表現の不自由展の参加作家として、そしてReFreedom_Aichiのメンバーとして、あらゆる取り組みに関わってきた。
ロビイングしたり、ステイトメントを作文したり、右翼や左翼の方々ともよく対話した。「社会と美術における」とか
「表現の自由は」とか「知る権利を」とか、その都度何度も語ってきた。胡散臭い。何でこんな外道が
民主主義をレペゼンしてるのか。というかどれだけ民主主義のレベルが下がったら、そんなイリュージョンが
起こるのか。というぐらいには瀬戸際にあり突端化した社会を危惧したからこうなったわけで。
その成り行きも説明も実に面倒臭い。

2時間お茶を共にした電凸の指揮官は、右翼ながらに人権派であった。名古屋のアムネスティ・グループの
元会長だそう。僕らが人柄の良さを自己アピールするたびに、「君らに同情すると指揮できんようになるぅ」と
困ったフリをして笑わせる。会場を毎日パトロールする学ランに日の丸の腕章をした中年男性も、
屋外での抗議活動と館内でのお道化のギャップが周知された、何なら会場で一番楽しげな客だった。
それがSNSでは豹変する。独特だった“個”は埋没し、定型文によるヘイトと熱いメッセージが世界を煽る。
「そっちの方が本当の姿かもしれない」とツイッターを見た友人に言われた時に、だとしたら
そんなAI化した本当の彼らよりも、嘘でも人間として振る舞う彼らに理解されたい、と叶わぬ希望を
抱いたりもした。

公共はもうウンザリだ。何が終わったことになってるんだ。急に頭に喜怒哀楽がまとめてよぎり、
僕には周りが一瞬馬鹿の群れに見えた。仲間とともに「全ての展示再開」を成し遂げゴールを迎えつつも、
炎上への対応を続けていた僕は、その大団円の中で笑いながら、しかしその多幸感を疎外した。
同時に、一番の馬鹿はそんな自分であることも激しく自覚され、あまりに情けなく、iPhoneで嬉々として
その騒ぎを撮るクソな自分に慄いていた。そんなコントロールできない感情を他所に、「こういう時代に
アートをやるのだ」という底知れぬ認識だけは正気となって押し寄せてくる。責任として、未知の自由への
誘惑として、目の前の現実を「しょうがない」と許容させる説得力として。それは僕の心の奥底に、
これまで以上にアーティストとして生きること、そして云わば「公の時代」のアーティストとして、
死ぬことまでを含んだ新たな覚悟を突き付けていた。


新潮 2020年2月号
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