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12/19(火) 10:04
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a3d83e80a859f1c8596219d1a13cdd7737af932

千秋さんの子育て方針は厳しく、欲しいものを買い与えるのはクリスマスと誕生日のタイミングのみと決まっていたそうだ。「親が芸能人だからって、スネ夫みたいになったら嫌だった」と当時の心境を語る千秋さん。一方でストレートな愛情表現は欠かさず、日々信頼関係を築き上げてきたため、千秋さんにとって今年20歳になった娘さんはすっかり“同性のすごく頼もしい人間”になっているという。今までの子育ての軸や、娘さんの成長に対しての思いを聞いた。(Yahoo!ニュース Voice)

千秋家のルール「プレゼントは年2回まで」
娘さんとの思い出を語る千秋さん

――娘さんは今年で20歳を迎え、区切りの年となりましたね。子育てを振り返って、千秋さんが大切にしていたことはなんですか?

千秋: 娘に対して「可愛い」「すごく大好き」「世界で一番好き」って、いっぱい言うようにしていました。これは私の勝手な持論ですが、例えば同じ顔の双子がいて、一人には毎日「可愛い」って言って、もう一人には何も言わないとするじゃないですか。その二人が大人になった時、違いが出てくると思っています。「可愛い」って言われてる子は、自信がついて明るく前を向けるような気がする。言われてない子は、自信がなくて下を向いちゃうんじゃないかな。自己肯定感を育てることで能力をいっぱい発揮してほしくて、必要以上に「可愛い」って言ってきました。いや、必要以上にっていうと娘に怒られちゃうと思いますが(笑)。

でも、スネ夫みたいにはなってほしくなかったんです。親が芸能人だからって、甘やかされてわがままな子なんだと思われたくなかった。だから、おもちゃを買い与える時は厳しいルールをつくっていました。欲しいものを買ってもらえるのは、年に2回、クリスマスと誕生日の時だけだよって。

なので娘は、学校で“たまごっち”が流行した時は、自分で工夫して“紙のたまごっち”を作って遊んでたんです。最初はただの紙なんですけど、だんだん厚紙になって、色がついて、最終的にはボタンを押すことができるようになって。自分で工夫して、どんどん本物に近づけていく想像力が備わっていくことに、そばで見ていてびっくりでした。もし簡単に買い与えていたら、パッと遊んで、飽きたらすぐに終わりになっていたんじゃないかな。そのうちにクリスマスか誕生日がきて、念願の本物を買ってあげたら、すごく大事にしてくれました。

――娘さんとはどのような関係性でしたか?

千秋: 母と娘でありつつ、姉と妹のような関係でもありました。私には妹がいるので、家の中での競争や駆け引きが日常的にあったんですね。もし3つお菓子があったら、それぞれ1つずつ取って、残りの1つをどっちがもらうのかとか。姉妹がいるからこそ、自分の思い通りにならないこともありました。でも娘はひとりっ子なので、3つあったら当たり前に全部もらえちゃう。それが将来の甘えに繋がったら嫌だなと思って、私があえてお姉ちゃんの役割をしていました。お菓子が3つあっても、残り1つはゲームをして勝った方しか食べられないし、私が勝ったらもう容赦なく私が食べる。社会の厳しさみたいなのを教えるために、心を鬼にしてやっていたんだよって、娘には言いたいです。

――千秋さんは子育てと仕事を両立されていましたが、社会の中で働く母の姿を、娘さんに見せていましたか?

千秋: 特別意識して見せてはいませんでしたが、そばで見守ってくれたかなという感じです。あれは娘がまだ高校生だった時かな。本当はずっと歌の仕事がやりたかったんですが、当時私はその気持ちを家族に隠して、他の仕事をしていました。実際、歌の仕事なんて一切ありませんでしたしね。だけど今の時代はYouTubeがあるんだと教えてもらい、パッパラー河合さんにもお手伝いしてもらいながら、思い切って音楽活動を再開しました。

母親が新しいことにチャレンジすると言い出して、YouTubeのハウツー動画を見て、見よう見まねで撮影をしたり、編集をしたり。やりたかった音楽を始める姿を、娘は横で見ていました。「いつでもやりたいことをやっていいんだ」「夢を叶えていいんだ」「母親の年齢でも、チャレンジしている人がいるんだ」ということをリアルタイムで見せられたのは、良かったなと思っています。
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