【音楽】YMOとは何だったか? [湛然★]
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<考える広場>YMOとは何だったか?
2023年6月20日 07時20分 東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/257748
https://static.tokyo-np.co.jp/image/article/size1/5/e/9/b/5e9b9f16c7bd66ff97d4d2f00660988b_1.jpg
世界的な人気を博した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」。細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんという卓越した才能が生み出した音楽は、さまざまな影響を与え続けている。高橋、坂本両氏亡き今、YMOの唯一無二の魅力について思いをはせる。
<イエロー・マジック・オーケストラ> 1978年、デビューアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」を発表。「テクノポリス」「ライディーン」などを含む2枚目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」(79年)が100万枚を超える大ヒットとなる。この年の欧米ツアーに、渡辺香津美さん、矢野顕子さんらが出演した。83年に「散開(解散)」宣言するも、93年にアルバム「テクノドン」を発表。東京ドームで「再生」コンサートを開く。2000年代以降、高田漣さんら若手ミュージシャンともライブで共演した。
◆リスクに耐えた演奏力 ギタリスト・渡辺香津美さん
僕がYMOのワールドツアーに参加することになったのは、細野さんの作戦だったと思います。彼には、海外、特に米国の聴衆は、YMOの音楽を理解できないのではという懸念があったのでしょう。「ジャズのアドリブをふんだんに聴かせてくれ」と言われました。そこをきっかけに自分たちの音楽を受け入れてもらおうと考えていたのだと思います。
でも、生のギターの音ってすごく実体感があるというか、生々しい。そのままYMOにシフトすると、水と油みたいになってしまいます。YMOのサウンドに合わせるべくクールでタイトな音が出るギターを特注しました。演奏面でも、譜面通りに弾くとジャズマンは「かっこ悪い」と思いがちなのですが、四分音符をそのまま弾いて音楽的に成立させるために、音色やタイミングをじっくり吟味するのは、自分にとって新鮮で面白い体験でした。
(共演した)松武秀樹さん(シンセサイザープログラマー)とは「電圧で音程が変わるシンセサイザーを海外に持っていって、コンセント一つ抜けたらおしまいという中でよくやった。リスキーなんてもんじゃなかったなあ」という話をよくします。国内ツアーでは、実際データが全部飛んでしまって、シーケンサーが機能しないことがありました。回復するまで「デイ・トリッパー」か何かを演奏した記憶があります。みんな弾けるのだから、何かあれば生で演奏すればいいという信頼感がありました。
五十歳を過ぎて分かったのが(ツアーを企画した)村井邦彦さん(アルファレコード創設者)のブランディングのすごさです。ニューヨークやロサンゼルスの超一流のホテルを借りて、会見を開き、ライブ会場にリムジンで降り立つ。「日本からすごいスターが来た」と思わせる計算された演出なのですが、当時の自分には少し照れくさかったです。現地には自分のジャズ仲間もいましたからね。
坂本さんは、リムジンに乗った時点でもうなりきっていましたけれど、僕自身も今振り返ると相当ハイになっていたと思います。向こうへ乗り込んでいってだれも聴いたことがない音楽をやるというのは、とてつもなく不安だったし、なりきることによって精神の均衡を保っていた面がありました。YMOを成立させるために、自分自身を変えていった部分が、三人にもきっとあったのだと思います。 (聞き手・中山敬三)
<わたなべ・かずみ> 1953年、東京都生まれ。71年に「インフィニット」を発表。「17歳の天才ギタリスト」と評される。坂本龍一さんのファーストアルバム「千のナイフ」(78年)にも参加した。
◆知的なかっこ良さ 衝撃 音楽評論家・スージー鈴木さん
(※中略)
◆変幻自在 天才の三角形 音楽家・高田漣さん
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) 2のASMRで全部とんじゃったw
英語表記だったww
わたしからは以上だな ミカエル(悟ったもの)より テクノというよりはシンセバンドという感じだった
当初はフュージョン寄りだったし 今でいうフジテレビなり電通なり伊藤忠商事なりのような
優れた企画営業がいたはずで、
成功の影で、
そういう面には、未だに光が当てられてない気がする 生まれてないけど当時は、「クラフトワークのパクリじゃん」的な声はなかったの?
勿論、個人的にYMOは大好きよ 細野晴臣の祖父さんがタイタニック号の生き残りだってね YMOの前にKYLINとカクトウギセッションがベースにあった 初期の頃女の人がいつもサポートに入っていたけどあれは誰なの? YMOは何でも屋みたいなグループだったな
ジャンルにこだわりがない
歌わないでテクノのイントロだけで勝負して欲しかった >>9
売出しのアイデアは大蔵博という当時YMO事務所の社長って細野が言ってたな
別に隠してないが誰もたいして興味ないだろ >>22
橋本一子?
矢野顕子とどっちが先かわからんけど >>25
(´・ω・`) お前ら何でも知ってるな。ハゲのくせに >>22
レコードのジャケットに出てくる女性はマネキン人形 坂本龍一がドイツ人とコラボしてるアンビエントはよく聴く 最後に3人揃って演奏したのが2019年のイエローマジックショー2 >>27
細野さんは以前ジェームズキャメロンからタイタニック探査船に誘われたけど怖いから断ったという記事を2~3日前に見たばかり YMO
solid state survivor
vs
BGM
TECHNODELIC
ここの対決は根が深い >>35
わかる
特に初期のYMOは無駄に熱があって野暮ったい 海外で人気(実は全く売れてない)という逆輸入をフル活用し
情弱日本人を上手く騙して大儲けしたバンド
まぁ細野晴臣の着眼が良かったのは確かだが
成功は松武秀樹の力に寄るところが大きかったんじゃないかな スーパーロコモーティブのイメージ。
あのゲームって82年なんだけどグラフィックが凄かったなあ。
セガってやっぱりセンスあるメーカーだったんだよ! YMOに特にソロギターとかイランだろ。
ウルトラボックスやプログレのバグルズとかあの程度のギターでいい。 時代がデジタルシンセへ移行し解散を余儀なくされたバンド >>34
最近テクノデリックを聞き直しています。
最後の二曲が凄い! >>15
ファーストアルバムの帯のコピーが
クラフトワークも脱帽した
だった
脱帽してないけど勝手に書いたんだろううけどな 小学生も熱狂した未来的っつーか新しもの感がね
そのままアイドル歌謡から何からフルバンド要らずになったし >>11
演奏は任せたぜ
テクノポリスのロボットに >>15
シンセミュージックを
ちゃんとポップスに昇華した感はあった ジョジョのスタンド名にYMOの曲って出てきたっけ? サーヴィスの岩盤落下事故と
増殖のここは警察じゃないよぉ
この2強 てんてんてーーん
ててててってててっててーん
てんてんてーーん
ててててってててっててぇーーーん オリコン
テクノポリス 9位
ライディーン 15位
タイトゥン・アップ 43位
キュー −
マス −
体操 −
君に、胸キュン 2位
過激な淑女 15位
以心電信 23位
ポケットが虹でいっぱい 13位
ビー・ア・スーパーマン 76位 アメリカで火がついた要因は渡辺香津美のギターだわな
thousand knives、在広東少年、the end of asiaのギターソロめっちゃかっこよかった ウルトラヴォックスのアルバム聞いて低音すごくてコレじゃだめだって録りなおししたってエピソードなかった? >>44
>>51
こういう先人たちのライブな声はありがたい
シュガーベイブも生で見てみたかったなあ 思ったより今聴くとダサいよねって人が少なくて良かった アメリカ アルバム
“Yellow Magic Orchestra” 81位
“×∞ Multiplies” 177位 >>68
今思えばバンドよりもユニットに近いような気もする 本当に欧米で人気があったのか
人気があったとしてどの程度のレベルで? 6/24 NHK総合 午前5:40~
あの人に会いたい
高橋幸宏(ミュージシャン) ディスコチャートでファイヤークラッカーが17位とかr&bチャートでタイトンアップがチャート上位に上がったとか細野さん言ってたけど、データあるの? >>74
一発かましたら珍しいモノ好きにそれなりに受けたレベル 活動期間1978~83年
YMOファンはもう還暦過ぎてるだろ そもそもはディスコなんだよなYMOは
当時ドイツ人がジンギスカンって曲でヒット飛ばしたりして、国籍や言語関係なく世界的ヒット狙える土壌があったんだよな。
そこで細野さんはファイヤークラッカーのディスコカバーで世界ヒットを狙った。
当時最先端だったジョルジオモロダーのシンセディスコサウンドを参考に。 >>1
インベーダーやファミコン的に生活の中に入ってきた。高尚なことをやってるつもりが、卑近なところで理解され、笑われ、真似された。ウケる、バズるってことだが、本人たちのプライドが許さず、短命に終わった(一人を除いて?) 先端追ってるような人とかアーティストとか情報入ってくる人たち界隈ではちょっと知られてたレベルじゃないかと想像する。
川添さんの焚き付けが上手くいったんだよね。 欧米ではやはり
東洋の神秘に憧れるような層がクスリやりながラリって聴いてたんだろうな
日本でのイメージとは違うように思う 「浮気なぼくら」以降は音色がダサくなって普通のシンセバンドみたいになってしまった。 リアルタイムのときは浮気なぼくらが好きじゃなかったけど、今聴くと結構良い 運動会のBGM採用率ナンバーワンミュージシャンだよ >>74
人気どころかほぼ認知されてない
ただアルバムは北米で多少流通した
物好きだけが買っていた >>88
後期は松武英樹さんが関わってないんだよな
音作りが変わってしまった >>39
無許可でゲーム内で使用したパターンだと
パーフェクトジャンピューター(アルファ電子工業) MAD PIERROT
ヤクマンクラブ(キワコ) 東風 渡辺香津美文まだ生きていたのか
天才ギタリストで有名だったな The End of Asiaのライブのギターソロ最高 出てきた時はどんな印象だったの
はっぴぃえんどの人の新バンド? >>101
TDSミンツのブラックビートルズ→テクノポリス
速攻消えたメーカーなので無許可じゃないかと思ったりする 今年細野が亡くなったら同じ年に全員亡くなるんだよな。 >>111
ん~僕の場合はね、ちょっとキミとは違うんだけどね。 坂本龍一と渡辺香津美、新進気鋭のクラシック出身のキーボーディストとジャズギター界の貴公子って感じだったな 誰も覚えてないと思うけど相当昔に紳助とユキヒロでコントやる番組あったよね 頭の後ろが長いやつ 野沢直子もいた気が 細野さんのマーティンデニー趣味が行き着いてディスコとフュージョンに昇華していった瞬間が好き >>116
今年は散開から40年、再生から30年の節目の年なんだよな
ある意味区切りよく死んだとも言える >>109
インスト曲が多いからレコード会社はフュージョンバンドとして売り出そうとしてた >>15
共通項はシンセサイザー
リズム隊はほぼ別の音楽ジャンル 渋谷 屋根裏 ジャンジャン エッグマン ラママ
六本木 ピットイン バードランド サテンドール バウハウス
ものすごい熱い時代だった >>41
千のナイフのライブバージョン色々聴くと分かる
絶対渡辺香津美のギターあったほうがいい、それも超絶テクのアドリブソロ リアルタイムで触れた人と散開後くらいに知った世代と
シンセ当たり前になってからの世代ではいろいろ感じる物も違うだろうしなあ 社会現象だな
テレビのゴールデンタイムに出演して演奏してバラエティ番組にまで出たりするとか、
ドイツでクラフトワークがそんなことは一切やってない全然違う、
て昔きいたな >>120
レコードの枚数なんか言ったら僕なんか8万枚ありますよロック! テクノは近代音楽
今は現代音楽の時代
欧米では
メインストリームの一般的な音楽が
現代音楽で作られている
YMOなんて
とうに古賀政男と同等の懐メロでしかない 「あのさ~『YMO』と書いて、なんて読むか知ってる?ね、知ってる?Y・M・O !?」
「・・・イモ!」(クスクス・・・) クラフトワークは中域が引っ込んだいわゆるドンシャリ、YMOは中域をムチムチにした、素人が釣れる音。
という、違いの話で済むほどクラフトワークは小さな存在ではない!
クラフトワークがいなかったらメジャーな電子音は冨田勲など既存のオーケストラの模倣しかなかったし、
アウトバーンのリズムはクラフトワーク自身も再現できなかった心地よさをプログラムしてみせたものだ。 >>138
別ジャンルだからな
デジタルをデジタルに聞かせるクラフトワークと、デジタルをアナログに聞かせるYMO
革新的なのはクラフトワークで、YMOは既存の音楽の変化なんだよ
リズムボックスじゃなくてユキヒロがドラムを叩いてたし、ライブには渡辺香津美とか高中正義というギターを入れたりね Rydeenはテクノのジャンルを確立した名曲だった 出てきた時から嘘くさい存在だった。韓流ブームのような胡散臭さだった。まあ坂本龍一が在日なんだろうが、芸能界はこういうのいくらでもある。 >>135
パブリックプレッシャーというアルバムとフェイカーホリックというアルバムを聴き比べたら同じ音源のギターある無しでどっちがいいかよくわかるよ コテコテの電子音楽は相当人を選ぶ
YMOはピエールアンリのサイケロック路線 移民というのは医者とか歯医者とか弁護士とか外車ディーラーとかレーサーとかに成りたがる。外国籍ルーツでも日本で成り上がる事ができる方法を模索する。
芸能人も同じ。日本人が好きな芸能人やタレントやスポーツ選手は在日だらけ。才能で成り上がった人間ももちろんいるが、多くは在日コミュニティの支援で有名になってる。 YMOがテクノという日本で馴染みのない音楽で有名になり、これを「白人が評価してるぞ日本人もYMOを評価しろ」と騒いだのが1980年代。業界のメインストリームだとショボいのがバレるからテクノという意味不明なジャンルで成り上がった。電気グルーヴなんかも同じ系統。 >>109
ティン・パン・アレー細野とサディスティック・ミカ・バンド高橋たちの企画ものバンド
坂本って誰? これが90年代になるとヒップホップになる。スチャダラ何たらとかが急に売れただろ。今も左翼的な言説で音楽よりも政治トークしてるようなラッパーがいるが、ああいうのは大抵在日。 エイフェックスツインのスレ立ってるが
あれとだいたい似たような存在だな私の中では
電子音楽の質の高い低いとか分からん
やっぱり歌詞、ポップさ、異常さ、激しさが際立っていない曲は全然ダメ ライディーンと君に胸キュンしか知らないがどっちも大した曲じゃなくてなぜ評価されるのかよくわからん
YMOよりはるかに無名だが同時代の電子音楽系ならマジカルパワーマコはすごいと思ったけど >>228
トランプ「何かしないのか?」
ピコ太郎「じゃっじゃあちょっと行ってきましょうか?」
トランプ「Stop.」
これを聞いた芸能レポーターに「それは大統領にツッコミを入れられたということですか?」と聞かれたら
なんと答えればいいかいまだにわからん。 フュージョンとかクロスオーバーのブームもあったからな 「電子音楽を東洋人がやってる」という奇妙さで欧米でウケたのは事実。今っぽい言葉で言うと「意識高い系の白人」が「人民服で電子音楽をやる東洋人」という景色を見て喜んだ。
だが音楽は全く世界で残っていない。無理矢理流行らせたんだから当たり前。 >>162
冨田勲とか武満とかそれよりも早かったんじゃないの >>46
時代が作ったのではなく
時代を創ったからね
そういう意味では音楽史的に偉大なグループ 演奏者としても全員凡人だった。少しでも自分で音楽やった事があるなら誰も鍵盤奏者としての坂本には憧れない。ベーシストの細野には憧れない。ドラマーに至っては素人レベル。それがYMO。 >>118
うっすら覚えてる景山民夫も出てたような
視聴率が悪くてすぐ打ち切りになったね >>162
いまでもダンスミュージックの主流であるEDMの源流のひとつと言っても過言ではないと思うが
曲ひとつ取ってもビハインドザマスクなんかはマイケルジャクソンやエリッククラプトン他一流ミュージシャンがカバーって形で残っているが テクノポリスはそれほどでもなかったけど
たまたまレコード屋にいるとき流れてきたライディーンは衝撃だった 俺は影山民夫は好きだった。ミュージシャンとしてはうまくいかず、作家で売れたがほとんどテレビタレント(しかも当時流行ったインテリ系お笑い)としか認識されず、最後は宗教にハマって意味不明な事故死。
坂本みたいに世間に無理矢理持ち上げられて病気になってから医者を恨むような人生より、よほどスッキリしている。 >>171
クラプトンのカバーって80年代中期だろ。もう40年近く前だ。以降はほとんど無視されているのがYMO。 俺は影山民夫の生演奏聴いたことあるぞ。会場の最前列で観たが演奏前からめちゃくちゃ緊張していて意外だった。本当に音楽好きなんだなと思ったわ。 YMOとイエローマジックオーケストラって別の集団だとずっと勘違いしてた 細野さんが大麻吸えたらダブにも手を出してたかもしれん
一番最初の細野名義のコズミックサーフィンもうちょっとタブになりそうだったのに
教授しかタブに行かなかった YMOがテクノだったのは1981年頃のBGMとテクノデリシャスの中期の頃だけだからな
前期はピコピコフュージョンだし、後期はピコピコ歌謡
あくまで「テクノ」は手法の1つでしかなかった
最初から最後までドテクノに徹しきったクラフトワークと根本が違う
だからその後のテクノミュージシャンに与えた影響がモロ違ってくる ライディーンのドラムが最高に好き。
難しいことは一切やってないバスドラとスネアだけのドラムなんだけど。 細野の爺さんはタイタニック号の生き残りだっけ?
金持ちの道楽。 >>180
> 最初から最後までドテクノに徹しきったクラフトワークと根本が違う
えっ!? なんかすごい気がする
誉めないと遅れてるみたいに思われる
坂本龍一知ってる俺かっこいい
ほとんどの一般大衆はこんなノリだったんじゃね?
シンセサイザーなら喜多郎の方が早くて海外の評価も高かったよな
最近キャンドル・ジュンみて喜多郎思い出してたんだ やはり俺の読み通り、あれはあえてロック的なものを入れたんだな
YMOはそもそもブラックミュージックではないイエローなオリジナルを目指したはずだ
しかし渡辺のギターはジャズ、フュージョン、まさにブラックミュージックがルーツにある
本来なら入れたくないものをあのライブではあえて入れたのだろう YMOの存在で80年代に「テクノ歌謡」というものが受け入れられたのは邦楽史的には意外に大きかったと思うけどね
そのおかげで90年代以降の打ち込み主体のサウンドへもシームレスに受け入れられたとこはある ymoがなければ急いで口で吸えもビックリハウスもなかった >>185
坂本は喜多郎バカにしてたよ
実際四七抜き音階にセンセ乗せただけで超つまんないもん
今のヨサコイに見られるエセジャポニズムの走りみたいな >>145
何このテンプレネトウヨ
1レス目から思いっきりハズレだぞ >>190
売れてるやつをバカにして、あんなもの簡単に出来ると言ってたのが坂本龍一だった
でも結局売れる曲はほとんど作れず、映画音楽としてやCM曲として売れたものばかり
小室みたいな曲はいくらでも作れるといってたけど
そんな売れ線の曲は一つも作れなかった >>43
こないだYouTube見てたらLIGHT IN DARKNESSの変態ベースをシンセベースでコピーしてる女がいたw 最近の細野さんのラジオは年下の信奉者を呼んで
気分良くなってるだけの回が多くて聞かなくなってきた >>117
坂本龍一、渡辺香津美、矢野顕子はKYLYNというバンドとYMOを掛け持ちしてた。
KYLYNこそはバリバリのフュージョンバンド。 >>185
検索すると喜多郎もYMOもファーストアルバム発売年は同じで1978年。 shakin stenvensの曲のイントロをYMOがパクってるぞ YMOは聞かないけど、教授のアンビエントとか1996は聴いてるわ >>1
アンビエントの始祖のブライアン・イーノのパクりグループ
それがYMO
http://youtu.be/k1EbL4_Ej6s >>169
坂本自身がピアノの腕は芸大入る18才がピークだったと言ってる
>>180
でもシンセサイザーの音には誰もが衝撃を受けたし
以前から冨田やクラフトワークはあったが知らない人は多かった
シンセサイザーを世に広めた功績とだけではなく
テクノファッションの流行りはファッション業界にも一大ブームを巻き起こした 運動会の徒競走でライディーンが繰り返し流されるくらいには流行った >>194
インストで100万枚売った日本人は坂本龍一だけ笑
喜多郎()にミリオンヒットは無い笑 >>209
いや、冨田勲は有名人だぞ
月の光や展覧会の絵は英米でチャートに入った
それが一般ニュースにもなった
各種テーマソングやCM曲でも有名曲多い ビルエヴァンス気取りのピアニストに付き合わされた人達。 >>213
音楽ファンには有名だったかもしれないが、
普段あまり音楽に興味のない人には知らない人が多かった
その点では、冨田は市民権を得たとは言いがたい
YMOは完全に市民権を得たグループ いまだにクラフトワーククラフトワーク言ってて馬鹿か
メタルはすべてブラックサバスのパクリって言ってるようなものだぞ キーボードマガジン誌の講師らがテクノヘアスタイルで溢れてかえったのは
さすがに引いたわw >>169
坂本は伴奏に徹すると上手い
メインになっちゃうとアレ?ってなるのよねえ
なので映画音楽が一番合ってた 中学時代は丸刈り坊主だったが、高校で長髪になったとたん、男の子は皆テクノカットになった
女の子は、、、聖子ちゃんカットだったなぁ >>170
それそれ 確かTBSだった シュールで好きだったな >>218
クラフトワークは世界の音楽の歴史に残るがフォロワーのYMOは残らない
フォロワーとして革新的なことをやったのならともかくね 結局坂本龍一何したやつ?にたどり着く
実は芸大出身というなんかすごそうこいつがいると箔がつく的な存在で重宝されてただけ >>229
世界中からオファーが絶えなかった人に今さらなにをw BACK IN TOKIOでキョージュ~と死にそうな声を出してる人はもう死んだかな? 「YMOと書いてイモ!」
「これからはニューウェーブ」 イモとか書いてるヤツはまずスレ内を検索してみろ
もう何人も書いてるぞ 高橋幸宏のドラムってそれほどすごいのかと思っていたが
追悼特集でYMO以外のセッション時代の音源聞いたら
YMOより遅いミドルテンポのドラミングが物凄く良かった
実は彼はYMOが合っていなかったかもしれんな >>63
YMOがライブでやった在広東少年は大村憲司
渡辺はKYLYN LIVE >>235
フェイカーホリックの在広東少年は渡辺さんでしょ >>234
南佳孝/モンローウォークのドラムがよい
アレンジは坂本龍一
「海外で受けました」「海外で有名」と嘘の宣伝で金儲け。
1970年代には多かった。「空手バカ一代」とか >>238
あのくらいのテンポの曲だと天才的に上手いんだよな >>234
高橋幸宏のドラミングはミカバンドの1stが一番すごい
これとかすでに人力ブレイクビーツ
Silver Child ・ Sadistic Mika Band
https://www.youtube.com/watch?v=RBa5rlTrbvY
Milky Way ・ Sadistic Mika Band
https://www.youtube.com/watch?v=i6m_FT58vuo
手数の多いボンゾみたい 70年代後半から80年代は世界的にも実験的バンドの全盛期
YMOもその一つ >>234
スタジオミュージシャンとしても引っ張りだこだったみたいだね
矢沢永吉のバックでも叩いてる >>239
お前みたいなアタマの固いバカはそうしないと新しいモノを聴いてみようともしないからな 渡辺香津美さんは80年代後半ぐらいからクリムゾン系列のプログレにジャズを足したような音楽やっていて結構いいんだよね
クリムゾンのビル・ブルーフォードとバンド組んでいたりするし 渡辺香津美はYMOグリークシアターライブでの東風の演奏はすごいと思う。 YMOはあくまでサウンドがテクノだっただけでサウンド抜きな音楽性は一部を除いてフュージョンやポップス、ロックのインストバンドだろ
かつ、東洋を全面に押し出したオリエンタリズム
サウンド抜きの音楽性ならクラフトワークなんかつまらないよ >>118
極楽TVだね、テレ朝系列。アタマ一家とか。 >>3
あの入れ歯合ってないよなぁw
黒柳徹子さんも入れ歯は合ってなくてフガフガ
言ってて聞き取りづらくなったし
2人とも金が有るのだからインプラントすればいいのにと思うが、やっぱりインプラントはイヤなのかねぇ >>248
そもそも前期中期後期で違う。
後期はシンセ多用のJPOP。
例えば、君に、胸キュン。はテクノではないと思う クラフトワークに似ていると言うが、そんなに似てないぞ。元ネタなんて本人達がはっきり言っているのに。 >>194
チャートコンプレックスの帝王だからなw
信者や手下の渋谷系もそんな連中ばかり。
渋谷系は1発当てると安心するw
坂本もエナジーフロウが無かったら永遠にコンプ抱えてたと思う >>252
売れ線狙っただけだろ
あの頃ならすでにニューロマも流行ってたし >>145
偉そうに書くならちょっとは調べろよ基地外 スネークマンショーとコラボしたりドテラ着てコントやったりと、今思うと結構コミカルなバンドだったんだなと >>253
音楽性よりコンセプトが似ている
みんな何かしらの影響を受けているののでそれに関してはどうでもいいけどね >>259
スネークマンショーのネタと曲を交互にしたアルバムの増殖はあるが、増殖でスネークマンショーとは絡んでないはず。
サービスはSETのコントに3人とも参加してたよね? >>262
人民服着て朝から晩まで聴きまくってこい サカモト教授と立花孝志
いえーーーい!
NHK党ホームページ
政治家女子48ホームページはYMO >>261
だいぶ違うんじゃね
クラフトワークは環境音楽寄りでYMOは3分ポップをシンセでやる >>262
こないだ久しぶりにCDからリップしたサービスを聞いたら曲番号が飛んでるから何だっけと思ったけど、よく思い出してみたらあのくソ寒いコントを削除してたんだったわ 幻覚薬決まるとこれみたいなピコピコツンツン音楽が頭の中で鳴る そんで壁から虫とかが這い出てくる ツアーのブランディングって村井よりむしろ川添なんじゃないの
しかしYMOで細野晴臣が1番長生きするとはね >>239
1990年代もそうだっただろ?
まぁバブル崩壊以降、欧米を追わなくなっていったんだけどね >>270
ちょ、ちょっといい?あのね
僕はやっぱりYMOが一番・・ >>234
テクノバンドにそもそも人間ドラム要るのか? とも思うし。
全部機械仕掛けの演奏でいいのでは、となるがやっぱそこは人間プレイの
ぬくもりとか奥行きがほしいのかね。。w >>279
ドラムは生に限る!
https://youtu.be/f3DCED3YZvE
上の動画でもトラムだけは生に拘っているだよな。 当時はヒカシューとYMOで若者のテクノ人気を二分していたな(ちょっと嘘) >>279
当時のドラムマシンのクオリティー低かったから人が叩くしかなかっただろうね
サンプリングマシンができてから随分変わったが 随分香津美のソロ演奏が長いなと感じるシーンもあったが
あの間はコンピュータがダウンしてたんだろうな >>285
ダウンしてる間は延々とデイトリッパーだと言ってた気がする >>169
坂本龍一はあのピアノではジャズでは成功出来ない
確か松木恒秀のバンドで弾いていたんだよな >>280 >>283
まあ拘りがあくまであるのか、ただ当時のツール事情ゆえなのか、
少なくともユキヒロの腕や感性がYMOに寄与できて
(ファッションは実際担当だったとか)あの形というか音になったなら、いい仕事
したとは思うね。。 そうだなーフロッグ オブ シーガルズ、ヒューマンリーグ、ヤズーとかの方が好きだった >>169
細野晴臣は鍵盤とドラムの奏者に断れまくられ
やっと見付けた引き受け手が坂本と高橋だから 左翼メディアの奴ら
坂本龍一の政治的活動はよく知っているが
坂本龍一の音楽活動はろくに理解していない 国内外における大衆音楽のエレクトロニクス化を一気に進めたユニット
当時は世界最強の電子機器メーカー王国だった日本で流行ったこともあり
国内メーカーが様々な音源やコントローラや編集機器を開発するモチベーションになったのは大きい
たしかTR-808試作機も送られ使ってたんじゃないかな >>229
売り出す方にしたら芸大作曲家という印籠を利用しない手はない
当時は今より数段利用価値があったろうから >>229
結成当初は大学院で自動作曲あたりをテーマに研究してたから
細野や高橋には未知の電子楽器へのの知見が有益だったんじゃないかな
大昔のシンセって音の合成研究のための実験装置の一面もあるから坂本は藝大所属時にも触りまくってたはず クラフトワークのパクりとか言われるけど、何だかんだ言ってもこの3人の奇跡の組み合わせは唯一無二だよね ダラダラ続けないでビートルズみたいに短期間で終わったのも潔い eoa
コピーバンド
ミヤミュージック
ガチのNHK党
立花孝志の子分?
ホームページ作成管理 坂本がかっこよくキーボードを演奏してたからキッズ男子にもウケた
でも90年半ば以降の坂本は…… 全く評判になってないのに海外で人気を博すなんて売り出し方は
今では絶対にネットに即座に潰されるだろう
メディアにしたら当時の消費者って本当ちょろい存在だったんだろうな >>304
坂本のビジュアルを整えたのは高橋や周りのスタイリストやで
私服なるともさくなるともっぱらの評判w メディアが大衆をコントロール出来た、そんな時代に生まれたバンド >>250
そうだ!アタマ一家!思い出した~ありがとう! 昔、YMOのメンバーがインタビュー受けてる時にメンバーは一切喋らず、
何故か隣にいた“フランケン”みたいな異様なルックスの男がメンバーに耳打ちされて通訳のようにインタビューに答えてた映像を子供心に覚えてる
今ならあれはYMOがよくやってた「おふざけ」の一つだと分かるんだけど、
当時は子供でYMOの事は全然知らなかったので、本当にああいうスタイルでメンバーは喋らないグループなんだと思い込んでた YMOはクラフトワークじゃなくガーションキングスレイだよ
あれに影響受けてる。そこにおそらく細野のアイディアだと思うが
グルーヴを入れてる。それがユキヒロのドラム
しかし天才坂本の前に細野のプライドが折れそうになり散会した、というのが俺の推論だ >>251
細野は喫煙者だからインプラントしてもすぐ駄目になるのでは インプラントって歯茎がある程度ないと出来なくなると聞いたことがある
つまりあまり高齢になってからでは遅いんじゃないかな
歯茎も減っていくみたいだから >>38
全く売れてないってのは言い過ぎ
ビルボードHOT100チャートインは当時は日本で四グループ目の快挙
矢沢永吉もX-JAPANも久保田利伸もドリカムもワンオクもベビメタもアドも圏外だからな 大して凄くもないのに持ち上げられて勘違いしたおじさん >>306
裾のすれたジーパンにサンダルであだ名があぶさんだもんな 坂本は確か著書で日本のフォークソングとかに
民族音楽的な観点から興味があると書いてたな
世代的にもジーパンにサンダルとかも根っこにフォーク的なものを隠してた可能性もある >>253
昔はマネしたアーティストのことをハッキリ言ってたからな
聴いた人が「バッファロー・スプリングフィールドですね」とか「クラフトワークですね」と言っても
本人たちは「良くわかったね」ってニヤニヤするだけ
洋楽に詳しいことイコール教養だったし マイケルジャクソンの目に留まったんだからまったく売れてないわけないわな >>186
教授がジャズをやれたのがデカいのよ
普通にビル・エヴァンス弾ける人だから
当たり前だけどフュージョンってジャズの派生ジャンルだからねw グルーブ、リズムも理論
パターンの組み合わせだから
幸宏はたぶん教授に出会ってそこに気付かされた
細野さんは結局ロックの人だから感覚でやってた
だから限界があった ポールマッカートニーのソロアルバム、マッカートニー2はテクノ要素が強い。
80年に発売されたことからもYMOの影響を受けたのは間違いない
カミングアップのMVはカステラという文字の入ったTシャツを着ている >>33
YMO以前の若い頃、桟橋から海に転落したってハナシ
聞いた記憶あるが詳しく知るひと他におるかも。
水難の相が出てる言われたってw TMネットワークの時代ですらシーケンサー不安定だったからな >>320
YMO直前の活動がほぼフュージョンだらけだったからね
フュージョンは大きく分けて二派あってジャズ系とロック系だよ
渡邊がジャズなら高中や和田がロック系 >>324
あの連中はQXだったかなw
フロッピーがまだまだでw >>1
イエロー・モンキー・オーケストラ
黄猿楽団 >>141
ジャンミッシエルジャールとかタンジェリンドリームとかエマーソン、レイク&パーマーあったじゃん。 でも僕はやっぱりYMOは素晴らしいと思うんですよね >>267
そこの浅いやつほどYMOはクラブワークのパクリと言いたがる。
実際にはどちらも大して聞いてない。
プログレとメタルの違いもわからないアホウ >>329
初期案はそうだった可能性がある
細野さんは日本人って部分に自虐的なとこあるし
こういうジャケにも現れてる
https://i.imgur.com/4xXDrcI.jpg >>1
ディスコファンクをクラフトワークっぽい解釈で東洋人がやったら世界狙えんじゃね? KRAFT WERK
赤シャツに光る黒ネクタイ。
DEVO
黄色いつなぎにエナジードーム。
YMO
人民服に見せ掛けた大正時代の赤いスキー服。
ということでw >>326
小室は売れるまで汎用パソコンでやってた
QXが進歩して落ち着いたけど
シンクラヴィア買っちゃって、ライブに持ち込んで見せびらかすから
また不安定 細野さんはウルトラヴォックス好きだったらしいけどね >>173
>>176
好きなら名前くらい正確に書けよ なんだかんだで今でも聴くのはファーストだな
ファイヤークラッカーと東風が最高 インストゥルメンタルの楽曲は割と聞いてたけど
ボーカル主体になってからあまり聞かなくなったかな
高橋さんはいい歌声だと思ったけど、歌詞に印象を受けたことはほぼなかったし >>340
キューはウルトラボックス拝借したんだよな。
教授は腹立ててレコーディング参加せず。
ライブだとドラム叩いてた。
名曲だけどね >>305
当時の小中学生はそんな煽り文句知らない
ただ、新しい音やビジュアルに喰いついた
メディアにしたらってYMO何てテレビで殆んど見なかったし
音楽雑誌何てマニア向けで広がりなかった
そもそも仕掛けや売り出しのアイデア無く出て来たモノ何て
どれだけあるってんだ?
モーツァルトだってビートルズだって後押しがあって羽ばたいたんだよ >>346
よく「ゴリ押し」って言葉を使う人間がいるけど
それは逆に「事務所が所属タレントを推すことなど無い」と誤解してる証拠なんだよな
実力さえあれば家で寝てても突然テレビ局から出演依頼が殺到すると信じてる >>267
基本コンセプトがクラフトワークのマネから入っているからな
丸パクリは恥ずかしいからちょっとかえてみたとしてもフォロワーなのは変わらない 「COMPUTER GAME (Theme From The Circus)」 全米60位 >>348
問題は「ゴリ押す」ことではなく「ゴリ押し続ける」ことなんだが、そこの区別がついてないわなw >>347
宝島とTechiiも
YMO界隈がよく出てた >>305
いや、「ワールドツアー」って当時からギャグっぽいニュアンスを含んでいたぞ
回る都市を妙に少ないのをネタにしていた
プロレスのワールドシリーズ的な >>229
宇多田ヒカルみたいなポジションかねぇ
上級2世の才色兼備で >>1
YMO+渡辺矢野松武のユニットツアーは最高だったね
これでずっと続けて欲しかったわ ここのおじさんたちはアカデミー賞とっても認めてくれないから厳しいよな 懐かしい
♪だっ、れっ、かっ、ロマンティックー、とっ、めっ、てっ、ロマンティックー クラフトワークってのがYMOが真似したバンドらしいぜ>実際レコード「人間解体」聞いたら、似ても似つかないのでがっかりした え?全然パクリじゃなくね?
例えばコンピューターやシンセを使った手法をパクったみたいにいうと
全ての音楽はパクリになる クラフトワーク好きでYMOをよく知らんのだが何の曲が何の曲に似てるの
コンセプトとかじゃなくて クラフトワークの影響下って言ったらゲイリー・ニューマンとかウルトラヴォックスでは?? 打ち込みやコンピューターやシンセサイザー使ったらパクリっていうのはあまりにも乱暴だよ
どっちが先か 論争ならわかるし
それはクラフトワークなわけだけど
ポップスにエレキギター使ったらパクリっていうようなもん >>46
その後の電子楽器のほとんどは日本製だし
国内にしっかりマーケット作ったから輸出もできたわけで インタビューで細野がクラフトワークとDEVOとマーティンデニーともーータウンをパクッてできたのがYMOって言ってた >>357
小学生のときテクノポリスでもライディーンでも
我慢してたのにアブソリュートエゴダンスでついに
我慢できなくなり小躍り〜なんちゃって琉球ダンスしちゃった。 ウルトラヴォックスのpassionate reply→YMO cue
YMOのX♾multiprize → visage moon over moscow
は明らかに似ているけど、クラフトワークのどの曲もYMOに似ているのは無い 細野晴臣
ハイスクールララバイ:芋きんトリオ 松本隆/細野晴臣
ティアドロップ探偵団:芋きんトリオ 松本隆/細野晴臣
ティーンエイジ・イーグルス:芋きんトリオ 松本隆/細野晴臣
しあわせ音頭:柏原よしえ 藤田まさと/細野晴臣
きたかチョーさんまってたドン:川上さんと長島さん 高平哲郎/細野晴臣
ハートブレイク太陽族:スターボー 松本隆/細野晴臣
三国志ラブ・テーマ:小池玉緒 細野晴臣/細野晴臣
玉姫様:戸川純 戸川純/細野晴臣
禁区:中森明菜 売野雅勇/細野晴臣
夢・恋・人。:藤村美樹 松本隆/細野晴臣 キテレツ大百科のうた:堀江美都子 おこちそう/細野晴臣
天国のキッス:松田聖子 松本隆/細野晴臣
ガラスの林檎:松田聖子 松本隆/細野晴臣
ピンクのモーツァルト:松田聖子 松本隆/細野晴臣
硝子のプリズム:松田聖子 松本隆/細野晴臣
月下美人:松本伊代 松本隆/細野晴臣
ねらわれた少女:真鍋ちえみ 阿久悠/細野晴臣
紐育物語:森進一 松本隆/細野晴臣
風の谷のナウシカ:安田成美 松本隆/細野晴臣
赤道小町ドキッ:山下久美子 松本隆/細野晴臣 本人達は遊び感覚でやってら
いきなり売れてびっくりしたって言ってたね つい最近BSで正月に三人みたと思ったのに、もう二人もいないんだよな >YMOとは何だったのか?
シンセサイザーを用いたインストバンド?テクノとは言っても情緒あるメロディや起承転結がはっきりあったり、クラブシーンからきたテクノとは源流が違う人間的なシンセのオーケストラか >>384
テクノポップって日本だけの呼称でしょ?
欧米ではシンセポップとかエレクトリックポップって言われた >>379
夢見る約束 細野晴臣 戸川純ヴァージョンもいいw 坂本龍一
比呂魅卿の犯罪:郷ひろみ 中島みゆき/坂本龍一
恋はルンルン:伊藤つかさ 仲畑貴志/坂本龍一
Grandma Is Still Alive:GEISHA GIRLS Ken & Sho/坂本龍一
少年:GEISHA GIRLS 売野雅勇/坂本龍一
MIND CIRCUS:中谷美紀 売野雅勇/坂本龍一
砂の果実:中谷美紀 売野雅勇/坂本龍一
クロニック・ラヴ:中谷美紀 中谷美紀/坂本龍一
無国籍ロマンス:荻野目洋子 岡田冨美子/坂本龍一
くちびるNetwork:岡田有希子 松田聖子/坂本龍一 レゲエミーツYMOシンセポップだな
Jennifer Lara - I Am In Love
tps://youtu.be/srK1TlIT82c アルバム「Public Pressure」に収録されている「東風」のアレンジは神 YMOのアルバムって1分程度の短い曲やギャグをいくつも混ぜ込んで曲数を増やしているけど賞味4曲~8曲で30分程度しかないの多いよね。 グリークシアターの東風のギターソロは渡辺香津美さんのベストパフォーマンスの一つに上げてもいいと思う クラフトワークじゃなくてジョルジオモルダーじゃないかな。より参考にしたのは。
また初期のYMOはライブバンドだったので、高橋幸宏のドラムや渡辺香津美のギターが映えたよね。 >>399
日本でそう言われてたらそれでいいじゃん 後追いだけどBGMとテクノデリックはやっぱりすごいと思うよ このバンドの音は松武の貢献が大きい
だからアルファは彼の首を切りたがったがそう出来なかった >>405
マニピュレーターに過ぎない
音楽的にはただ指示されたものをその通り作っただけ >>385
muzik non stop
techno pop
ってkraftwerkも歌ってるけどなー >>407
それをクビに出来なかったという事実なw 要は音的にはYMOは松武秀樹が支配していた
語り尽くされてるがメンバーの演奏技術的にはそう大したバンドではなかった こんなふうにネットが発達していたら
YMOの逆輸入商法は成功していなかっただろう アニメのライディーンををネットで検索しようとしたら執拗に邪魔してくる存在 そこに目を付けた細野晴臣の慧眼を否定する気はないが >>349
バントの神様構成がキーボード、ギター、ベース、ドラム。
どこがクラフトワークのマネ? 頭が悪い人ほどクラフトワークのモノマネと一言で片づけたがる。
実際にはどちらも全く聞いてない人。 今の日本を動かしているのはYMOを聴いて育った世代たち >>385
日本でもJULLANからはもう
エレポップ言われだしたね。
83〜84年で時代的にも
テクノポップに一区切りついた。 確か海外では人気あったけど日本国内では人気なかったバンドなんだよね >>378
CUEてこれのパクりなんだ。知らなかった。曲もさることながら歌い方までそっくりやん。がっかりだわ。 ちょっと視点を変えると、日本で通用しないバンドが欧米では通用したとも言える
つまり昭和の日本の大衆音楽ってのは玉石混交、
世界で最もバラエティに富んだある意味ハイレベルな市場だったのではないか でもリアルタイムであの時代を通ってきた者からすると
79年、80年、この二年間って物凄く面白い時代だったんだよ
特に音楽、新しい時代に切り替わっていく感じが凄かった
百恵から聖子、ニューミュージックからシティポップ、テクノやニューウェーブ
その中でYMOの影響が本質的なところで大きかったと思う
それは音がデジタル化して飛躍的に変わったのと、それに対するアンチテーゼとして
例えば大瀧がロンバケを出した >>15
現代ロックンロールを内田裕也のパクリというのに等しい デジタル化してるよ
デジタルシーケンサーの登場が大きい
もちろんモーグなども併用している >>428
そう考えると今の日本の音楽業界って10年以上も
硬直化して低迷を続けてるなぁ
まぁその象徴がキャバ嬢システムと言われてる、
秋豚が考案した握手会というおよそ音楽とは関係の無いシステムで、
日本の音楽業界を牽引していったのがそもそもの
間違いであったが まあ、テクノ音楽の先駆者だとはいえても、海外じゃすでにそういう音楽はされていたし
高橋幸宏にしろ、坂本龍一にしろ
亡くなった時にあそこまでデカデカと
新聞記事にするほどかな、と
最近亡くなった漫才師の春日三球の死亡記事の小さかったことと比較しても >>433
秋元は二度、日本の大衆音楽を終わらせてるからね
たぶんそれが目的だったんじゃないかって俺は勝手に思ってる >>289
自分はロキシーミュージックが好きだった
アバロン >>435
テクノポップの先駆者だから評価されたってわけじゃない
曲がアジアンテイストとゲーム音楽っぽくてかっこよかった クラフトワークのパクリ
アブソリュートエゴダンスはまあまあ サウンド抜きにした音楽性を探れない奴は音楽リスナーとして低レベルだよ >>438
ファッションもね
男子高生はみんなテクノカットしてた
ほとんどの人はYMOで初めてシンセサイザーを知った
61鍵シンセが安く買えるようになり、その後のバンドのあり方を変えた
なによりサウンドの色彩感が圧倒的に違う >>25
アッコちゃんの産休で橋本一子が入ってたんだよ YMOとは、
細野さんの声かっこいい
キョージュの声気持ち悪い
ユキヒロの声エモい >>442
橋本一子はすごく才能あったが
旦那が交通事故で動けなくなり看病に相当かかったらしいな >>411
途中で切られてるし、YMOネーミングになる前の初期は松茸秀樹じゃないマニュピレータも存在してるじゃん
レコードのクレジット見ればわかる 当時の資料とかは詳細に残ってるのも多いし、知ったか出来ないだろうなYMOの場合 >>15
YMOからクラフトワークを知って聞いてみたけどつまんなかった 今から俯瞰的に見れば
「このレベルの音楽なら、欧米に既にいくらでもあった。」
そして、日本には無かった。
今の東南アジアの国と対比してみれば良いだろう。 >>411
支配してたとかいちいち大げさな表現する奴だなぁw >>428
テクノブームというのか、モノトーン、黒一色ファッションが流行ったな。
歌謡曲も榊原郁恵の「ロボット」とかそんなイメージまんま。
イモ欽トリオもYMOテイストの歌。ベストテンとか夜ヒットでYMO初めて見たとき
歌無しインストでこれだけ前面に出てくるバンドは珍しくは感じた。
のちにジューシーフルーツやらヒカシューとか歌入りバンドも出てきたけど
やっぱYMOのロックでも歌謡曲でもない捉えどころのないスタイルで当時出てきた
印象、インパクトがそのまま今も古さを感じさせない所以かも。 >>397
どう考えても「音楽はお国の為にやるものだ」という思考こそが老害だろ
元々ロックはプロパガンダ音楽じゃないんだから >>445
ラーゼフォンの辺りから再び見かけるようになったきおく
不二子という女の語りOPはよかった 82年くらいになるとニューロマとかピコピコサウンドのポップスはブームになりつつあったから
急激に目新しく感じられなくなっていったってのはあるだろ
少しすると音源自体が変わっていったからな >>428
1980年シャネルズデビューだから最新のテクノの流れと別にオールディーズリバイバルの流れも始まってたのが凄いな
>>433
昔の邦楽ポップを聴くと全体的に洋楽のサウンドとそこまで差がない事に驚くんだよな
一般人も洋楽の知識が驚くほどあるし
芸人がリアルタイムでマイケルとかMCハマーのパロディしたりとか
今で例えると芸人がザ・ウィークエンドとかブルーノ・マーズのモノマネして
オリコンからアニメソングまでTRAPビートがあふれてるような状態だからな >>457
肥大化したレコード会社を食わせる為にグループアイドルとか頑張れソングを大量リリースした挙句、日本の音楽シーンは大きく遅れたからね >>428
それは音楽だけじゃなく漫画や映画等、すべてが新しくなった時代だったと思う
子供にもわかった 演歌と軍歌と長淵剛しか音楽聴けない哀れなネトウヨには嫌われてたけど
普通にいいよなあ
リアタイ世代じゃなくても素晴らしさ分かる >>62
タイトゥン・アップってシングルだったのか
しかもライディーンの後にって
そりゃ売れねーよ >>457
YMOが売れてすぐに
その年の紅白でひろみ郷ほか御三家とか演歌の人たちが
幕間の小ネタでYMOのパロディやってたな
NHK受けも元から良かった ジュリーはトキオでピコピコをやり
6番目のユ・ウ・ウ・ツ。でニューロマをやった。 >>463
センス良いものを引っ張り上げてくれるような当時の人たちの器の大きさを感じるね 陽キャが横浜銀蝿を聴いてチー牛がYMO聴いていた時代 >>458
当時の頑張れソングやグループアイドルを
とがった最新のサウンドにできなかったのかな >>466
俺は両方リアルタイムで体験してないが
今見ると横浜銀蝿すら50年代リバイバルでセンスよく感じてしまう始末だよ
メジャーシーンのバンドやファンが自分の生まれる前のロックンロールを心から愛してるって状況が凄い
俺は生まれる前の音楽好きだけど同世代に全く共感されないからな >>453
たぶん、君に胸キュンとかイモ欽がなきゃ筒美作曲によるCCBはなかったと思う
筒美は何が流行ってもそれを昇華し歌謡曲に落とし込むのがすごい
夏のクラクションはおそらく筒美流の山下達郎だと思う >>457
オールディーズ、50sがあのころ流行ったのは複合的な理由があると見ている
ロックがプログレなど芸術方面へ向かったことでアメリカなどは大衆が娯楽音楽に回帰していった
ディスコであったりソウルであったり。そしてロックの中からクロスオーバー化したフュージョンが出てくる
日本でいえば高中など。一方でホテルカリフォルニアなどウエストコーストサウンドもヒット
雑誌ポパイの創刊などで徐々に高まった西海岸ブームは
アメリカングラフィティ的な世界と相性が良かった >>461,467
どこかの細野インタビューで読んだ話。
まずは前置き。
当時はYMOであるというだけでなんでも売れちゃう状態だったので、レコード会社は定期的に新しいレコードを出したがった。
元々はナイスエイジとシチズンズオブサイエンスの二曲が、アメリカでのシングル発売を見込んで、79年の12月だかに録音されていたんだが、
シングル発売の話が頓挫して、そうこうしているうちに“増殖∞×”の一部となった。
前置きここまで。
で、80年の暮れになって、「改めてナイスエイジをシングルで出さないか」という打診があったらしいんだけど、
細野の興味関心が、そのころにはスカに移ってたんで、「いま面白いといったらコレかな」ということで、タイトゥン・アップがシングルカットされたんだそうだ。
細野個人の興味関心と、世間がYMOに求めるものが、乖離していたという話。
シングルB面がナイスエイジになっているのは、元々はナイスエイジをシングルにしようとしていた名残りだろうね。 multipliesシングルカットすれば良かったのに >>449
元々スタジオで使うことしか想定されていなかったシーケンサーを、室温も高い湿度も上がるライブ会場に持ち込んで、
その場で走らせて生演奏を同期させた、というのはYMOが初だったらしい。
本当に目新しいものがなにもないなら、80年のイギリス公演に、当時の有名ミュージシャンがあそこまで集まったりせんよ。 >>41,131,147,186
初期のライブでのギターソロの話。
当時使っていたシーケンサーは、データ記憶容量が非常に少なく、実質的に一曲ぶんしかプログラムしておけなかったとか。
なのでライブ会場には同じシーケンサーを二台持ち込み、片方で演奏中に、もう片方では次の曲のためのプログラム打ち込みを、松武秀樹がその場で行っていたそうだ。
で、打ち込み作業にはどのくらい時間が掛かるか読めないので、現在演奏中の曲の時間調整のためにギターソロをやらせたそうだ。
もう少し時間が欲しいなという時には、「もうちょっとギターソロ伸ばして!!」という感じだったんだろう。
当然ながらスタジオ版ではそんなこと必要ないので、長いギターソロは無い。
渡辺香津美のギターテクがアメリカで受けたのは、あくまで結果論。
これはファンの間では常識となっている話だが、この板では知らない人も多かろう。 >>34
実は、その両者は別バンド(別名義)だ、という説があるんだ。
ソースが俺の記憶だけなので申し訳ないけど、2002年だったか2003年だったかのスケッチショウのFMラジオ特番で、
細野・高橋の歴史を語るナレーションの中で、「1981年にはバンド名をYMOに改め……」という一言があったんだ。
えっ?と思って、当時のレコードの背表紙の部分(LPレコードの脇のうっすーい部分)を見たら、
確かに、80年までのものはYellow Magic Orchestra表記で、81年からのものはYMO表記になっていたんだ。
それ以来、俺の中では、Yellow Magic OrchestraとYMOは別のバンドという扱いだ。 >>159
元々売れようとして活動したグループなので、最先端とポップのバランスを狙った音だったこと。
今となってはたいしたことないかもしれないが、当時としては充分すごいサウンドだったということ。
君がライディーンと君に胸キュンしか知らないということ。
マジカルパワーマコなんていうマイナーなのを知ってるくらいなら、ぜひともBGMとテクノデリックくらいは聴いてみてくれ。
申し訳ないが、俺はマジカルパワーマコ聴いたことないが。 >>180
YMOをテクノと捉えるからそういう物言いになる。YMOは言ってみればニューウェーブ。
当時のテクノってのはあくまでもテクノポップの略。今でいうテクノとは明らかに別。 テクノポップもニューウェーブも
テクノポップではない方のテクノも
アンビエントもすべで飲み込んでしまったのが
福間創のベリッシマ。 ワールドワイドのYMOとお笑い芸人や女子アナがテレビの中でおしゃべりしてる。
80年代の勘違い社会はここから始まったようなものだったな。 細野か高橋を中傷するコピペを数年貼ってるの
いたよな捕まったんかな >>478
デジタル技術は日進月歩でフェアライトとかシンクラビアみたいなサンプラーが出て、
今のDTM、DAW に続いてるんだっけか。楽器弾けなくてもあらゆるジャンルが作れる
といっtも未だに生楽器、生演奏の魅力は不変だ。 >>478
プログラムの打ち込みではなくプログラムデータのロードじゃないの?
ファーストアルバムからMC-8使っていてカセットテープでロードできたけどその時間が曲の長さより長かったとか。
その決まっているロード時間を稼ぐためにギターソロで曲の長さを引き延ばしていたんでしょう。
ロードしている間にほかにやっていたのはメモリーできないモジュラーシンセの音色の変更とかだったはず。 YMOってジャンルに縛られることなく各々が好きなことやって実験的な場でもあった
特にある程度売れたソリッドステイトサバイバー以降テクノデリックまでが顕著
いまでは定番のTR808を試作品の段階から取り入れたり、これもいまでは当たり前のサンプラーを初めて本格的にレコーディングに取り入れてたサウンドは当時世界的に見ても最先端を行ってたよ >>482
ヤマハのMSXでシンセやってたやつくらいしか知らんのじゃないか、わしのことだけど アーティスト名順にアルバムを整理してるんだけど、「い」にするか「わ」にするかいつも迷う >>481
アラベスク ボニーM ブロンディ ノーランズ ビレッジピープル トシちゃん沖田 YMOって感じだった ごきげんいかが123のほうが
リリースが1ヶ月早いような 一番死にだった細野晴臣が生きてる
高木ブーが生きてるのと似てるな >>435
高橋幸宏が亡くなってすぐの米グラミー賞で追悼ミュージシャンに挙げられてましたよ
多分来年のグラミー賞で坂本龍一も挙げられるだろう ユキヒロさんの渋公ライブから
ちょうど40年て今、気づいたw 批判してる連中が全員後追いのウィキ厨か。恥ずかしいな。
後追いは否定しないがな。 批判?
81年-82年ぐらいの運動会がライディーンだぞ >>466
どっちも流行りものだぞ
音楽的に残ったのがYMO
芸能で消えたのが横浜銀蝿 >>487
まあ捕まったようなニュースを聞いたけど、起訴できないようなにんげんに決まってるから
措置入院くらいしか出来なかったのでは イエローマジックのイエローって言うやっぱ黄色人種ってこと? >>466
小6の時連れのバリバリヤンキーのにいちゃん(中3)たちがライディーン聴いてたぞ
逆に銀蝿とか聴いてなかったな
ブラックキャッツとか一風堂とか聴いてたぞ
大体そのにいちゃんたちからみんなダビングしてもらって音楽聴きてたからな
デビットボウイとかシンディローパーとかネーナとか洋楽もヤンキーのにいちゃんたちのカセットテープで覚えたよ
地域によるのかもしれないけどな きょうだいがいると違うよね
俺も姉に連れられて
キャットストリートのドンツキの
クリームソーダにいったな
姉はいわゆるテッズ?だった 「世界のサカモト」坂本龍一さんの偉大な功績を振り返るNHK特番 7月6日放送 役所広司がナレーション YMOに限らずあの頃の日本全体がすごかったって話だわ >>512
正確に言うと当時はまともな国が少なかったので
相対的に日本と欧米が突出していた おまえら、いつまでも坂本龍一ガー、高橋幸宏ガーって言ってると、あの世から呼ばれちゃうぞ >>516
ホントそんな感じ
今は日本やアメリカ以外の国でも経済大国になって目立たなくなった >>62
君に胸キュンは聖子ちゃんに負けたんだっけ 天国のキッス
松田聖子の脇で細野さん
生演奏したテレビあったなw
リンドラムあったかも。 >>180
誰もテクノデリシャスにはツッコまないんだな ピコピコサウンドは当時流行ってたインベーダーゲームとリンクするところがあったから
その影響も加勢した感はある え、お前ら、原宿のホコテンでRYDEEN踊ってないの? 前略、道の上からなら知ってる
そういや沖田浩之って兄ちゃんの同窓だったわ 国が衰退した今は居なくなった高等遊民のグループだった 考えてみ?
チンパンジーがシンセサイザーをピコピコ鳴らして踊ってたら面白いやろ? >>459
サブカルチャーがメインカルチャーに置き換わって外国人に大ウケの現代日本の基礎がその時代に築かれた、という感じだね。 クーソーしてから寝てくださいの曲って、YMOなの?
タイトル不明で幻の名曲扱いされてるみたいだけど。 細野のソロじゃない?
making of the world standard music
とか >>532
3人ともいわゆるブルジョア階級の人間だったからね。
プロフィールを見て、ああこれ真似するの絶対無理やわと思った。 細野さんとこはまぁじいちゃん官僚なんでブルジョアでもいいと思うけど
坂本はブルジョアってよりインテリゲンチャな方かいなと、幸宏はよくわからんけど
どっちかというとインテリ系っぽいがはてさて
上級国民とかもだけど、ネットのテキスト文化で語彙は増えてるけど言葉のチョイスが
雑になってるなと、昔はここらの人の音楽は東京文化圏的なくくりだったね
同時に地方出身のミュージシャンが色々でてきてたから 今みたいにネットでタダで世界中の音楽聴けて
なんならフリーソフトだけで音楽作れる環境じゃなかったからね >>538
ラジオで細野さんが高校生のユキヒロと初めて出会った時の話で
「ユキヒロの軽井沢の別荘まで自転車で行った」って言ってたからユキヒロも金持ちっぽくない?
細野さんはユキヒロのおねえちゃんがお茶漬けを出してくれたのに
スプーンで食うのが嫌で全部残したらしい >>541
それは若干間違い。
高橋一族が所有する軽井沢の別荘でお茶漬けを食べ終えた細野が、
「僕、スプーンでお茶漬け食べたの初めて」
と言った。 YMOって書いて何て読むか知ってる?
ねぇ、知ってる? わいえむおー、イモ…
OK、OK、Everybody 幸宏さんなんか20代前半のころに
マノロブラニクの新作を買うためだけにパリに飛ぶぐらいのオシャレ野郎 >>538
金持ちかどうかとか資産の問題だけじゃなくて何代にも渡って音楽や文化を楽しみ高い教養がある人たちだろうね。細野さんの祖父のタイタニック話しといい。 坂本は芸大時代は髪ぼうぼう髭ぼうぼうで服も着た切り雀だった
テクノカットで時代の最先端になったら同級生たちはみな驚いた >>543
どういう意味で?
作品数→及ばない
活動年数→及ばない
ワールドワイドの知名度→及ばない
レコード売り上げ枚数→及ばない
リスペクト→及ばない
これくらいしか思いつかん
逆にYMOは
日本での知名度→圧倒的に凌駕
日本でのリスペクト→圧倒的凌駕
日本での売り上げ→圧倒的凌駕
こんなにある。 音楽活動だけしてたらいいのに
背伸びし過ぎたら晩節おかしくする
先駆者 クラフトワークは四つ打ちテクノ。
素人でも機械をいじっていれば偶然できてしまう音楽。
それに対してymoは音楽的教養をフル装備の上で
楽器の演奏テクニックもある人々がたまたま電子楽器を
選択した音楽。スクエアープッシャーも後者。 >>551
それな
音楽的な下地が違うわな
クラフトワークは音楽的下地でいうならいわゆるデトロイトテクノとかの
サンプラーなど機材好きが機材弄って我流音楽作ってみましたって感じ 今でも聴けるわ。
DX-7が出る前に散開して良かった。
打ち込みやシンセに対する風当たりが90年代もずっと強かったけど良いものは良い。 僕なんかは一日に8時間ロック聴きまくって生活してるわけですよ
そうするとよくわかるのは、良いものある、だけど悪いものもあるって感じだなあ >>555
スネークマンショーのユーモアセンスも中学生の僕には
斬新だったな。またコント終わりの曲始まりがカッコよかった。 今のZ世代だかにスネークマンショーは刺さるんだろうか? >>539
とりあえず金持ちの家じゃないとピアノとかなかなかできないよね
家が防音設備とか整ってたらギターやドラムもやり放題だし貧乏だと音楽に興味あってもハードル高いよね >>557
逆に新鮮だと思うよ。
音だけのコントなんて。
これなんですか?
とかきいてほしい。 >>558
うちは親父が頭古くて、ピアノ習いたいつったら、そんな女がするようなもの習うんじゃねぇって一蹴されたわw ここは警察じゃぁないよー
も増殖のスネークマンショーだっけ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています