今年は日本が近代国家への道を進む起点となった明治維新から150年にあたる年だ。同時に、会津と長州という2つ
の地域の間で遺恨が生まれてから150年でもある。そして、現在に至るまで「和解」に至っていない。

 中国メディア・東方網は11日、「1868年、日本の2つの都市が敵どうしとなった 和解できるのは2108年かもしれない」とする記事を掲載した。

 記事は、「1868年から69年の戊辰戦争は、日本の歴史のターニングポイントになった。徳川幕府が打倒され、明治維
新が起こった。戊辰戦争中、福島の会津藩は幕府軍として徹底抗戦を続けた。長州藩を主体とする新政府軍は多くの時間を費やし、ようやく鶴ヶ城に攻め込んだ」と紹介した。

 そのうえで「なかなか降伏しなかった会津藩に対して、新政府軍はあらゆる手段を用いて揺さぶりをかけた。その凄惨さも
あり、戊辰戦争に敗れて賊軍のレッテルを貼られた会津の人びとは長州人に対して強い恨みを抱くようになったのである」と説明している。

 さらに、「その恨みは100年以上が経過しても消えることはなかった。1986年に山口県萩市の手工業者協
会が会津若松市に対し、120年が経つのを機に恨みを弱め、友好都市関係を結ぼうと提案した。しかし、会津側は一言
で拒絶した。これは、さらに120年が経っても解決しないかもしれ
ない。話によれば、今でも長州出身の政治家が会津に赴く時には、先祖に代わって謝罪することが求められると
いう」と伝えた。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)
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