「がめつい」という言葉がある。今はたいていの国語辞典にのっている。だが、旧大日本帝国時代の辞書に、この語彙を収録したものは、
ひとつもない。これが世にうかびあがったのは、二十世紀もなかばをすぎてからである。

 事情通には、わざわざつげる必要もないだろう。この言葉は、芸術座の『がめつい奴』(一九五九年)という芝居があたって、ひろがった。
たいへんな人気興行であり、その公演はテレビでも、しばしば中継されている。のみならず、すぐ映画化もされた。二度ほど、テレビドラマになっている。
おかげで、この表題も、ひろく世間へ浸透していった。

 台本を書いたのは、劇作家の菊田一夫である。また、「がめつい」という言葉じたいも、菊田の造語であった。それより前に、こんな言いまわしは存在しない。

 菊田が、どうやって「がめつい」の四文字をひねりだしたのかについては、諸説ある。私は、大阪の郷土史にくわしい牧村史陽がしめした、
つぎのような説明を信頼している。

 「ごまかす意味のガメルに、ツイをつけて形容詞としたもの…菊田一夫が『がめつい奴』で造語したのが流行語となった。本来の大阪ことばではない」
(『大阪ことば事典』一九七九年)

 『がめつい奴』は、一九五〇年代なかばごろの大阪、釜ケ崎を舞台とする。「釜ケ谷荘」という簡易旅館にうごめく群像を、えがいている。
旅館がたっている土地の、その権利書をめぐって、強欲な人びとが暗闘をくりひろげる。それこそ、すきあらば「ガメ」ようとする人物たちが
登場するドラマに、ほかならない。

 もちろん、セリフはみな釜ケ崎あたりの大阪弁になっている。銭ゲバと言っていい登場人物が、大阪弁でやりとりをする芝居である。
その興行的な成功も、「がめつい」を大阪人の属性とすることに、一役買ったろう。

 一九五〇年代以後、より大きな富をもとめた経済人たちは、東京へ進出していった。計算高い彼らの大阪口調も、「がめつい」という大阪像を、
首都で補強したかもしれない。やはり、あいつらは「がめつい」、と。

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https://www.sankei.com/west/news/180422/wst1804220006-n1.html