無残……日本人虐殺の「通州事件」はなぜ起こってしまったのか?――生き残った記者が激白する地獄の現場
2019/7/28

初出:文藝春秋臨時増刊(1955年刊)

(中略)
さて、それではこの惨劇を起した通州事件の原因、真相とは何であろう。
友軍の間柄だった冀東保安隊は一夜にして寝返り、ところもあろうに
一番安全地帯だと信じられた通州に、日本人虐殺事件を起したのだ。
そこで当時おきていた数多の前後の事情のうち、第一にあげねばならないものは、
冀東保安隊幹部訓練所爆撃事件である。これが日本軍の手でやられたと云うのだから、
驚いたものである。これが少くとも直接の原因だったといってよい。

事件前々日の、27日、日本軍が通州の宋哲元軍兵舎を攻撃した。
その時一機の日本軍飛行機は、どうしたものか、宗哲元軍兵営でなく、冀東兵営を爆撃した。
冀東兵営には冀東政府の旗、五色旗がひるがえっていた。

びっくりした冀東兵営はさらに標識をかかげて注意をうながしたがそれにもかかわらず、
爆弾はそれからも落されたのだ。死傷者も出た。憤激し切った保安隊幹部が
すぐに当時の陸軍特務機関長だった細木中佐に抗議したのはいうまでもない。
慌てたのは同中佐と殷汝耕冀東政務長官である。保安隊の幹部連はそのころにはもう、
いや気がさしてちりぢりに飛び出していたので殷長官がこれを一カ所に呼び集めるのに
一苦労だったと云う。2人は百方言葉をつくして釈明につとめたが
結局日本軍の誤爆によるものというその一本槍のほか、説明のしようもない出来ごとだった。
あとで聞いたところでは、この日本軍の飛行機は、天津や北京から来たものではなくて、
朝鮮から飛んで来たものだともいわれた。

地上戦闘と飛行機の連絡がまずかったものか、出来なかったものか、
それとも冀東兵営と知りながら狙ったものなのか、
その辺のところまで来ると当時の状況については、ついにその後も分らずじまいにされている。

ともかくこの爆撃事件が冀東保安隊の寝返りにふんぎりを与えたことは事実のようだ。
この爆撃事件がなかったならば通州事件の惨劇は生れなかったということと、
この爆撃事件を起したものが通州事件の張本人だという人もいる。
(後略)
https://bunshun.jp/articles/-/13055