【訃報】アートディレクター、信藤三雄さん死去 75歳 ピチカートやフリッパーズ、ユーミン、ミスチルなど数々の名ジャケットを残す [muffin★]
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https://natalie.mu/music/news/512732
2023年2月13日 20:13
数々のアーティストのジャケットアートワークを手がけたアートディレクターの信藤三雄が、胃がんのため2月10日13:59に75歳で死去したことが発表された。
信藤はアートディレクター、映像ディレクター、フォトグラファー、書道家、演出家、空間プロデューサーなどさまざまな分野で幅広く活躍。1980年代後半から1990年代にかけ、ピチカート・ファイヴ、フリッパーズ・ギターらのCDやレコードのアートワークに携わり、渋谷系におけるデザインの方向性を決定付けたと言われる。
そのほか、松任谷由実、Mr.Children、サザンオールスターズ、SMAP、MISIA、宇多田ヒカル、筒美京平、ドレスコーズの作品などこれまで手がけたジャケット数は約1000枚にのぼる。
またアーティストのミュージックビデオも多数制作し、桑田佳祐「東京」では、2003年度の「SPACE SHOWER MUSIC VIDEO AWARDS」にて「BEST VIDEO OF THE YEAR」を受賞。
同年、東京・日本武道館で行われた松任谷由実のトリビュートコンサートの演出も務めた。また1980年代に活動を開始したザ・スクーターズのリーダーとして音楽活動も行っていた。
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https://i.imgur.com/kiNqvrv.jpg スクーターズの人だよね
渋谷系のイメージあるけどユーミンとか大御所のデザインもやってたよね 娘ごころはスクーターズ
サリハナって人らのYouTubeチャンネルにチャダさんが出てたな。 多感な時期にこの人の手掛けたジャケの作品に触れてきたおかげで
デザインのかっこ良いかっこ悪いの揺るがない基準になっちゃって自分の感性がさっぱり新しくならないw
ただただ安らかに… >>17
まぁおおらかな時代だったって事でw
今だったらやばいのもチラホラw wikipediaより引用。
「自分と同じ価値観を持つ人/アーティストだった」[3]と彼が評する小西康陽とのコンビにより新しいアイデアを盛り込んだデザインを次々に発表していった[3]。ピチカートのほかにも、フリッパーズ・ギター、オリジナル・ラヴ、小山田圭吾のトラットリアレーベル、クレモンティーヌといった、いわゆる「渋谷系」にカテゴライズされるCD/レコードのジャケットデザインを数多く手がけた[5][3]。
吐き気がするな あらあお若いのに
ベリッシマのジャケはよくわかんないけど
写真はありモノなのかオリジナルなのか >>17
フリッパーズのヘッド博士はあからさまじゃね? こういうのってさ
別に特別才能があって人気があるってわけじゃなくて
過去にこのアーティストのジャケやりましたよって言う
実績だけで広告会社がプレゼン通して仕事とって任す
ある意味広告会社お抱えのアートディレクターなんでしょ 代表作
宇多田ヒカル「Keep Tryin'」
AKB48「So long !」「Green Flash」
エレファントカシマシ『ココロに花を』『明日に向かって走れ-月夜の歌-』『good morning』『ライフ』『昇れる太陽』『All Time Best Album THE FIGHTING MAN』[29]「風と共に」[30]「RESTART/今を歌え」
小沢健二『Ecology of Everyday Life 毎日の環境学』
GLAY『UNITY ROOTS & FAMILY, AWAY』『THE FRUSTRATED』
クレイジーケンバンド『TRAITEMENT DE CHOC - ショック療法』「タイガー&ドラゴン」
CORNELIUS『THE FIRST QUESTION AWARD』『69/96』『96/69』『FANTASMA』 ピンクのビニールジャケットやイヤホン付きなど実験的なデザインを多用した。
斉藤和義『COLD TUBE』
サザンオールスターズ『Young Love』『さくら』『海のYeah!!』「HOTEL PACIFIC」
SMAP『SMAP 007 〜Gold Singer〜』『BOO』『SMAP 009』「SHAKE」『WOOL』『SMAPPIES - Rhythmsticks』
竹中直人&ワタナベイビー Produced by スチャダラパー「今夜はブギー・バック」
DEAN FUJIOKA『Transmute』(Lucaism)
DREAMS COME TRUE『DREAMAGE-DREAMS COME TRUE “LOVE BALLAD COLLECTION”』
原由子『東京タムレ』
ピチカート・ファイヴ 『Bellissima!』『女王陛下のピチカート・ファイヴ』『月面軟着陸』『the international playboy & playgirl record』『R.I.P.』『ca et la du japon 1987年から全ての作品を手がける。変形ジャケット等実験的なデザインを多用した。
フリッパーズ・ギター『three cheers for our side 〜海へ行くつもりじゃなかった』『CAMERA TALK』『DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-』デビューから解散まで全ての作品を手がけた。
ホフディラン「長い秘密」『OFF DYLAN』「はじまりの恋」
MY LITTLE LOVER『Topics』『singles』『Self Collection 〜15 Currents〜』
槇原敬之『君が笑うとき君の胸が痛まないように』『君は誰と幸せなあくびをしますか。』
松任谷由実『VOYAGER〜日付のない墓標』『NO SIDE』『DA・DI・DA』『YUMING VISUALIVE DA・DI・DA』『ALARM a la mode』『SWEET DREAMS』『ダイアモンドダストが消えぬまに』『MATTARI!』『Delight Slight Light KISS』『ANNIVERSARY』『LOVE WARS』『天国のドア』『DAWN PURPLE』『TEARS AND REASONS』『真夏の夜の夢』『U-miz』『Hello,my friend』『KATHMANDU』『告白』『Neue Musik』『Lost Highway』『Frozen Roses』『Queen's Fellows』『VIVA! 6×7』『Still Crazy for You』『SEASONS COLOURS-春夏撰曲集-』『SEASONS COLOURS-秋冬撰曲集-』『そしてもう一度夢見るだろう』『Road Show』『恋をリリース』
MISIA『LOVE IS THE MESSAGE』『MISIA GREATEST HITS』『SINGER FOR SINGER』『SOUL QUEST』
Mr.Children「君がいた夏」から「Sign」までの全シングルと「旅立ちの唄」、『EVERYTHING』から『IT'S A WONDERFUL WORLD』までの全アルバム、ベスト・アルバム『Mr.Children 1992-1995』『Mr.Children 1996-2000』
LADIESROOM「Get Lost」『eat a peach』
Little Black Dress『浮世歌』
ロビー・ウィリアムズ『Escapology』 >>28
ユーミンの全盛期にほぼ食い込んでるんだな 正式に発表されてないけど「えっ」とか言って出所の怪しい訃報に食いついちゃう派
vs
正式な発表があるまでは頑なに触れないし食いついてる奴を揶揄する派 >>28
これすげーな
何枚か確実にジャケ写思い浮かべることできるわ >>2
ガッ
>>28
初めて名前聞いたけど、めちゃ凄い人なんだな
ミスチル深海は初めて買ったアルバムだし ファンタズマのイヤホン付きは持ってるわ
今でも手元にあるのはそのくらいかね ミスチルのU2のヨシュアトゥリーをパクったジャケもこの人?
まあ、でもあれはミスチル側からの要望ってかんじなのかな?
あれは本家に比べて構図が糞でセンス0だったけど >>28
ニシエヒガシエのデブスババァなんだったんだよアレw >>38
深海はピンクフロイド風の音だったからジャケもヒプノシス風なんだろうなw 遺産で揉めてそう
もりばやしみほと再婚してたよね
大丈夫かな >>28
芸スポ民ならどれか2枚くらいは持ってそうなラインナップだな 人目を引くパッケージ作りは巧かったな、パクリの真偽は知らないが
オリジナルラブのはどれも好きだった >>38
U2とミスチルの被写体としての差を差し引いても素人が作ったパロディレベルのひどい出来だったな >>42
えええええ
ロリな歌歌ってたハイポジの人か 音楽でも何でもすぐパクリっていうやつはホントに知性がない奴なw
文化レベルが低いっていうか。
ヒップホップ聴いてソウルやファンクのパクリって言うようなw ミスチルの深海って、
全然深海じゃないよね。光届いてるし10mくらいの深さの海底だよ こういう素晴らしい方が手掛けたジャケットデザインも
「音楽配信」で影が薄くなってるのが大変残念
「音楽配信」はただの「データのやり取り」に過ぎないから 初回特典の分厚いジャケットが似合うデザインだったな 氷河期渋谷形ど真ん中だったけど、あの頃はジャケも楽しみだった
高野寛がTwitterで追悼してたけど、彼のジャケもほぼ手がけてたのは知らなかったわ 存じ上げてないのは聴かないアーティストばかりだからだな 価値のないチンカスのために
価値ある人気者が犠牲になる >>63
どう頑張ってもあんたとは比較にならんぞw >>28
LadiesRoom!!
懐かしい
いいアルバムだったよな >>28
ユーミンの何枚か家に有るわw
ガキの頃買ったやつ >>3
一生なんの波にも乗れずウンコだけして終わる人生のお前 永井博ほどの癖強ではなかったのが
逆にもうすこし長期間いろんな仕事が出来た要因か >>1
実はパクリストとして悪名高かったよね
あとはオウム幹部になった人物が以前ここの事務所で働いてたとか
本人も反政府デモによく参加してたとか >>17
都築響一がブルータスかポパイで連載していた
「猿真似クリエイター天国」という連載で
名指し批判されたほど有名だった
ただ、信藤氏と親しい編集者がいた為に
ゲラの段階で原稿差し替えになったんだったか、
単行本化されなかったんだったか…
そんな話を聞いたことがある >>70
当時もチラホラネットやサブカル雑誌に晒されてはいたけどね
それよりオウムの実行犯が元アシスタントだった事の方が有名かな >>1
土曜ワイド劇場のオープニングが混じってるな 凄く好きなやつもあるけど
趣味に合わない物の方が多い 90年代のおしゃれデザインと言えばこの人だったな
ご冥福 シナロケ、高橋ユキヒロ、坂本龍一、ブランキー、毛皮のマリーズとか渋谷系だけじゃなく手広くやってるよ ビーイング系のダッサいダッサいジャケ写もそれはそれでいいよね 信藤さんと組んでたピチ小西も見かけなくなったな
フランスあたりで悠々自適生活かな >>40
へー
hideのミュージックビデオめちゃくちゃ良いよね、難波さんて監督だっけか
ジャケ写に注目して誰だって考えたこともなかったけど、みんな結構注目してるんだね 信藤さんの功績は日本で国際タイポグラフィ様式を復権させたことという評価で落ち着いてる
ビル、ブロックマン、ヴィエラ、ゲルストナー、オーダーマット、ホフマン、フーバー、、、
忘却されていた偉大なデザイナーを再度我々の眼前に回帰させてくれた人
後のデザインにも大きな影響を与えたといえる。合掌 わー、マジか
お悔やみ申し上げます
どっかで追悼展やって欲しい 過去はそれによって救済へと導かれる秘められた索引を伴っている
というベンヤミンの言葉を借りれば
既存の年表から廃棄されたものを発見し組み合わせることによって
「かつて」を再現させるのが真の歴史家だそうな
歴史は構成の対象という概念はヒップホップDJや渋谷系の面々や信藤さんにも共通するもの
信藤さんのアートワークがなければコーネリアスやピチカートファイブの国際的な成功はなかったかもしれないですね 一時期よく見たタイプのジャケットだな
この人が作ってたのか やっぱりフリッパーズギターの「ヘッド博士の世界塔」だな
個展でもめだつところにディスプレイされてた
https○://i.imgur.com/CyI7oNE.jpg
https○://i.imgur.com/gyei9wS.jpg
https○://i.imgur.com/Iu3Zfmw.jpg
https○://i.imgur.com/wPXih1Z.jpg >>95
それって中古市場でアナログ盤が軽く10万超えてるよね >>98女王陛下のCD収納側が透明プラでCD裏ジャケのその裏もデザインとして活用される、てのは小西のアイディアだってよ ミーシャすげぇな
あんな高い場所に乗って怖くないのかね パクリばっかりやってた恥ずかしい人。
検索したらいっぱい出てくるよ。 >>103
パクりではなく回帰なんですよ
回帰とは復古的な現象とは区別される
デザイナーが新たに加えた意匠や解釈には一種の迂回の過程が生ずる
つまり引用されたデザインとは、過去のコピーの直接引用というわけではなく
現在の視点という媒質を介して産出された新しいものとして回帰してくるのです 信藤が活躍していた頃は
芸術やデザインにおけるポストモダニズムの概念が強い影響力を持っていた時期でしょ
オリジナルや起源が持つ神秘性を消し去り
脱神秘化を基礎にして別の起源に移し変えるのが時代の潮流だったわけで
コンテキストを見れば何も恥ずかしくないし
現在のデザイン、広告業界でもきちんと評価されてます 何をどう言い訳してもパクリはパクリ。佐野研二郎や森本千絵なども同じ。 なにも作れないやつほどパクリ連呼するね
クリエイターほど甘くなるというのもあるけど
成果物で判断するのが正解だとしたら
この人にパクリ連呼して揶揄するのは間違いだとは思う >>85
ちっこいシーデーでジャケ写もくそもって感じではありましたけども
ビートルズのホワイトアルバムをシーデーでやられてもねっていうか パクリ仕事してる無能野郎ほどパクリエイターを擁護するよな
パクリじゃなくてオマージュなんです
パクリじゃなくて回帰なんです
笑えるわ スクーターズ観てモータウンのパクリ言うやつはおらんわな >>107
クリエイターは「みんななんかのパクリ」とうちうちでは言い合ってるよな
だから「クリエイター」という立場をもつのが何よりも大事なんだよね
なんかのパクリなうえに売れてないのにクリエイターというやつは
一体なんでそこにいるのかと思ってしまうが そもそも日本のあらゆる文化がパクリで成立してる
枝葉を論っても仕方がない >>113
東京クラブカルチャーのマスターピースだな 岐部 哲也(きべ てつや、1955年5月12日 - )は、オウム真理教の元幹部。ホーリーネームはマハーカッサパ。
大分県出身。省庁制が採用された後は「防衛庁長官」となる。教団内でのステージは師長だったが、
地下鉄サリン事件3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。
1979年4月、阿佐ヶ谷美術専門学校ビジュアルデザイン科に入学。1982年、専門学校を卒業後、コンテンポラリー・プロダクションに入社。
グラフィックデザイナーとして、一流ミュージシャンのレコードジャケットや広告、ポスターを数多く制作する。松任谷由実のアルバム『ALARM à la mode』や手塚治虫の『火の鳥』の装丁なども手掛けた。
デザイナーとして一線で活躍し、金銭的な面でも何の不満もない生活を送っていたが、
ポスターでも広告でも雑誌でも本でも「所詮は有効期限のある紙切れ」と思い、虚しさを感じていた 1987年6月、グラフィックデザイナーの道を捨て出家。出家番号は19。
入信後は教団出版物の装丁などデザイン関係を担当する。教団のアニメーション制作にも携わった。カメラマンとしても優れており、麻原の空中浮揚写真は岐部が撮影したもの。
麻原は教団が保有するMi-17ヘリコプターでサリン噴霧などのテロを行うことを構想しており、岐部はアメリカに派遣されヘリコプターの免許を取得。
また、ラジコンヘリの操縦も任されたが、実機とのレバー操作の違いに戸惑い、訓練中に大破させてしまった。これに激怒した村井秀夫によって、事実上の降格処分を受ける。
1994年6月、防衛庁長官に任命される
『防衛庁』の表向きの仕事は”毒ガス攻撃”を防ぐ目的で全国の教団施設に設置されていた空気清浄機「コスモクリーナー」の保守・管理だったが、
裏では屈強な男性信者を従え教祖の護衛を務める『親衛隊』の役割を担った。 2004年7月7日、警察庁長官狙撃事件において岐部に酷似した人間が狙撃犯の逃走ルートとは反対方向である警察署の前を自転車で通ったとする複数の目撃証言から、
狙撃役の逃走を支援するダミー役を果たしていた疑いが強いと警察に判断され、殺人未遂容疑で逮捕されたが否認。
証拠不十分で7月28日に釈放され、9月17日に不起訴となった。
逮捕された際、岐部が所持していた手帳には「核弾頭 いくらか」と書かれており”核弾頭”の部分に丸で印が付けられていた。
また、ロシア製の戦車T72について「中古20万ドル-30万ドル」「新品だと100万ドル」など、核兵器や戦車の価格調査をしていたとみられる記述や、
「船、兵士200人、貨物室、ベッドを積めば可」等、兵士の輸送方法について検討していたとも取れるメモもあった。 >>115
なんだかんだで日本向けに言葉や表現の空気をアレンジするのだって
それなりにクリエイションだからね
誰かが既に日本向けに翻訳したものをパクるのはどうかと思うけど
>>121
日ハムのコーチで遠征先で連続強姦やったやつなんか
ハムと道警で結託して、ハムが解雇するまで逮捕を待ってもらって
「もう辞めた人間だから球団は無関係」と言い張って
癒着してる地元マスゴミもそれに従って追及しなかったからね 信藤さんも亡くなってしまったか...
この人インスタのフォローすると律儀にフォローバックしてくれるのよね ピチカート・ファイヴとかおしゃれなジャケのイメージがあったからGLAYの死ぬほどダサいジャケがこの人と知って驚いた ちゃんとアーティスト側に寄せてる
ブランキーとか
本人が引き出し多いし 宇多田ヒカルのKeep tryin'のジャケットが糞ダサ過ぎて当時引いたわ
大好きな曲なので怒りさえ湧いた
反対に斉藤和義のCOLD TUBEのジャケは大好き
Corneliusの1st.のジャケは大大大好き
同じ人だったとはー
ご冥福をお祈りします >>107
その理屈ってただに子供の開き直りだからなあ >>128はなにも作ってないヒキニートのイチャモだけどね パクリって書いてる人は>>110についてはどう思う?
三雄氏が作品やりたいことって音楽に限らずこれと同じことだと思うよ ミスチルが最初の頃渋谷系に分類されてたのは
この人がジャケやってたからだよね >>133
無理して意味知らん言葉使わんでもええんやで >>136
実際に渋谷系的な売り出しだった最初は
すぐにJ-POPのメインストリームに出ちゃったけど コンテンポラリーの信藤三雄さんか
ザ・90年代だな >>123
そうなんだ?それは知らんかった
インスタやってたのも知らんかった
というのは興味あったのは00年代前半までだったから https://i.imgur.com/ewxzvRh.jpg
アイドル以上にこだわりもクソもないビーイング系のジャケ写はこちら >>1の画像にもあるピチカートのベリッシマ!は発売時から腐るほど聴いたな
今でも時々聴く >>64
持ってるCD沢山ある
一番音楽聴いてた時期だったなぁ 渋谷系に関連してパクリというなら無知すぎる
音楽でいうならば90年代渋谷系よりも前の80年代モッズシーンと関わりの深い人だし
ポストパンクにはリバイバルという側面があって日本でもモッズリバイバルに乗った東京モッズ族なんてのがあった
70年代にメジャーデビュー前のシャネルズとスクーターズが共演してたりもするし
そういう方面から考えないと
もちろんそれ以前からデザインという本職があってのバンド活動 >>153
これもか
再結成にふさわしくインパクトあるなと思った マイラバのevergreenのジャケ写は素晴らしい 野宮さんのインスタの写真な、、、
故人が肩を寄せ合って、、、 パクリパクリっていうけどさ
dj 、スタイリスト的な
音楽の作り方だってことでしょ?
パクリとは違うよね? サザンのヤングラブは露骨な飛行船のオマージュだけは蛇足だった気がする >>3
こんな業界バブルに上手く乗るのが大変なんじゃん。 >>157
日本ブサイクオシャレ協会女性部長の野宮真貴さんですか 渋谷系が亡くなったのにこの伸びの遅さ
みんな冷たいよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています