不可思議なこのいきさつはとても単純な理由によるものとして説明できる。
相沢さんは自分の評判にこそ執着するのであって、その作品に対してではない。
修正1-8はドラマ視聴者に評判が良かったから不満を持たなかったのだ。(それゆえ9-10の評判は悪くなければならない)

さて、8-10に話を戻そう。
原作者プロットを無視した8話脚本によって相沢さんは降板を余儀なくされた。
ドラマ化正許諾前完成脚本の扱いに難渋したことで、原作者義務的修正条項の設定が謀議されたとする推論は、
この経緯が決定的な弱点になってしまうのだ。

なぜなら契約時点で8-10プロットは原作者が用意することが確定しているのなら、
制作側は相沢さんにそれを基にした脚本作成を指示すればいいだけだったからだ。
そうすれば相沢さんの降板はなく、その後の醜い争いは起きなかったかもしれないという想像されるのだ。
そして上述のように名声に拘りはしても作品にはそうでもない相沢さんがそれに応じないとは考えがたい。
ではなぜ相沢さんは芦原プロット・セリフを全く無視するような8脚本しか書けなかったのか?