そもそも江戸時代には江戸に鮭なんて殆どいなかっただろうし
飛鳥時代の頃には本州各地で鮭が水揚げされてて大和朝廷がとても重要な魚として各地に献納というか納税させてた
皇室御用達を村上は売り文句にしてるけど昔は本州各地や九州の一部まで鮭が獲れてて各地から朝廷に献上されてた
公家や皇室が大好きで転売価格も高かく貴重な財源でもあった鮭の加工品をちゃんと全国から年貢の様に治めさせる必要性があって名称や漢字を統一する必要があった
当時鮭は須介(すけ)とか佐介(すけ)と呼ばれるなど各地で呼び名も漢字も違ったから
そのため漢字や名称が整備され中国とは違う魚へんの漢字運用が制定されその第一歩として鮭がサケとして制定された
それくらい高貴で希少な魚が鮭
江戸前のキスとかこはだとかの小魚をありがたがる風習よりずっと歴史が古い

逆に言えば蝦夷は鮭や大鷲がいたり砂金があったりしたからこそ太古から何度も朝廷に攻め立てられた
飛鳥時代に阿倍比羅夫が北海道に遠征して蝦夷・粛慎征討を行ったのも反対勢力の粛清や領土拡大と言う意味合いだけじゃなく、
むしろ毛皮やワシの羽や鮭や砂金が欲しかったのがメインだろう