麦粉とカレー粉で作るのだが かつては脚気が国民病でアリナミンが普及してようやく解決したという歴史がある
今でこそ強化米とかあるけど、やはり米は玄米を食うべきだね >>70
一切排除は無理だな
野菜には農薬、肉は飼料に色々、魚は海洋汚染
あとは各種調味料にも完全な天然物なんてほぼないからね >>148
こないだ800円の刺身を買って
美味いけど一食分の金を払ってまで食べる価値があるのか?と思った 大正時代は米といっても白米はあまり食べて無かったからその時代の人は白米への執着心が強い
上流は白米食って脚気になってたらしいが
農村部では脱穀だって櫛形脱穀機だし精米だって棒で突いてたんだぞ
それらが機械化され普及したのは戦後の高度経済成長期以降だよ >>160
わかる
美味しいけど刺身とか、
よほど希少なもの以外はどれ食べても同じ味だしな
しかもそれだけの高価格な食品を食べたのに
食べた気がしないとか本当に現代は
飽食でぜいたくな時代だよ >>157
宮沢賢治の世界だな
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ 貧しい地域では主食をとにかくガツガツ食うんだよ。これは昔から世界共通。 >>146
うおーその鍋の中身ー
今生きる我々でさえスキヤキからステーキまで数十年のステップがあった
イキナリ塊肉は無いかと、な
あと砂糖もそうそう、その状態でどうしたか >>167
ろくな機械も家電もない時代だからとにかく人力
マジで米がエネルギー 日本人が小さいのも分かるな…
大正昭和の日本人は本当悲惨だ、平成と令和生まれは本当全てに恵まれてる 大正時代のデパートの食堂のメニューは現代の学食みたいだったな 稲作
脱穀
精米
乾燥
既に、機械化されたこと知らん馬鹿が多過ぎる
おまえら馬鹿じゃね???↑ 玄米と梅干とトマトジュースを
モーサテ見ながら食ってる おれ天正生まれだけど取り敢えず餅はずっとあるな(´・ω・`) 実家がかまどだったけど、あれは飯の支度えらい事だわ 塩分ってなんだろな
普段は取りすぎ!取りすぎ!ってうるさいのに
夏場は塩分とれとれとかなんだよ? 大正というより、冷蔵庫が一般家庭に普及するまで、乾物や干物や漬物中心だったと思います じいちゃんが大正末期〜昭和初期に東京の本郷で大学時代過ごしたけど
コロッケとかカレーライスが学食にあったって言ってたな
農村の人は昔ながらの食事だろうけど 大正時代を描いた鬼滅でうどん屋の屋台とかでてきたけど今そんなのないよな
ラーメンが伝来したのはそのあとなの? >>168
その頃一日三食食ってたと思ったが間違ってたか? >>199
昭和27年生まれでも田舎ではハムやソーセージなんて見た事なかったそうだ >>206
昭和5年生まれのじっちゃはベーコンは鯨しか認めなかった >>199
学食にあるレベルなら、普通に家庭料理としては浸透してるレベルだな。
今とあんまり変わらんかもな。 >>41
ねーよwww
昔の人は生きる事食う事に必死でうまいという概念がないww >>183
煎餅
ビスケット
ポン菓子
黒糖飴
チョコレート
キャラメル
果汁ゼリー
ミカン水
海軍艦艇がラムネ水製造してたのはわりと有名よね 大正なんて近代じゃん
おれは魚と蕎麦と酒があった江戸時代でも余裕で暮らせるわ 昔なんて糖尿とか痛風なんて病気は存在してなかったろうな
血圧とか知らんかったろうし 大正時代の大都市部はだいたい現代の原型が出来ていた
田舎はまだ明治時代に近かったかもしれないが グルメ漫画に大正時代のレシピって漫画あったが
コロッケやらカツレツやらいろんなんあるぞ >>214
それな
味覚も子供の頃にできる
味音痴はかわいそうな人なんだよ だがそういう現近代的な料理は都会である程度現金持ってるやつが食えるものだしな。
地方の田舎、農村は今の感覚だとひどいもんだぜ。
味噌とか匂い強いしな、下手するとちょっと悪くなってたりするし。 東京はすでに牛肉から豚肉へ移行していた
1956年に書かれた「日本食肉史」(福原康雄)によると、肉食を厳しく禁じられていた僧侶の間でも明治中期から
牛肉が流行していた様子が載っている。ところが、日清、日露戦争が起きて軍需食料として牛肉の缶詰が戦地に
送られ牛肉不足が深刻になる。そこで特に関東では牛肉に代わって安価な豚肉の消費が拡大していくのだ。
「馬肉は量が取れず肉質が固い。そこで牛よりも狭い土地で早く食肉にでき、牛と違って何でも食べる豚が重宝
された」。さらに、人口が集中する大都市ならではの理由があった。「当時、メガシティーは世界でニューヨークと
東京だけ。大量の食料が必要だったし、残飯も多く出た。豚は残飯を食べ、ふん尿を肥料として使える好都合な
家畜として広がった」。つまり、都市の循環システムとして豚を組み込んだというわけだ。
日本養豚協会によると、生まれてから出荷するまでの期間は約6カ月で、牛の5分の1だ。年に2.2回出産し20〜
30頭を産む。この食肉としての効率性の良さに加えて、東京で豚肉が流行った理由には新しい料理の登場がある。
https://style.nikkei.com/article/DGXKZO12714730Z00C17A2W02001/ 大正時代にスペイン風邪があって関東大震災もきたんだな なんか似てて怖いね 銀座の高級レストランに通えたような上級国民はカレー、トンカツ、ビーフステーキなど現代とそんな変わらない物を食べていたよ >>199
へぇ学食にカレーあったんだ
クリームシチューも明治から食ってたみたいだな
ハウス食品のルゥが発売されたのは昭和41年で結構遅いけど >>41
冷蔵庫もないんだぞ?
魚なんて半分腐るか塩辛い干物しかないし肉食も文化的にNG
米だって品種改良が今よりされてないから旨みが少ないだろうし 海軍中将山路一善の家では、すえ夫人(山本権兵衛海軍大将次女)が料理上手でグラタン、ローストビーフといった洋食も出た。
おやつも手作りで、フルーツポンチ、プリン、パウンドケーキ等、現代とあまり変わらないかな? >>220
豆腐先生と呼ばれた荻生徂徠みたいにおからと豆腐、あと米がありゃ生きていけるわ >>245
冷蔵庫がないから東京の鮨屋では
煮物のネタが多かったのかな
穴子なんかは代表的かも 庶民が毎日食べるもんでもないけど、意外となんでもあったんだよな
カルピスもサイダーもケーキもあったしトンカツもコロッケもあった 俺の曾祖父さん爺さんあたりの話
漁師村の豪農だったけど基本物々交換で魚と米と野菜には全く困らんかったと言ってた
洋食は戦後になってから
それまではずっと米と雑穀混ぜたのと野菜と魚ばっか食ってたって
戦時中や戦後も山に隠して作った畑のおかげで食うもんに困ったことはないって言ってたなー >>252
そうだね
酢締めや昆布締めなんかもネタが傷まないように考案されたものだし まあ戦前生まれの親なんかから聞く話と大差無いだろうからな
大正だと爺さん婆さんの時代だし 調べてみたらカレーライス、イメージ的には洋食屋でお高めなイメージだったけど
もう庶民でも普通に食える大衆料理だったんだな
カレーうどん、カレー蕎麦も明治から食ってたわ >>41
ということは今以上に食事の格差は酷かったというわけだ
労働者の食事があまりにも酷くて自治体が公設食堂作ったくらい お前ら、たくあんとみそ汁だけで白米食ってみろ
結構うまいからw
刻んだたくあんだと黄色い汁が白米に染みてまたうまいんだわw 大正3年に嫁いできた祖母の話だけど
週一で大阪に野菜を運んでカレーライス食べるのが楽しみだったらしい 大正時代にビーフシチューをを作ろうとしたら
肉じゃがができたのは有名な話 >>270
白米って飢餓になったときの最後のセーフティフードよな
昨今は飽食だから相当忌避されてるけど 田舎なんて未だに寿司って言うと干瓢や稲荷だからな。
生寿司なんか正月、盆ぐらいしか食った事ない。手作りコロッケが、今の手作りハンバーグみたいな地位だったんだからな。
蕎麦食いに行くのが昔は、贅沢だろ >>276
蕎麦なんてもっと昔から屋台出まくってるファーストフードだろ
江戸なんかだと白米ばっかり食ってる人は脚気になって、蕎麦好きは脚気になりにくかった そもそも大昔って米、漬物、味噌汁が主食だろ?
こんなもんしか食えなかったのか? >>280
戦時中まで、一般人が貨幣の価値すら田舎なんか殆どわからなかったんだぞ?
一般人は、カレーやコロッケですら贅沢だったんだから
肉や魚が食えたのは、一部だけ。 >>265
そりゃ、食い物が無くて飢えていれば土ですら食べる。 >>245
冷蔵庫は氷屋が一日おきに交換に来てたな
独特のハサミさばきが凄かった >>285
貨幣の価値知らないとかありえないだろw 思い返してみると昭和50年代くらいでも今からすると種類少なかったもんな
スパゲティもナポリタンとミートソースくらいだったし 米は日本人の主食なんてキャッチコピーが浸透したがいつでも食べれるようになったのは70年代くらいからだろ
それまでは貧乏人は麦を食えと総理大臣が言うくらい誰もが食えるものではなかった
そして白米が食べれるようになったのと同時に成人病も増えていった >>276
それは冷蔵技術の発達してなかった田舎だけだな
魚が食えなかったのは山の中だけ
といっても今では少し内陸部に行っただけで食えなくなるけどな
海岸線から10キロ入った程度
移動手段と冷蔵手段がないから
魚が食えたのは沿岸部に住んでる者だけだった
山の中の人間はクッサイ川魚を食ってた >>291
江戸は白米食ってた
だから脚病は江戸病って言われてた >>283
内陸部は、結構そんな家が多い印象だな。爺さんとかほっとくと未だに肉も魚も食わないから、そのおかげで骨粗しょう症になった。
婆さんの実家だと川沿いだから魚と山菜文化ある。川海老や沢蟹も食うけど、肉を食う文化が全然発展してない
父方の海沿いの地域は、魚売りがよく来てた話を聞くし
毎年味噌作ってたらしいからな。 >>285
貨幣の価値も分からないとか田舎馬鹿にしすぎだろw
そりゃ田舎じゃコロッケやカレーライスはそもそも出してる店がなくて>>271の婆さんみたいに都会行った時にしか食えなかったろうが
魚は干物があったわw >>288
田舎じゃ普及なんてしてないんだよ。取引きの基本は、物々交換が基本。
だから嫁に行く時に着物とタンス買ってたんだろ
仕事だって親戚のツテ以外、昔なかったんだからな。その名残りが親戚に未だにある
戦争がなきゃ貨幣が普及なんて田舎じゃしなかったよ 昔は地方どころか地区レベルで生活がまるで違うから、「昔はこうだった」っていう一般論は参考にならないんだよな
うちの田舎は海にも山にも近くて大阪へ丁稚に行く習慣もあったから、貧しくもなかったし米も魚も肉もよく食べてたと聞くが
10キロ程度離れた親戚の田舎は広い田んぼや畑が作れず貧しくて母乳がわりにヤギの乳を飲んでたらしい 現代は食い物が溢れてるけど栄養は減ってるよね
添加物や保存料とかの問題以外でもレトルト食品、冷凍食品、即席麺を摂る事が増えたうえに鮮度の落ちた食材を店頭で購入してるわけだから >>276
さすがにそれはないだろw
ド田舎のスーパーでも寿司くらい売ってるわww >>298
そうだよね
今の交通手段で考えるのがおかしい >>291
土地によるな。食える地域と食えない地域がある。
今でもそこら中に猫じゃらしが生えてるのは、その名残り
笹麦なんてのも有名な話。
さつまいもが拡散されるまで食の安定化は、そこまでしなかった
だからうちの地域じゃ未だに枝豆を大量に食う習慣が残ってる >>299
美味しんぼ信者か?食料溢れてるなら倍食べるか食べ合わせや調理法でなんとでもなるしサプリメントで補えよ 明治が舞台のゴールデンカムイによると、アイヌですら和人に毛皮など売って貨幣手に入れてるな
まぁ漫画だけど、そこまで適当な事は描かんだろう >>292
山の中の連中は、川魚食ってたけど
水がキレイだから臭みなんて無いぞ?鮎や鯉や岩魚食ってたからな。
未だに親戚が下に降りてくると、水が不味いってみんな言うからなw
肉食う文化は、以外に無いな >>41
鮮度が悪くても食ったんだよ
船乗りなんか腐った肉食ってた >>300
それは、ど田舎でも無い場所だからだよ。
マジの田舎で平家の落人みたいな村が婆さんの実家だから、認識と習慣が今でも昔から変わってない
あそこ豆腐すら贅沢だし >>295
いや干物すら毎日食う認識が無かったぞ?
道路だって昔は、限られてたからな。しかも砂利道ばっかだぞ?
買い物するのも昔は、おおごとなんだから >>41
多少痛んでも食べてたと思うよ。
というか、間違いなく今の方が美味しいものはある。
料理人たちの不断の努力を馬鹿にしてはいけない。 ここの連中って塩漬けがどれだけ殺菌能力あんのか知らんのな >>262
庶民的な店でも一世紀続いてるとこあるんだな
料亭とか鰻屋みたいな高級店なら100年でも驚かないんだけど 大正時代の外交官の嫁がまとめた保存食のレシピ本持ってるけど味噌、梅干しから始まって
ハム、ソーセージ、ジャム、マーマレード、鶏の燻製と現代でも通用する料理が載ってたよ
豚肉の醤油漬けを毎年年末に作ってるが本当に美味しい 蔵があるような屋敷の農家って昔はどんな生活してたのか気になるわ なんで大正はおしゃれなのに
昭和はもんぺにかりあげおかっぱになっちまったの? >>326
大正末期から昭和初期の写真見ると街を歩いている男女がみんなオシャレだよね
それからデブがいないw >>326
ABCD包囲網で経済制裁やられて物資が不足してたしな
目先の利で日本を潰して中国ちやほやしてきて今さら被害者面逆ギレしてるアホの欧米 >>326
地域格差があっただけだろ?一般人の大半が農民で、散財出来た連中なんか限られるし
今みたいに経済奴隷なんか殆どいないからな
農村から省かれた物が、船乗ったり炭鉱やってたんだし マンモスとかどんぐりの団子だよ
漫画日本の歴史で読んだ 浅草に凌雲閣っていう塔があったと邪神ちゃんが言ってた >>323
農家の蔵は作物の保管庫だよ
米が入ってる おれは熊本の士族で、当時の日記が残っている
祖父、祖母と父母、娘と息子の6人兄弟で、矢野というとこに住んでいて
武士だったから江戸以来の知行地が3反(=900坪)ぐらいあって
別に困ることなく米作ってたわ。熊本だし温暖で米が不作になることもなかった
当時の食い物は米が主食で今の2倍食ってた感じ?
とにかく米食えば満足みたいな時代だったという
副食は有明ののりとか魚とか海苔とか。でも今みたいに構造的かつ生産的に副産物を得られないから
梅干しとか佃煮で米を食ってたみたい。とにかく米を腹いっぱい食えば満足できた時代だったん >>325
百貨店に食堂併設されたのが明治の終わり頃
当時では結構ハイソなスタイルじゃないかな
一般的になるのはやっぱWW2復興後な気がする
街へ出るまでが大変なのもあるけど、そのへんは交通手段の変化で
乗合馬車→バス車両
馬車鉄道→汽車電車
地元(愛媛松山)だと明治20年に私鉄が誕生
港湾までの6kmを走って、下等(三等)車両で3銭5厘だったという 化学調味料ない時代だから何食ってもアッサリ味ばっかり 大正時代のレシピ本とか見ると小さじと大さじ間違えてるんか?
ってくらい塩入れててビビる >>341
食塩も大正期と現代じゃNaCl純度が違うから、単純に量で比較できるもんでもないが 記録を見ると現代人よりかなり大食いだったみたいだ
富岡製糸場の女子作業員は一日で四合の米を食っていたとか >>342
なんぼなんでもその純度が3倍はないでしょ みんなに嫌われてる先輩を誘って
ざるそば早食い勝負 粟と稗だな
白米を食えるのは旧華族以上でも3割程だったらしい >>345
まぁ、あとは現在の「小匙5cc、中匙10cc、大匙15cc」って昭和の戦後に作られた基準だから、そのへんもあるかもしれん
明治大正のレシピは概ね、なんなら「塩:適量」とか経験と勘にマカセターの世界だし 減塩言い出したのは平成だからな
>>315なんて塩なめてるようなもんだし >>102
最後の明治生まれが1912年
大正生まれも、もはや1桁台と思われる >>41
空腹が最高のご馳走という言葉がある。
是非はともかくとしてもその言葉の心理から一番かけ離れた存在がお前だ。
いいからその部屋から出て働きなさい 現代人ほど肉類は食えなかったろ、
納豆豆腐は食ってたろうけど >>359
ブロイラー無い時代だからね
若鶏肉なんか希少な高級品で牛肉より上よ ばっちゃが大正生まれだったけどシャコとかめっちゃ安かったらしいぞ 寿司なんかも江戸時代から親しまれていたみたいに喧伝されるけど
実際は冷蔵デリバリが技術的に出来た昭和中期からだよな >>41
鮮度っつーか生活の時間コスパが酷かったんじゃない?
炊飯、洗濯、掃除どれも現代と比べるとすんごい時間掛かって、半日ぐらい掛かるから仕事も半日ぐらいしかできなかったと そういや異世界居酒屋で若鶏の唐揚げにめちゃくちゃ感動してたな
大正時代の人間に今の鶏料理食わせたら、たぶんあんな感じになる >>365
酢じめか煮炊きもののせたおむすびだからね >>369
例えば佐賀県唐津のイカの活造り
透明でコリコリしたイカの食感を楽しんだあと他の部位を焼いたり揚げたりしてくれる大満足の一品
10年くらい前から築地、いまは豊洲か、活きたまま運べるようになったけどとんでもない値段だな
イカなんて一杯100円以下だし唐津でしか捕れないわけでもない
わざわさ遠路活かして運んでくる意味がわからない 戦前の家庭用料理本とか見るとお煮しめとか豆腐料理みたいな伝統料理や
カレーとかハンバーグとかポピュラーな洋食も掲載していたから
その頃にタイムスリップしたとしても食生活は遜色ないと思うわ
ただ、当時の農村部ではハイカラな食生活はなかったろうから
地域によっては質素な食生活だったかもしれないけど >>214
江戸以前まで遡るとわからんが江戸期はレシピ本が死ぬほど出てたぞ >>365
「全国的に江戸前寿司が食べられ始めた」のはそうだろうな
それまでは
地域性が顕著で地方の保存の効きそうな奴が基本、
江戸前寿司は江戸で食べられ始めた刺激的な新しいスタイル
江戸では親しまれてただろうな 江戸っ子は、短気だからな。熟す前に食いたいから、早ずしが流行っただけ
そもそも今のスシは、スシじゃない 最初の統計は明治時代だが
東京湾の漁獲高は海藻や貝までいれて年間やっと6000トン
人工で割ると住民一人あたりの口に入るのは一日数グラムだ
米ばかり食って脚気になってた江戸の食文化
書物にのこる風俗は、結局裕福な武士と商人だけのもの
そいつらは全員明治維新で国許に去ってるわけで
江戸の町からの文化の連続性ってかなり怪しいよな 魚は、太平洋側だと毒があったりするからな。
タコなんか奴隷が食わなきゃ、食って無かったんだし
日本海側じゃないと海の魚を食うなんて、発想があんまり無いな。ギャンブルすぎるし
未だにアニサキスで当たる馬鹿が毎年出るぐらいだしな 単純に江戸〇〇とつくものを調べるとほとんどが明治から昭和前期に宣伝文句としたものだよね
江戸前ということばの初出も明治中期以降の養殖うなぎだし
有名な「江戸っ子だってねえ、寿司食いねえ」の講談も明治後期のもの
江戸文化礼賛はだれも損しないから言いたい放題、暴走気味だと思う 冷蔵庫のない時代は、冬は塩辛くして干して水分を抜いた食材。 >>381
当時ただ「寿司」と呼ばれていたものを、
他地方の寿司との混同を避けるために
後から分類して「江戸前寿司」と命名してるならいいんじゃないの >>375
昔はほぼ「美味い=甘い」だぞ。
それが昭和末期まで続くんだぞ。 >>383
そこまで否定するほど野暮ではないが
江戸前の手法ってのは煮たり酢じめにしたり煮詰めを塗ったりだろう
新鮮な生魚を酢飯の上に載せるのが江戸前なんてのは誰も言ってないんじゃないの >>41
昔の青臭いトマトとか、薬臭い人参とか、やたらエグい茄子、ほぼ甘味の無いトウモロコシとか憧れるよな。 昔は、寿司っていたら干瓢や沢庵やキュウリや納豆巻やしば漬けの巻き寿司と稲荷寿司だったからな。
生寿司が発展したのは、鱒寿司が1番先だろ 戦前の大食いは腹に寄生虫飼ってたから出来たもの
増え過ぎると死ねるから適度に虫下しで調整してたんだよ
下し過ぎても死ぬと言われてた
寄生虫の粘液がタンパク質の補給になってたんだよ
だからといって肉を食わなかった訳でも無い
宗教上の理由で内緒だったんだよ
肉を食わずに米と漬物っての基本的には戦後の話
戦前は肉食ってたんだよ
夕食はね >>384
内田百閧竰r波正太郎や横溝正史のエッセイ読んでると、到底そうとは思えないけどな… >>199
その頃の本郷にある大学って、東大か!
凄いな >>365
そりゃ今の新鮮でないと食えないスタイルは昭和からだが
江戸時代に漬けメインで屋台料理だったろ
山間部は漬け物寿司みたいなのがあったみたいだな >>389
そこらの人は当時の上級で庶民とは食べる物が違わくない? 麦、あわ、ひえを混ぜて炊いたご飯
魚の干物
梅干し、沢庵
具のあまり入ってない味噌汁
肉はたまに食べるくらい
じゃないのかな
冷蔵庫もまだ無いよな大正時代は >>385
江戸前としての特徴は握り寿司でしょ
江戸後期とはいえ江戸時代には変わりない
その際に生もあった可能性は高い
ワサビが使われ始めたのもそれが理由である可能性もある 冷蔵庫なかったけど、奥さんは専業主婦だから
毎日3時頃に商店街に買い物に行って新鮮な魚とか肉とか
買って料理できたから思ってるほど質素ではないよ >>395
いや失礼
あなたを否定する気は毛頭ない
俺が言ってるのは後世の宣伝文句としての「江戸前」がいつの間にか江戸時代から続いているかのような論調がおかしいということのみ
俺は明治維新で一旦ほとんどが断絶してるんじゃないかと疑ってるだけ 1品5銭って料理本が大正時代に有ったって昔聞いたよ
それ参考にすれば再現出来んじゃね? >>393
池波は内地勤務で鯖のレモン〆を開発したが、横溝は岡山疎開で松の根っこ掘ってたからね
内田が「ビールが足りねぇ」とボヤいてる頃、高浜虚子は長野へ引っ込んだ
蟹工船の人はアカ狩りの犠牲になったのだし
まぁ、書き残した文章はちゃんと読んでおきたいと思う
あの時代に文筆のみで糊口を凌いだ奴ぁ、数えるほどしかいねえからなー >>98
卵なんてニワトリ飼ってればいくらでも手に入る。
どこの庭先にもいたぞ。 >>401
あまり関係ないけど
俺は植木屋として従事してるんだけども
樹木は樹齢何百年という長い歴史がある
中には何千年という老樹もある
大正時代から、いやもっとさかのぼって
今の時代を生きている人は愚か大昔の人らよりも
長生きしてる樹木も存在する
たかが、人間の寿命はせいぜい100年が限度。
樹木はその何倍も何十倍も生きている
そんな遠い昔の古い時代に植樹された樹木が
今の世に現存してたりする
木に携わる、普段木に触れている俺は
手入れをするときに、ナウシカみたいな
そこに生えてる木々の歴史のような
こうしたことを考えたりするので、
感慨深くなったりするんだけども
街並みを見て素敵。と思うように、
人にはもっと樹木に着眼点を持ってほしい物だなぁ 今より貧しいもの食べてたんだろう
今の平均身長と比べると、かなり低いのがその証拠
しかも正座ってしなきゃならんし、不衛生だろうし
カロリーは今の方が少ないって驚きの話は大正じゃなく第二次世界大戦中の話だっけ? >>409
その木が人様に対して感慨深くなる以外に何か影響ある?
この木を切ったら不幸になるとか、切ろうとすると怪我をするとか聞くけど本当??
数百年の御神木が台風で折れたとか何だかなぁって思う 大正時代の札幌なんざただの政治首都
オーストラリアのキャンベラやブラジルのブラジリアみたいなもんだった
函館や小樽の方が人口おおかったしな
戦時統制経済のもとで札幌になにもかも集約させて人口が道内一になったんであってそれ以前の札幌には文化なんかなにもない 最近天皇の料理番っていうドラマ見たんだけどちょうどこのくらいの時代だったな。
庶民の食事はあまり出てこなかった。 ヒエ飯
フキの煮物
川魚の塩焼き
大根の味噌汁
梅漬け 我が輩は猫である、を読むと当時の人の日常を知れるぞ。
出前で盛り蕎麦頼んだり、お土産でせんべいもらって食ったり。 >>157
奈良〜江戸時代のどっかで見たぞ。
かなり古い筈。つか醤油が無い時代だなこれw 飼ってたウサギを潰してつみれ汁
年に1度のご馳走(´・ω・`) >>41
あーこのゆとりレスにはインターネット老人会としては食いつかざるを得ない
ほうれん草のえぐみを知らないのかよ 肉じゃがを開発して、これが時代の最先端だと酔っていた 地域によるが漬物がメイン
で白米をかっこむ。
味噌は高い。
煮て砕いた大豆に塩と麹を混ぜて乾燥させた味噌が普通。
タンパク質とビタミンが不足する食生活であったらしい。 >>421
味噌があるならたまり醤油とかはあるだろ >>92
すき焼きにしても焼くための鉄板は簡単に作れた
江戸時代から鉄の鍋は普及していた >>114
一昨年、去年と雉を食べたけどおいしかったけどなぁ
当然だが鶏と違う味
好みは人それぞれだね >>432
東北のほうは南のほうと比べると
断然貧しすぎて12歳になるとこの時代でも普通に女子は女郎に売り飛ばされてからゆきさんになって中国やインドのほうに渡り悲惨な目に合ってたからなあ
今の北朝鮮レベル >>384
戦国時代の大名料理調べて見ろ
甘いだの何だので美味いなんてレシピは無い そういう時代を理想として
共産化まっしぐらの就農増やしまくり目指してたのは誰だよ。 明治生まれのばあちゃんに昔聞いた話だと、土居中の離れ島生まれだけどほとんど江戸時代みたいな生活だったみたい。 俺の場合は普通に大盛り飯に味噌汁、お新香ってとこだったな >>157
>>315
これ大正メシじゃなくて、
江戸時代の飯を再現してみたってソースじゃん
騙されるなよお前ら
あと同じ人が作った塩の部分が魚になってるバージョンの再現飯画像もあるな 利便性向上しただけの明治大正目指すんなら朝鮮半島でやれば良いだけ。
ソレを方針転換すると分かれば今までの経緯は伏せて仲良しこよしなんだろ?
馬鹿かよ。 そんなら血筋くらいはハッキリさせて
旗揚げして対抗させてもらう方がマシだな >>276
オマエずいぶん適当だな
蕎麦は贅沢品じゃなくて米の出来ない痩せた土地でもそれなりに収穫出来る雑穀
江戸時代に蕎麦切りが発案されて武家も嗜む食い物に昇華された >>446
流石にわかるよw
何の意図で貼ってんのかは知らんけど >>394
大正12年に日本で最初の家庭用冷蔵庫が輸入されたみたいだな
家庭用とはいえ相当な値段だったと思うけど
ただ、氷箱という氷で冷やす冷蔵庫はあってそちらは結構普及していたような >>440
どうやって調べれば良い?ググり方がわからん >>365
これまたずいぶんいい加減というか、勝手な思いこみで書き込んでるね
現在の寿司のスタイルは江戸前寿司と言われるはやずしが起源
江戸時代はそのネタの多くは江戸湾、相模湾で当日捕れた魚介類を提供している。
早朝に捕れた魚は午前中に、午前中に捕れた魚午後には江戸市中には出回っていた。
貝類は活かしたまま流通していたし
少なくとも江戸八百八町では町人も食べる二八蕎麦や天麩羅に並ぶファストフードだった
昔は東京も全体的に気温が低いのも良かったのかもしれんがな 小さい頃から家の手伝いで重い物持ってたから身長伸びにくいのはあるだろうな。
その分、骨太で丈夫だけど。大正なら野菜は今もあまり変わらんだろ。
昔の寿命は働き過ぎ。 今の寿命は贅沢病と延命介護。 僕は竹の皮に梅干包んでチューチュー吸いながら歩いてた >>457
江戸ては屋台で普通に庶民が食ってた
風呂行った帰りに食うみたいな
ただ今と違ってデカイから3つくらいで腹いっぱいになったらしい >>384
今もそうだろ、テレビ番組見る限りなんでもかんでも甘くておいしいって言ってる
たまに甘すぎなくて美味しいとかフェイントかけてくる時もあるが >>26
江戸時代だけど、剣客商売とか池波正太郎の小説読んでると、ただの味噌汁とかメザシとか食の描写がめちゃくちゃ美味そうで腹減る 大正は意外とハイカラな食べ物も確かに存在してたがそんなもんを食べてたのは都市部のセレブだけだよ 明治にはもう牛丼だのカレーライスだのあったし、大正はさらに洋食が盛んになってたからな
今食べてるものはほとんどあったんじゃないの?
もっとも家庭ではまだまだ和食が中心だったんだろうけど >>473
だな
昭和は自分達がアジア植民地にしてたくせに
インチキ正義マンごっこの欧米の嫌がらせで経済制裁されて貧困になったけど
明治から大正はそんな大変じゃなかったしな
昭和の戦中とごっちゃになっちゃってる認識の奴らが多いわな 随筆とかで読んだけど見事に忘れてるw
でもカフェとかよく出てきたな
文豪同士以外と仲良しで飲んだり食ったりよくしてた >>199
東大生をスタンダードみたいに言わないでくれよ >>471
何でも出始めは都市部の富裕層から広まって時間の問題で全国区になる
自動車でもテレビでも携帯電話でも 保温ジャーがなかったから社食学食はほぼ冷飯だったらしい
カレーライスをぐちゃくちゃ混ぜるのはライスをあたためる為 庶民はヒエ粟良くて芋類、ご馳走は納豆、イナゴ
麺類なんかまず食えない特別なときだけ >>451
地域差があるんだよ。うちの地域じゃ蕎麦なんか滅多に食わない。
さつまいもが入るまで米、大豆、小豆が中心だったんだよ。
日本だと蕎麦じゃないと育ちにくい地域があった場所だと安価だっただけで、食えない地域だと珍しいだけだぞ?
それこそ麦しか適応出来ない地域もあったりな。
金になるのは、米だったから蕎麦が獲れる地域でも無理して米作ってただけの話。 >>484
眉毛も整って歯並びもいいし
育ち良さそう >>465
?
東京タワーは1958年竣工で大正時代には存在しないんだが。。。?? >>488
麺類は江戸時代から屋台ファーストフードだが
そりゃそもそもあまり食う習慣がなかったって地域もあるけど >>269
大正はわからんけど、江戸期は頭蓋骨骨格が違うな。
上流は比較的柔らかい食べ物なので現代人風の顔立ちで、庶民は硬いものを食べるため顎の骨格ががっちりした四角な顔になる。 >>480
つくねとかコロッケ言う人たちははいからさんが通る見てた人よな 松山名物 もぶりめしっ!
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/ i f ,.r='"-‐'つ____ だんだん!!
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,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/tips/pict/src/145/473/src_14547308.jpg?20170321065300 戦国時代の人の方が江戸時代の人より発掘調査の結果などから体格が良く背が高かったという
江戸時代肉食禁止でタンパク質が減り小柄になったのではないかと >>471
セレブってほどでもないけれど都市部限定だろうね 大正14年の東京市立の公営食堂のメニュー
定食 朝10銭、昼15銭、タ15銭
うどん 種物15銭、普通10銭
ミルク 牛乳1合7銭
パン ジャムバター付半斤8銭
コーヒー 5銭
大正13年に神田・須田町食堂がライスカレー8銭で提供開始しているっぽい 大正と言っても
北海道は明治元年から45年
大正元年から15年までで
50年も歴史ないだろ この時代からクリスマスケーキあったから
都市部は多種多様だったのでは?
田舎の実家は、この時代は海産問屋で鮭缶作ったりしてアメリカへ輸出してたw 水車が作れない→揚水が出来ない→稲作が出来ない→雑草を食っていた
元々朝鮮原始人の主食は高黍(別名モロコシ)という雑穀で、粥にして食べていた。
朝鮮に米を伝えたのは日本である。稲栽培における、灌漑技術、肥料、耕作方法などは日本の統治時代に日本から伝えられた。
当時植えられた稲はコシヒカリの先祖にあたる「亀の尾」という品種で、これは寒冷地でも逞しく育つ稲であった。
こうして日帝は朝鮮に食料を与えてしまい、朝鮮の貴重な文化を破壊してしまったのみならず、
食が豊かになったことで朝鮮原始人の大量繁殖に間接的に手を貸してしまった。
実際、韓国で白米が食べられるようになったのは、1988年のソウルオリンピックの頃からである。
それまでは一般家庭では白米に粟や麦を混ぜ食べていた。
学校へ持って行く弁当でも100%の白米のご飯は贅沢だと言うので禁止されていた。
100年前、日本人に稲作を教えてもらうまで米を食ったことの無かったグック猿
朝鮮人がアジアで唯一茶碗を持たず片ひざを立て、さじで食うのは雑穀の粥を食っていた証拠と名残。
雑穀を食って動物のような生活をしていた朝鮮人に、水車などの文明は必要なかった。
これがおまエラ朝鮮人が水車を作れなかった理由。
https://livedoor.blogimg.jp/toua2chdqn/imgs/a/9/a9aa019d.jpg
ホルホル乳出し馬鹿グック、これどーすんの?w そーいや俺の爺さん婆さんは明治生まれだったな、生きていれば110歳位か・・・ 田舎だと庭で炭火で秋刀魚焼いたり羽釜でご飯炊いたりするけど、本当に美味いよ
町中だとこれが出来ないから文明ってなんだろうなと思う
昔は町中でも火で調理してただろうに うちの婆さん伊勢の漁師の娘だったけど、伊勢海老やあわびをを食いまくってたとかなんとか
羨ましすぎる >>498
今の価値で1銭が50円ぐらいの感覚かな? >>510
公営食堂は貧民救済だから相場の半額程度
しかも大正14年て震災復旧最中だからかなり安く設定されてるはず 四国のど田舎から一高に受かって上京した菊池寛
初めての蕎麦屋で一番安い三銭の「もりかけ」を注文
出てきたのはかけうどん風体で判断した粋なオヤジ
もり?かけ?うどん?そば?と恥をかかさなかったことに気づいたのは後になってから >>516
トーストの値段はわからんけど、大正時代あんパンは2銭だったから
パンももう珍しい食い物ではなさそう 昔の食い物の方が新鮮で味が濃くて美味かったなんて只の幻想だしな 天麩羅、すき焼だよ。
父が大正生まれだったが、好きだった。 大正時代の電気普及率40%
まだかまどで飯炊いているんだよな 幼少であったので詳細には覚えてないが、今の時期だと
大根、ホウレンソウ、ヘラ菜山東菜(結球しないタイプの白菜の仲間)は生で手に入った
結局はそれらも塩蔵して使うわけだが
それと、塩蔵した夏野菜、ワラビの類、棒タラ、身欠きにしん、麦の分量が多い飯、
大豆の現物と少額の手間賃で麹屋から買う味噌醤油そんなものか
海には近かったが、10km以上離れると輸送、冷蔵の問題で
荷車で持ってきた魚の鮮度は下がる
稲刈りの頃は1匹買いしたカツオの口に荒縄を通して井戸に放りこんで
手伝いの人に振る舞ったものだが、鮮度が落ちて身が虹色に光ったカツオは
お世辞にもおいしいものではなかった
尾頭付きの赤い魚は恵比寿講で金を出し合って順番に買う決まり
その金の決済やら、利水権の問題で揉め、複数人の死人が出ると
2000w婆あの祟りってことで丸く納められたとは聞いてる >>201
1日3食はエジソンのトースターから
豆知識な🤗 自然薯に天然出しで取った自家製味噌の味噌汁の上澄みで延したとろろ
を飯に掛けて普通に食ってたんだぜ いいもの食えるようになったのは戦後しばらくしてからや >>535
それが本当に旨い物か?
素材が旨い北海道に沢山の観光客が行くぞ どこの家庭でも箱膳の前に正座して、今から見たら
とんでもない粗食を食べてた。
飯、漬物、具のない味噌汁とか。 >>41
腐ってても食った、が正しい
明らかに今の方が食には恵まれてるよ >>491
和紀ちゃんのギャグに突っ込むとは無粋だな 今でも低所得者層は炭水化物が体の資本なんだよな
国内でも海外でも 天皇の料理番で徳蔵が初めて洋食を知ったのがカツレツ
カレー、ハヤシもあるビーフシチュー、ビフテキもある
むしろ昭和18年から昭和22年くらいまで日本人は何喰ってたの?
って話なら分かる >>510
大工の日当が3円50銭、石川島造船所の日当が2円50銭、女性事務員の月給が30円程度のようだ >>530
日本人は戦国時代からかどうかは分からないけど、1日3食食べていたみたいだよ特に雑兵クラスは。
後、雑兵でも兵隊になればご飯が食べられるので見学名目で自分の子供を連れて来たりとか。 林芙美子の放浪記読めよ
戦前の日本人がわかるから
読んでわかったのは俺の食事が戦前とかわらないこと
結局、豆腐と肉やら菜っぱを煮込んだのや、チクワを煮込んだのやらチラシ寿司だのを、ドンブリでくってたんだ。とくにバナナとアンパンうって歩いてた話から
今のスーパーの店頭と一緒じゃねえかて思ったね おでんとか鍋だの貧しく伝統ある食い物だと思ったね
あれアレンジするだけで何でもありなうえに
戦前的になる。
俺は白菜だの肉だのきのこだのおでんにいれて食うね。
あんなのをドンブリにぶっかけて食ってたんだよ
貧乏な時代 おそらく大量生産品よりも手作りの豆腐だのチクワだの
アンパンだのうまかったと思うね カレーは明治の頃に海軍がヨーロッパから伝えて、当時はハイカラな喫茶店では人気のメニューだった。
S&Bが国産カレー粉を出したのが大正12年で、そこから家庭にも広まった。
https://kanda-curry.com/?page_id=222#:~:text=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89,%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%AF%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%88%9D%E9%A0%AD%E3%80%82
新宿中村屋がかくまってたインド人活動家からインド式カリーの製法を教わり、話題となるのは
もう少し先、昭和になってからの話 ビールは国産ビールの製造が盛んになってきて、各地にビアホールができた >>559
草は分かるけど、虫は無いでしょ。田んぼや沼へ行けば、ドジョウ・タニシ・ヤツメという食材も採れる。
まぁ虫を食べるとしたら、田んぼのイナゴ位の物でしょ。 まあ、爺さんか曾祖父が生きた時代で極端に昔でもないからな >>562
水田や程よい湖沼がそんな何処でもあるってわけでもないでしょ
土木技術が発展して河川の取水堰や水路網なんかが田舎にも作られる余裕が出てきたのは昭和になってからが主 >>564
当時、東北地方で記録的な冷害が発生して米不足に。
で、それを聞き付けた金沢の商人が米を買い占めて値を吊り上げたため、
これにブチキレた地元の主婦が徒党を組んで乗り込んだのが米騒動の始まり… 実はインスタント食品もあった。
…お汁粉だけどw
※懐中汁粉のこと。インスタントラーメンができたのは昭和の中頃になってから ドジョウは、結構捕まえるの大変だぞ?トラップ作らないととれないからな。
うちの地元なんか昔からある用水路探すと、当時使ってたトラップがたまに出て来てたからな。
醤油は、貴重だから頻繁に使えなかったし
大半の家庭が味噌と塩でしか味付けできなかった。
砂糖も貴重だから年に数える程しか手に入らなくて、昔の習慣で死んだ婆さんが毎年おはぎを作ってくれてた。 大正六年、石川県で日本初のワライタケ中毒事例があった。
30代女性が、全裸になって笑いながらエア三味線をやったり
70代女性が「自分の作った料理で皆に迷惑をかけて申し訳ない」と、
一晩中繰り返し謝っていたそうな。 きっちゃてんでウエハーとか
いいもん食ってるイメージあるな! 大根の漬物にドクターペッパーみたいな甘い飲み物が流行っていた >>582
あるかい んなもん!
文明開化の音を鳴らしてやるわ!
_ /- イ、_
__ /: : : : : : : : : : : ( ←582
〈〈〈〈 ヽ /: : : : ::;:;: ;: ;:;: ; : : : ::ゝ
〈⊃ } {:: : : :ノ --‐' 、_\: : ::}
∩___∩ | | {:: : :ノ ,_;:;:;ノ、 ェェ ヾ: :::}
| ノ ヽ ! ! 、 l: :ノ /二―-、 |: ::ノ ドナルド
/ ● ● | / ,,・_ | //  ̄7/ /::ノ
| ( _●_) ミ/ , ’,∴ ・ ¨ 〉(_二─-┘{/
彡、 |∪| / 、・∵ ’ /、//|  ̄ ̄ヽ
/ __ ヽノ / / // |//\ 〉
(___) / / // /\ / 田舎と都市部じゃまだ差が激しかったろうしなあ
うちの先祖はろくなもん食って無かったろうな 明治期のレシピ通りに
料理してみたら素朴な味で
びっくりしたな 現代と明治大正期の食事の最大の違いは
調味料の発達
同じ料理でも味の深みが違う
化学調味料は偉大だよ >>585
ばーちゃんの家にあった
かなり昔の婦人雑誌のカレーレシピをやったんだが
カレー粉小麦粉を水で溶かして
にんじんじゃがいも玉ねぎ豚肉を水から煮て
煮立ったらカレー粉小麦粉溶かしたの入れて
塩で味整えて
盛り付けたら醤油ぶっかけろって書いてた
・・・これが普通にうまかった 野性味あふれる不味い野菜が俺の子供のときと比較しても見なくなったからとんでもなく不味かったのかね。 今の方が食事は美味しいんだろうが、食事を美味しく感じやすいのは昔の人の方だろうな
現代人は飽食に慣れすぎなんだよ >>559
戦中の頃とごっちゃになってたアホ
モガファッションだの流行ってた頃だぞ、そんな貧困じゃねーよ
田舎だって自分達で生産してるんだから 都会の金持ちだったら今と変わらないだろ
レベルは違うだろうけど >>559
大正の経済状況は時期による。
大正初期は日露戦争の影響が残っていて餓死や娘を売る家が続出するなどの悲惨な状況だった。>>559さんのイメージがこれ。
ところが大正3年から欧州で第一次世界大戦が始まると、当初こそ経済混乱があったものの生産拠点として機能した日本は戦争が進むに連れて好景気に沸く。 ○○町誌とか××村史とかの自治体史を図書館で読んでみると良いよ
民俗編とか昔の暮らしとかいう内容が載ってるから 当時は今のファーストフード店的な位置にミルクホールがあった 大正時代に台湾のプランテーションで砂糖の大量生産が始まった結果、
一人あたりの砂糖年間消費量が大正元年に3.82kgだったのが12.78kgで3倍以上に増えてる。
ちなみに2018年は年間16.5kgでほとんど変わってない。 >>602
信長の時代には砂糖が無かったと聞いて驚いた事がある。
金平糖(輸入)とか、砂糖以外の甘味料はあった模様。 昭和ですら田舎の川に行けばどじょうにうなぎにナマズと食える魚が山ほどあった
老いた牛とかも村単位で分けて食ってたはずだし極端に酷い食生活ではないはず冷蔵保存出来ないから良いものも食えてないけど 精製する砂糖はちょっと無理か
デンプン質をどうにか分解すれば糖が取り出せるので、水飴とかでね
平安貴族が飲んでた酒はほぼ味醂みたいなものだとか >>604
狩猟採集で普段の食生活が充実するわけないやろ >>607
底辺と比べれば昔の方が良い食生活送っていた可能性さえある >>605
雑穀を水で発酵させて飴や甘味料作ってた。 >>567
醤油が貴重?何故味噌と塩は貴重じゃなかったの? >>616
その新潟県こういう事言ってるアホだから真に受けない方がいいぞ
貨幣なんて江戸時代以前当たり前に使われてるし
大正のカレーの値段なんて、5〜8銭で蕎麦と大差ない値段だったのにな、あんパンは2銭
285 セドナ(新潟県) [MX] sage 2020/12/11(金) 22:42:52.08 ID:fhqBc84t0
>>280
戦時中まで、一般人が貨幣の価値すら田舎なんか殆どわからなかったんだぞ?
一般人は、カレーやコロッケですら贅沢だったんだから
肉や魚が食えたのは、一部だけ。 >>1
当時はむしろ中流階級以上は今より豊かだったんじゃね >>1
水車が作れない→揚水が出来ない→稲作が出来ない→雑草を食っていた
元々朝鮮原始人の主食は高黍(別名モロコシ)という雑穀で、粥にして食べていた。
朝鮮に米を伝えたのは日本である。稲栽培における、灌漑技術、肥料、耕作方法などは日本の統治時代に日本から伝えられた。
当時植えられた稲はコシヒカリの先祖にあたる「亀の尾」という品種で、これは寒冷地でも逞しく育つ稲であった。
こうして日帝は朝鮮に食料を与えてしまい、朝鮮の貴重な文化を破壊してしまったのみならず、
食が豊かになったことで朝鮮原始人の大量繁殖に間接的に手を貸してしまった。
実際、韓国で白米が食べられるようになったのは、1988年のソウルオリンピックの頃からである。
それまでは一般家庭では白米に粟や麦を混ぜ食べていた。
学校へ持って行く弁当でも100%の白米のご飯は贅沢だと言うので禁止されていた。
100年前、日本人に稲作を教えてもらうまで米を食ったことの無かったグック猿
朝鮮人がアジアで唯一茶碗を持たず片ひざを立て、さじで食うのは雑穀の粥を食っていた証拠と名残。
雑穀を食って動物のような生活をしていた朝鮮人に、水車などの文明は必要なかった。
これがおまエラ朝鮮人が水車を作れなかった理由。
http://livedoor.blogimg.jp/toua2chdqn/imgs/a/9/a9aa019d.jpg
ホルホル乳出し馬鹿グック、これどーすんの?w >>579
なかなかだな
酒類のなかのドムってのは何だろ >>579
今の日本人の好きな食い物と、だいたい同じ。 >>622
今でも売ってるからベネディクティン DOMでぐぐるとでてくる >>618
見た感じ、ひしお味噌じゃないかと
溶く味噌じゃなくて、そのまま食うやつだわ アイスクリイム
サイダア
ミルクキヤラメル
チヨコレイト
チウインガム トンキンの人って明治とか大正時代の話になるとトーンさがるよね >>631
お前の言ってる事全く意味わからん
つーかこんなスレでまでトンキンガーとかいいよ >>621
バカチョン発狂wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>616
江戸前期の蕎麦って醤油が高級だったんで味噌で食べてたって歴史があるよ。
んで、蕎麦つゆがポピュラーになった後もチョコっとしか出てこないんで、チョい付けが粋になったと言うねw
量産の問題かね? >>297
物々交換してたと
貨幣価値を知らないは全く違う
だいたい納税は現金だろ
医者にかかるにも金はかかる
街で買い物するにも金が必要
現代でクルマを運転したこと無い人は一定数いるがクルマを知らないものはほとんどいない(赤ん坊くらいか?) 味噌のついでに出てくるような副産物のタマリ醤油だと、それを目的として生産するには歩留まりが悪すぎらぁな 大正より後だけど昭和15、6年ころ博多に住んでた親が父親(俺の爺さん)とよく中華そば食べに行ったけど醤油味ばかりで豚骨は一度も食べたことがないと言っていた >>1
600年前
日本=稲作で豊富な食料
朝鮮=未開の原始人(主食は雑穀)、 ・日本の水車が凄いと報告
400年前
日本=鉄砲40万丁 ヨーロッパの本数を超え世界最多
朝鮮=未開の原始人(主食は雑穀) ・水車の製作を試みるが断念。
200年前
日本=からくり人形、万年時計。反射望遠鏡。北斎や広重に歌麿まで
朝鮮=未開の乳出し原始人(主食は雑穀) ・水車は作れず
150年前
日本=鉄道開業 創業200年以上の老舗企業が世界最多
朝鮮=未開の乳出し原始人(主食は雑穀) ・水車より糞が食いたい
100年前
日本=日清、日露、WW1連勝。世界初の空母(戦闘機)
朝鮮=乳出し原始人(主食は雑穀) ・日本人に初めて稲作と水車を指導される
50年前
日本=GDP世界第二位。世界初の高速鉄道
朝鮮=乳出し原始人(主食は雑穀/米) ・日本人に稲作を教えてもらい人口が倍増
現在
日本=ノーベル賞連発、世界第6位
朝鮮=売春産業がGDPの5%(主食は雑穀/米) ・日本の産業文化芸能を丸パクリ、ホワイト国除外で終焉に。
100年前まで、日本人に稲作を教えてもらうまで銀シャリを食ったことの無かったグック猿
おまエラが茶碗を持たず、さじで食うのは雑穀の粥を食っていた証拠と名残。
雑穀を食って動物のような生活をしていた朝鮮人に、水車などの文明は必要なかった。
ホルホル乳出し馬鹿グック、これどーすんの?w うちの田舎は山奥で平成の初めくらいまで生魚なんて食ったことなかったって爺様が言ってた
流通と冷凍技術の発達がなければ今でも野菜しか食ってないんだろな 大正ロマンって大韓ロマン文化のパクリなんだけどね
大正時代は大韓の先進的で自由な文化が日本に流入した時代
韓流が大人気で韓人の文化をパクった時代 >>649
600年前
日本=稲作で豊富な食料
朝鮮=未開の原始人(主食は雑穀)、 ・日本の水車が凄いと報告
400年前
日本=鉄砲40万丁 ヨーロッパの本数を超え世界最多
朝鮮=未開の原始人(主食は雑穀) ・水車の製作を試みるが断念。
200年前
日本=からくり人形、万年時計。反射望遠鏡。北斎や広重に歌麿まで
朝鮮=未開の乳出し原始人(主食は雑穀) ・水車は作れず
150年前
日本=鉄道開業 創業200年以上の老舗企業が世界最多
朝鮮=未開の乳出し原始人(主食は雑穀) ・水車より糞が食いたい
100年前
日本=日清、日露、WW1連勝。世界初の空母(戦闘機)
朝鮮=乳出し原始人(主食は雑穀) ・日本人に初めて稲作と水車を指導される
50年前
日本=GDP世界第二位。世界初の高速鉄道
朝鮮=乳出し原始人(主食は雑穀/米) ・日本人に稲作を教えてもらい人口が倍増
現在
日本=ノーベル賞連発、世界第6位
朝鮮=売春産業がGDPの5%(主食は雑穀/米) ・日本の産業文化芸能を丸パクリ、ホワイト国除外で終焉に。
100年前まで、日本人に稲作を教えてもらうまで銀シャリを食ったことの無かったグック猿
おまエラが茶碗を持たず、さじで食うのは雑穀の粥を食っていた証拠と名残。
雑穀を食って動物のような生活をしていた朝鮮猿に、水車などの文明は必要なかった。
http://livedoor.blogimg.jp/toua2chdqn/imgs/a/9/a9aa019d.jpg
ホルホル乳出し馬鹿グック、これどーすんの?w >>654
うわっ、この馬鹿効いちゃってるよwww マジで効いてるwwww >>1
なぜ世界四大文明の中に世界最古の日本の縄文時代が入っていないのか?
縄文時代 紀元前1万4000年前から
こいつら最近じゃねーかwww
↓
メソポタミア文明 紀元前6000年前から紀元前5500年前
エジプト文明 紀元前4200年前から紀元前3125年前
インダス文明 紀元前2600年前から紀元前1800年前
黄河文明 紀元前4800年前から紀元前2300年前
答え
1.日本人は自己主張せずほくそ笑むのが好きな習性がある。
2.世界史など、各国言ったもの勝ちな所が見て取れる。 >>199
明治〜昭和初期の
東京の大学生はホモまみれってマジ? >>660
なぜ世界四大文明の中に世界最古の日本の縄文時代が入っていないのか?
縄文時代 紀元前1万4000年前から
縄の文様でお馴染みの土器で煮炊きしていた。
こいつら最近じゃねーかwww
↓
メソポタミア文明 紀元前6000年前から紀元前5500年前
エジプト文明 紀元前4200年前から紀元前3125年前
インダス文明 紀元前2600年前から紀元前1800年前
黄河文明 紀元前4800年前から紀元前2300年前
答え
1.日本人は自己主張せずほくそ笑むのが好きな習性がある。
2.世界史など、各国言ったもの勝ちな所が見て取れる。
100年前まで、日本人に稲作を教えてもらうまで銀シャリを食ったことの無かったグック猿
おまエラが茶碗を持たず、さじで食うのは雑穀の粥を食っていた証拠と名残。
雑穀を食って動物のような生活をしていた朝鮮猿に、水車などの文明は必要なかった。
http://livedoor.blogimg.jp/toua2chdqn/imgs/a/9/a9aa019d.jpg
ホルホル乳出し馬鹿グック、これどーすんの?w >>658
まぁ日本は男色文化もあったからホモがいても驚かんな
欧米に合わせるために廃れていったけど
ザビエルなんて、日本の男色文化を許すことができない罪悪と批判してたそうだな、自分達は少年レイプしてるくせに
そして散々同性愛迫害しまくってた欧米が、今度は極端に同性愛者に媚びまくって調子に乗らせて世界めちゃくちゃにしてるというね >>658
本当のホモだったかは知らないけど
べたべたしてたらしく
外人の教授が気持ち悪がって注意したみたいなことはどっかで読んだわ >>639
味噌は自家製がそこまで難しくないけど醤油はそうはいかないからね
それと大豆も決して安くなかったみたいで納豆や豆腐が安く庶民にも食えるようになったのは大豆を満洲から仕入れるようになってからだそうな 戦前までは都会と田舎の生活環境は決定的に今とは違ってた
田舎は貧しかった現金収入が無かったからね それは食生活にも反映されてる >>655
豚だ 日本人は犬など食わん 豚でも日本人は食べてなかった
食べるのは鳥だ 四つ足は食べてはいけないという風潮だった
食べてたのはまあ都会だわな 田舎では食べていない 明治大正の頃の地方の暮らしなんて江戸時代の頃と大差なかったという話だ 犬食ってたのは戦中戦後か
末期ともなれば家庭からの供出もあったし
毛皮に肉にと姿を変えて… 日本人は基本肉より魚だ 農耕民族だからな 肉など食わなかった
だから体格が貧弱だろ 肉を食わないから 体格は肉食じゃない証しなんだよ わかったか >>672
戦中戦後は例外と考えるべき。なんせ極度のインフレと食料不足でカラス・雀・鳩等食べられそうな物は全て食べていた時代。 >>649
これ世界では有名だよね
大韓の先進的で自由な文化に影響された時代が大正時代
その後の小倭時代は暗黒の時代だしね 米ばっか食ってたんだよ。
戦時中に米の配給が二合三勺に減らされて怒ってんだから。 >>674
時代によって全国的では無かったと言うならそうだが
肉など食わなかったとか馬鹿過ぎるぞ
大昔から食ってたし一番落ち込んだであろう江戸時代でも将軍さえ食ってた 昔は豚も卵も高級食材。野菜を調理したベジタリアンフードに味噌・醤油の味付け
良くて川魚や野獣野鳥の刺身やテラヤキ。つまりいきなり饅頭系のお菓子やら餅菓子
さらに、自家製のうどん・そうめん・たこ焼き・お好み焼きの類、後は何でもOK鍋
の煮込み料理。他は果実にお土産に酒くらい。だから毎日自家製うどん屋でお祭り時
にお稲荷やら握り飯・卵料理の自家製すし屋状態、月1回は何かしら行事でお祭り。 昭和初期の日本人は米地方で一日3合、都市部で3合半の米を食ってた。
つまり1500kcal〜1800kcalを米で摂取していた計算。 頭行かれたチョンが話の腰を折るけど何とかならんかのう。 >>674
江戸明治昭和初期と大正は違うよ。
大正5年を過ぎると第一次世界大戦景気で市場は活気を帯びる。
とんかつ、カレー、オムライス、なぞが流行った時代。 >>685
でも江戸時代に卵百珍ってレシピ本がベストセラーになってるんだよな
卵高いのになんで売れたんだろ
まぁ家でニワトリ飼ってる人達はタダみたいなもんか >>567
昔は亡くなった方が甦るのが習慣だったのか 国民の8割が農民の時代だろ、都市部以外はみんな自分で作ってたろうよ
米と野菜が中心で普通に一汁一菜、晴れの日には鶏を潰して御馳走ぐらいじゃねえの 大正時代は韓流が大流行したんだよね
チョゴリのパクリの袴を女学生が着ていたし
今でも女子大生が卒業式に着てるよね 漱石先生は、トチメンボー
江戸っ子は、もんじゃや、たこ焼きは、食っていなかったノダ! もう嘘ばっかいうのやめてくれ。だからチョンて言われるんだぞ。 >>688
みんなに嫌われている先輩が
ぼっちなので見るに見かねて誘った 元来狩猟が盛んだったのを潰したのが仏教
仏凶がその先の日本を駄目にしたとも言える >>702
生類憐れみの令じゃね?
発令までは農民が(狩猟目的で)銃を持つ事が許可されていた。 >>689
宗教にはまって回りの人から
そんな食事してたら体壊すって言われてた
そしてそのとおり死んだ
特殊な例だろ 大正時代になって豊かな大韓大陸から米や野菜や肉や魚を輸入出来るようになって日本人は初めて白米や味噌や醤油が一般家庭にも普及したんだよね >>712
600年前
日本=稲作で豊富な食料
朝鮮=未開の原始人(主食は雑穀)、 ・日本の水車が凄いと報告
400年前
日本=鉄砲40万丁 ヨーロッパの本数を超え世界最多
朝鮮=未開の原始人(主食は雑穀) ・水車の製作を試みるが断念。
200年前
日本=からくり人形、万年時計。反射望遠鏡。北斎や広重に歌麿まで
朝鮮=未開の乳出し原始人(主食は雑穀) ・水車は作れず
150年前
日本=鉄道開業 創業200年以上の老舗企業が世界最多
朝鮮=未開の乳出し原始人(主食は雑穀) ・水車より糞が食いたい
100年前
日本=日清、日露、WW1連勝。世界初の空母(戦闘機)
朝鮮=乳出し原始人(主食は雑穀) ・日本人に初めて稲作と水車を指導される
50年前
日本=GDP世界第二位。世界初の高速鉄道
朝鮮=乳出し原始人(主食は雑穀/米) ・日本人に稲作を教えてもらい人口が倍増
現在
日本=ノーベル賞連発、世界第6位
朝鮮=売春産業がGDPの5%(主食は雑穀/米) ・日本の産業文化芸能を丸パクリ、ホワイト国除外で終焉に。
100年前まで、日本人に稲作を教えてもらうまで銀シャリを食ったことの無かったグック猿
おまエラが茶碗を持たず、さじで食うのは雑穀の粥を食っていた証拠と名残。
雑穀を食って動物のような生活をしていた朝鮮猿に、水車などの文明は必要なかった。
http://livedoor.blogimg.jp/toua2chdqn/imgs/a/9/a9aa019d.jpg
ホルホル乳出し馬鹿グック、これどーすんの?w >>712
水車が作れない→揚水が出来ない→稲作が出来ない→雑草を食っていた
元々朝鮮原始人の主食は高黍(別名モロコシ)という雑穀で、粥にして食べていた。
朝鮮に米を伝えたのは日本である。稲栽培における、灌漑技術、肥料、耕作方法などは日本の統治時代に日本から伝えられた。
当時植えられた稲はコシヒカリの先祖にあたる「亀の尾」という品種で、これは寒冷地でも逞しく育つ稲であった。
こうして日帝は朝鮮に食料を与えてしまい、朝鮮の貴重な文化を破壊してしまったのみならず、
食が豊かになったことで朝鮮原始人の大量繁殖に間接的に手を貸してしまった。
実際、韓国で白米が食べられるようになったのは、1988年のソウルオリンピックの頃からである。
それまでは一般家庭では白米に粟や麦を混ぜ食べていた。
学校へ持って行く弁当でも100%の白米のご飯は贅沢だと言うので禁止されていた。
100年前まで日本人に稲作を教えてもらうまで銀シャリを食ったことの無かったグック猿
朝鮮人がアジアで唯一茶碗を持たず片ひざを立て、さじで食うのは雑穀の粥を食っていた証拠と名残。
雑穀を食って動物のような生活をしていた朝鮮人に、水車などの文明は必要なかった。
これがおまエラ朝鮮人が水車を作れなかった理由。
http://livedoor.blogimg.jp/toua2chdqn/imgs/a/9/a9aa019d.jpg
ホルホル乳出し馬鹿グック、これどーすんの?w
. ∧∞∧
< *`∀´> ウェ〜♪ ハッハッハ 〜♪
⊂) ___) ___)つ
//ハ\ 注文の多い料理店を書いて情景想像出来る人がきっと当時多かったんだろうという事考えると洋食は結構当たり前なんかね >>712
乳出しチョゴリ
18世紀以降、朝鮮の女性向け民族衣装「チマチョゴリ」に変化が起きた。この頃から「長男を生んだ女性は乳房を露出する」ことが習慣化したのだ。
「乳出しチョゴリ」である。
当時の朝鮮の男尊女卑的な思想では「長男を生まない女性に価値はない」との考えが支配的なためかこのような風習が広まったのだ。
当時の朝鮮人の女性はこの衣装を「長男を生んで社会的義務を果たした」として誇りに思っていたのである。
この習慣は日帝により禁止されたが、貴重な朝鮮文化として1960年代まで続いた。
こうして日帝は朝鮮に恥の概念を教えてしまい、朝鮮の貴重な文化を破壊してしまったのみならず、未開の原始人の意識を近代化させたのである。
しかし、現代の朝鮮人の大半がこの習慣を忘れてしまっている。または、相当都合が悪いのか知らないふりをする。
わずか50年前まで続いた習慣にも関わらずである。
50年前の習慣すら忘れてしまう朝鮮人の歴史観は嘘に満ちている。
ありもしないでっち上げの70年前の慰安婦問題で騒ぎ立て、50年前の習慣すら知らぬふり。
それが、乳出しチョゴリの糞食いトンスル土人グック朝鮮ホルホル試し腹火病ゴキブリ白丁嘗糞DNA。
ホルホル乳出し馬鹿グック、これどーすんの?w
. ∧∞∧
< *`∀´> ウェ〜♪ ハッハッハ 〜♪
⊂) ___) ___)つ
//ハ\ 「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。
それともサラドはお嫌きらいですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげましょうか。
とにかくはやくいらっしゃい。」 日本人が大韓文化に憧れている時代だよね
古代から近代まで大韓に憧れ続けたのが日本人だし
現代でも若者は大韓に憧れ続けてるからね >>721
んで、大韓文化では何を食べていたの?日本が憧れる位だから、かなり贅沢な食生活を送っていたんでしょ? >>721
日韓併合が明治43年なので、この世に韓国がなかった時期だね。 >>721
【ヘル朝鮮】韓国人の5割「韓国人に生まれたくない」
まず、生まれ変わってもまた大韓民国に生まれたいかどうかを問う質問に「そうだ」と回答したのは3人中1人(33.6%)にとどまった。
半数に近い回答者は「もう一度大韓民国に生まれたいという考えがない」(47.6%)と答え、熾烈な韓国社会に対する不満を表した。
だが、2015年と2016年に実施した同一の調査と比較すると、「もう一度大韓民国に生まれたい」という回答が増えて「生まれたくない」という回答が少なくなり、
以前と比べると国に対する不信がやや和らいだという解釈を可能にした。
https://japanese.joins.com/article/360/251360.html?servcode=400
ゲラゲラwwww >>721
じゃあ、なぜ在日朝鮮人はその憧れの国に帰国しないの?
はい論破
じゃあ、なぜ日本人に成りすますの?
はい論破 >>722
今の日本人が食べてる物だぞ?
豊かな大陸の食文化に憧れてパクったのが倭食だからね >>41
なんでもかんでも塩漬けにするしかなかった昔がなんだって? 仏教云々より農民は家族同様に牛と暮らしてたから牛食えないだけで
町人とかは普通に牛食ってそう >>727
海沿いの刺身は旨かったんでないかね?
寿司はオニギリらしいけどw >>728
明治後期に貧乏大学生だった谷崎潤一郎は、金持ちの友人に牛鍋をタカって
ばかりいたしな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています