【音楽】ブライアン・ジョーンズはなぜローリング・ストーンズにとって重要だったのか? [湛然★]
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Why Brian Jones Was So Important To The Rolling Stones
Published on February 28, 2023 By Richard Havers
uDiscoverMusic ※DeepL翻訳
https://www.udiscovermusic.com/stories/just-why-was-brian-jones-so-important-to-the-rolling-stones/
Photo: Mark and Colleeen Hayward/Redferns https://www.udiscovermusic.com/wp-content/uploads/2022/02/Brian-Jones-2GettyImages-187171599.jpg
■ブライアン・ジョーンズは、音楽の革新者であり、マルチ・インストゥルメンタリストとして、初期のローリング・ストーンズに非常に大きなインスピレーションを与えた。
ブライアン・ジョーンズは1969年7月3日、わずか27歳という若さで悲劇的な死を遂げた。彼はローリング・ストーンズに7年間在籍し、初期のバンドにおける彼の重要性は過小評価されることはない。彼は本当に革新者であり、その波乱に満ちた人生にもかかわらず、彼が音楽に与えた影響は認識されるべきだろう。
ブライアン・ジョーンズは英国で最初にスライド・ギターを弾いた一人で、ブルースへの愛が、彼とローリング・ストーンズの他のメンバーがバンドを始めたときの核心部分であった。特にバンド初期の彼の音楽性は、ローリング・ストーンズをポップ・チャートに押し上げるシングルに多大な影響を与えた。また、彼のファッション・センスや男女両方にアピールするヘアスタイルは、大西洋の両岸のバンドに模倣されたのである。
(※中略)
ブライアンは16歳のときに初めてチャーリー・パーカーのレコードを聴き、両親を説得してサックスを買ってもらった。しかし、これはブライアンが持つ多くのものと同様、一過性のものであることが証明され、17歳の誕生日にアコースティック・ギターを贈られる。1961年にチェルトナム・タウン・ホールで行われたクリス・バーバー・バンドのコンサートを観に行くまで、ブライアンは様々な仕事を経験した。ブライアンはブルースに夢中になり、エルモア・ジェームズやロバート・ジョンソンのレコードを聴きながらスライド・ギターの練習をした。
やがてブライアンはヒッチハイクでロンドンに向かい、イーリング・ブルース・クラブに通い、アレクシス・コーナーのバンドに同席することもあった。ある夜、クラブを訪れたミックとキースがブライアンのスライド・ギター演奏を見て、エルモア・ジェームスの「ダスト・マイ・ブルーム」の演奏に感銘を受ける。その後すぐにブライアン、イアン・スチュワート、キース、ミックはソーホーのブリックレイヤーズ・アームズ・パブでリハーサルを始め、1962年7月12日にマーキー・クラブでアレクシス・コーナーのバンドでデビューした。ザ・ローリン・ストーンズと銘打ったのである。
ブライアンの音楽的才能は作曲にまで及ばなかったが、その才能はストーンズの数多くの録音で聴くことができ、中でも「I'm a King Bee」「Little Red Rooster」「Beggars Banquet」の「No Expectations」でのスライド・ギターは有名。また、「Street Fighting Man」と「Paint It, Black」ではシタールを、「Let's Spend the Night Together」ではオルガンを、「Under My Thumb」と「Out Of Time」ではマリンバを、「Ruby Tuesday」ではリコーダーを演奏している。 ダルシマーとハープシコードで「レディ・ジェーン」、サックスとオーボエで「タンポポ」、メロトロンで「彼女は虹」、ハーモニカで「ノット・フェイド・アウェイ」「2120 South Michigan Avenue」「放蕩息子」などを演奏している。 "
ブライアン・ジョーンズは、1967年頃からバンドと疎遠になり、ローリング・ストーンズの音楽的方向性に不満を抱き、孤立感を強めていった。1969年初頭、彼は自分の才能を生かせる新しい音楽の方向性を見出すため、自分が結成に関わったバンドを離れることを決意した。1969年7月3日未明、27歳のブライアンは、サセックス州アッシュダウン・フォレストの新居のプールで溺死した。
●I'm A King Bee
https://www.youtube.com/watch?v=Q2OIvFg-ljc 27クラブ
ブライアン・ジョーンズ、
ジミ・ヘンドリックス、
ジャニス・ジョプリン、
ジム・モリソン
カート・コバーン ブライアン・ジョーンズは総合的になんでもできた。
活動続けるうちに、他メンバーが力つけてジョーンズ抜きでも
バンドのレベルが下がらなくなったあたりでいらなくなったんだろ。 キースが殺した説をどっかで見て吹いた
全くない、とは言えないところがあって良い ワロス
ただでさえ無知で単細胞が多い芸スポ民が
そんなマニアックな話に付いていける分けないだろ
ゴルフのブライアンジョーンズしか知らねえよ 重要もなにも創始者じゃないか
ダチョウ倶楽部の南部みたいなもん 職場で必死に働いて貢献してたのが上司の圧迫で働きずらくなって居ずらくなってた時ブライアンの晩年を見て共感してたわ シド・バレットも初期のリーダーだったね(´・ω・`) エドサリバンショーの
ペイントイットブラック
高校生で見てかっこよすぎて痺れた この人が居なかったら順調に売れなかったんじゃなかろうか?
そんなイメージ 多才なのになんで曲作れないんだろうね
WHOのロジャー・ダルトリーも >>1
代わりの利かない人ではなかったんじゃないかね
せいぜい便利なユーティリティプレイヤーくらいのポジションで >>19
関心がなかっただけじゃね
ミックとキースだって最初はそんな感じだっただろうし 悪魔を見たと叫んで翌日プールでプカっと浮かんでたんだっけw イギリスは階級社会だがブライアン・ジョーンズとミック・ジャガーだけ労働者階級の子じゃなかったんだよな ジョージハリスンに似た活きの良い若者がブライアンか >>23
クラシック音楽なんてコースも分かれるからな
それで坂本龍一が演奏技術を矢野顕子にからかわれたり ストーンズファンには初期しか認めないブライアンジョーンズ原理主義者はおらんの 死んだ方のブライアンか。
ビートルズ解散→ミックのカルト化→オルタモント→ピエロとしてのローリングストーンズ完成
この変遷の間にひとりで楽器にこだわるブライアンがいてもなーって話。 >>31
当然ギターを持ってくると思っていたらサックスを持って現れ一同唖然。 >>19
ロジャー・ダルトリーって多才なんだ?典型的な歌上手いだけの人だと思ってるんだが ブライアンが抜けてからつまらないバンドになったしな 令和にもなってこんな昭和の化石バンドのスレなんかいらねーよ
死にかけのジジイ以外誰が聴いてんだよ スレ伸びる令和のピチピチ最新トレンディバンドなんてあるんけ 映画のストーンズから消えた男は他殺説で描いていたんだったっけ >>27
今のイギリスは大学進学率7割で日本より高く
階級社会なんて形骸化してるぞ ブライアンがいるときのJumpin' Jack Flashが最高 階級は文化も違うからな
ネット社会で文化を分けて生活するのは難しい 上手い奴がいるとバンドが成長するって言うもんな
ミックテイラーの時期もキースが必死に食らいついて
過去最高のパフォーマンスになってる 一番大切なのはブルースってことでストーンズが長く続いてるんだよな、全部ブライアンのおかげだろ
スティールホイールズでブライアンへの禊ぎを済ませたつもりのミックとキースが、以降駄作の連発なのは因果応報
奴らが殺ったに違いないんだから ブライアン・ジョーンズタウン・マサカーていうバンドがいたな こいつとかピンク・フロイドのシド・バレットとかレッチリのヒレルとかジェネシスのピーターガブリエルとかバンド草創期に活躍して死んだから評価されてるだけだろう ブライアンジョーンズhどうか知らんがシド・バレットは才能あんだろ。
arnold layneとか最高 唯一のソロアルバムはなんか不気味な感じだ
まあ演奏も何もしてないんだけど >>47
大学といっても下の階層が行ってる実質職業訓練校で明確に差があるとも聞く 映画 1+1 とLet it be は当時誰がバンマスだったかハッキリ分かって面白い ここまで時間経つと、ボブ・ディランの曲からバンド名をとったみたいな酷い勘違いする奴まで出てくるからな
正しい情報は定期的に出した方がいい ダンデライオンとシーズアレインボーに邦題とかあったっけ? >>55
草創期と呼ぶにはヒット曲たくさんあり過ぎだけどな >>22
ルビーチューズデイはブライアンジョーンズの作曲
チャーリーワッツなどの証言
ブライアンジョーンズが作曲しても全てミックキースの曲になってるだけ ブライアン「俺よりキース・レルフのほうがかっこいいよ」 若い頃のブライアンとミック・ジャガーの見た目は、インパクトがありすぎるな ロンウッドはそろそろ新人って呼ばれなくなったかな? ジャケ写にしても宣材写真にしてもストーンズのイメージをいちばん作ってた感のある存在だよね ブライアンは作曲なんか興味なかったろ
ブルースを演ってられれば良いって感じで
ミックとキースもそうだったけどアンドリューが曲作らせたのが大きかっただけ
その、「だけ」がブライアンの居場所を無くしてしまったけど アイツは教師にでもなって週末にサックスとか吹いてればよかったんだ
その方が良い人生を送れたはずさ
ミックかキースがそう言ってたの読んだ事あるけど残酷な事言うなぁって思った ジョンレノン
「ビートルズとローリングストーンズがライバルであったことなど1度もない。彼らは僕らのあとを追ってきただけ。作詞作曲をやりだしたのも僕とポールの真似、マジェスティックもサージェントペパーの真似、彼らは僕らの影響をうけてるけど僕らは彼らから影響をうけていない。」 >>80
サージェントペパーの真似はダサかったな
ビートルズ解散後がストーンズの良さだね >>35
結果オーライだったな
やっぱセンス良かったんだなあ >>77
ビートルズのような売れる曲書く意欲はなかったけどキースとルビーチューズデーは作曲してる、ルビーチューズデーはほぼブライアンの曲
、作曲はできたから他にも作曲してる
でも作曲してもミッキーキースの手柄になるからストーンズにいる意味なかった
売れる曲作る意欲はなくとも作曲はちょこっとしてる Have You Seen Your Mother Baby, Standing In The Shadow?のエンディングのギターはブライアンなんだな
あれカッコいい >>80
でもジョンは「ストーンズは僕らの真似をやめてから凄く良くなった」と言っているよ。つまりべガーズバンケットからな ミックとキースが作曲に悪戦苦闘してる中、チャラチャラ遊び、
なのにギャラ多く貰うのバレたのがブライアン孤立の理由じゃなかった
そして薬中でツアーとレコーディングすっぽかすのが当たり前になったから当然首切られるのが決定的に
最後までブルースにこだわってた、のも違くね?変なアフリカ音楽みたいなのにハマってたし ジョンもポールも明らかにストーンズだけに見下した言動するけど羨ましいって気持ちもあるんだろうね
ビートルズは70年に解散したけどストーンズの全盛期はそこからだし逆にジョンもポールもあまりパッとしなかった。ストーンズに対して嫉妬の感情もあっただろうね ローリング・ストーンズこそ史上最強のロックンロール・バンド
ビートルズは高性能な音楽制作集団でロックバンドという感じはしないんだよな ペパーズ後のビートルズ空白の時期にミックがざざっとのし上がり、他にも凄腕がわらわら流入してきて、
やりつづけてないと押しのけられるし今やったらコケにされるかもしれないの不安と恐怖にさいなまれたビートルズ
だったけん。 68年のベガーズバンケットから音楽レベルが一気に上がった
それまでもシングルは名曲が揃ってたが
アルバムとなるとそうでもなかった
ベガーズバンケットでアイドルから本格派アーティストに脱皮
レットイットブリードとスティッキーフィンガーズで
ビートルズを追い越し彼らを過去の産物に変えた ミックとキースは目標が高くて先を見てたから努力した
ブライアンはキャーキャー騒がれるアイドルで満足だったから遊び呆ける以外興味なかった >>89
日本で言うとビートルズは光GENJI、ストーンズはSMAP
ビートルズはAKB48、ストーンズは乃木坂46 ストーンズってぶっちゃけどこがワイルドなロックなの??
なんか民族音楽みたいなタルイ曲ばっかってイメージ >>93
それはビルワイマンで
ブライアンこそ野心が強く
ミックやキースになんか従いたくないという葛藤が凄かっただろう >>95
日本公演のミックジャガーはどこかインストラクターみたいな?
本来の野性味が削がれてるけど
アメリカで観るミックは今でさえもワイルドそのものだ ブライアンはおでこ見せると全く別人の雰囲気あるから蛍原みたいな理由でおかっぱなんだろうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています