【音楽】尾崎豊ってどんな人だった? 弁護士会会長になった兄に20代記者が聞いた「ユタカの生涯」 「弟らしさが最も現れている曲」 ★2 [湛然★]
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尾崎豊ってどんな人だった? 弁護士会会長になった兄に20代記者が聞いた「ユタカの生涯」 「弟らしさが最も現れている曲」とは?
8/21(月) 10:02 47NEWS ※抜粋
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f6a9db12a872b88c662fcbb81d036960ff90d44?page=1
5月末、取材に応じてくれた康さんは、10代のカリスマと呼ばれた弟と歩んだ半生がどんなものだったのか、優しい口調で語ってくれた。
1960年、東京都町田市に生まれた康さんは、幼少期を練馬区で過ごした。飛騨高山出身の両親は、父親が自衛隊事務官、母親がパートタイマーの共働き。身近に親戚はおらず、典型的な核家族だった。
1965年に五つ下の弟、豊さんが誕生。幼い頃から仲が良く、原っぱに連れ出しては、近所の子どもたちと鬼ごっこや缶蹴りをして遊ぶのが日課だった。
埼玉県朝霞市の新居へ引っ越すと、豊さんは転校先の小学校になじめず、不登校に。そんな時、康さんが使わず放っていたギターを手に取り、自宅で弾き語りをするようになった。独学にもかかわらず、めきめきと上達。堂々と伸びのある声を響かせ、母の誕生日にはリクエストに応えて歌を披露した。
▽名曲「15の夜」は実体験から生まれた
不登校が続くことを懸念した両親は、豊さんを生まれ育った練馬区の中学に入学させた。同級生らとバンドを組み、文化祭のステージにも出演。高い歌唱力と端正な顔立ちで、あっという間にファンがついた。バレンタインデーには山ほどチョコレートを持ち帰った。表情は自信に満ち、学生生活を楽しんでいる様子だった。
だが次第に、社会へのいら立ちをうかがわせるようにもなった。後のデビュー曲「15の夜」の歌詞に登場する家出騒ぎは、中学後半ごろのこと。夜になっても帰ってこず、母は同級生宅に片っ端から電話をかけて探した。
高校で三度の停学処分を受け、無期停学に。両親は復学させてほしいと教師に何度も頭を下げたが、学校側は聞き入れなかった。
この停学処分が、豊さんが自身を内省する貴重な機会になった。自宅で朝から晩までギターを弾き、作曲に没頭。「自分という存在が何なのか」「何のために生きているのか」―。歌いながら自問自答しているようだった。
レコード会社のオーディションに高2で合格。応募のデモテープは、豊さんの歌声にほれ込んだスタジオが機材を無料で貸し出して収録したものだった。1983年、高3の冬にデビュー。熱狂的な支持を得て瞬く間に時の人となり「10代のカリスマ」と呼ばれた。(※中略)
▽渡米後の薬物使用、殴り合いの兄弟げんか
順風満帆に思われた兄弟の生活は、豊さんの薬物使用で一変する。音楽を学ぶために渡米したが、帰国後に幻覚症状に襲われ、ろれつが回らないことも。康さんは弟を監視するため頻繁に実家に帰り、殴り合いの兄弟げんかをして諭した。最後は薬物を見つけた父が警察に通報。覚醒剤取締法違反容疑で逮捕され、有罪判決が下った。
母は事件が知られないよう警察に泣いて頼んだ。だが、すぐさまマスコミは実家に押し寄せ、夜中に実家から自身の自宅へ両親を連れ出した。(※中略)
世間からは厳しい視線を浴びたが、ファンは離れなかった。釈放後はテレビに初出演し、復活コンサートは5万人以上を動員。普段はおとなしい性格の豊さんだが、ステージ上では神がかったパフォーマンスを見せ、輝きを取り戻した。その後もヒット曲を連発。アルバムを記念した全国ツアーも決定した。
だが人気絶頂の中、豊さんは1992年に26歳の若さで突然この世を去る。(※中略)
▽「ユタカらしさ」が最も現れている曲とは (※中略)
康さんに、豊さんらしさが最も表れている楽曲を聞くと「シェリー」を挙げてくれた。
「シェリー いつになれば 俺ははい上がれるだろう」―。
康さんに理由を聞くと、こう答えた。「華やかなデビューとは裏腹に、学生時代は最低最悪な状況だった。オーディションに合格しても、歌手の道に半信半疑だった両親は、高校に復学して進学するよう言い続けた。『俺はまだまだ恨まれているか』と泣くように歌う姿に共感する人は多かったはず」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
前スレ(★1=2023/08/24(木) 06:52:22.13)
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1692827542/ >>75
気にくわないことがあって暴れても警察呼ばれるだけだよ
昔はそれでも通用したんだろうか
学校の中では通用するのかも知れんが
もうそういう不良やDQNはいなくなった 本来は陽キャなのに、無理して陰キャぶった曲を作ってる内に精神を病んでクスリに逃げて破滅した
ハリウッドとかでよく見る構図 >>98
俺が21の頃買ったバイクは血と汗の労働の成果だった 死んでから
こ~の支配からのー♪
そつぎょー♪
オザキィ~!!
ギャオオオ~ン
みたいな人が街なかに居たよね KAWASAKI ZXR みたいなレースシングレプリカで
首都高速をノーヘルで、ブッ飛ばしてんじゃないのね。 >>90
当時は今より簡単だったから
それほど難関ではなかったよ 太陽の破片のMVって、つべで消えては復活を繰り返してるよな
あれ、外人が見たら泡吹いて倒れるようなゴリッゴリの児童ポルノなのに、上げる奴はタイホされないんだろか 生きてたとして、おっさんになっても
15の夜や卒業を歌わされても痛々しいだけだったと思う。 尾崎豊てのはな
行儀良く真面目なんてクソ喰らえて男だよ >>111
旧司法試験のほうが難しいでしょ
今は地方私立法でも普通に受かってるが当時はそれだけでニュースになるくらいだったし そんなに学校が嫌ならさっさと辞めれば嫌ならいいのに
バイクを盗んだり窓ガラスを割った布団に地図を書いたりと極悪非道の17歳だもんな 尾崎豊てのはな
締まりがないとまたみんなにコソコソ笑われるぞ
お前
とアドバイスをくれる男だよ 盗んだバイクで走るのって怖くないのか
整備不良で突然ブレーキ効かなくなるかもしれんのに 尾崎豊てのはな
ギリギリの感じなんだよ好きなのは
生ぬるい温泉はまだちょっとでいい男だよ >>7
上級国民のはずないだろ
上級国民は青学の初等科に
行かせてるような家庭だ
当時の高校生でバイトなんかしてるの
貧乏人しかいなかったろ
母親がパートなんか貧乏家庭くらいだろ 盗んだバイクでちょっと走って、すぐに元に戻したかもしれんし、
地元の半グレのバイクをパクったのかもしれん 日本のロックバンドてオカマボイスがほとんどだけど
尾崎の迫力と優しさを併せ持つ歌声が最適解じゃないだろうか >>111
旧司法試験 合格率2,5%
新司法試験 合格率40% 尾崎豊てのはな
たまに苦しくて痛いのが気持ち良かったりなんかしたりした男だよ 俳優の高橋克典が青学時代に軽音楽部で接点あったけど性格良いと言ってたぞ >>131
今こんなに簡単なの?
それなら弁護士の数むちゃくちゃ増えてるのかな
仕事増えてるのか >>135
だから過払い金だの何だのとしょうもない案件やりますよってやたらCM流してるだろ?
大杉でマジで仕事ねぇんだよ >>134
二人ともイケてる高校生だったんだろうな 見城徹の尾崎とのエピソードは面白い。
見城が金輪際付き合わないと言って終わった関係だけど、見城の気持ちも分かる。
最初の事務所マザーの福田が30年間
一度も尾崎について語る事がなかったり
人間関係が複雑そうなところが興味深い。 >>135
昔は弁護士の人数は2万人以下だったけど今は4万人以上
食えなくて廃業する弁護士やバイト掛け持ちの弁護士も急増
弁護士の横領などの犯罪も増えたし なんで窓ガラス叩き破るのか分からない。そんなに学校が嫌なら辞めて働けば良いのに。義務教育じゃ無いんだし。支配から卒業って、自ら支配される場所に止まって、ガキんちょが何こそグダ巻いてんだこのヤロ。
ママー、番茶割りもう一杯ちょーだい。 >>146
だからただの歌詞にマジレスポンスすんな >>89
実際にそうなんだよ。当時はほとんど洋楽を聞いてたんだよ。
尾崎聞いているのは女子。男子はほぼ聞かない。 バイク盗んだとか犯罪の告白でしかないよな。時効かもしれんが任意同行くらいはして取り調べすべきだった >>150
兄貴のバイクを勝手に借りただけだぞww 尾崎豊っぽいと言うと「ダンスホール」じゃないかな
安いダンス~ホールは~たくさんの人だ~かり
あとは売れた曲だけどやっぱり「勿忘草」 >>23
真に天才なら枯渇しない
数発当てて周りが勘違いして煽られた 元は明るい好青年だが、周りの空気に流されやすい弱さがあったんだろうな
校内暴力が流行ればそれに感化されたり、音楽シーンで有名になればドラッグに手を染めたり
空気に染まりやすいんだろう >>151
あくまで歌詞に過ぎない
拗れてたのは聞き手側 元来ポップ音楽の歌詞なんてフィクションで当たり前なのにノンフィクションと思い込んでた馬鹿なファンが教祖を追い詰めたんだろう
スランプ時に今の徳永英明や宮本浩次みたいに
歌謡やフォークのカバーアルバムでも作ればよかったんだろけど クスリに手を出さなかったら違った人生があっただろうな 大人が!社会が!って歌ってたら
あっという間に自分も大人になっちゃって
自己矛盾に苛まれて崩壊した人 >>164
日本は海外に比べて、その傾向が高いらしいな 学生の頃に弟がイエモンと言うか吉井和哉の大ファンだった
拗れて壮絶にメンド臭かったわw ボウイなんて校内暴力推奨してるような歌まで出しちゃってるからな。おおらかな時代だったんだよ。 >>166
早逝して良かった
さんま御殿やダウンタウンDXで餌食となる令和の尾崎なんてファンも見たくないだろう >>169
ジョンレノンの映画イマジンでジョンの屋敷に忍び込んだアブナイ熱狂的なジョン信者がジョンに「あなたの詩は僕のことを歌ってくれてる」とかなんとかジョンに言ったら
ジョンレノンは「僕は君の事を知らないから君の事は歌えないよ」とか宥めるように言った後、男に「腹は空いてるか?」と尋ねて屋敷に招き入れて一緒に食事してたシーンがあったが
まあ海外でも一定数そういう輩はいるんだなと思った 若くして亡くなった人は美化されて思い出補正かかるからな 実際は見城徹が言うように人間的に問題があったのだろう >>164
送り手側の手法でもある
売野雅勇は「フミヤの実体験をもとに作られたのではとファンに思わせるような内容にしてほしい」という注文に応えて
星屑のステージを書いたとのこと さだまさしが「関白宣言」への自らによるアンサーソング「関白失敗」を後に出したように、
尾崎がおっさんになった時に昔の自分の曲に対してどう向き合うか見たかったな
「15の夜」へのアンサーソング「50の夜」とか「卒業」へのアンサーソング「定年」とか >>142>>145
マザーの福田社長とトラブルにならなかったのはダイヤモンドユカイただひとりとも言われる 自身の本にも書いているけどユカイは社長を悪く言わない いろんな人がいうようなことは俺には一切なかったマザーには何の恨みもない と >>180
歌詞見ても分かるけどさ
どう考えてもメンヘラ男だからな
いつの時代も10代のメンヘラ男には刺さる曲ではあるだろう 普通の家庭環境に育ち、早くから音楽の才能が認められたのに彼は一体何に苦悩してたのか
周りには尾崎ファンが多かったけど俺はあまり共感できなかったな >>192
遺伝とか関係なくもともと生まれ持った素質の違いは出てくる 「何かを持って生まれてくる人間が確かにいる。そして彼らは代償を支払うことになる。」 >>192
小学校の頃から不登校で学校になじめなかったらしいよ
それで兄貴のギターを家でやるようになるんだけど 尾崎スレって毎回なんやかんや必ず2スレ目は突入するよな
それだけやはりインパクトは強いアーティストなんだろう そりゃ自由を求めて苦悩していたのだろ。そう歌っていたわけで。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています