日刊スポーツ2023年9月2日15時58分
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1976年モントリオール大会以来、自力で五輪切符を獲得できなかった。日本代表の低迷はもちろん、トップリーグの分裂で、国際連盟(FIBA)から処分を受け、国際試合ができない時期もあった。48年ぶりの歓喜が目前に迫った中、過去の日本バスケ界の苦闘の歴史を振り返る。

★12カ国中11位 1976年モントリオール五輪に出場も全敗で11位。

★22年ぶりの世界大会も 1998年世界選手権アテネ大会に1967年モンテヴィデオ大会以来31年ぶり、世界大会としては1976年モントリオール五輪以来22年ぶりに出場も16チーム中14位に沈む。

★国内開催も 06年世界選手権はさいたま市で開催したが1勝4敗でグループリーグ敗退。13億円以上の赤字も出て、日本協会も負担した。

★アジア8位 07年アジア選手権8位で世界最終予選にも回れず、08年北京五輪出場権を逃す。

★アジア7位 11年アジア選手権準々決勝で韓国に完敗して7位。ウィスマン監督は「序盤に大差をつけられたことに関しては、言い訳できない」。

★日本協会が無期限の資格停止処分 14年11月、NBLとbjリーグに分裂した国内リーグについて国際連盟(FIBA)が問題視。日本協会に対して無期限の資格停止処分を下す。国際試合も禁止となる。

★Bリーグ誕生 川淵三郎氏らが中心に日本協会の改革に乗りだし、15年4月にリーグ統一が決定。同8月に資格停止処分も解除される。16年9月にBリーグ開幕。

★世界最終予選で完敗 日本協会改革中の16年7月の世界最終予選出場も完敗。40年ぶりの五輪出場はならなかったが当時35歳の田臥は「悔しい結果だが先につながる大会」。

★開催国枠で出場も 開催国枠で45年ぶりに21年東京五輪に出場。スロベニア、スペイン、アルゼンチンに3連敗して1次リーグで敗退した。

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