2024年4月9日 5時10分スポーツ報知 # 巨人# 巨人90周年

 巨人球団創設90周年記念の連続インタビュー「G九十年かく語りき」の第4回は、V9時代に遊撃のレギュラーを張り、鉄壁の内野陣を形成した黒江透修さん(85)の「喜怒哀楽」だ。
巨人の緻密(ちみつ)なチームプレーを支え、勝負強い打撃も光った名脇役。指導者としても数々のチームを育て上げた“究極のナンバー2”が、巨人時代の記憶をたどった。(取材・構成=湯浅佳典、太田倫)


 鹿児島の実家が精米所をやっていて、僕も小さい頃からよく手伝いをしていた。小学校5年生の時だった。稲を機械へ入れるために本当は箸を使わなければいけないのに、つい手で作業していた。
そしたら、指をローラーに突っ込んでしまったんだ。右手人さし指の第1関節がちぎれて、残ったのは1ミリほど。血まみれで「お父さん、指がなくなった!」と叫んだね。

 元々指が短いうえに、中指も皮膚がぐちゃぐちゃ。もう野球ができないと思った。ただ、少したったら人さし指の爪が伸びてきた。根元のところがちょっと残っていたみたいでね。大好きな野球をやるために、床や机みたいな硬いものをたたき続けた。皮膚を強くしようと思って…。

 プロ入りしてからも、変形した指では、なかなかいい球を投げられない。元々肩は強かったけど、3本指で投げたり、押し出すように投げてみたり、いろいろ試行錯誤をした。
指先を強くしたつもりが、それでも破れちゃうんだよね。チームメートに自分からは言わないようにしていたけど、ボールに血が付いているのをワンちゃんに見つけられたこともあった。

 自分の責任だし、最初は恥ずかしかった。悩んだり、苦しんだ。そんな指を他人に見られて、苦労してると思われるのも嫌だったから、飲み屋に行ったりしても、手は見せないようにテーブルの下に隠したりしていた。

 でも、そのうちに「よくその指でやってきたな」って周りから認められるようになってきた。ダイエーで監督になったワンちゃんからも「その指を若い選手に見せてやってよ」と言われてね。
努力で克服した見本を示そうとしてくれたんだと思う。いろんな選手が「見せてください」と来るようになった。今でもボールを投げると皮がむけることがある。ずっと付き合ってきたこの指は、僕の誇りですよ。

https://hochi.news/articles/20240408-OHT1T51192.html?page=1

 ◆黒江 透修(くろえ・ゆきのぶ)1938年12月12日、鹿児島・姶良町(現姶良市)生まれ。85歳。鹿児島高から杵島炭鉱、日炭高松、立正佼成会を経て64年に巨人に入団。68年にはベストナインにも輝いた。
74年に現役を引退した後は、巨人、中日、西武、ダイエーなどでコーチや2軍監督を歴任。現役時代の通算成績は1135試合に出場して3478打数923安打、57本塁打、371打点、打率2割6分5厘。右投右打。